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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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質問の重さ

監察一日目 三隻の投錨地 旗艦「ドヴァル」


面談の場所は、旗艦の一室だった。


ヴェイルは、基地への上陸を、求めなかった。監察は、まず、こちらの船で行う。そう通告してきた。日本側が、艦へ出向く形になった。


赤城、カーター、十六夜。そして、通訳としてのレイス。四人が、小艇で錨地へ渡り、旗艦に乗った。


錨地へ渡る間、十六夜は、海面から基地の方を振り返った。半キロ北のこの位置からは、基地の輪郭が、よく見えた。指定した錨地からは陸の陰になるはずの基地が、ここからは、湾の奥まで見通せた。滑走路の端も、通信塔の影も、燃料タンクの並びも、この高さと角度から、一望できた。


半キロの意味が、水の上に出て、初めて、体で分かった。海図の上では、二つの点は重なって見えた。だが、実際にその位置に立ってみると、見える景色が、まるで違った。


船に乗り込む前から、一つ、確かめてしまった。


隣で、カーターも、同じ方向を見ていた。目が合った。二人とも、何も言わなかった。言えば、小艇を漕ぐヴァルタの乗員に、聞かれる。聞かれて困る話ではなかったが、いま口にする話でも、なかった。


監察官は、静かな人物だった。


迎えたヴェイルは、名を、ヴェイル、といった。年齢は、外見からは読めなかった。ヴァルタの民の年齢は、日本人には読みにくい。だが、動きの落ち着きから、若くはないことは分かった。


ヴェイルは、四人を室に通すと、まず、こちらを、ゆっくり見た。


一人ずつ。赤城。カーター。十六夜。レイス。誰が、どの位置に立つか。誰が、誰の後ろにいるか。序列を、読んでいた。人を見る前に部屋を見るような人物だ、と十六夜は思った。この人物は、部屋も人も、同じように、配置として見ている。


ヴェイルは、教わった通りの作法で、名乗った。まず、相手の手を見て、それから顔へ。役職に対する、公式の高い形。


赤城が、名乗り返した。カーターが、続いた。二人とも、講習で覚えた形を、使った。手を見てから、顔へ。高い形の末尾を、付けて。完璧ではなかった。赤城は末尾の音を一つ、外した。カーターは、順序は正しかったが、間の取り方が、速すぎた。だが、二人とも、使った。


十六夜は、続いて名乗った。三人の中で、いちばん正確だった。正確すぎないように、わざと、一箇所、崩した。完璧にやれば、それはそれで不自然だ、と赤城に言われたことを、思い出していた。


ヴェイルの視線が、その名乗りの間、動いた。


十六夜は、その動きを、見ていた。


ヴェイルは、こちらが作法を使ったことに、驚いていなかった。予期していた、という顔でもなかった。ただ、確認していた。どの程度、正確に使えるか。どこで間違えるか。——測っていた。


作法を使ってみせたことは、好印象には、ならなかった。情報に、なっただけだった。


こちらは、この作法を、努力して身につけた。教わり、練習し、揉めながら、覚えた。その努力は、ヴェイルには、見えていない。見えているのは、結果だけだ。結果だけを見れば——外の民が、いつの間にか、こちらの作法を使えるようになっている。その事実が、ヴェイルの目の前に、ある。


好意で受け取るか、警戒で受け取るかは、ヴェイル次第だった。そして、ヴェイルは、どちらでも受け取らなかった。ただ、記録した。この海域の外の民は、本国の作法を、実用の水準で使う。——その一行を、頭の中の帳面に、書いた。それだけだった。


十六夜は、その事実を、頭の隅に、置いた。感情を交えずに事実だけを記録する人間が、いちばん、読みにくい。喜ぶ人間も、怒る人間も、読める。何も表に出さない人間だけが、読めない。


────


監察は、面談から始まった。


ヴェイルは、まず、赤城に問うた。


「この海域での、貴国の活動について、伺いたい」


レイスが、訳した。ヴェイルの言葉は、レイスの片言とは違った。速く、正確で、厚みがあった。母語話者の言葉。レイスが、それを、日本語に移していく。移しきれない部分は、十六夜が補った。


赤城が、答えた。


活動の経緯。あの朝からの接触。停戦。往来。面会。合意された手順。——順を追って、正直に、話した。隠すことは、何もなかった。半年前から、隠せるものを、一つも作らなかったからだった。


