↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/127

三日後

評議会 三日後


三日は長かった。


オルグは、その間、休むことなく動き続けた。証言の束を写し取り、評議員たちの屋敷を一軒ずつ回った。読んでほしい、というだけの頼みだった。だが、その頼みを断らなかった評議員も少なくなかった。


屋敷の主人の中には、話も聞かずに門前払いをする者もいた。だが、それ以上に黙って束を受け取り、扉の奥へ消えていく評議員たちがいた。オルグには、その反応の違いが何を意味するのか、はっきりとは分からなかった。ただ、拒まれなかっただけでも、望みはある。そう思い込むしかなかった。


この三日間、オルグは、ほとんど眠っていなかった。屋敷を回り、証言を届け、そして次の屋敷へと向かう。その繰り返しの中で、時折、ふと不安が頭をよぎることがあった。この賭けが、失敗したら。増援が決まり、戦争が続いたら。そのとき、自分は何を失うことになるのか。だが、その不安を、オルグは、その都度、振り払った。今は、迷っている暇はなかった。


ファリスの警告は当たっていた。ゲラードは、この三日、沈黙していたわけではなかった。強硬派の評議員たちを集め、証言の信憑性そのものに疑いを投げかける動きを進めていた。


「寝返り者の言葉を鵜呑みにするな」という声が、都のあちこちで囁かれ始めていた。市場でも酒場でも、その言葉がまことしやかに囁かれているのを、オルグは屋敷を回る道すがら何度も耳にした。


オルグには、その動きの全てを止める力はなかった。ただ、証言をできる限り多くの評議員の手元に届けること。それだけが、オルグにできる唯一のことだった。


初日は、十軒ほどの屋敷を回った。二日目は、更に多く。足は棒のようになり、声は嗄れた。それでも、オルグは、屋敷を回ることをやめなかった。この証言が、一人でも多くの評議員の目に触れることだけが、頼みの綱だった。


ある屋敷では、主人が証言に目を通しながら、ぽつりと呟いた。「もし、これが本当だとしたら——我々は何を知らずに戦を始めたのだろうな」その一言に、オルグは僅かな手応えを感じた。だが、そういう反応ばかりではなかった。別の屋敷では、束を突き返され、扉を閉められたこともあった。


────


三日目の朝、オルグの屋敷に、ナサとミゼンが再び集まった。


三人とも、目の下に、隈ができていた。この三日、誰も、満足に眠れていなかった。


「手応えは」ミゼンが聞いた。


「分からない」オルグは正直に答えた。「読んだ者の反応は様々だ。心を動かされた者もいる。——だが、ゲラードの動きも無視できない」


「ゲラード。何。している」ナサが聞いた。


「証言そのものを疑わせようとしている」オルグは言った。「お前が本国を陥れるために、嘘の証言をしている、と。——そう言って回っているらしい」


ナサの表情は変わらなかった。ただ、静かに拳を握った。


「嘘。ない」ナサは短く言った。


「分かっている」オルグは言った。「だが、評議会という場所は真実だけで動くとは限らない。——恐れも疑いも、そこには渦巻いている」


ミゼンが窓の外を見た。


「今日、決まるのか」


「今日決まる」オルグは言った。「これ以上、先延ばしにはできない」


三人は、しばらく無言のまま座っていた。屋敷の外では、朝の市が始まる支度の音が、遠く聞こえていた。都の日常は、今日も、変わらずに続いていく。その中で、たった一つの採決が二つの海の運命を左右しようとしていた。


「行こう」オルグが、やがて、立ち上がった。「時間だ」


────


評議会場は三日前よりも緊張していた。


議場には前回よりも多くの評議員が席についていた。この採決の重みを、誰もが感じ取っているようだった。傍聴席にも、いつもより多くの人影があった。噂を聞きつけた者たちが、この採決の行方を、見届けようと集まっていた。


オルグは、議場に入る前、しばらく控えの間で一人、時間を過ごした。証言の束を、もう一度、確かめるように見返す。この三日間、何度も読み返してきた文言だった。だが、今日という日の重みが、その一枚一枚にこれまでとは違う意味を与えているように感じられた。


ナサとミゼンは、既に、別室で待機していた。今日の議論次第では、二人が再び証言台に立つこともあり得た。オルグは、控えの間を出る前に二人に短く言葉をかけた。「呼ばれたら、これまで通りでいい。それだけで、十分だ」


