協力という名の
監察三日目 旗艦「エイカ」 私室
その通告は、朝に来た。
監察が始まって、三日目。ここまで、監察団は、要請の形でしか、動いていなかった。視察させてほしい。話を聞かせてほしい。どれも、断れなくはない形で、来ていた。断れなくはないが、断れば角が立つ。その、絶妙な角度で。
三日目に来たのは、要請ではなかった。
監察団から、アルセナのもとへ。文書だった。正式な、印を押した文書。要請の文書と、命令の文書は、印の位置が違う。アルセナは、封を切る前に、印の位置で、それが後者だと分かった。
レナが、それを受け取り、アルセナに渡した。渡すレナの手が、いつもより、慎重だった。レナも、印の位置に、気づいていた。
アルセナは、読んだ。
一度、読んだ。それから、もう一度、読んだ。二度読んでも、書いてあることは、同じだった。
「レナ」アルセナは言った。「これを、どう読む」
レナは、文書を、受け取って読んだ。
短い文書だった。用件は、一つだけ。
——貴艦所属の乗員、ミゼンについて。技術調査の協力者として、監察団の艦へ、移送を求める。
「移送」レナが、繰り返した。
「移送だ」アルセナは言った。
「理由は」
「書いてある」アルセナは言った。「ミゼンは、外の民と、最も長く、最も深く接触した乗員である。その経験は、技術調査にとって、貴重な情報源となる。——だから、調査団の艦で、詳しく話を聞きたい」
レナは、文書を、もう一度、読んだ。
「これは」レナは言った。「協力の、要請ですか。それとも——」
「連行だ」アルセナは言った。「言葉は、協力だ。中身は、連行だ」
────
アルセナは、しばらく、その文書を、見ていた。
拒否できるか、を考えた。
考えて、すぐに、拒否が難しいことが、分かった。
文書は、正しかった。手続きの上で、正しかった。監察団には、調査に必要な人員から、話を聞く権限がある。ミゼンは、艦隊の乗員だ。艦隊は、本国に属する。本国の監察団が、本国の乗員から話を聞く。——その構造の中に、拒否する隙が、なかった。
アルセナは、外交を長くやってきた。文書の穴を探すのは、得意な仕事だった。この文書にも、穴を探した。移送の期間が明記されていない。協力の範囲が曖昧だ。戻す条件が、書かれていない。——穴は、いくつも、あった。
だが、その穴は、どれも、こちらに有利には、働かなかった。期間が書かれていないから、短くしろ、と要求できる。要求すれば、なぜ気にするのか、と問われる。曖昧だから、明確にしろ、と言える。言えば、なぜこだわるのか、と問われる。
文書の穴を突けば突くほど、こちらが、ミゼンにこだわっている、と伝わる。こだわる理由を、詮索される。——穴は、突けなかった。突けないように、あえて、穴だらけに、してあった。
拒否すれば、アルセナが、一人の乗員を、監察から庇った、ということになる。庇う理由があるのか、と問われる。庇う理由があるとすれば、それは、ミゼンが、監察団に知られては困る何かを、知っているからだ。——そう読まれる。
つまり、拒否そのものが、疑いを生む。
「レナ」アルセナは言った。「ミゼンは、いま、どこだ」
「艦におります」レナは言った。「昨日、日本側から戻って、今朝は、当直ではありません」
「呼べ」
「殿下」レナが言った。「呼んで、どうなさいます」
アルセナは、答えなかった。
答えを、持っていなかった。
呼んで、伝える。それは、決まっていた。だが、伝えて、その先、何をするかは、決まっていなかった。守る方法が、なかった。守る方法がないことを、本人に伝えるために、呼ぶ。それが、いま、アルセナにできる、唯一のことだった。
いちばん、したくない仕事だった。
指揮官として、部下を危険な場所に送ることは、何度もあった。だが、それには、意味があった。作戦のため。艦のため。守るべきものが、はっきりしていた。今回は、違った。ミゼンを送っても、何も守れない。ただ、送るしかないから、送る。意味のない犠牲を、本人に、意味がないと知りながら、告げる。
海に落ちた乗員を、拾ったのは、自分だった。名を返し、位置を与え、二つの文明の間に、立たせたのも、自分だった。
その自分が、いま、同じ手で、送り出す。
────
同日 午前 旗艦「エイカ」 私室
ミゼンは、文書を、読まなかった。
読めなかった。本国の正式な文書は、艦隊の乗員が読む文体とは、違った。アルセナが、口で、伝えた。
「お前を、監察団の艦へ、移すそうだ」
