評議会の亀裂
数日後 評議会場
湾口からの報せが、評議会に届いた。
一枚の書簡だった。アルセナとドラフォの間で交わされた、一時休戦協定の写し。それが正式な文書として、議場に回覧された。
議場は静まり返っていた。評議員たちは、その書簡を順に手に取り、目を通していった。誰もが、この報せの重みを慎重に測ろうとしているようだった。
三日前、この同じ議場で、証言外交の是非が問われた。その記憶が、まだ生々しく残る中で、また新たな判断を迫られている。評議員たちの表情には、僅かな疲労と緊張が入り混じっていた。
「これは」議長が言った。「現地の指揮官が、独断で結んだ協定、ということですか」
「その通りです」オルグは言った。「ドラフォ将軍が、アルセナ殿下からの提案を受け、双方の艦隊の判断で休戦を決定しました」
議場に、動揺が広がった。
「独断で」ゲラードが立ち上がった。「現地の指揮官が、本国の許可もなく、敵と協定を結んだというのか」
ゲラードの声は、議場にはっきりと響いた。周囲の評議員たちの何人かが、その声に、頷いた。三日前の採決で証言に心を動かされた者たちの中にも、この新たな展開には戸惑いを見せる者がいた。
議場の一角から、囁くような声が、聞こえてきた。
「確かに、証言は重要だった」ある評議員が隣の者に言った。「だが、現地の指揮官が勝手に休戦を決めるというのは、別の話ではないか」
「そうだな」もう一人が頷いた。「証言と、この独断は切り離して考えるべきかもしれない」
そうした声が、議場のあちこちで交わされていた。オルグは、その空気の変化を、敏感に感じ取っていた。
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「許可を待っていれば」オルグは言った。「数週間、湾口の緊張は続いたままでした。既に、増援は見送られている。ならば、現場の判断で無用な衝突を避けることに、何の問題が」
「問題は」ゲラードは言った。「軍の指揮系統そのものだ。現地の指揮官が、本国の意向を待たず、勝手に敵と取り決めを結ぶ。これが許されれば、軍の統制は崩壊する」
「統制の話をするなら」オルグは言った。「この評議会自体が、既に遠征の見送りを決定している。ドラフォ将軍の判断は、その決定の延長線上にある」
「延長ではない」ゲラードは言った。「評議会は、遠征の見送りを決めただけだ。休戦を結ぶ権限までは与えていない」
「では、聞くが」オルグは言った。「もし、ドラフォ将軍が休戦を結ばず、そのまま睨み合いを続けていたら、あなたはそれを良しとしたのか」
「良しとはしない」ゲラードは言った。「だが、少なくとも指揮系統は守られていた」
「指揮系統を守るために、無駄な緊張を続けさせるのか」オルグは言った。「それは、本末転倒ではないか」
ゲラードは、少し言葉に詰まった。だが、すぐに、態勢を立て直した。
「本末転倒かどうかは、結果論だ」ゲラードは言った。「今回は、うまくいったかもしれない。だが、次も、うまくいくとは限らない。現地の判断に全てを委ねる前例を作れば、いずれ取り返しのつかない事態を招くこともあり得る」
議場の何人かが、その言葉に考え込むような表情を見せた。ゲラードの主張は、感情論だけではなく制度への懸念として、一定の説得力を持ち始めていた。
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議場に、緊張が走った。
ファリスが、静かに口を開いた。
「一つ、確認したい」ファリスは言った。「この休戦協定は、破棄することができるものですか」
「できます」オルグは言った。「正式な召還命令が届けば、あるいは評議会が別の決定を下せば、この協定は失効します。あくまで一時的な取り決めです」
「では」ファリスは言った。「この場で、慌てて破棄する必要はないのでは」
ゲラードは、ファリスを見た。
「あなたも」ゲラードは言った。「あの証言に、心を動かされた一人だったな」
「心を動かされた、というより」ファリスは言った。「事実を見た。それだけだ」
ゲラードは、その言葉に僅かに眉をひそめた。だが、すぐに、反論を続けた。
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「事実、というなら」ゲラードは言った。「もう一つの事実も見るべきだ。——現地の指揮官が、本国の頭越しに敵と取り決めを結んだ。これが前例になれば、今後、あらゆる現場が本国の意向を無視するようになる」
「無視ではない」オルグは言った。「ドラフォ将軍は、艦隊全員に本国の決定を正直に伝えた。何も隠さなかった。——それは、無視とは正反対の行動だ」
「正直であることと、命令に従うことは別だ」ゲラードは言った。
議場に、しばらく沈黙が落ちた。
ファリスが、再び、口を開いた。
「ゲラード評議員」ファリスは言った。「あなたの懸念は、理解できる。だが、統制と現場の柔軟性は必ずしも対立するものではないはずだ」
