最初の一発
離反から 四日目 未明 攻撃艦隊 旗艦
ミゼンは、攻撃艦隊の、旗艦にいた。
監察団の三隻で本国近くまで運ばれ、そこで別の艦に移された。移された先が、攻撃艦隊だった。ミゼンは、そのとき初めて悟った。自分を運んだのは、監察のためではない。攻撃のために、こちらの海を知る者が、要ったからだ。
ミゼンは、案内人として、連れてこられた。
その事実に気づいたとき、ミゼンは、自分の位置をあらためて理解した。橋にもなり、穴にもなると、かつて考えた位置。本国は、それを三つ目の使い方で、使おうとしていた。案内人。攻める側が、攻められる海を知るための道具。
橋でも、穴でもない。道具だった。
だが、とミゼンは思った。道具にされることと、道具になることは、違う。連れてこられたのは、こちらの意志ではない。だが、この位置で何をするかは、まだこちらが決められる。
案内を、拒むことは、できなかった。拒めば、ただ、殺される。生きて戻る、とレイスに約束した。証人になる、と決めた。だから、ミゼンは生きることを選んだ。生きるために、口を閉じた。何も、教えなかった。だが、教えなくても、あの六人の技術調査員が既に必要な数字を持っていた。ミゼンの案内は、確認のためでしかなかった。
この四日、ミゼンは、艦の中で多くを見た。
攻撃艦隊の、規模。二十隻を、超えていた。ダーウィンの海にいた三隻とは、比べ物にならない。乗員の数も、装備も。本国は、本気だった。
ミゼンは、甲板を歩きながら、砲の数を数えた。教えられて数えたのではない。半年、日本側と過ごすうちに、身についた癖だった。見たものを数え、記録し、覚える。十六夜が言葉を数え、白瀬が事実を記録したように、ミゼンも、いつのまにか、そうやって世界を見るようになっていた。
数えながら、気づいた。この癖こそが、外の民から学んだものだった。本国の乗員は、こんなふうには数えない。ただ命令に従い、艦を動かす。数えて、記録して、後で使う。それは、この半年、あの海で身につけたものだった。
皮肉なことだった。本国がこちらを道具に使おうとする、まさにその艦の上で、ミゼンは、外の民から学んだ目で本国の艦隊を測っていた。
そして、ミゼンは、もう一つ聞いていた。
アルセナ殿下が、離反した、という報せ。攻撃艦隊の中で、それは、怒りと共に伝わっていた。裏切り者。外の民に、たぶらかされた者。——甲板で乗員たちがそう罵るのを、ミゼンは聞いた。
聞きながら、ミゼンは、思った。
殿下は、たぶらかされたのでは、ない。選んだのだ。この四日で見た攻撃艦隊の規模を思えば、殿下の選択がどれほど絶望的な賭けか、分かる。二十隻を超える艦隊に、亡命した一部の艦だけで、立ち向かう。勝てるはずが、なかった。
それでも、殿下は、立つことを選んだ。
ミゼンは、覚えておこう、と思った。この艦隊の、規模を。装備を。針路を。——全部覚えて、生きて戻る。それが、証人の、仕事だった。
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同日 早朝 攻撃艦隊 甲板
艦隊は、南下していた。
ダーウィンの海へ。ミゼンが半年を過ごした、あの海へ。
甲板に出ることを、ミゼンは、許されていた。逃げ場のない海の真ん中では、案内人を閉じ込めておく必要がなかった。
ミゼンは、甲板の端に立って、南を見ていた。
まだ、陸は、見えない。だが、あと一日か二日で見える。あの、半キロ北から見えた、湾の奥までが。
背後で、足音がした。
技術調査員の、一人だった。あの六人のうちの、一人。この四日、ミゼンに一言も話しかけなかった六人の一人が、初めて隣に立った。
「ミゼン」調査員は言った。
ミゼンは、驚いた。名を、呼ばれるとは、思っていなかった。
「お前は」調査員は言った。「あの海に、半年、いた」
「いました」
「あの海の者たちは」調査員は言った。「強いか」
奇妙な問いだった。ミゼンは、その問いの真意を測りかねた。
「強い、とは」ミゼンは言った。
「武器の話ではない」調査員は言った。「武器なら、我々が、数えた。港も、滑走路も、燃料も。数字は、全部、ある。——聞きたいのは、そこではない」
「では、何を」
調査員は、しばらく、黙っていた。
「なぜ、殿下は、あちらを選んだ」調査員は言った。「本国を、捨ててまで。——あの海に、何が、あった」