話しながら、赤城は、一つ、気づいていた。


正直に話すことが、これほど、力を持つとは、思っていなかった。隠し事のある人間は、話しながら、どこかで、言葉を選ぶ。選んだところに、間ができる。その間を、聞く側は、見逃さない。だが、隠し事がなければ、間ができない。よどみなく、話せる。よどみのなさそのものが、一つの証拠になっていた。


半年前、隠せるものを作らなかったのは、方針ではなく、余裕がなかったからだった。いま、その余裕のなさが、この面談で、いちばんの武器になっていた。


ヴェイルは、聞いていた。


時々、短く、問いを挟んだ。いつからか。誰の判断か。文書は残っているか。——事実を、確かめる問いだった。答えやすい問いだった。赤城は、一つずつ、答えた。


一日目の面談は、静かに進んだ。


対立は、なかった。緊張は、あった。だが、それは、詰問の緊張ではなかった。丁寧な人物が、丁寧に事実を確かめている。それだけの、緊張だった。


面談の最後に、ヴェイルは、一つ、要請を出した。


「明日、貴国の施設を、視察したい」


レイスが、訳した。


「監察には、実地の確認が要る」ヴェイルは言った。「書類と、話だけでは、片手落ちだ。港。通信。滑走路。——直接、見せていただきたい」


赤城は、即答しなかった。


「持ち帰って、返答します」赤城は言った。「こちらの土地は、こちらだけのものではありません。オーストラリアの領土です。上陸の可否は、あちらの判断も要ります」


ヴェイルは、その答えに、わずかに、興味を示した。


「この土地は、貴国のものでは、ないのか」


「違います」赤城は言った。「我々も、客です」


ヴェイルは、その一言を、しばらく、咀嚼していた。それから、頷いた。


「では、返答を、待つ」


面談が終わったとき、赤城は、少しだけ、安堵していた。


十六夜は、していなかった。


────


同日 夕方 会議室


「どうだった」白瀬が聞いた。東京から、まだ残っていた。


「静かでした」赤城が言った。「対立は、ありません。質問は、全部、事実確認です。答えにくいものは、一つもなかった」


「良い兆候では」ノックスが言った。


「私も、そう思いたいです」赤城が言った。「詰問を、覚悟していました。譲歩を迫られる、と。ですが、そういう場面は、一度も、ありませんでした。ただ、丁寧に、聞かれただけです」


「分かりません」十六夜が言った。


全員が、十六夜を見た。


「質問を、全部、書き取りました」十六夜は言った。「三十九問、ありました。その内訳が、少し、気になります」


十六夜は、ノートを開いた。


「三十九問のうち、二十一問が、経緯についての質問でした。いつ、誰が、どう決めたか。これは、当然です。監察ですから」


「残りは」


「十八問」十六夜は言った。「そのうち、十二問が——設備と、地形についての質問でした」


部屋が、静かになった。


「たとえば」十六夜は、ノートを読んだ。「基地の通信設備の、有効距離。港の、最大の水深。滑走路の、長さと、耐荷重。燃料の、備蓄量と、補給の経路。——こういう質問が、十二問」


「それは」カーターが言った。「監察と、関係あるのか」


「関係づけることは、できます」十六夜は言った。「貴国の活動を評価するには、その活動を支える基盤を知る必要がある。——そう説明されれば、筋は通ります」


「だが」


「だが、十二問は、多い」十六夜は言った。「経緯を確かめるだけなら、設備の細目は、要りません。この基地に通信設備があることは、話せば分かります。有効距離の数字まで、監察に必要か。——必要だとは、思えません」


「多いというのは、何と比べて、多いんだ」赤城が聞いた。


「過去の面会と、比べてです」十六夜は言った。「この半年、レイスとの面会で交わした問答を、全部、記録してあります。あちらが、こちらに何を聞いてきたか。その中に、設備の数字を聞く問いは、一つもありませんでした。港の水深も、燃料の量も、一度も、聞かれていない」


「向こうは、興味がなかった、と」


「興味がなかったか、聞く必要がなかったか。どちらかです」十六夜は言った。「この二日で、それが、十二問。ゼロから、十二へ。——この落差が、いちばん、引っかかります」


