覚えない権利
残り二十日 ダーウィン基地 講堂
作法の講習は、三日目で揉めた。
揉めたのは、日本側の隊員ではなかった。
講堂の後列に、豪州国防軍の連絡官が三人、座っていた。ダーウィン基地は豪州の施設であり、この講習に彼らが同席するのは当然のことだった。当然のことだったが、これまで三日間、彼らはほとんど発言していなかった。
三日目の午後、その一人が手を挙げた。
北部方面連絡官、マレー・カーター中佐。四十代の後半。この基地に日本の部隊が入った日から、ずっと窓口をやっている人物だった。
「一つ、よろしいですか」
十六夜は、頷いた。
「この作法を、我々が覚える必要が、本当にあるんでしょうか」
講堂が、静かになった。
カーターの日本語は、流暢ではないが、正確だった。詰まったところは英語に切り替え、通訳が拾った。
「言い方が悪かったら、すみません。反対したいわけじゃない」カーターは言った。「ただ、順序が逆じゃないかと思って。向こうが来るんですよね。この土地に。客が来るのに、なぜ主人の方が、客の作法を覚えるんですか」
そして、少しだけ、間を置いた。
「それと——もう一つ、言わせてください。主人というのは、誰のことですか」
講堂の空気が、変わった。
「ここは、オーストラリアです」カーターは言った。「この基地も、この港も、この海岸も。私は、あなた方を追い出したいわけじゃない。あの朝からこっち、我々は一緒にやってきた。それは本当です。——ですが、三隻の船が入ってくるのは、我々の領海です。そのことの扱いが、この三日間の講習で、一度も出てこなかった」
もっともな問いだった。二つとも、もっともだった。
十六夜は、すぐには答えなかった。
一つ目の問いには、答えを持っていた。二つ目には、持っていなかった。持っていないと分かった上で、答えなければならなかった。
「二つ目から、お答えします」十六夜は言った。「そちらの方が、大事だからです」
カーターが、少し姿勢を変えた。
「ご指摘は、正しいです」十六夜は言った。「この講習の設計に、その視点が抜けていました。私の落ち度です」
「責めているわけでは——」
「責めていただいて構いません」十六夜は言った。「実際、抜けていました。理由は、言い訳になりますが、申し上げます。この半年、私は言語の解析だけをやってきました。誰の土地で誰と話しているかを考えるのは、私の職務ではない、と思っていた。——それが、抜けた理由です」
十六夜は、講堂を見渡した。
「ですが、作法というのは、まさに、誰の土地で誰と会うかの話です。私は、いちばん考えるべき人間でありながら、いちばん考えていなかったことになります」
カーターは、しばらく黙っていた。
「……正直に言われると、こちらが困ります」
「困らせるつもりはありません」十六夜は言った。「対応は、この講習では決められません。上に上げます。今日中に」
「お願いします」
「その上で、一つ目の問いに、お答えします」十六夜は言った。「実務の話です。この三日で覚えていただいた項目のうち、半分は、こちらが不利にならないためのものです。たとえば、名乗りの順番。向こうの作法では、身分の高い者から名乗ります。それを知らずに、こちらが下から名乗り始めると——こちらの序列を、向こうが逆に読みます」
「なるほど」
「基地司令が、いちばん下の人間だと読まれます」
カーターは、少し顔をしかめた。
「それは、困りますね」
「困ります。そして、こちらは気づきません。誰も指摘してくれませんから」十六夜は言った。「作法を知らないというのは、そういうことです。間違えたことすら、分からない」
講堂の何人かが、頷いた。
「他には」カーターが促した。
「もう一つは、実務ではありません」十六夜は言った。「——ですから、聞いた上で、納得しなくて構いません」
十六夜は、ノートを閉じた。
「この作法は、こちらが調べ上げたものではありません。向こうから、教えると言ってきたものです。そのとき、向こうは、こう言いました。守ってほしいのではない、知ってほしい、と」
「違うんですか」