議長が開会を告げた。


「本日は、第二次遠征の是非について採決を行う」議長は言った。「発言のある者は」


ゲラードが、すぐに立ち上がった。


「発言させていただきたい」ゲラードは言った。


「許可する」


ゲラードは壇に上がった。その顔には、三日前とは違う確信めいた色があった。この三日間で何か、勝算を掴んだような落ち着きが、その表情には浮かんでいた。


「この三日、私は証言を精査した」ゲラードは言った。「——結論から言おう。この証言には看過できない疑いがある」


議場がざわついた。


「疑いとは」議長が言った。


「証人のナサは、かつて本国を裏切った男だ」ゲラードは言った。「その男が、いま本国の判断を遠くの机の決定などと批判している。——これは、裏切りを正当化するための都合の良い物語ではないのか」


議場の何人かが、頷いていた。三日前、ナサの証言に心を動かされたはずの評議員たちの中にも、その頷きに加わる者がいた。証言の重みは、時間が経てば、薄れていくものなのかもしれない。オルグは、その反応を見て内心、焦りを覚えた。


「更に言えば」ゲラードは、続けた。「あの海の民が、これほど寛容で我々を理解しようとしていたというなら、なぜこれまで一度も和平の使者を本国に送らなかったのだ。証言が本物なら、あの海の側からも何らかの働きかけがあってしかるべきだろう」


その問いに、議場が、僅かに、ざわめいた。もっともな疑問だ、と何人かが頷いていた。


オルグは席から立ち上がった。


「発言を許可されたい」オルグは言った。


「許可する」


────


「ゲラード評議員の懸念は理解できる」オルグは、壇に上がって言った。「だが、それについても証言の中に答えがある。——あの海の民にとって、こちらの本国はこれまで姿の見えない相手だった。あの海の民が和平の使者を送らなかったのは、我々を理解していなかったからではなく、我々がどこにいるのかさえ正確には把握していなかったからだ」


「そんな、都合の良い話があるか」ゲラードが言った。


「都合が良いかどうかは、証言の内容が示している」オルグは言った。「あの海の民は、我々の本国の位置も規模も正確には知らなかった。——それでいて、我々の側はあの海の民を初めから敵と決めつけて遠征を送った。この非対称さこそが、証言の核心だ」


議場が、また、静まり返った。


「だが、証言の内容そのものを確かめる術は、我々にもある」オルグは続けた。「——ミゼンだ。この男は本国の生まれでありながら、あの海で育った。ナサとは全く別の経緯で、あの海に関わった証人だ。二人の証言が独立に同じ内容を示しているという事実は、無視できない」


「独立に、というが」ゲラードが言った。「二人は既に示し合わせているかもしれない」


「それを言えば、どんな証言も疑うことができる」オルグは言った。「——だが、証言以外に我々には判断の材料がない。証言を疑うなら、それに代わる何らかの根拠を示していただきたい」


ゲラードは口をつぐんだ。


議場に沈黙が落ちた。


「では、聞くが」ゲラードが、やがて口を開いた。「そのミゼンという男は、なぜあの海の民にこれほど肩入れするのだ。育てられた恩義があるにせよ、本国の民でありながら本国を批判する側に立つというのは、いささか不自然ではないか」


「不自然ではありません」ミゼンが傍聴席の脇から声を上げた。議長は、それを咎めなかった。「俺は、どちらか一方に肩入れしているわけじゃない。——両方を、見てきただけだ。両方に同じ人間がいることを知っているだけだ」


ゲラードは、その答えに一瞬、詰まった。だが、すぐに、言い返した。


「言葉は、いくらでも、美しく飾れる」ゲラードは言った。「問題は、その言葉の裏に何があるかだ」


その沈黙の中で、オルグは、議場を見渡した。強硬派の評議員たちの表情には、まだ疑いが残っていた。だが、その疑いの奥に、微かな迷いも見え隠れしていた。この場がまだ決着していないことを、オルグは感じ取っていた。


────


ファリスが静かに立ち上がった。


「私からも発言したい」ファリスは言った。


「許可する」


「この三日、私は証言の全てに目を通した」ファリスは言った。「——ゲラード評議員の懸念はもっともだ。証人の言葉を無条件に信じるべきではない。だが、私が読んだ証言には、作り話にしてはあまりに細部が具体的すぎる部分があった」


ファリスは束の一部を掲げた。


「言語を学んでいく過程の記録だ」ファリスは言った。「単語だけの会話から助詞が繋がり、疑問の形が生まれ、過去形が使えるようになる——この積み重ねは半年という時間をかけなければ作り上げられない。もし、これが嘘だとすれば、その嘘のために半年分の架空の記録を一から作り上げたことになる。——それが現実的だろうか」