数字そのものより、数字の変化。解析の仕事で、十六夜が最も信頼している指標だった。ある値が高いか低いかは、比較対象がなければ判断できない。だが、同じ値がゼロから十二に跳ねたなら、それは、間違いなく、何かが起きたということだった。


赤城が、腕を組んだ。


「答えて、しまったな」


「答えました」十六夜は言った。「答えないわけには、いきませんでした。一つ一つは、自然な質問です。断れば、こちらが何かを隠している、と読まれる。——断れないように、聞いてきています」


「意図的に、か」


「分かりません」十六夜は言った。「意図的だとしても、偶然だとしても、こちらの取る行動は、同じです。答えないわけには、いかない。——ですから、意図を読むことに、意味はありません。読むべきは、意図ではなく、何を集めているか、です」


十六夜は、ノートの、設備に関する十二問を、指でなぞった。


「通信。港。滑走路。燃料。——これを集めると、何が分かるか」


誰も、答えなかった。


「この基地が、どれだけの規模の作戦を、支えられるか」カーターが、低い声で言った。「軍人なら、その項目を、そう読みます」


部屋が、静かになった。


「訂正します」カーターが、続けた。「正確には——この基地を拠点にして、どれだけの規模の作戦が、打てるか。あるいは、この基地を叩くのに、どれだけの規模が、要るか。同じ項目から、両方が読めます」


「攻める側の視点でも、守る側の視点でも、要る数字だ、ということですか」ノックスが言った。


「そうです」カーターは言った。「だから、厄介なんです。この十二問は、防衛の観点からも、正当化できる。『貴国と協力して、この海域を守るために、基盤を把握したい』——そう言われれば、筋が通る。攻めるための偵察と、守るための共有は、同じ数字を要求します。数字だけ見ても、どちらか、分からない」


「では、どこで、分かるんですか」白瀬が聞いた。


「分かりません」カーターは言った。「数字では、分かりません。分かるとしたら——その数字を、この後、向こうがどう使うか、です。ですが、それは、使われてから、しか、分からない」


部屋が、静かになった。


「決めつけるのは、早い」白瀬が言った。「ですが——記録します。設備関連、十二問。地形関連、六問。要確認」


「もう一つ、決めることがあります」赤城が言った。「明日の、視察です。上陸を、認めるかどうか」


部屋が、静かになった。


「認めなければ、どうなりますか」ノックスが聞いた。


「隠している、と読まれます」白瀬が言った。「設備の質問に答えておいて、実物は見せない。——それは、かえって、目立ちます」


「認めれば」


「測られます」十六夜が言った。「今日、数字で聞かれたものを、明日、実物で確かめられます。数字は、こちらが言葉を選べる。実物は、選べない」


「では、どちらも、まずい」


「まずいです」白瀬は言った。「ですから、どちらが、より、ましか、で決めます」


「一つ、伺います」ノックスが言った。「見せて、まずいものは、実際に、あるんですか」


赤城が、答えた。


「あります」赤城は言った。「多くはありません。ですが、あります。——通信の、暗号系統。それと、燃料の、本当の備蓄量。この二つは、数字で答えたものと、実物が、違います」


「嘘を、答えたんですか」ノックスの声が、少し、硬くなった。


「丸めました」赤城は言った。「嘘ではありません。ですが、正確でもない。——備蓄は、実際より、少なく答えました」


部屋が、静かになった。


「それは」白瀬が言った。「見せて、露見しますか」


「タンクの外観だけなら、露見しません」赤城は言った。「中を測られれば、露見します」


「では、タンクの区画は、順路から外す」ノックスが言った。「カーター中佐、できますか」


「できます」カーターは言った。「ただし——外したことが、不自然でない形で、外します。そこだけ避ければ、そこに何かあると分かる。自然に、通らない道にします」


白瀬は、少し考えてから、続けた。


「認めます。ただし、豪州の主催で、豪州の案内で」白瀬は、ノックスを見た。「視察の主体を、豪州にしてください。日本が見せるのではなく、この土地の持ち主が案内する。——見せる範囲も、順路も、そちらが決める」


ノックスは、しばらく、白瀬を見ていた。


「日本の施設を、我々が案内するのですか」


「日本の施設ではありません」白瀬は言った。「オーストラリアの土地にある、共同の施設です。——少なくとも、監察官には、そう見せるべきです。この海域が、日本の単独の場ではないことを、明日、示せます」