「違います」十六夜は言った。「守れと言われれば、こちらは下になります。知れと言われれば、こちらは選べる。——向こうは、こちらに選ばせる形を、わざわざ選びました」
十六夜は、講堂を見渡した。
「ですから、私も、そうします。この講習で覚えたことを使うかどうかは、各自の判断です。覚えないという選択も、認めます。覚えた上で使わない、という選択も、認めます」
「班長」若い隊員が言った。「それだと、当日、人によってバラバラになりませんか」
「なります」
「それは、まずいのでは」
「まずいです」十六夜は、あっさり認めた。「ですから、私は、皆さんに覚えてほしいと思っています。思っていますが、命令にはしません」
「なぜですか」
十六夜は、少し考えた。
「命令にすれば、この作法は、規則になります。規則になったものは、いずれ、なぜそうするのかが忘れられます」十六夜は言った。「二年後、この基地に来た新しい隊員が、意味も分からずに手を見てから顔を上げる。そうなったとき、この三日間に起きたことは、消えます」
カーターが、腕を組んだ。
「あなたは、それを惜しんでいるんですか」
「惜しんでいます」十六夜は言った。「私は、この作法を、レイスという人物から、直接、教わりました。教わりながら、あの人が、艦隊の作法ではなく本国の作法を選んで教えていることに気づきました。理由も、聞きました」
「理由は」
「監察官に、こちらが学んだと分かるようにするためです。——つまり、あの人は、こちらが良く見えるように、教えているんです」
講堂が、静かになった。
「私は、それを、規則にしたくない」
カーターは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「覚えます」
「無理をなさらなくても」
「無理じゃありません」カーターは言った。「いま伺った話を、私が忘れなければいいんでしょう。忘れないためには、覚えるのがいちばん確実です」
そして、付け加えた。
「ただし、私が覚えるのは、オーストラリアの連絡官として覚えます。日本側の一員としてではなく」
「それで結構です」
「それと」カーターは言った。「うちの若いのにも、覚えさせます。ターナーという曹長がいます。あれは理屈が苦手ですが、体で覚えるのは速い。——先に覚えた者が、あとで誰かに教えることになる。そのとき、教える側にオーストラリア人がいた方がいい」
十六夜は、その言葉の意味を、正確に受け取った。
この作法が二年後にこの基地に残るとして、それを教えるのが日本人だけであってはならない。カーターが言っているのは、そういうことだった。
「ありがとうございます」十六夜は言った。
「礼を言われることじゃない」カーターは言った。「自分の土地のことです」
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講習が終わったあと、赤城が、十六夜を呼んだ。
「揉めたそうだな」
「揉めました。——ただ、揉めて良かったと思っています」
「カーター中佐か」
「はい」
赤城は、少し息を吐いた。
「あの人は、正しい」赤城は言った。「そして、我々は、その正しさを、半年放っておいた」
「放っておいた、というのは」
「意識的にではない。だが、結果としてはそうだ」赤城は言った。「あの朝、我々はこの大陸に転がり込んだ。豪州は受け入れた。受け入れた側が、その後の一切を我々に任せてくれたのは、向こうに余裕があったからではない。手が回らなかったからだ」
「あの時期は、どこの国も、そうでした」
「そうだ。だが、いまは違う」赤城は言った。「向こうにも余裕が戻ってきた。戻ってきたところで見渡してみたら、自国の海に外国の艦隊が来ることになっていて、その交渉は隣の国が全部やっている。——腹を立てない方がおかしい」
「腹を立てている、という印象ではありませんでした」
「あの人は立てん」赤城は言った。「立てないから、余計に厄介だ。立ててくれれば、こちらは謝れる。立てずに正論だけ置いていかれると、謝る場所がない」
「収まったのか」