ミゼンは、しばらく、黙っていた。
「移す」ミゼンは、繰り返した。
「協力、という名目だ」アルセナは言った。「お前が、外の民と、いちばん長く接触した。その話を、聞きたい、と」
「いつ、ですか」
「明日だ」
ミゼンは、また、黙った。
「戻れますか」ミゼンは、聞いた。
アルセナは、答えなかった。
その沈黙が、答えだった。
「戻れない、かもしれない、のですね」ミゼンは言った。
「分からない」アルセナは言った。「協力が終われば、戻す、と書いてある。書いてあることが、守られるかどうかは——分からない」
ミゼンは、頷いた。
不思議と、取り乱さなかった。海に落ちた日から、この惑星で、何度も、行き先を他人に決められてきた。日本側に引き取られたときも、艦隊に戻されたときも、自分で決めたことは、一つもなかった。今回も、同じだった。決めるのは、いつも、他の誰かだった。
「殿下」ミゼンは言った。「一つ、伺っても」
「言え」
「私を、守れますか」
アルセナは、ミゼンを、見た。
正直に答えることに、した。この乗員には、正直が、いちばんの敬意だと、思った。
「守れない」アルセナは言った。「拒否すれば、お前を庇う理由を、問われる。問われれば、この海域全体が、疑われる。——お前一人を守るために、この半年を、危うくすることは、できない」
ミゼンは、その答えを、静かに、受け取った。
「分かりました」ミゼンは言った。
「すまない」
「いいえ」ミゼンは言った。「殿下は、正しいです。——私一人と、この海。比べるものでは、ありません」
「比べている」アルセナは言った。「比べて、お前を、捨てる側に、置いている。——それが、正しいかどうかは、別だ」
沈黙が、あった。
「殿下」ミゼンは言った。「一つだけ、お願いが」
「言え」
「もし、私が戻らなかったら」ミゼンは言った。「私が、海に落ちる前の名前ではなく——ミゼンとして、この海にいた、と。それだけ、覚えていてください」
アルセナは、ミゼンを、見た。
ミゼンという名は、この乗員が、海に落ちて、日本側で付けられ、そして本人が選んで持ち続けた名だった。艦隊の記録には、別の名がある。落ちる前の、元の名が。
「艦隊の記録には、元の名で、残る」アルセナは言った。「それは、変えられない。だが——俺の記憶には、ミゼンで、残す。それは、誰にも、変えさせない」
「充分です」ミゼンは言った。
────
同日 午後 ダーウィン基地
報せは、レイスを通じて、日本側に、伝わった。
面会室で、レイスが、十六夜に、告げた。
「ミゼン。明日。監察団。艦。行く」
十六夜は、ペンを、止めた。
「行く、というのは」
「連れて。行かれる」レイスは言った。「協力。名目。——でも。連れて。行かれる」
「戻って。くる。カ」
レイスは、答えなかった。
答えないことが、答えだった。
十六夜は、しばらく、黙っていた。
ミゼンは、この半年、二つの文明を、行き来してきた。往来のたびに、両側の荷を運んだ。両側の言葉を、覚えた。両側の名前で、呼ばれた。——この海で積み上げたものの、半分は、ミゼンが運んだものだった。
その運び手が、連れて行かれる。
十六夜は、ミゼンと最初に会った日のことを、覚えていた。まだ、言葉が、ほとんど通じなかった頃。単語を、一つずつ、指さして確かめていた頃。ミゼンは、その最初の対話者だった。ミゼンの声の記録が、解析の、最初の一次資料だった。
いま解析班が持っている言語の体系は、そのかなりの部分が、ミゼンの声から始まっていた。音素も、最初の語彙も、ミゼンが発した音を、切り分けたものだった。
言語の解析は、人から始まる、と十六夜は、よく言った。その「人」は、具体的には、ミゼンのことだった。
その最初の人が、連れて行かれる。
「白瀬さんに、伝えます」十六夜は言った。「ですが——こちらに、止める手立ては、たぶん、ありません」
「ない」レイスは言った。「ミゼン。艦隊の。乗員。日本。関係。ない。——止める。権利。ない」
その通りだった。ミゼンは、ヴァルタの乗員だった。日本には、口を出す立場が、なかった。この半年、どれだけ深く接触しても、法の上では、ミゼンは、向こうの人間だった。
積み上げたものと、法とは、別だった。
────
同日 夕方 会議室
「止められません」白瀬が言った。「残念ながら」
会議室に、赤城、十六夜、ノックス、カーターが、いた。