「それは——」ノックスは、言葉を選んだ。「こちらにとっても、悪くない話です。ですが、一つ、確認を。案内するということは、責任も、こちらが負う、ということですね」


「負っていただきます」白瀬は言った。「その代わり、権限も、そちらのものです」


ノックスは、頷いた。


「受けます」ノックスは言った。「カーター中佐に、案内させます。順路は、今夜、詰めます」


赤城が、頷いた。


「一つ、条件を付けます」カーターが言った。「技術調査員の、単独行動は、認めません。案内から離れて、勝手に測るのは、断る。——視察は、視察の範囲で」


「断れますか」十六夜が聞いた。


「断ります」カーターは言った。「案内するのは、こちらです。案内人の言うことを聞かない客は、案内できない。——それは、無礼ではなく、規則です。向こうが規則で来るなら、こちらも規則で返す」


引っかかりが、三つになった。


技術調査員、六名。錨地、半キロ、視界。そして、設備への質問、十二問。


三つとも、単独では、説明がつく。三つ揃うと、説明が、一つに寄り始める。


まだ、寄りきってはいなかった。だが、寄り始めていた。


────


監察二日目 港湾地区


二日目、視察が、行われた。


豪州の主催だった。カーターが、先頭に立った。上陸したヴェイルの一行を、カーターが案内した。順路は、前夜のうちに、決めてあった。見せる場所と、見せない場所。通る道と、通らない道。


順路の設計は、前夜、遅くまでかかった。単純に隠せばいい、というものではなかった。あからさまに避ければ、避けたことが分かる。避けたことが分かれば、そこに何かある、と教えることになる。だから、自然に、見せないようにする。動線を、そう組んだ。


見せて困らないものは、堂々と見せた。港の全景。管制塔の外観。整備された滑走路。むしろ、誇るように見せた。誇るように見せられたものは、隠していない、という印象を作る。その印象が、見せなかった数箇所を、覆い隠した。


カーターは、それを、一人で組んだのではなかった。ターナーに、現場の目線で、抜けを潰させた。「ここ、この角度から、あれが見えます」「この時間、あの区画に人が出ます」——現場を歩いている下士官にしか気づけない穴を、一つずつ、塞いだ。


そして——技術調査員たちが、初めて、動いた。


六人は、前日の、旗艦での面談には、同席していなかった。この日、初めて上陸し、初めて、姿を見せた。そして、見せた途端に、案内から離れようとした。


カーターが、止めた。


「順路から、外れないでください」カーターは、通訳を介して、言った。「案内は、私がします。単独の行動は、お控えを」


六人は、止まった。止まったが、その場から、視線だけを、動かしていた。歩測はできなくなった。だが、目で測ることは、止められなかった。


歩測は、封じた。だが、六人は、封じられた中で、測り続けた。


一人は、岸壁を歩く自分の歩数を、数えているようだった。歩けと言われた道を歩きながら、その歩数で、長さを測っていた。


一人は、係留の設備から、視線を離さなかった。どれだけの重さの艦を繋げるかを、目で、見積もっていた。


一人は、潮の満ち引きの跡を、水際に残る色の境で、読んでいた。


案内の順路に、大人しく従いながら、六人は、通された範囲の全部を、測っていた。測らせないための順路が、そのまま、測れる範囲を教えていた。


カーターは、案内をしながら、その六人を、見ていた。監視所では、ターナーが、望遠で、記録を取っていた。


視察が終わり、一行が艦へ戻ったあと、ターナーが、記録を持って、カーターのところに来た。


「中佐」ターナーが言った。「あの六人、監察官と、別々に動いてました」


「見ていた」


「監察官は、昨日、書類と人の話を聞いてた。あの六人は、今日、物ばっかり見てました。——順路から出られないのに、それでも、測ってた」


「見ていた」カーターは言った。「別々の仕事だ。同じ船で来て、別々の仕事をしている」


「連携、してないんですかね」


「している」カーターは言った。「連携していないように見えるのが、連携だ。監察官が人を見て、調査員が物を測る。二つ合わせると、この基地の、人と物の、全部が分かる。——役割を分けているだけだ」