「収まりました。ただ、収め方が良かったかどうかは、分かりません」十六夜は言った。「命令にしなかったので、当日、統一が取れない可能性は残っています」
赤城は、少し笑った。
「取れなくていい」
「よろしいのですか」
「向こうが、選ばせると言ったんだろう」赤城は言った。「選ばせた結果、全員が同じことをしていたら、それは選んでいないのと同じだ。何人か、やらん者がいた方がいい」
十六夜は、その言い方に、少し驚いた。
「監察官が、バラバラだと見るかもしれません」
「見るだろうな」赤城は言った。「見て、どう思うかは、向こうの勝手だ。——だが、こちらが全員一糸乱れず向こうの作法をやってみせたら、それはそれで、気味が悪いと思わんか」
「……思います」
「借りてきた作法を完璧にやる集団というのは、たいてい、何か企んでいる」赤城は言った。「不揃いな方が、本物に見える。皮肉なものだ」
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残り十八日 ダーウィン基地 会議室
三行の文面の、最終確認のはずだった。
白瀬が、東京から来ていた。送信の判断を、現地でするためだった。
そして、キャンベラからも、人が来ていた。
豪州外務貿易省・特別対策室長、ヘレン・ノックス。四十代半ば。カーターより一回り若く、そして、この部屋の誰よりも準備をしてきていた。
「まず、確認させてください」ノックスは、席につくなり言った。「この文面は、まだ送信されていませんね」
「されていません」白瀬が答えた。
「では、間に合いました」
ノックスは、手元の紙を、机の中央に置いた。
「本国からの正式な申し入れです。三隻の受け入れに関する対応枠組みについて、豪州政府として、見直しを求めます」
赤城が、姿勢を変えた。
「内容を、伺いましょう」
「三点です」ノックスは言った。「第一に、三隻が入るのは豪州の領海であり、投錨するのは豪州が管轄する海域です。錨地の指定は、豪州政府の権限に属します。指定そのものに異存はありません。ですが、権限の所在は、明確にしていただく必要があります」
「第二は」
「第二に、この文面の署名です」ノックスは、三行の文面を指した。「赤城司令の単独署名になっています。日本の特使の名で、豪州の領海への入域を歓迎する。——これは、我々の立場からは、認められません」
部屋が、静かになった。
「第三に」ノックスは続けた。「今後の交渉について、豪州政府の同席を、常設のものとして求めます。オブザーバーではなく、当事者としてです」
赤城は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「三つとも、正当です」
ノックスが、少しだけ眉を動かした。反論を予期していた顔だった。
「反論はされないのですか」
「できません」赤城は言った。「三つとも、こちらが先に整えておくべきことでした。指摘されるまで放置していたのは、こちらの怠慢です」
「では——」
「ですが、一つだけ、申し上げたいことがあります」赤城は言った。「怠慢の理由を、言い訳としてではなく、事実として聞いていただきたい」
ノックスは、頷いた。
「半年前、この接触は、いつ壊れてもおかしくないものでした」赤城は言った。「手続きを一つ整えている間に、向こうの内部が変わる。書式を一つ作っている間に、話し相手がいなくなる。そういう速さの中で、目の前のことだけをやってきました。——気がついたら、枠組みが無いまま、実体だけが大きくなっていた」
「理解はします」ノックスは言った。「ですが、理解と承認は別です」
「承知しています」
「そして、もう一つ」ノックスは言った。「率直に申し上げます。我々が最も懸念しているのは、権限の話ではありません」
「では、何ですか」
「知識です」ノックスは言った。「三隻が来たとき、ヴァルタ語を話せる人間は、この基地に何人いますか」
十六夜が、答えた。
「実用の水準で、六名です」
「そのうち、オーストラリア人は」
「——ゼロです」
ノックスは、頷いた。
「そこです」
部屋が、静かになった。
