表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/72

編成図の書き方

残り一つの月と、少し 旗艦「エイカ」 作戦室


ドラフォは、朝から、一枚の図を睨んでいた。


作戦室に人を入れなかった。副官一人だけを残して、他は下がらせた。この部屋で紙を睨んでいる姿を、乗員に見せたくなかった。


艦隊の編成図だった。監察官に提出することになる書類の、下書きだった。


編成図など、これまで、何十枚も書いてきた。書式は決まっている。埋める数字も決まっている。半刻で終わる仕事のはずだった。


その半刻の仕事に、三日かけていた。


「艦の数も、配置も、変わっていません」副官が言った。「そのまま出せばよいのでは」


「そのままだ」ドラフォは言った。「問題は、そのままの何を、どの順で書くかだ」


副官は、意味を掴みかねた顔をした。


ドラフォは、図の左上を指した。


「ここに何を書くかで、この図の意味が決まる。艦の総数から書けば、これは戦力の図になる。停泊位置から書けば、これは配置の図になる。乗員の充足率から書けば、これは消耗の図になる。——同じ艦隊が、三通りに見える」


「どれが、正しいのですか」


「三つとも正しい」ドラフォは言った。「だから、面倒なのだ」


嘘は、見つけて潰せる。だが、正しいものが三つ並んでいて、どれを先に置くかで結論が変わる——それを潰す方法は、無い。


副官は、まだ納得していない顔をしていた。


「読む人間が、上から順に読むと思うか」ドラフォは聞いた。


「読むのでは、ないのですか」


「読む。だが、上から三行で、その後の全部の読み方が決まる」ドラフォは言った。「三行目までに戦力の話が来れば、残りは全部、戦力の裏付けとして読まれる。三行目までに消耗の話が来れば、残りは全部、消耗の言い訳として読まれる。同じ数字が、だ」


「……戦って来た者の書類が、そんなことで変わるのですか」


「変わる」ドラフォは言った。「それが腹立たしいから、三日かかっている」


ドラフォは、鉛筆を置いた。


「一つ、はっきりさせておく。俺は、嘘は書かん。一行も書かん。数字を丸めることもしない。それは、指揮官として、やらんことだ」


「はい」


「だが、書く順番は、俺が決める。順番は、嘘ではない。——そこは、譲らん」


副官は、姿勢を正した。


「一つ、伺ってよろしいですか」


「言え」


「閣下は、この艦隊を、守ろうとしておられるのですか。それとも——外務の方を」


ドラフォは、副官を見た。長く見た。


「区別が付くと思うか」


「付かない、ということでしょうか」


「付かん」ドラフォは言った。「この半年で、付かなくなった。俺が反対していた頃には、付いていた。いまは、付かん。——それが良いことかどうかは、俺にも分からん。だが、事実だ」


そして、鉛筆を紙に戻した。


「事実は、書ける。分からんことは、書かん。以上だ」


────


副官が出ていったあと、ドラフォは、一人で図を見ていた。


正直に言えば、この作業が嫌いだった。


海の上でやることは、単純だった。相手がいて、こちらがいて、風があって、距離がある。判断は速く、結果はすぐ出る。間違えれば、その場で分かる。


書類は、違う。書いた瞬間には、何も起きない。何かが起きるのは、何ヶ月も先で、遠くの部屋で、会ったこともない人間の判断としてだ。そして、そのときには、書き直せない。