ターナーは、しばらく、六人を見ていた。


「なあ、中佐」ターナーが言った。「俺、聞いていいですか」


「言え」


「あいつら、何しに来たんですか」


カーターは、すぐには答えなかった。


「監察だ」カーターは言った。「艦隊が、まだ本国の艦隊かどうかを、確かめに来た。——建前は、そうだ」


「建前は」


「ターナー」カーターは言った。「お前、いま、良くない質問をした」


「すみません」


「謝るな。良くない質問だが、正しい質問だ」カーターは言った。「ただ、その質問の答えを、いま、口にするのは、早い。答えを口にすると、その答えに合わせて、全部が見え始める。——見えたものが、本当にそこにあるのか、答えに引きずられて見えているだけなのか、分からなくなる」


「じゃあ、どうすれば」


「測り続けろ」カーターは言った。「あいつらが物を測るなら、こっちは、あいつらを測る。何を、どの順で、どれだけ丁寧に測るか。全部、記録しろ。——答えは、記録が溜まってから、出す」


ターナーは、記録に、戻った。


六人の技術調査員は、静かに、正確に、港を測り続けていた。


丁寧だった。


その丁寧さが、カーターには、いちばん、引っかかった。


視察に来ただけの人間は、こんなに丁寧には、測らない。確認のための視察なら、大まかでいい。ここに港がある、通信塔がある、滑走路がある。それを見て、報告書に「有り」と書けば、済む。


だが、六人は、大まかにしなかった。歩数を数え、係留具の太さを見積もり、潮の跡を読んだ。それは、確認ではなかった。数字を、持ち帰るための測り方だった。


丁寧に測るのは、測った数字を、後で使う人間だった。そして、後で使うために測る数字は、たいてい、測られた側が望まない使われ方をする。


────


同日 夕方 面会室


その日、レイスは、疲れた顔をしていた。


二日間、通訳を続けていた。監察官の速い言葉を、日本語に移し続けた。母語を、外の言葉に移し続けるのは、聞く以上に、疲れる仕事だった。


「レイス」十六夜が言った。「今日。ありがとう。ございました」


「いいえ」レイスは言った。


十六夜は、少し、迷った。聞くべきか、聞かざるべきか。


聞けば、レイスに、答えさせることになる。答えにくい問いを。だが、聞かなければ、分からないことが、あった。


「レイス」十六夜は言った。「一つ。聞いて。いい。カ」


「はい」


「答えたくない。なら。答えなくて。いい。です」


レイスは、頷いた。


「あの。六人」十六夜は言った。「技術。調べる。人。——あなた。話した。こと。ある。カ」


レイスは、少し、間を置いた。


「ない」レイスは言った。「二日。通訳。同じ。部屋。いた。——一言。も。話さない」


「あなた。から。話しかけた。カ」


「話しかけた」レイスは言った。「返事。ない。——聞こえない。ふり。した」


十六夜は、その一言を、注意深く、受け取った。


レイスは、この二日、通訳として、監察の場に立ち会っていた。同じ部屋にいて、目も合った。その相手が、一言も口をきかない。それは、無礼ではなかった。規律だった。話さないように、命じられている。誰と、何を、話してはいけないか、決められている。