ミゼンは、その問いに答えを持っていた。だが、答えるべきか迷った。
答えれば、それは、証言だった。だが、レイスが言った証言は、こちら側でするものだった。敵艦の上で、するものでは、なかった。
「答えたくない、なら、いい」調査員は言った。「だが、一つだけ、言っておく。——俺は、あの数字を、測った。港の長さも、水深も。測りながら、思った。これだけ正確に測れるのは、あの海が俺たちを警戒していなかったからだ、と」
ミゼンは、調査員を、見た。
「警戒していない相手を、測るのは、簡単だ」調査員は言った。「簡単すぎて——気味が、悪かった。なぜ、警戒しない。なぜ、敵かもしれない我々に、港を見せる。——その答えを、俺はまだ持っていない」
ミゼンは、しばらく、迷った。それから、口を開いた。証言では、なかった。ただ、一つの事実を、返した。
「一つだけ、言います」ミゼンは言った。「あの海の者たちは、私に、名前をくれました」
調査員が、ミゼンを、見た。
「私は、海に落ちた者でした」ミゼンは言った。「名前を、失った者でした。あの海の者たちは、その私に名前を返し、その名前で呼びました。——強いか、と聞かれれば、分かりません。ですが、そういうことをする者たちでした」
調査員は、何も言わなかった。
「あなたたちは、それを、数字にできますか」ミゼンは言った。「名前を返す、ということを。港の長さは、測れます。ですが、それは、測れません。——測れないものが、あの海には、あります。殿下が選んだのは、たぶん、それです」
調査員は、長く、黙っていた。
それから、言った。
「測れないものは、報告書に、書けない」
「書けません」ミゼンは言った。
「書けないものは、勘定に入らない」調査員は言った。「そして——勘定に入らないものが、いちばん、重いことがある。俺は、それを、知っている」
そして、調査員は、去っていった。
ミゼンは、その背中を、見送った。
あの六人は、機械では、なかった。数字を測りながら、疑問を、持っていた。なぜ警戒しないのか、という疑問を。——その疑問は、たぶん、答えを待っていた。
ミゼンは、思った。
生きて戻って、証言する。その証言は、この海の者だけでなく、あの六人にも——いつか届くかもしれない。
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同日 午後 ダーウィン基地 作戦室
「艦隊、捕捉しました」
観測班の、声だった。
会議室ではなく、作戦室だった。この数日で、基地は、外交の場から防衛の拠点に変わっていた。
「距離、およそ、二百キロ。針路、真っ直ぐ、こちらへ」観測班は言った。「規模——二十隻以上。まだ、増える可能性が、あります」
部屋が、静かになった。
カーターが、海図に艦隊の位置を記した。
「二十隻」カーターは言った。「北岸の防衛は、間に合いませんでした。ですが——迎え撃つ準備は、あります。完璧では、ないが、ある」
「亡命艦隊は」赤城が聞いた。
「アルセナ様の艦隊は、湾口に、展開しています」白瀬が言った。「本国艦隊と、こちらの海岸の、間に。——盾に、なるつもりです」
十六夜は、その配置を聞いて、胸が痛んだ。
亡命艦隊は、数隻。本国艦隊は、二十隻以上。数隻で、二十隻の前に立つ。それは、防衛ではなかった。ほとんど、身を投げ出すことだった。
十六夜は、アルセナの、あの覚え書きを思い出した。二つの月かけて積んだ、日付と事実の一覧。その最後に書かれた「従わない」の四文字。あの四文字が、いま、湾口の数隻の艦になっていた。四文字の重さが、実際の重さに、なっていた。
紙の上の決断は、消せる。だが、海の上に展開した艦は、消せない。アルセナは、消せない場所に、自分の決断を置いた。
「止められないのですか」十六夜は言った。「アルセナ様を。あの配置では——」
「止められません」白瀬は言った。「そして、止めては、いけません」
「なぜ」
「あれは、アルセナ様の、選択だからです」白瀬は言った。「亡命政権の、最初の、意思表示です。自分たちが、この海を守る側に立つ、という。——それを、こちらが止めれば、亡命政権は庇護されるだけの存在になる。守られるだけの政府に、正統性は、宿りません」
「ですが、死にます」
「死ぬかもしれません」白瀬は言った。「ですが、アルセナ様は、それを承知で選んでいます。承知の選択を、こちらの都合で、奪うことは——できません」
