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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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投射

西暦××××年××月××日 首相官邸地下 危機管理センター 午前6時


「次。要点のみで」


白瀬が言う。


あの朝から六日目だ。今日は投射試験の日だ。これまでの五日間は、外側からの反応を待っていた。今日初めて、こちらから能動的に何かを送る。


「防衛省、藤堂です。本日の実施計画です。電波投射試験、三系統同時。地上固定局、海上移動局、航空移動局を使用し、みちびき基準の同一時刻で記録します。第一段階は国内方向への投射。機材の正常動作を確認します。第二段階で外縁方向へ切り替えます」


「時刻の同期は取れているか」


「みちびき基準で三系統とも同期済みです。誤差は〇・二秒以内に収まっています」


「"失敗"という言葉は使わない」白瀬が確認する。「"成立しなかった"で統一。外縁方向で返ってこなかった場合、それは失敗ではなく結果だ」


「了解です。国内方向への投射で応答が確認できれば、同系統の機材不良の可能性は下がります。外縁方向のみ返答がない場合は、現象として記録します」


「海上の移動局は」


「護衛艦「あたご」です。外縁方向に展開済みです。当直士官の岩田三佐から報告が来ています。機材異常なし、時刻同期完了」


「航空は」


「P-1が計測装置搭載で待機中です。吉田二佐から確認が来ています。昨日取得した背景ノイズデータとの比較準備も完了しています」


「NICTは」


「地上固定局の分析を担当します。信号の波形解析は現地でリアルタイムに行います。何かが返ってきた場合の分類基準も事前に決めてあります」


「分類基準とは」


「送信した電波と波形が一致するか、昨日の背景ノイズの範囲内か、それとも既知のどちらとも一致しないか。この三つに分類します」


「了解だ。始めろ」


────


同日 護衛艦「あたご」CIC 午前7時


「地上局との時刻同期、最終確認」


「みちびき基準。同期済み。誤差、〇・一秒」


岩田三佐はCICを見回した。全員の動作は落ち着いている。昨日、一昨日と準備を積み重ねてきた。今日は実施するだけだ。


実施するだけ、とは言ったが、実施することの意味は小さくない。あの朝から六日間、「外側からの反応がない」という事実を積み重ねてきた。今日は、こちらから信号を送る。返ってきた場合の意味と、返ってこなかった場合の意味。どちらの結果になっても、六日間の「確認できない」に新しいデータが加わる。


「投射一回目、準備」


「準備完了」


「国内方向、送信」


信号が飛んだ。


数秒の沈黙。全員が画面を見ている。


「……応答確認。遅延、想定範囲内。波形、正常」


「記録。機材正常を確認した。外縁方向に切り替える」


切り替えに数秒かかる。送信方向を変えるだけの操作だが、その数秒が長く感じられた。CICの空気が、かすかに変わる。送信先が変わる瞬間だ。


「切り替え完了」


「送信」


待機。想定応答時間が経過する。一秒。二秒。三秒。


「……応答、なし」


誰も驚かない。これまで五日間、外側からの反応はなかった。今日も来なかった。ただ、これは「来なかった」ではなく「返ってこなかった」という能動的な確認だ。数値として記録される初めての「返ってこなかった」だ。