「レイス」十六夜は言った。「もう一つ。——最後です」


「はい」


「あなた。あの六人。誰の。指示。で。動く。か。分かる。カ」


レイスは、長く、黙っていた。


答えたくない問いだ、と十六夜は思った。取り消そうとした。取り消す前に、レイスが、口を開いた。


「監察官。じゃ。ない」レイスは言った。「監察官。あの六人。指示。しない。——別。です」


「別、というのは」


「本国。直接」レイスは言った。「あの六人。監察官。より。上。かもしれない。——私。そう。感じる。確か。じゃ。ない」


十六夜は、ペンを、止めた。


監察官より、上かもしれない六人。役所の名前を持たない六人。誰とも口をきかず、物だけを測る六人。


三つ目の引っかかりが、四つ目と、繋がった。技術調査員、六名、所属不明。監察官の指揮下にない、本国直属。——名簿の空白の意味が、レイスの一言で、埋まりかけていた。


だが、十六夜は、その繋がりを、口にしなかった。口にすれば、レイスに、確かめさせることになる。確かめさせれば、レイスは、もっと危なくなる。


「ありがとう」十六夜は言った。「もう。聞きません」


「イザヨイ」レイスが言った。


「はい」


「私。今。話した。こと。——危ない。です。私に」


「分かっています」十六夜は言った。「誰にも、言いません。記録にも、残しません。——あなたから聞いた、とは」


「違う」レイスは言った。「私。怖くて。言った。のじゃ。ない」


十六夜は、顔を上げた。


「あなたたち。知らない。まま。だと。——もっと。危ない」レイスは言った。「だから。言った。——怖い。けど。言った」


レイスは、立ち上がった。


「これ。私の。選択。です」レイスは言った。「あなた。前に。言った。知って。使わない。選べる。——今日。私。知って。話す。選んだ」


そして、日本語で、言った。


「おやすみ。なさい」


────


同じ夜 三隻の投錨地 旗艦


監察官ヴェイルは、自室で、その日の記録を、まとめていた。


二日間の、面談と視察。書き取った事実は、多かった。だが、ヴェイルが本国に送る報告は、事実の羅列では、なかった。


ヴェイルは、机の上に、二枚の紙を、並べていた。


一枚は、この海域の状況。日本と、艦隊の、接触の実態。


もう一枚は、白紙だった。


白紙の紙が、ヴェイルの、本当の仕事だった。


ヴェイルは、白紙を、見ていた。


この海域は、報告で聞いていたより、遥かに、進んでいた。言葉が通じていた。作法が伝わっていた。互いの名を呼び合っていた。——聞いていた話の、倍は、進んでいた。


そのことを、ヴェイルは、良いこととは、思わなかった。悪いこととも、思わなかった。


長く、この仕事をしてきた。行った先で、何を見ても、心を動かさない。動かせば、報告が歪む。歪んだ報告は、遠くの机で、間違った判断を生む。間違った判断の責任は、判断した者ではなく、歪んだ報告を上げた者が、負う。それを、何度も、見てきた。


だから、ヴェイルは、心を、使わないようにしていた。


だが、この海域は、少しだけ、難しかった。


外の民が、自分たちの言葉を話す。作法を使う。名を呼ぶ。それは、報告してきた海域の中で、初めてのことだった。初めてのものを前にすると、心が、動きかける。動きかけるのを、抑えるのに、いつもより、力が要った。


ヴェイルの役目は、良し悪しを決めることでは、なかった。


ヴェイルの役目は、この海域が、どういう場所かを、正確に、本国に伝えることだった。正確に伝えれば、本国が、決める。何を決めるかは、ヴェイルの、関知するところではなかった。


ただ、一つだけ、ヴェイルには、分かっていることがあった。


自分の隣で、あの六人が、別の報告を書いている。


その六人の報告が、自分の報告より、重い。


自分は、この海域が「どういう場所か」を書く。六人は、この海域を「どう使えるか」を書く。


本国が、どちらを先に読むかは、ヴェイルには、分かっていた。


ヴェイルは、白紙の紙を、見ていた。


まだ、一文字も、書いていなかった。


書けば、それが、決まってしまう気がした。


だが、書かなければ、ならなかった。それが、任じられた、仕事だった。


ヴェイルは、筆を取った。


そして、一行目に、こう書いた。


——当該海域における接触は、想定を上回る深度に達している。


書いてから、しばらく、その一行を、見ていた。


想定を上回る。


その一言が、良い方向に働くか、悪い方向に働くかは、ヴェイルには、決められなかった。


決めるのは、本国だった。


決めるための材料を、集めるのが、自分だった。


そして、材料を集めれば集めるほど——この海域の未来が、自分の手を離れて、遠くの机の上で、決まっていく。


ヴェイルは、二行目を、書き始めた。


書きながら、隣室のことを、考えた。あの六人は、いま、何を書いているのか。自分は、この海域が「どういう場所か」を、慎重に、公平に、書いている。だが、六人の紙には、たぶん、公平さも慎重さも、要らない。港の長さ。水深。燃料の見積もり。数字は、公平でも不公平でもない。ただ、使える。


自分の報告は、読む者の判断を、要する。六人の報告は、判断を、要しない。数字は、そのまま、計画になる。


どちらが重いかは、考えるまでもなかった。


ヴェイルは、二行目を、書き終えた。三行目に、移る前に、一度、筆を置いた。そして、書いたばかりの二行を、読み返した。公平に書いたつもりの二行が、読み返すと、どちらにも転がる形をしていた。良い海域だとも、危うい海域だとも、読める。


そう書くしか、なかった。自分に見えたものが、そういう形だったからだ。


窓の外で、三隻の灯が、海岸の方を向いて、灯っていた。

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