「では、どこまでが柔軟性で、どこからが逸脱なのか」ゲラードは言った。「その線引きが曖昧なままでは、この評議会の権威そのものが揺らぐ」
ファリスは、しばらく考え込むように間を置いた。
「一つ、提案がある」ファリスは言った。「今回の休戦協定は、追認する。だが、今後、現地の指揮官が独自の判断を下す場合の手続きを明確化してはどうか。事後、速やかに評議会へ報告することを義務付けるといった形で」
「それは」ゲラードは言った。「一定の意味はあるかもしれない」
「今回のような判断が必要な場面は、これからもあるかもしれません」オルグが言った。「その都度、評議会の許可を待っていては、機を逃すこともある。だが、事後報告を義務化すれば、統制と柔軟性の両立が図れるはずです」
ゲラードは、しばらく黙り込んだ。反論の糸口を、探しているようだった。
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議長が、評議員たちを見渡した。
「この協定への対応を、議論する必要がある」議長は言った。「ゲラード評議員は、破棄を求めるのですか」
「求める」ゲラードは言った。「本国の統制を示すためにも、この独断は明確に否定されるべきだ」
「私は」オルグは言った。「破棄には反対します。この休戦が、これ以上の犠牲を防いでいる。破棄すれば再び緊張が高まる。得るものより失うものの方が大きい」
「得失の問題ではない」ゲラードは言った。「統制の問題だ」
「統制と、犠牲を、天秤にかけるのですか」オルグは言った。「あなたの主張が正しいとすれば、統制を守るために、また誰かが命を落とすことになる。それでも、統制を優先しますか」
ゲラードは、その問いにしばらく答えなかった。
議場の空気が、その沈黙の間、張り詰めていた。誰もが、この対立の行方を、固唾を呑んで見守っていた。
「私も」ゲラードは、やがて、口を開いた。「誰かの命を、軽んじているわけではない。ただ、統制なき軍は、いずれより多くの命を危険に晒すことになる。それを、恐れているだけだ」
「その懸念は」オルグは言った。「理解できます。だからこそ、先ほどのファリス評議員の提案が、有効だと思うのです。統制を保ちながら、現場の柔軟性も、確保する。両立できる道があるはずです」
ゲラードは、しばらくその提案を頭の中で反芻しているようだった。
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議長は、しばらく考え込んだ。
「採決を取りたい」議長は言った。「この協定を追認するか、破棄するか」
議場に緊張が走った。三日前の採決と、同じ空気が、そこにあった。
手が挙がっていく。オルグは、その数を目で追った。三日前より僅かに、追認派が増えているように見えた。証言の記憶が、まだ、評議員たちの中に残っているのかもしれなかった。
反対の手も、少なからず、挙がっていた。ゲラードの主張に、賛同する評議員も、確かに存在していた。この評議会が、まだ一枚岩には程遠いことを、その光景ははっきりと示していた。
オルグは、その光景を注意深く見つめていた。追認は、確かに、決まった。だが、この評議会の中に、まだ深い溝が残っていることを忘れてはならなかった。証言外交は、まだ、道半ばだった。
「追認、多数」議長が、やがて言った。「この休戦協定を、正式に追認する」
ゲラードは、その結果に何も言わなかった。ただ、深く椅子に沈み込んだ。
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議場を出た後 オルグの控室
オルグは、控室で一人、息をついた。長い議論の疲労が、体に、重くのしかかっていた。
ファリスが、後から入ってきた。
「今回も、際どかったな」ファリスは言った。
「際どかった」オルグは言った。「だが、追認された。それだけで十分だ」
「三日前の採決から、僅かに追認派が増えたのが救いだった」ファリスは言った。
「ああ」オルグは言った。「あの証言の記憶が、まだ評議員たちの中に残っているのだろう。だが、その記憶も時間が経てば薄れていく。次の機会には、また同じ苦労を強いられるかもしれない」
「ゲラードは」ファリスは言った。「まだ諦めていないだろう」
「分かっている」オルグは言った。「あの男は、簡単には退かない。だが——」
オルグは、言葉を切った。
「だが、何だ」ファリスが続きを促した。
「だが、あの男も、今日の議論の中で少しずつ変わりつつあるように見えた」オルグは言った。「反論の中身が、以前とは違ってきている。純粋な感情論では、なくなってきている」
「制度論に切り替えてきた、ということか」ファリスは言った。
「そうだ」オルグは言った。「感情論なら、証言や事実で、崩すことができる。だが、制度論はそう簡単には崩せない。あの男は、賢い。戦い方を、変えてきている」
「お前の提案した、事後報告の義務化」ファリスは言った。「あれは、良い落としどころだった」