風も、距離も、無い。相手の顔も見えない。撃ってくる方角すら、分からない。


軍人が最も苦手とする種類の戦場だった。


若い頃、上官に言われたことがある。指揮官として本当に厄介な敵は、海の上にはいない、と。当時は、意味が分からなかった。分からないまま、二十年、海の上でやってきた。


いま、意味が分かる。


分かったところで、有難くもなかった。


だが、あと一つの月と少しの後に来るのは、そういう戦場だ。


ドラフォは、もう一度、鉛筆を持った。


図の左上に、書いた。


——艦隊、全艦、行動可能。


それが、いちばん正しい一行だと、ドラフォは思った。


この海域の艦隊が、いま、どういう状態か。ひとことで言えば、それだった。壊れていない。腐っていない。命令があれば、明日にでも動く。


外の民と話をしている艦隊が、行動可能なままである。


それは、誰かにとっては、意外な事実のはずだった。


本国の机の上では、たぶん、こう想像されている。長く海にいた艦隊が、外の民と接触し、緊張を解き、緩んだ。剣を置いた者は、置いたまま錆びる。だから、確かめに行く。


その想像を、最初の一行で外す。


外した上で、次を読ませる。緩んでいない艦隊が、それでもなぜ話をしているのか。話をしているのは、緩んだからではない。判断したからだ。判断できる状態にある艦隊が、判断した。その順で読ませる。


ドラフォは、二行目を書いた。


——訓練、規定通り継続。


三行目を書いた。


——本国よりの指令、全て受領・実行済み。


三行書いて、鉛筆を置いた。


この三行に、嘘は一つもなかった。


嘘が一つもないまま、言いたいことは、全部言ってあった。


────


同日 午後 甲板


アルセナが、ドラフォを訪ねてきた。


作戦室ではなく、甲板だった。ドラフォが、そう指定した。


理由は、言わなかった。だが、アルセナには分かっていた。作戦室で会えば、記録が残る。甲板で立ち話をすれば、残らない。


この二人が、記録に残らない場所で話す。半年前なら、それ自体が事件だった。


「編成図の話だと聞いた」アルセナが言った。


「そうだ」ドラフォは言った。「一つ、確認しておきたい。監察官への提出物は、外交と軍で、別々に出すのか。それとも、一本にまとめるのか」


「どちらがいいと思う」


「別々だ」ドラフォは、即答した。


「理由を」


「一本にすれば、擦り合わせが要る。擦り合わせた文書は、必ず、どこかが柔らかくなる」ドラフォは言った。「柔らかい文書は、読む側に、隙間を与える。俺は、軍の部分を、硬いまま出したい」


「私の側が、軟弱に見えるとしても」


「見えるだろうな」ドラフォは言った。「だが、見え方の調整は、あんたの仕事だ。俺の仕事ではない」


「冷たいな」


「冷たくはない」ドラフォは言った。「俺が軟弱に見えたら、あんたは困る。あんたが軟弱に見えても、俺は困らん。——非対称だ。非対称なものを、対称に扱うのは、間違いだ」


アルセナは、少し笑った。


「相変わらず、線の引き方が明快だな」


「明快でなければ、指揮ができん」


「羨ましいと思うことがある」


「外交にも線はあるだろう」


「ある。だが、動く」アルセナは言った。「昨日引いた線が、今日は違う場所にある。動かしたのは自分だが、動かした覚えがない。——そういうことが、起きる」


「厄介な商売だな」


「厄介な商売だ」


風が、二人の間を通った。


しばらくして、ドラフォが、言った。


「一つ、こちらから聞いていいか」


「どうぞ」


「あんたは、監察官が何を見に来ると思っている」


アルセナは、海を見たまま、答えた。


「私が任じられた判断が、正しかったかどうか、だと思っている」


「違うな」


アルセナが、ドラフォを見た。


「それは、あんたが心配していることだ。監察官が見に来ることとは、別だ」ドラフォは言った。「本国の人間が、いちばん知りたいのは、こうだ。——この艦隊は、まだ、本国の艦隊か」


甲板が、静かになった。


「外の民と、話をしている。物を交換している。言葉を教え合っている。互いの名前を呼んでいる。——その艦隊が、本国の命令で動くのか。それとも、もう別の何かになったのか。監察官が測るのは、そこだ」