部屋が、静かになった。
「一つ、やれることが、あります」カーターが言った。
全員が、カーターを見た。
「亡命艦隊を、単独で、死なせない」カーターは言った。「豪州の艦を、その後ろに、つける。亡命艦隊が盾なら、我々は、その盾を支える。——一緒に、立つ」
「豪州が、参戦する、ということですか」ノックスが言った。
「そうです」カーターは言った。「ですが、決めるのは、私ではありません。室長。——キャンベラの、判断が、要ります」
ノックスは、しばらく、黙っていた。
「もう、判断は、済んでいます」ノックスは言った。「アルセナ様を、政府として、受け入れると決めた時点で。——受け入れた政府が攻撃されるのを、見ているだけの国はありません。参戦します」
「日本は」赤城が言った。
全員が、赤城を見た。
「日本は、憲法上の制約があります」赤城は言った。「他国の戦争に、直接参戦することはできません。——ですが」
赤城は、少し間を置いた。
「この土地の民が攻撃されるとき、共にいる日本人が何もしない、という選択は——私にはできません。東京の判断を、待ちます。ですが、待つ間、私は、この基地の日本人の安全を守るために必要なことはします。——それが、結果として、防衛になるとしても」
十六夜は、その言葉の微妙な線を聞き取った。
参戦は、できない。だが、自国民を守る。その線引きの中で、赤城は、できる限りのことをしようとしていた。
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同日 夕方 湾口 亡命艦隊「エイカ」
アルセナは、艦橋に、いた。
北西の水平線に、影が、見え始めていた。
三隻ではなかった。数えきれない、影の列。二十隻以上の艦隊が、こちらへ、向かってくる。
隣に、ドラフォは、いなかった。ドラフォは、本国艦隊の、側にいた。命令に従い、いちばん遅く、いちばん下手に、あの艦隊を動かしている。
アルセナは、向かってくる艦隊の中に、ドラフォの艦を探した。見分けは、つかなかった。だが、いる。あの中に、いる。昨日までの、同胞が。そして——ミゼンも、いる。
撃ち合う相手の中に、味方がいる。
これほど残酷な戦いは、なかった。
外の民との戦いなら、まだ、耐えられた。憎める相手となら、憎しみで、戦える。だが、向かってくる艦隊には、昨日までの同胞が乗り、拾った乗員が乗り、そして間に立つドラフォがいた。撃てば、誰に当たるか、分からない。当たってほしくない者にこそ、当たるかもしれない。
アルセナは、その恐怖を、飲み込んだ。飲み込んで、艦橋に、立ち続けた。指揮官が恐怖を見せれば、乗員に伝染する。伝染した恐怖は、統率を、崩す。だから、飲み込むしか、なかった。
「殿下」レナが言った。「本国艦隊から、通信が、入っています」
「繋げ」
通信が、繋がった。
本国艦隊の、指揮官の声だった。ドラフォではない。別の、本国から来た、指揮官。
「アルセナ」指揮官の声は言った。「最後の、警告だ。投降し、外の民との関係を、断て。そうすれば、命は、助ける。——反逆者として、処断されるより、賢明な道だ」
アルセナは、通信に、答えた。ヴァルタの言葉で。
「断る」アルセナは言った。「私は、投降しない。——だが、一つ、問いたい」
「何だ」
「なぜ、この海を、攻める」アルセナは言った。「この海は、本国に何もしていない。言葉を交わし、共に、生きようとしただけだ。——なぜ、それを、攻める」
「命令だからだ」指揮官は言った。
「命令の、理由は」
「知らん」指揮官は言った。「理由は、評議会が、握っている。俺は、命令を、遂行するだけだ。——お前も、かつては、そうだった」
「かつては、そうだった」アルセナは言った。「だが、いまは、違う。私は、理由を、知りたい。理由の分からない命令で人を殺すことは、もうできない」
通信の、向こうが、沈黙した。
「一つ、答えろ」アルセナは言った。「お前は、この命令の理由を知りたいと、思わないのか。理由も分からず、言葉の通じる相手を、攻める。——それを、疑問に、思わないのか」
通信の向こうで、指揮官が、息を吐く音がした。
「思う」指揮官は言った。「思わないはずが、ない。——だが、思っても、命令は変わらない。俺が疑問を持つかどうかで、砲弾の行き先は、変わらん。ならば、思わないことに、している」