「日本にも、豪州にも、権限がありません」白瀬は言った。「ミゼン氏は、ヴァルタの乗員です。ヴァルタの内部の移送に、こちらが介入する根拠は、ない」
「人道的な、懸念を、伝えることは」ノックスが言った。
「伝えられます」白瀬は言った。「ですが、伝えるだけです。伝えて、向こうが、考慮するかどうかは、向こう次第。——そして、いま、向こうの決定権を握っているのは、あの、話の通じない六人です」
部屋が、静かになった。
「一つ、確認したい」赤城が言った。「なぜ、ミゼンなんだ」
「協力者として、適任だからです」白瀬が言った。「外の民と、最も深く接触した乗員。その経験を聞きたい。——名目としては、完璧です」
「名目としては、な」赤城が言った。「本音は」
白瀬は、少し、考えてから、答えた。
「三つ、考えられます」白瀬は言った。「一つ。本当に、話を聞きたい。ミゼン氏は、こちらの内情を、いちばん知っています。基地のことも、人のことも。それを、聞き出したい」
「二つ目」
「二つ目。ミゼン氏を、こちらから、引き離したい」白瀬は言った。「ミゼン氏は、この海の、生きた証拠です。二つの文明が、実際に、共に働けることの、証明。——その証拠を、こちらの手の届かないところに、移す」
「三つ目」
白瀬は、少し、言い淀んだ。
「三つ目は」白瀬は言った。「——人質、です」
部屋が、静かになった。
「もし、この後、何かが起きるとして」白瀬は言った。「そのとき、ミゼン氏が、向こうの手元にいれば——こちらの動きを、縛れます。ミゼン氏の身を案じて、こちらは、動きにくくなる。——そういう使い方も、できます」
「三つのうち、どれだと思いますか」ノックスが聞いた。
「分かりません」白瀬は言った。「そして、分からなくて、いいんです」
「いい、というのは」
「三つのうち、どれであっても、ミゼン氏は、連れて行かれます」白瀬は言った。「こちらの取る行動は、同じです。どの理由かを当てても、止められない。——だとすれば、理由を当てることに、時間を使うべきではありません」
「では、何に使うんですか」
「三つ目の可能性が、当たっていた場合の、備えです」白瀬は言った。「情報源でも、証拠の隔離でも、こちらの被害は、ミゼン氏一人です。ですが、人質なら——それは、この後、もっと大きなことが起きる、という前提の話になります。三つのうち、いちばん、外してはいけないのは、それです」
「何かが、起きるとして」カーターが、繰り返した。「その『何か』を、我々は、まだ、口にしていませんね」
会議室の、全員が、その言葉に、気づいた。
三つの引っかかり。技術調査員。錨地。設備の質問。——それが指し示す「何か」を、誰も、まだ、口に出していなかった。口に出せば、前提になる。前提にするには、証拠が、足りなかった。
だが、ミゼンの移送が、四つ目の引っかかりに、なりかけていた。
そして、四つの引っかかりは、同じ「何か」を、指し始めていた。
「口にしましょう」十六夜が言った。
全員が、十六夜を見た。
「証拠は、まだ、足りません」十六夜は言った。「ですが、足りないまま、口にしないでいると——手遅れになったときに、口にすることになります。それでは、遅い」
十六夜は、ノートの、四つの引っかかりを、指した。
「これが、全部、一つのことを指しているとして」十六夜は言った。「その一つのことは、何か。——言います」
部屋が、静まった。
「侵攻の、準備です」十六夜は言った。
言葉が、部屋に、落ちた。
誰も、否定しなかった。
否定できるだけの材料を、誰も、持っていなかった。そして、肯定できるだけの材料も、なかった。ただ、その言葉は、四つの引っかかりの、真ん中の空白に、ちょうど、収まった。
「決めつけては、いません」十六夜は言った。「ですが、この可能性を、計算に入れずに動くのは——危険すぎます」
「一つ、確認します」ノックスが言った。声が、硬かった。「もし、それが当たっているなら——攻められるのは、どこですか」
部屋が、静かになった。
「ここです」カーターが言った。「オーストラリアの、北岸です」
ノックスは、その言葉を、受け止めた。
「日本の問題では、ない、ということですね」ノックスは言った。「あなた方は、あの朝、ここに来た。攻められる側では、なかった。ですが——攻められるのは、我々の海岸です」
「そうなります」白瀬が言った。「そして、そのとき、日本は——他国の土地を、守る側に立ちます。自国を守るのではなく」
「守ってくれるんですか」ノックスが聞いた。