アルセナは、答えなかった。


「あんたの判断が正しかったかどうかは、その次の話だ」ドラフォは続けた。「順番を間違えるな。俺たちがまず示すべきは、判断の正しさではない。——所属だ」


「所属」


「そうだ」ドラフォは言った。「あんたは、この半年、正しさで戦ってきた。正しいことをやっている、正しい手順で進めている、正しい結果が出ている。——それで、艦隊は説得できた。俺も、それで折れた」


「本国は、違うと」


「本国は、正しさを見に来るのではない。所属を確かめに来る」ドラフォは言った。「正しさは、外の民相手にも主張できる。所属は、身内にしか主張できん。監察官が確かめたいのは、俺たちがまだ身内かどうかだ」


「所属を示せば、判断は問われないと」


「問われる。だが、問われ方が変わる」ドラフォは言った。「所属が疑われている状態で判断を説明すれば、弁明になる。所属が確かめられた後で説明すれば、報告になる。弁明と報告では、同じ内容でも、届き方が違う」


アルセナは、しばらく黙っていた。


海を見ていた。半年前、この人物と自分は、同じ艦の上で、正反対の主張をしていた。あのとき、この人物が本気で動いていれば、いまの海は無い。


いま、その人物が、自分より先に、監察の構造を読んでいる。


「——一つ、聞いていいか」アルセナは言った。「なぜ、それを私に教える。黙っていれば、私が順番を間違える。間違えれば、あなたの主張が通りやすくなる」


「通したい主張が、もう無い」ドラフォは言った。「半年前にはあった。いまは無い。——無い以上、あんたを転ばせる理由も無い」


それから、少し間を置いて、付け足した。


「それに、あんたが転べば、俺の艦隊も一緒に転ぶ。そういう組み方をしてしまった。誰のせいかは、言わんでおく」


アルセナは、それから、言った。


「——助かる」


「礼を言われる筋合いはない」ドラフォは言った。「俺は、艦隊の指揮官だ。艦隊が本国の艦隊であることを示すのは、外交の都合ではなく、俺の職務だ。あんたのためにやるのではない」