議場が静まり返った。


「更に言えば」ファリスは続けた。「この記録には、失敗の記述も含まれている。誤解が生じた場面、うまく伝わらなかった場面。——都合の良い成功譚だけを並べた作り話であれば、こうした失敗をわざわざ書き記す理由がない」


議場の何人かが、ファリスの言葉に頷いた。三日前、疑いの目を向けていた評議員の中にも、その表情を僅かに和らげる者がいた。


「もう一つ、申し上げたい」ファリスは続けた。「私は、この評議会に、長く座ってきた。その間、幾度となく遠くの現場から届く報告書を机の上で読んできた。——だが、その報告書の裏側に、これほど具体的な一人一人の顔が見えたことは一度もなかった」


ファリスは束を、そっと机の上に置いた。


「この証言は、我々に、都合の良い話ではない」ファリスは言った。「むしろ、我々自身の怠慢を、突きつけてくる話だ。それでも、私は、これを読むべきだと思う。都合が悪いからこそ、読む価値がある」


ゲラードは何も言い返せなかった。


────


議長が評議員たちを見渡した。


「他に発言はあるか」議長が言った。


誰も手を挙げなかった。しばらくの沈黙が、議場を支配した。誰もが、この採決の重みを、噛み締めているようだった。


「では、採決に入る」議長は言った。「第二次遠征に賛成の者は」


手が挙がった。オルグは、その数を目で追った。強硬派の評議員たちの多くが手を挙げていた。だが、以前ほどの勢いはなかった。三日前であれば、もっと多くの手が、迷いなく挙がっていたはずだった。


「反対の者は」


オルグは手を挙げた。ファリスも手を挙げた。それ以外にも、この三日で証言に触れた評議員たちの何人かが、手を挙げていた。挙がった手の数は、賛成側とほぼ拮抗しているように、オルグには見えた。


議長が数を数えた。


その結果を議長が口にするまでの数秒間が、オルグには、これまでの人生で最も長い時間に感じられた。心臓の音が、耳の奥で、はっきりと聞こえるほどだった。


────


「反対、多数」議長が言った。「第二次遠征は見送る」


議場にどよめきが広がった。


差は、僅かだった。数票の差だったのだろう、とオルグは後になって聞かされることになる。それほど、この採決は、際どいものだった。もし、ファリスの発言がなければ、あるいはあと数人の評議員の心が動かなければ、結果は逆になっていたかもしれない。オルグは、その紙一重の差に、背筋の冷たくなる思いがした。


ゲラードは、席に崩れるように座った。その顔には、失望と同時に、どこか諦めのような色が浮かんでいた。長年、遠征を支持し続けてきた男にとって、この結果は受け入れがたいものだったに違いない。


それでも、ゲラードは何も騒ぎ立てなかった。負けを認めるように、静かに、目を伏せていた。その姿に、オルグは僅かながら敬意に似たものを感じた。ゲラードもまた、この国のことを、真剣に考えていた一人だったのだろう。ただ、その考え方がオルグとは違っていただけだった。


「では」議長が続けた。「次の議題に移る。——あの海の民との接触の可能性について」


その言葉に、オルグは初めて体の力を抜いた。張り詰めていた緊張が、一気に、緩んでいくのが分かった。


議場の空気は、まだ、完全には落ち着いていなかった。強硬派の中には、なおも、不満げな表情を隠さない者もいた。だが、その一方で、この結果を静かに受け止めようとする空気も確かに広がり始めていた。


まだ和平ではない。だが、少なくとも増援は送られない。武力による決着ではなく、対話の可能性が、この評議会で初めて正式に議論される。


その一歩を、証言が切り開いた。半年という時間をかけて積み重ねられた、一人の技術者と一人の混血の男の証言が、遠くの机の決定を初めて押し返したのだった。


────


その日の夜 オルグの屋敷


ナサとミゼンは、報せを聞いてしばらく言葉を発しなかった。


「本当。決まった」ナサが、ようやく言った。


「決まった」オルグは言った。「まだ始まりに過ぎない。——だが、増援は送られない。それだけは確かだ」


ミゼンは深く息を吐いた。長い間、詰めていた息を、ようやく吐き出したようだった。


「豪州に届くまで、どれくらいかかる」ミゼンが聞いた。


「早ければ数日」オルグは言った。「船を出す。——この決定を、あの海に伝えなければならない」


「俺も、行く」ミゼンが言った。「船に、乗せてくれ」


オルグは、ミゼンを見た。


「なぜ、お前が」


「あの海の言葉が、分かる」ミゼンは言った。「この決定を伝えるのに、俺以上に、適した者はいないはずだ。——それに、カーターという男を、俺は知っている。話が、早い」


ナサも、頷いた。


「私も。行く」ナサは言った。


オルグは、しばらく、考えた。二人を、危険な航海に送り出すことに、迷いがなかったわけではない。だが、この決定を少しでも早く確実に伝えるためには、二人の存在が必要だった。