「権限がこちらにあっても、言葉が向こうにあれば、実質は動きません」ノックスは言った。「我々が同席しても、何を話しているか分からないのでは、同席の意味がない。——これは、誰かの悪意ではありません。積み上げた側と、積み上げなかった側の、当然の差です」
「うちの人間を、そちらの解析班に入れてください」ノックスは続けた。「今日からです。十八日で、実用の水準には届かないでしょう。届かなくて構いません。ゼロと一の差が要るんです」
十六夜は、即答した。
「受け入れます。人選は、そちらにお任せします」
「即答されるとは思いませんでした」
「断る理由が、一つもありません」十六夜は言った。「むしろ——半年前に、こちらから頼むべきことでした」
ノックスは、はじめて、少しだけ表情を緩めた。
「その一言があれば、今日は十分です」
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署名の問題が、残った。
「連署にすれば良いのでは」十六夜が言った。
「それが、簡単そうに見えて、難しいのです」白瀬が言った。「向こうの文書の作法では、署名は一つです。二つの名前が並ぶ形が、向こうにどう読まれるか、こちらには分かりません。共同を示すのか、内部が割れていると読まれるのか」
「割れていると読まれる可能性が、あるのですか」ノックスが聞いた。
「あります」白瀬は言った。「そして、いま向こうから来るのは、こちらの内部の弱点を探しに来る人物です」
「では、どうします」
白瀬は、しばらく考えていた。
「——一点、迷っていることがあります」白瀬は言った。「連絡担当者の名前です」
三行目に、こちらの窓口となる人物の名前が入っている。当初の案では、赤城の名前だった。基地司令であり、日本の特使でもある。序列としては、最も高い。
「十六夜さんの名前にすべきかどうか、迷っていました」白瀬は言った。「赤城さんの名前を書けば、この接触を国家の外交として扱っていることになります。十六夜さんの名前を書けば——技術的な交流として扱っていることになる」
「どちらが、良いんだ」赤城が聞いた。
「分かりません」白瀬は、正直に言った。「向こうの本国が、この海域をどう位置づけたいのかによります。——そして、向こうがどちらを望んでいるかは、こちらには分かりません」
「一つ、提案があります」ノックスが言った。
全員が、そちらを向いた。
「豪州の名前を書いてください」
「——というと」
「連絡担当者を、カーター中佐にしてください」ノックスは言った。「豪州国防軍北部方面連絡官、マレー・カーター。この基地の所在国の、現地責任者です」
赤城が、ノックスを見た。
「本気ですか」
「本気です」ノックスは言った。「三つ、理由があります。一つ、事実として正しい。ここは我々の土地です。二つ、向こうにとって新しい情報になります。この海域には、日本以外の主体がいる。それを最初の三行で知らせておく方が、あとで知られるより、はるかにいい」
「三つ目は」
「三つ目は——」ノックスは、少しだけ言葉を選んだ。「これは、我々の都合です。カーターの名前で出せば、うちの政府は、この件から降りられなくなります。降りられなくしておきたい」
赤城は、しばらく、ノックスを見ていた。
「そちらの中に、降りたがっている人間がいるんですね」
「います」ノックスは、否定しなかった。「相当数います。異星の艦隊との交渉など、日本に任せておけばいい、という声は、こちらにもある。うまくいけば果実だけ受け取り、失敗すれば日本の失敗にできる。——合理的な判断です。私は、その合理性が、いちばん危ないと思っています」
部屋が、静かになった。
赤城は、白瀬を見た。白瀬は、頷いた。
「カーター中佐の名前で、出します」赤城は言った。
会議が終わりかけたところで、十六夜が言った。
「一つ、伺っていいですか」
「どうぞ」
「向こうに、聞いてはいけませんか」
白瀬が、顔を上げた。
「レイスに、です」十六夜は言った。「文面は、既に見せています。名前の欄をどちらにすべきか、聞くこともできます」