「知っている」アルセナは言った。「だから、助かる」


ドラフォは、返事をしなかった。海を見ていた。


やがて、言った。


「一つだけ、言っておく。監察の結果、あんたが外されたとしても、俺は艦隊を動かさん。命令が出れば従うし、出なければ動かん。それだけだ」


「そうしてくれ」


「感謝はするな。艦隊を政治に使わんというのは、俺の意地であって、あんたへの好意ではない」


「知っている」アルセナは言った。「その意地に、助けられている」


────


数日後 ダーウィン基地 面会室


その日の面会で、レイスは、いつもと違う議題を持ってきた。


議題の紙を、その日は持ってきていなかった。いつもは、順番に並んだ短い項目の一覧がある。それが無い、というだけで、十六夜は身構えた。


実務の項目を三つ片付けたあと、レイスが言った。


「イザヨイ」


「はい」


「お願い。ある」


十六夜は、姿勢を正した。ヴァルタ側から「お願い」という言葉が出るのは、初めてに近かった。


これまでは、要請、提案、確認だった。どれも、立場のある者が立場のある者に出す形だった。お願い、は違う。それは、こちらが断れる形だった。


断れる形で出してきた、ということ自体が、今日の議題の性質を示していた。


「船。来る。とき」レイスは言った。「私たちの。人。あなたたちの。人。会う。ある。——そのとき。私たちの。作法。教える。お願い。ある」


十六夜は、少し考えた。


「あなたたちの。作法。私たちが。守る。カ」


「違う」レイスは言った。「守る。お願い。しない。——知る。お願い。する」


守るのではなく、知る。


十六夜は、その区別に、注意を向けた。


「なぜ。です」


レイスは、言葉を選んだ。


「守る。お願い。したら。——あなたたち。私たちの。下。になる。私たち。それ。望まない」


「では。知る。は」


「知る。だけ。なら。——選べる。あなたたち。知って。使う。選ぶ。知って。使わない。選ぶ。どちら。も。良い」


十六夜は、聞き返した。


「本当。に。どちら。も。良い。カ」


レイスは、少し止まった。止まってから、正直に答えた。


「——私。あなたたち。使う。方。嬉しい」


「では。それ。望む。です」


「望む。です。でも。望む。と。頼む。違う」レイスは言った。「私。望む。言う。良い。頼む。言う。良くない。——望みは。断れる。頼みは。断りにくい」


望みは断れるが、頼みは断りにくい。


十六夜は、その一文を書き取った。この片言の話者は、いつの間にか、こちらの言語の教科書には載っていない領域の話をしていた。


十六夜は、ノートを開いた。


「知って、使わないことも、選べる」


その一文を、日本語で書いた。書きながら、これは、この半年でヴァルタ側から出てきた言葉の中で、いちばん深いものかもしれない、と思った。


作法を押し付けない。だが、知らないままにもしない。知った上で、使うかどうかは、そちらが決めていい。


それは、対等というものの、かなり正確な定義だった。


「レイス」十六夜は言った。「教えて。ください」


「はい」


「あなたたちの。作法。私。全部。知りたい。——使うか。どうか。あとで。決める」


レイスは、頷いた。


「良い。返事。です」


そして、レイスは、少しだけ付け足した。


「イザヨイ。いつも。そう。です。——すぐ。決めない。全部。聞く。あと。決める。それ。私。好き。です」


十六夜は、少し面食らった。


好き、という語が、この面会室で使われたのは、初めてだった。


────


その日の夕方から、面会室は、教室になった。


レイスが教えたのは、細かいことだった。


初対面のときの、視線の置き方。名乗りの順番。同席する者の並び方。飲み物を勧められたときの受け方。目上の者が立ったときに、いつ立つか。


どれも、書類には書かれていないことだった。書類に書かれていないから、破っても、記録には残らない。記録には残らないが、印象には残る。


いくつかは、日本の感覚と正反対だった。


たとえば、初対面の相手の目を、最初に見てはいけない。まず相手の手を見る。手を見てから、顔へ上げる。武器を持っていないことを確かめる順序が、そのまま礼になっている。海の民の作法だった。


たとえば、名乗りは、身分の低い者から先ではなく、高い者から先だった。理由をレイスが説明した。「高い。人。先。名乗る。——低い。人。名乗らなくて。良い。可能性。残す」。守るための順序だった。


「これ。逆。です」十六夜は言った。「私たちの。国。低い人。先。名乗る」


「なぜ。カ」


十六夜は、答えようとして、また詰まった。理由を、考えたことがなかった。


「分かりません」十六夜は、正直に言った。「そう。決まっている。それだけ。です」


レイスは、笑った。


「同じ。です」レイスは言った。「私たちも。理由。忘れた。もの。多い」


十六夜は、全部、書き取った。


途中で、一つ、気づいたことがあった。


レイスが教えている作法の多くが、艦隊のものではなく、本国のものだった。


「これ。艦隊。使う。カ」十六夜は聞いた。


レイスは、少し止まった。


「使わない」


「なぜ。教える。カ」


「監察官。本国。から。来る」レイスは言った。「艦隊の。形。知らない。本国の。形。知っている。——あなたたち。本国の。形。見せる。監察官。分かる。この人たち。学んだ。と」