「記録」


「二回目、準備」


────


同日 P-1機内 外縁方向上空


「投射一回目、実施。国内方向、送信」


「応答あり。遅延〇・三秒。正常値」


「記録。外縁方向に切り替え。送信」


三谷三尉は受信装置のディスプレイを見つめている。想定応答時間が経過する。


「……応答なし」


「記録。周波数変更して二回目」


「送信」


また待つ。CICと同じだ。この沈黙の時間が、今日一番重い時間だ。返ってくるかどうか。どちらの結果でもデータになる。だがその間は、まだ答えが出ていない。


「……応答なし」


三回繰り返す。三回とも、返ってこない。


「国内方向に向けて同じ試験を。送信」


「応答あり。遅延〇・二秒。正常値」


国内に向ければ返ってくる。外縁方向に向ければ返ってこない。同じ機材で、方向を変えるだけで結果が変わる。機材の問題ではない。


「記録完了。地上に送信」


三谷は窓の外を見た。青い空が続いている。外縁の向こうに何があるのか。今日の試験で、その問いが少し前に進んだ。


「第三回の前に、受信専用モードに切り替えます。昨日の背景ノイズとの比較をリアルタイムで実施します」


「了解」


────


同日 官邸地下 午前9時30分


「三系統すべてで結果が一致しました」


藤堂が報告する。「国内方向への投射、応答あり。外縁方向、応答なし。地上、海上、航空、三系統とも同じ結果です」


「機材不良の可能性は」


「低下しました。同一系統の装置で国内方向は返ってきて、外縁方向だけ返ってこない。方向による差が明確に出ています」


「"三系統一致"で固定」白瀬が言った。


「返ってこない原因は」


「現時点では不明です。妨害・遮断・吸収のいずれも、今回の観測では裏付けられません」


十六夜が口を開く。「妨害なら痕跡が出ます。遮断なら反射面が残ります。吸収なら減衰のパターンが出ます。今回は何もない。信号が外縁の向こうに出てしまっている可能性があります」


「仮説は今はいらない」白瀬が遮る。「現象としては"返らない"。それだけです」


「了解です。ただし昨日の背景ノイズデータとの比較では、外縁方向に微弱な規則性が確認されています。これは投射試験とは別の観測です」


「それは別に整理しろ。今日の投射試験の結論を先に出す」


黒崎。「結論は」


「外縁方向には、投射したものが返ってこない。三系統一致。機材不良の可能性は低い」


「それで足りるか」


「足ります」


「ならいい。次の試験の準備を続けろ」


────


同日 午後一時 第三回投射


この回で、初めて変化が起きた。


P-1の搭乗員が報告する。「……来た」


短い声だった。だがその声には安堵ではなく、明らかな困惑があった。


三谷は装置の表示を見ていた。波形が出ている。遅延が出ている。だが。


「同じじゃない」


波形が違う。遅延が違う。構造が違う。送ったものの鏡像ではない。減衰した残響でもない。乱れたノイズでもない。


三谷は装置の表示を見ながら、何度もパラメータを確認した。機器の誤動作ではないか。昨日の背景ノイズが混入していないか。全部確認した。それでも、この信号は説明できない。


「記録してます」


「地上に即時送信」


「あたご」でも同じタイミングで反応があった。


岩田三佐がCICで報告を聞いた。「今の、P-1と同時か」


「はい。同一時刻に同方向で検出しています」


「記録。波形は」


「送信した電波とは一致しません。昨日の背景ノイズとも一致しません」


岩田は短く言った。「地上に即時送信しろ」


────


官邸地下に、その波形データが届いた瞬間、NICT担当者が短く言った。「……送信波形とは一致しません」


「ノイズとは」


「昨日取得した背景ノイズとも一致しません。既知の電波特性とも一致しません。分類基準の三番目に該当します。送信した電波とも、背景ノイズとも、既知のパターンとも、どれとも一致しない」


「それはどういう意味だ」


「新規の信号、ということです。こちらが送ったものではなく、昨日まで計測されていたノイズでもない。今日初めて確認された信号です」


「海上と航空で同時に検出しているか」


「はい。両系統で同一時刻に同方向から検出しています」


十六夜が画面を見る。「面白いですね」


一拍。


「これは"返ってきた"のではありません。向こうから、別のものが来た、という可能性があります。こちらが送ったものとは独立した信号です」


「向こうから来た」


「可能性として。つまり、向こうも何かを送っていたかもしれない。こちらが投射したタイミングに合わせて、という偶然かもしれませんが、それにしては整った信号です」


赤城が言う。「再現性は」


「単発です」


「制御できるか」


「できません。こちらが引き起こしたものではないなら、制御しようがありません」


「兵器として成立するかは別です」赤城は短く言った。「現象として扱うなら、"外縁方向から今日初めて確認された信号を検出した"ということになる」


白瀬が即座に介入する。「"届いた"は使わない。"信号を検出した"で統一」


言葉が固定される。届いた、と言えば、向こうに意思があることを前提にする。信号を検出した、なら、まだ現象の範囲に留まる。言葉の選択が、次の判断の幅を決める。


黒崎。「結論は」


「外縁方向から、単発の未同定信号を検出しました。送信した電波とは一致せず、昨日の背景ノイズとも一致しない。再現性は確認できていません。海上と航空の二系統で同時検出しています」