「思わないことに、している」アルセナは繰り返した。「私も、かつては、そうだった」
「知っている」指揮官は言った。「だから、惜しむ。——お前は、思わないことを、やめた。俺には、できない」
「時間だ」やがて、指揮官は言った。「投降しないなら、これまでだ。——アルセナ。俺は、お前を、惜しむ。だが、命令は、命令だ」
通信が、切れた。
アルセナは、艦橋から、向かってくる艦隊を見た。
先頭の艦が、砲門を開くのが見えた。
「殿下」レナが言った。
「分かっている」アルセナは言った。
半年前、この海で結んだあの宣言が、頭をよぎった。
「私たち。あなたたち。戦わない」
守れなかった。守ろうとした。全員が、守ろうとした。だが、守れなかった。
守れなかったのは、この海の者の罪ではない。
アルセナは、そう自分に言い聞かせた。
「総員」アルセナは言った。声を、張った。「これより、我らは、この海を守る。本国のためでは、ない。評議会のためでも、ない。——この半年、この海で積んだもののために、我らは立つ」
艦橋に、乗員たちの返事が返った。
「盾に、なれ」アルセナは言った。「後ろには、この土地の、民がいる。半年、言葉を交わした、あの人々が。——その人々の前に、我らが、立つ」
先頭の艦の砲門が、こちらを向いた。
そして。
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最初の一発は、夕暮れの海に放たれた。
砲声が、海を、渡った。半年間、一度もこの海に響かなかった音だった。停戦の日から、ずっと、鳴らなかった音。
その音が、いま、鳴った。
一発は、亡命艦隊の手前の海面に落ちた。水柱が、上がった。威嚇だった。次は、外さない、という威嚇。
アルセナは、その水柱を、見た。
戦争が、始まった。
半年かけて積み上げたものの上に、最初の一発が落ちた。
だが、と、アルセナは思った。水柱を、見ながら。
積み上げたものは、まだ、崩れていない。
一発の砲弾は、海面を、砕いた。だが、この半年、この海で交わした言葉を砕くことはできない。教え合った作法を、消すことは、できない。呼び合った名前を、奪うことは、できない。
砲弾が、砕けるのは、物だけだった。
物ではないものは、砲弾の届かないところにあった。
アルセナは、艦橋で、まっすぐ前を見た。
「応戦しろ」アルセナは言った。「ただし——沈めることを、目的にするな。止めることを、目的にしろ。あの艦隊にも、昨日までの同胞が乗っている。——殺すためではなく、退かせるために、撃て」
無茶な命令だった。戦争で、殺さずに退かせる。そんな戦い方は、ない。
だが、アルセナは、その無茶を命じた。
無茶だと、分かっていた。殺さずに退かせる戦い方は、こちらの被害を、増やす。効率を、捨てる。この選択で、味方が、余計に死ぬかもしれない。
それでも、命じた。
理由は、一つだった。もし、この戦いを憎しみの戦いにすれば——勝っても負けても、この海に憎しみが残る。憎しみが残れば、いつか、この海は、あの朝より前の、二つの文明が知らぬ同士だった頃より遠くなる。半年かけて縮めた距離が、一発の憎しみで、それ以上に開く。
戦うことは、もう、避けられない。だが、憎むことは、まだ避けられる。
この海の戦いを、憎しみの戦いには、しない。それだけは、守る。守れるものが、それしか、ないとしても。
二発目の砲声が、海を、渡った。
夕暮れの海に、戦火が、広がり始めた。
亡命艦隊は、退かせるために撃った。本国艦隊は、沈めるために撃った。非対称な、撃ち合いだった。片方は効率を捨て、片方は容赦を捨てた。その差は、そのまま、亡命艦隊の不利になった。
だが、亡命艦隊は、退かなかった。
後ろに、この土地の民がいる。半年、言葉を交わした人々がいる。その前で退けば、盾になると誓った意味が、消える。数で劣っても、退けない理由が、こちらにはあった。数で勝る側には、それがなかった。命令で来た者と、守るもののために立つ者の差が、砲弾の重さとは別のところで、この海にあった。
北西の空が、赤かった。
夕日なのか砲火なのか、もう見分けがつかなかった。
半年前、この同じ空の下で、二つの文明は水を交わした。いま、同じ空の下で、砲火を交わしている。
だが、水を交わした事実は、消えない。砲火が、それを上書きすることは、できない。
その一点だけを、アルセナは、艦橋で握りしめていた。