「それは——」白瀬は、言いかけて、止まった。
長い沈黙があった。
「聞けば、答えるでしょう」白瀬は言った。「答えた瞬間、あの人は、本国に対して、日本側に助言したことになります」
「はい」
「監察官が、それを知ったら」
「あの人が、危なくなります」
十六夜は、自分で言って、自分で答えを出した。
「聞きません」
「すみません」白瀬は言った。「今のは、私が言うべきことでした」
「いえ」十六夜は言った。「私が、聞いていいかと聞いたことが、既に、まずかったと思います。——この半年、こちら側が困ったとき、あちらに聞けば大抵解決する、という癖がついていました」
「良い癖だと思いますが」
「良い癖です。だから、危ないんです」十六夜は言った。「あの人は、聞かれれば、答えてしまう人です」
白瀬は、しばらく十六夜を見ていた。
「良い判断です」白瀬は言った。「そして、いま伺った話は、ノックスさんにも共有しておくべきだと思います」
ノックスが、顔を上げた。
「レイスという人物は、こちらに好意的だと聞いています」ノックスは言った。「その好意に、こちらが寄りかかっている、ということですか」
「寄りかかっていました」十六夜は言った。「気づいていませんでした」
「これから来る監察官は、そこを見ます」ノックスは言った。「私が監察官なら、そこを見ます。現地の担当者が、外の民に情を移していないか。——移っていれば、その人物を外せば、全部が止まる」
「レイスを外されると」
「あなた方は、明日から、話し相手を失います」
部屋が、静かになった。
「対策は、一つしかありません」ノックスは言った。「レイス以外のヴァルタ人と、話せるようにしておくことです。十八日で、できますか」
十六夜は、正直に答えた。
「できません」
「では、できないという前提で、備えてください」ノックスは言った。「できないことを、できるふりで計画に入れるのが、いちばん危ない」
赤城が、頷いた。
「出せ」白瀬に言った。「カーター中佐の名前で、今夜」
────
同日 夕方 面会室
その日の面会は、いつもと違う顔ぶれで始まった。
十六夜の隣に、カーターが座っていた。
「レイス」十六夜は言った。「今日。新しい。人。います」
レイスは、カーターを見た。
「カーター。です」十六夜は言った。「この。土地。この。人たちの。土地。です。——私たち。客。です」
レイスの表情が、動いた。
「客」
「はい」
「あなたたち。ずっと。客。だった。カ」
「ずっと。客。でした」
レイスは、しばらく黙っていた。それから、姿勢を正して、カーターに向き直った。そして、名乗った。
高い形だった。役職に対する、公式の場の形。
カーターは、教わった通りに、まず相手の手を見た。それから、顔へ視線を上げた。
そして、覚えたばかりの音で、名乗り返した。
発音は、ひどかった。十六夜が聞いても、二箇所は外れていた。
レイスは、その名乗りを、最後まで聞いた。
聞き終えてから、言った。
「ありがとう。ございます」
日本語だった。
十六夜は、ノートに書いた。この部屋で交わされた挨拶の中で、いちばん下手で、いちばん正確だった、と。
────
実務の議題を片付けたあと、レイスは、一つ、報せを持ってきた。
「船。三つ。近い」
十六夜は、姿勢を正した。
「いつ。着く。カ」
「十八日。後」レイスは言った。「予定。通り。です」
そして、少し間を置いて、続けた。
「一つ。伝える。こと。ある。——人数。分かった」
十六夜は、ノートを開いた。
「監察官。一人。補佐。四人。記録係。二人」レイスは言った。「それから。——測る人。六人」
十六夜は、ペンを止めた。
「測る人」
「はい」
「何。測る。カ」
レイスは、少し考えた。適切な語彙が、まだ手元にない様子だった。
「私。詳しく。知らない」レイスは言った。「本国。書いてきた。言葉。そのまま。伝える。——技術。調べる。人。です」
技術を調べる人。
「あなたたちの。技術。カ」十六夜は聞いた。「それとも。私たちの。技術。カ」
レイスは、答えなかった。
答えなかったのは、隠したからではない、と十六夜は感じた。答えを持っていないのだ。伝えられた文面に、それが書いてなかった。