「それで足りるか」


「足ります」


「ならいい。準備を続けろ」


────


同日 午後 千歳基地 帰投後


高田は報告書を書いていた。


書けること:「外縁方向への電波投射試験、三回実施。国内方向は応答あり。外縁方向は応答なし。第三回投射時に未同定信号を検出。再現性なし。機体正常」


書けないこと:「返ってこないことに慣れかけていた。慣れかけた瞬間に、何かが返ってきた。そしてその"何か"は、こちらが送ったものではなかった。だから怖かった。怖かったのは、危険だからではない。向こうに何かいる、という感触を持ってしまったからだ。それが正しいかどうか分からない。でも、その感触は消えない。消えないが、報告書には書けない。書けないが、消えない」


報告書には、怖かった、とは書かない。書かないが、消えない。


それが、人間が記録を作るときに残る、最も誠実な種類の情報だった。記録に残らない情報が、往々にして最も重要な情報だ。


────


同日 夜 研究室


十六夜は未同定信号の波形データを見ていた。


「面白いですね」


赤城が入ってきた。「今日は何かが来たのに、なぜそんなに落ち着いているんだ」


「落ち着いているわけではありません。ただ、来たことよりも、来た信号の性質の方が気になっています」


「性質とは」


「整っています」十六夜は言った。「ランダムなノイズが偶然、既知のパターンと一致しなかっただけなら、もっと雑然としているはずです。でもこの信号は、内部に構造があります。繰り返しのパターンがある。短いですが、完全にランダムではない」


「構造がある、ということは」


「意図がある可能性があります。誰かが、あるいは何かが、意図的に発信した信号かもしれない。そうでなければ、これだけ整った構造は出にくい」


「向こうに誰かいる、ということか」


「可能性として。ただし確認はできていません。単発ですし、再現性もない。明日もう一度試験を行って、同じものが来るかどうかを確認する必要があります」


「もし来なかったら」


「今日の信号は偶然だった可能性が高まります。ただし偶然にしては整いすぎているので、別の説明が要ります」


「もし来たら」


十六夜は少し間を置いた。「向こうから、定期的に何かが送られている可能性が出てきます。そうなれば」


「そうなれば」


「向こうには、送ることができる誰かがいる、ということになります。あの朝から今日まで、外側には何もないと思っていました。少なくとも、外側からの能動的な発信は確認できていなかった。でも今日の信号が本物なら、外側は空白ではないかもしれない」


赤城は腕を組んだ。「それを官邸に上げるか」


「今日の段階では、"未同定信号を検出した。再現性は確認できていない"という事実だけ上げるべきです。解釈は、再現性が確認できてからにする。再現性がない段階で解釈を上げると、解釈が先走ります」


「お前は本当に慎重だな」


「怖いんです」


赤城は少し驚いた顔をした。「怖い?」


「名前を付けてしまうことが怖いです。名前を付けた瞬間、その名前が現実を縛ります。"向こうに誰かいる"と言った瞬間、その前提で全部が動き始める。でも今日の信号一本では、まだその前提を作るには足りない」


「……慎重というより、責任を感じているように聞こえるな」


十六夜は画面を見たまま言った。「そうかもしれません。あの朝から今日まで、官邸の判断に、私たちのデータが使われています。データが正確でなければ、判断が変わる。判断が変われば、国家が動く。国家が動けば、戻れない。だから、慎重でいたい」


部屋は静かになった。


赤城は何も言わなかった。何も言わないことが、同意の意味を持った。


明日、もう一度試験をする。


同じものが来るかどうか。それが今夜の問いだった。

◆電波投射試験

電波を特定の方向に送り、跳ね返ってくるかどうかを調べる試験。今回は「国内は返る、外縁は返らない」という方向差を確認することが主目的。返ってきた電波の波形が送ったものと一致するかどうかも分析することで、単純な反射なのか別の信号なのかを区別できる。


◆未同定信号

正体が分からない信号。今回検出された信号は、送信した電波とも、昨日の背景ノイズとも、既知のパターンとも一致しない。分類基準の「どれとも一致しない」カテゴリに該当した。


◆波形

電波の「形」のこと。振幅・周波数・パターンの組み合わせで、何の信号かが判別できる。送った電波と返ってきた電波の波形が一致しなければ、それは反射ではなく別の何かということになる。


◆信号の構造

信号が完全にランダムでなく、内部に繰り返しのパターンを持っている場合、「構造がある」と表現する。構造のある信号は、自然現象よりも意図的な発信源を示唆することが多い。ただし単発の観測では確定できない。

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