そして、少し声を落として、続けた。


「艦隊。長く。海。いる。作法。少し。崩れた。——それ。監察官。たぶん。良く。思わない」


「崩れた。悪い。カ」


「悪くない」レイスは、すぐに答えた。それから、少し考えて、言い直した。「悪くない。でも。——説明。難しい」


崩れているのは、緩んだからではない。長い航海の中で、必要のなくなった形が落ち、必要な形だけが残った。実務が作法を削った結果だ。海の上では、それが正しい。


だが、本国の机の上では、削れた形は、ただ欠けて見える。


説明が要る。そして、説明が要るものは、たいてい、説明する前に判断される。


十六夜は、その一言を、注意深く受け取った。


艦隊の作法は、崩れている。長い航海の中で、簡略化され、実用に合わせて変形した。本国から来る者の目には、それが弛緩に見えるかもしれない。


そして、日本側が本国の形を正確に守っていれば——


外の民の方が、艦隊より、礼に厚い。


そう見える。


それは、艦隊にとって、良いことなのだろうか。


十六夜は、聞かなかった。聞けば、レイスに答えさせることになる。答えられない質問を、この部屋に置くべきではなかった。


────


同日 深夜 ダーウィン基地 解析室


十六夜は、一人で、その日の記録を整理していた。


作法の一覧が、ノートに十数項目、並んでいた。視線。名乗り。並び方。立つ時機。


一つ一つは、些細だった。並べても、十数行にしかならない。だが、この十数行は、監察官の目に映るこちら側の全部を、静かに作り変える。


言葉は、意味を運ぶ。作法は、意味の前に届く。届く順番でいえば、こちらの方が先だった。


書き写しながら、十六夜は、自分がやっていることの奇妙さに気づいていた。


半年前、この惑星には、この作法を知る日本人は一人もいなかった。半年後の今夜、自分は、ヴァルタの本国の礼儀作法を、ノートに日本語で書いている。


この一覧を、明日、班に配る。班員が覚える。覚えた者が、また誰かに教える。


そうやって、一つの文明の作法が、もう一つの文明の中に、少しずつ移っていく。


移した本人が、その全体を見渡せる位置にいる。こんな位置に立った人間は、たぶん、この惑星の歴史に、そう多くいない。


言語の解析から始まった仕事が、ここまで来ている。


音を拾い、単語を切り出し、助詞を見つけ、疑問を確かめ、時制を通し、高さを掴んだ。その先にあったのが、視線の置き方と、立つ時機だった。


言葉の解析の行き着く先は、いつも、人だ——という自分の言葉を、十六夜は思い出した。


行き着いた。


そして、行き着いた先で、こちらは、選ばされている。


知って、使う。知って、使わない。どちらでもいい、とレイスは言った。だが、どちらでもいいというのは、どちらを選んでも責任が生じる、ということだった。


使えば、こちらは、向こうの形に一歩入る。入ったことを、監察官は見る。何と読むかは、監察官が決める。


学んだ、と読むか。取り入ろうとしている、と読むか。あるいは——真似ることで、こちらの側に引き込もうとしている、と読むか。


使わなければ、こちらは、外にとどまる。とどまったことを、やはり、監察官は見る。


礼儀を知らない、と読むか。知っていて使わない傲慢だ、と読むか。あるいは——距離を保っている誠実さだ、と読むか。


どちらにも、読まれる。


読み手が決めることを、こちらが制御しようとするのは、無理だ。無理なことを目標にすれば、判断が歪む。歪んだ判断は、たいてい、いちばんつまらない選択に着地する。


十六夜は、ノートを閉じた。


閉じてから、もう一度開いて、最後の頁に、一行だけ書いた。


——使う。


理由は、書かなかった。


理由は、まだ、言葉になっていなかった。ただ、この半年、レイスがこちらの言葉を一つずつ真似てきたことを思い出すと、答えは、それ以外になかった。


「おやすみ。なさい」と言った夜。「そう。ですか」と初めて末尾を真似た午後。下手な発音を笑われながら、それでも繰り返した若い乗員たち。


向こうは、こちらの形を、ずっと真似てきた。


真似られる側にいるのは、楽だった。楽なまま、半年、いた。


こちらだけが外にとどまる理由が、どこにも見当たらなかった。


十六夜は、ペンを置いた。


明日、班に一覧を配る。配るときに、こう言おうと決めた。——これは、命令ではない。覚えるかどうかは、各自で決めてくれ。ただし、覚えないと決めた者も、知っておいてほしい。向こうは、我々に、選ばせてくれた。


選ばせてもらった、ということ自体が、いちばん大きな情報だった。


窓の外は、暗かった。


三つの帆が来るまで、あと一つの月と、少し。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