「咄嗟に、思いついただけだ」オルグは言った。「だが、ゲラードも、それには反論しにくかったようだ。統制を守りつつ、現場の判断も、認める。双方が納得できる形に近づいた」
「今後も、同じような場面が出てくるだろう」ファリスは言った。「その都度、ああした折衷案を見つけていくしかないのかもしれない」
「そうだな」オルグは言った。「全てを一方の勝利で終わらせようとすれば、いずれ亀裂は修復できないほど広がる」
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「それは」ファリスは言った。「良い兆候か」
「分からない」オルグは言った。「だが、少なくとも対話の余地がまだ残っているということだ」
ファリスは、しばらく考え込んだ。
「私は」ファリスは言った。「この戦が、いつか終わると信じたい。だが、終わり方を間違えれば、また別の火種になる」
「その通りだ」オルグは言った。「だからこそ、慎重に進めなければならない」
ファリスは、窓の外に目を向けた。
「ゲラードのような男が、この評議会に必要なのかもしれない」ファリスは、ぽつりと言った。
オルグは、その言葉に驚いたように、ファリスを見た。
「どういう意味だ」
「勢いだけで物事を進めれば、いつか大きな過ちを犯す」ファリスは言った。「ゲラードの慎重さ、いや頑固さが我々の暴走を防いでいる面もあるのかもしれない」
「暴走、か」オルグは言った。
「証言に心を動かされることと、それを無批判に受け入れることは違う」ファリスは言った。「ゲラードが、あそこまで粘り強く反論するからこそ、我々は証言の一つ一つをより慎重に検証することになった。それは、悪いことばかりではないはずだ」
オルグは、しばらくその言葉を考えた。
「そうかもしれない」オルグは、やがて、言った。「だが、いまは、その頑固さが前に進む足を引っ張っているようにしか見えない」
「今は、そうかもしれない」ファリスは言った。「だが、いつかあの男の慎重さが必要になる場面も来るかもしれない」
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その頃 豪州基地
ナサとミゼンは、基地で、その報せを受け取っていた。
「追認された」カーターが、二人に伝えた。「本国の評議会が、休戦協定を正式に認めた」
ミゼンは、深く息を吐いた。
「一つ、越えた」ミゼンは言った。
「まだ、終わらない」ナサが言った。「評議会。まだ。分かれている。反対。まだ。ある」
「その通りだ」カーターは言った。「だが、少なくとも、いまはこの一歩を喜んでいい」
ミゼンは、しばらく考え込んだ。
「評議会の中で、何が起きているのか」ミゼンが言った。「もっと詳しく知りたい」
「オルグ殿から、詳細な報告が届いている」カーターは言った。「読むか」
ナサは、頷いた。
「読む」ナサは言った。「向こう。何。起きている。私たち。知る。必要」
カーターは、その報告書を、二人に手渡した。ナサは、それを丁寧に広げた。
「ゲラード。まだ。反対」ナサは、報告書を読み進めながら、言った。「でも。今日。負けた」
「負けたけど、諦めてないってことだな」ミゼンが言った。
「その通りだ」カーターは言った。「オルグ殿の見立てでは、ゲラードは次の機会を虎視眈々と狙っているらしい」
「次の機会」ナサが、その言葉を繰り返した。
「本国の政治は」カーターは言った。「一筋縄では、いかないものだ。俺たちにできるのは、この流れを絶やさないことだけだ」
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窓の外には、湾口の海が静かに広がっていた。
その海の向こうで、いま二つの艦隊が初めて武力を交えることなく対峙を続けている。それは、小さな、しかし確かな変化だった。
ミゼンは、その報告書に目を通しながら呟いた。
「ゲラードって奴、随分、しぶといな」
「しぶとい。でも。理解。ある人」ナサが言った。「単純。悪い人。じゃない」
「そうだな」ミゼンは言った。「あんな奴が簡単に意見を変えないからこそ、俺たちの証言が本物だってことが証明されるのかもしれない」
ナサは、報告書を静かに閉じた。
「私たち。証言。まだ。終わらない」ナサが言った。「これから。も。伝える。必要。ある」
「その通りだ」ミゼンは言った。「一度で、全部が、片付くわけじゃない。少しずつ積み重ねるしかない」
カーターは、その様子を見ながら頷いた。
「お前たちがいてくれることが、この状況にとって大きな支えになっている」カーターは言った。「オルグ殿にも、ファリス殿にも、それは伝わっているはずだ」
窓の外では、夕暮れの光が静かに湾口の海を照らし始めていた。
その海の向こうで、いま二つの艦隊が依然として、武力を交えることなく対峙を続けている。それは、小さな、しかし確かな変化だった。
だが、評議会の亀裂は、まだ埋まっていなかった。ゲラードは、今日負けた。だが、退いたわけではなかった。
その亀裂がこの先どう動いていくのか、まだ誰にも分からなかった。