その問いに、すぐには、誰も答えなかった。
「私には、約束できません」赤城が言った。「それは、東京が決めることです。ですが——私個人の考えを言えば、守らないという選択は、あり得ません。この半年、我々は、この海岸で、この人たちと、共にやってきた。共にやってきた土地を、見捨てて引くというのは——それをやったら、この半年が、全部、嘘になります」
ノックスは、赤城を、しばらく見ていた。
「その言葉を、覚えておきます」ノックスは言った。「約束としてではなく、あなたの人柄として」
赤城が、頷いた。
「入れる」赤城は言った。「今日から、その可能性を、計算に入れる。——そして、キャンベラと東京に、同時に、上げる。片方だけでは、駄目だ。両方の政府が、同じ絵を、同時に見る必要がある」
────
同日 深夜 旗艦「エイカ」 甲板
ミゼンは、甲板に出ていた。
最後の夜だった。明日、監察団の艦へ移る。この艦の甲板に立つのは、今夜が、最後になるかもしれなかった。
海は、静かだった。
北西を見た。この二十日、毎朝、見てきた方角。いま、その方角には、三隻の灯が、灯っていた。明日、自分は、あの灯のうちの一つに、乗る。
積み上げたものを、思い返した。
往来を、三度。録音を、二箱。日本語の挨拶を、艦の半分に。カーターの名を、正しく。——小さなものばかりだった。だが、確かに、積んだ。
その全部を、明日、置いていく。
置いていって、どうなるかは、分からなかった。戻れるかもしれない。戻れないかもしれない。人質になるのかもしれない。それとも、本当に、ただ、話を聞かれるだけかもしれない。
分からないことを、分からないまま、受け入れるしか、なかった。
だが、一つだけ、分かっていることが、あった。
自分を送り出す殿下も、止められなかったレイスも、権限がないと言った日本の人たちも——誰も、自分を、軽く扱わなかった。誰も、しかたない、で済ませなかった。全員が、止めたがって、止められなかった。
連れて行かれるのは、同じだった。だが、誰にも惜しまれずに連れて行かれるのと、全員に惜しまれて連れて行かれるのとは、違った。
海に落ちた日、自分を惜しむ者は、この惑星に、一人もいなかった。
いまは、両側に、いる。
その違いは、小さくなかった。
背後で、足音がした。
レイスだった。
「ミゼン」
「レイス」
二人は、並んで、海を見た。
「私」レイスは言った。「あなたに。謝る。——止められない」
「謝らないで」ミゼンは言った。「あなたのせいでは、ない」
「でも」レイスは言った。「あなた。連れて。行かれる。私。ここに。残る。——不公平」
ミゼンは、少し、笑った。
「公平なこと」ミゼンは言った。「この惑星で。あの朝から。一度も。ない」
レイスも、少し、笑った。
「一つ」レイスは言った。「頼み。ある」
「はい」
「向こうで。何。見ても。——覚えて。いて」レイスは言った。「六人。何。話す。どこ。行く。何。測る。——全部。覚えて。いて」
ミゼンは、レイスを、見た。
「あなた。私に。密偵。頼む。カ」
「違う」レイスは言った。「密偵。じゃ。ない。——証人。です」
証人。
「あなた。二つの。名前。持つ」レイスは言った。「二つの。文明。跨ぐ。——だから。証人。なれる。どちら。にも。属さない。証人」
ミゼンは、その言葉を、受け取った。
橋と呼ぶか、穴と呼ぶか。かつて、自分の位置を、そう考えたことがあった。
いま、レイスは、三つ目の言葉を、くれた。
証人。
「覚えて。いる」ミゼンは言った。「全部。覚えて。いる。——生きて。戻る。なら。話す。戻れない。なら——」
「戻る」レイスは言った。「戻って。話す。——それ。まで。私。ここで。積む。あなたの。分。も」
ミゼンは、頷いた。
海は、静かだった。
三隻の灯が、北西に、灯っていた。
明日、その一つに、乗る。
ミゼンは、もう一度、この艦の甲板を、見渡した。二十日、非番でも出た甲板。若い乗員が、日本語を真似て、笑った甲板。
覚えておこう、と思った。
この甲板も。この海も。この夜も。
証人は、覚えていることが、仕事だった。
そして、覚えているためには——生きて、戻らなければ、ならなかった。
ミゼンは、初めて、生きて戻ることを、自分の意志として、決めた。
置いていかれるのでも、連れて行かれるのでもなく。
戻るために、行く。
それは、この惑星に来て初めて、ミゼンが自分で決めた、行き先だった。