「分かりません」レイスは言った。「聞いて。ない」
十六夜は、その一行を、ノートに書いた。
技術調査員、六名。所属・目的、不明。
書きながら、一つ、引っかかった。
監察官一人、補佐四人、記録係二人。合計七人。それが、人を測る側の陣容だ。
技術を調べる人が、六人。
ほぼ、同じ数だった。
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同じ夜 解析室
十六夜は、その数字を、もう一度見ていた。
七と、六。
監察官の一行が七人。技術調査員が六人。
比率としては、おかしくない。艦隊の運用状況を確かめるなら、技術系の人員が要る。整備、補給、機関——調べる項目は、いくらでもある。
そう考えれば、自然な編成だった。
自然な編成だ、と自分に言い聞かせている、ということに、十六夜は気づいた。
言い聞かせる必要がある、ということは、どこかが引っかかっているということだ。解析の仕事で、その感覚を無視して良かったことは、一度もない。
十六夜は、ノートに、引っかかりを言葉にしてみた。
——技術調査が目的なら、なぜ、六人も要るのか。
書いてから、消した。
数の話ではない、と思ったからだ。
もう一度、書いた。
——技術調査員は、艦隊を調べに来るのか。
書いてから、しばらく、その一行を見ていた。
艦隊の技術を調べるなら、艦隊に来ればいい。艦隊は、この海域にいる。六人を本国から連れてくる必要が、どこにあるのか。艦隊の中に、整備の専門家がいないわけではない。
では、艦隊以外に、この海域で調べるものがあるとすれば。
十六夜は、そこで、考えるのをやめた。
やめた理由は、はっきりしていた。
その先を考えると、この半年やってきたことの意味が、変わってしまうからだった。
扉が、叩かれた。
カーターだった。
「まだ起きていましたか」
「起きています」
カーターは、部屋に入ってきて、ノートの上の数字を見た。七と、六。
「今日の面会で、出た数ですね」
「はい」
「どう見ますか」
十六夜は、答えなかった。答えないことが、答えになった。
「私は、軍人です」カーターは言った。「言葉は分かりません。ですが、編成は分かります。——十三人の使節で、うち六人が技術屋。これは、視察の編成ではありません」
「では、何の編成ですか」
「事前調査です」カーターは、はっきり言った。「何かをやる前に、現地を見ておく編成だ。何をやるつもりかは、これだけでは分かりません。港湾を借りたいのかもしれない。共同で何か作りたいのかもしれない。——ですが、ただ見に来るだけの人数ではない」
十六夜は、ペンを置いた。
「私も、同じところまで、来ていました」十六夜は言った。「来ていて、その先を考えるのを、やめました」
「なぜ」
「その先を考えると、この半年やってきたことの意味が、変わってしまうからです」
カーターは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「変わりませんよ」
十六夜が、顔を上げた。
「向こうが何を考えていようと、あなた方がやってきたことは変わらない」カーターは言った。「言葉を積んだのは事実だ。あの人が作法を教えてくれたのも事実だ。それは、向こうの本国の意図とは、別のものです」
「ですが、利用されていたとしたら」
「利用されていたとしても、です」カーターは言った。「利用されたことと、積んだものが偽物だったことは、違う。——混ぜない方がいい。混ぜると、判断が鈍る」
十六夜は、その言葉を、受け取った。
「明日から、その先を考えます」十六夜は言った。
「一人で考えないでください」カーターは言った。「そのために、私がここにいます」
カーターは、出ていった。
十六夜は、ノートを閉じた。
閉じてから、開き直して、一行だけ残した。
——技術調査員、六名。要確認。
要確認、という言葉は、便利だった。何も判断していない。だが、忘れることもない。
窓の外は、暗かった。
三つの帆が来るまで、あと十八日。