「分かった」オルグは言った。「明日、船の手配をする」


ナサは窓の外を見た。都の夜は静かだった。


「間に合うか」ナサが呟いた。


その問いに、誰も答えられなかった。増援が送られないという決定が、豪州の海岸に届くまでの数日間、あの戦線はまだ続いているはずだった。その間に何が起きるのか、誰にも予測はできなかった。


「船を、急がせる」オルグは言った。「私にできることは、それだけだ」


三人は、その夜遅くまで明日の手はずを確認し合った。誰も口には出さなかったが、皆、同じことを思っていた。——間に合ってほしい。ただ、それだけだった。


────


その頃 豪州北岸 町


夜明け前、増援部隊が到着した。


海の向こうから、幾つもの艦影が暁の薄明かりの中に浮かび上がってきた。前線の兵たちは、その光景を見て思わず声を上げた。何日も、待ち続けた光景だった。


カーターの部隊は、辛うじて線を保っていた。増援の到着に、兵たちの間に安堵の色が広がった。負傷者を担架で後送する列に、新たな兵たちが加わり、その場に緊張と安堵が入り混じった空気が流れた。


上陸した増援部隊の指揮官が、カーターに、駆け寄ってきた。


「遅くなりました」指揮官は言った。「湾口の状況が思わしくなく、出発が遅れました」


「気にするな」カーターは言った。「来てくれただけで、十分だ」


指揮官は、疲弊した前線の兵たちを見渡した。その顔には、驚きと、労いの色が浮かんでいた。


「よく、ここまで、保たせましたね」


「保つしかなかった」カーターは言った。「他に、選択肢がなかっただけだ」


「よく保った」カーターは部下たちに言った。「あと少しだ」


前線の敵兵は、その日、それ以上の攻勢を仕掛けてこなかった。何かを待っているようだった。あるいは、本国からの新たな指示を待っているのかもしれなかった。


カーターは、双眼鏡越しにその静けさを訝しんだ。これまでの数日間、絶え間なく続いていた攻勢が、今日に限って止まっている。何かが、変わりつつあるのかもしれない。だが、その理由をカーターは知る由もなかった。


「様子が、おかしいな」カーターは、傍らの部下に言った。「何か掴んでいるか」


「いえ、こちらには、特に情報は」部下が答えた。


カーターは、しばらく、双眼鏡を下ろさなかった。敵陣の動きに、目を凝らし続けた。剣を構えたまま、動かない兵たちの列。その奥に、これまでとは違う、何らかの変化があるのではないか。カーターには、そう思えてならなかった。


「増援が来た。これで少しは楽になるでしょう」若い兵が、カーターの傍らで言った。


「楽には、ならない」カーターは言った。「敵が、なぜ、攻めてこないのか。それが分かるまでは、気を抜くな」


若い兵は、頷いた。だが、その顔には僅かながら安堵の色も浮かんでいた。増援が到着し、負傷者の手当てが進み、弾薬も幾らか補充された。この数日間で初めて、部隊全体に僅かな余裕が生まれていた。


カーターには、まだ知る由もなかった。本国の評議会で、増援の見送りが決まったことを。


だが、戦線には僅かな変化の兆しがあった。敵の攻勢が緩んでいた。


その変化が何を意味するのか。カーターは、まだ確かめる術を持っていなかった。ただ、その静けさの中に、これまでとは違う何かが確かに芽生え始めているように感じられた。


夕刻、カーターは一人、前線を見渡せる高台に立った。海の向こうには、これまで何日も砲声と喧騒に満ちていた戦場が、今日は不気味なほど静かに広がっていた。


その静けさの向こうで、いま遠い都の海を渡ろうとしている船があることを、カーターはまだ知らなかった。証言を携え、決定を伝えるために二人の証人が、今夜にも出航しようとしていることを。


「この静けさが、何かの前触れだといいがな」カーターは独り言のように呟いた。


答える者は、誰もいなかった。ただ、風だけが静かに前線の間を吹き抜けていった。


二つの海を隔てて、初めて武力ではない糸が張られようとしていた。


その糸がどこまで伸びるのか、まだ誰にも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。