高さのある言葉
一つ目の月の半ば ダーウィン基地 解析室
解析室の朝は、いつも紙の匂いから始まる。
夜通し回した音声解析の出力が、明け方に束になって吐き出される。それを人の目で拾い、束を薄くしていくのが、十六夜の一日の最初の仕事だった。ほとんどの朝、その束は薄くならずに終わる。有意な差が出ない。出ても、統計の揺らぎの範囲を越えない。言語解析というのは、九割九分、何も起きなかったことを確認する作業だった。
だから、その朝、若手が束ではなく一枚の紙を持って入ってきたとき、十六夜は、顔を上げた。
一枚に絞れたということは、確信があるということだった。
「同じ内容の文が、三通りあります」
十六夜は、表を受け取った。会談録音から抽出された三組。同じ意味の要請を、レイスがアルセナに向けて言った形、ドラフォに向けて言った形、そして同格の随員に向けて言った形。
会談の録音は、いまだに解析の主な水源だった。面会室でレイスが話す言葉は、相手に合わせて加減されている。加減された言葉は、丁寧だが、痩せている。会談の日にヴァルタの三人が母語話者同士で交わした速さと厚みの言葉——あの数時間の録音が、いまだに掘り尽くされていない。
三組は、その厚みの中から拾われたものだった。
語彙は、ほとんど同じだった。違うのは、末尾だった。
「三段階、あります」解析班の若手が言った。「アルセナに向けるとき、末尾に短い音が一つ足されます。ドラフォに向けるときは、別の音。同格には、何も足さない」
「聞き間違いの可能性は」
「潰しました」若手は言った。「同一話者、同一の要請内容、同一の場面で、相手だけが違う三例です。話速も声量もほぼ同じ。周波数の解析でも、末尾の音は独立した音節として立っています。言い淀みや息継ぎではありません」
十六夜は、頷いた。若手は、聞かれる前に潰しておくべきものを潰してきていた。この班は、この半年で、ずいぶん育った。
「二種類の高い形が、あるということか」
「はい。しかも——用途が違うようです。アルセナ向けの形は、私的な場でも使われています。ドラフォ向けの形は、公式の場だけです」
「私的な場、というのは」
「甲板での短いやり取りが、一箇所拾えています。会談の前、渡り板の手前で、レイスがアルセナに何か短く言っている。あれにも、同じ音が足されています。公式の記録ではない、たぶん、天候か何かの一言です。それでも、足されている」
天候の話にまで足される高さと、公式の場でしか足されない高さ。
十六夜は、しばらく表を見ていた。
家の高さと、役職の高さ。二つの尊敬が、別々の音を持っている。
その二つが別々であるということが、何を意味するかを、十六夜は考えた。
同じ社会に、二種類の「上」がある。生まれで上になる回路と、任じられて上になる回路。その二つが一本にまとまっていないということは——まとまらないまま、両方が生き残っている、ということだ。
日本語にも、似た層はある。だが、日本語の敬語は、ほとんどが場面で決まる。誰に向けるかより、どこで話すかで形が変わる。ヴァルタのそれは、逆だった。場面ではなく、相手の属性で決まる。
つまり、あの言葉は、話すたびに、相手が何者かを言っている。
黙っていられない言語だ、と十六夜は思った。
「敬語の体系だ」十六夜は言った。「音素、語彙、助詞、疑問、時制——その次に来るものが、来た」
「これで、何が分かるんですか」
「相手の社会の骨格が分かる」十六夜は言った。「敬語というのは、誰が誰より上か、という地図だ。地図を渡してくれる文明は、そう多くない」
「渡してくれる、というより——漏れている、という感じですが」
「そうだな。漏れている」十六夜は、少し笑った。「言葉は、隠し事が下手だ。話す方が隠そうとしても、形の方が喋る。前に、そう言ったことがある」
「レイスさんに、ですか」
「いや、自分に、だ」
十六夜は、表の三行を、指でなぞった。
「面白いのは、この地図が、艦の編成図より正直なことだ。編成図は、書く人間の都合で書ける。誰を上に置くかは、書類の上でどうにでもなる。だが、言葉の末尾は、書類ではない。話す瞬間に、体が選ぶ。体は、書類より正直だ」
そこまで言って、十六夜は、少しだけ言葉を止めた。
「そして——この地図が読めるようになるということは、こちらも使えるようになる、ということだ」
若手が、意味を掴みかねた顔をした。
「これまで、こちらの言葉には、高さがなかった」十六夜は言った。「単語を並べるだけだった。並べるだけの言葉には、敬意も、無礼も、載らない。載らないから、安全だった。何も言っていないのと同じだからだ」
「これからは、載る」
「載る。載るということは、間違えられる、ということでもある」十六夜は言った。「今日まで、こちらは、失礼のしようがなかった。明日から、失礼ができるようになる。——それは、進歩だ。だが、無傷の進歩ではない」
若手は、しばらく黙った。それから、聞いた。
「使うんですか。今日から」
「使う」十六夜は言った。「使わなければ、正しいかどうか、永久に分からない。紙の上で完璧にしてから使う、という順番は、この仕事には無い」
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同日 午後 面会室
十六夜は、いつも通りに席についた。いつも通りではないことを、一つだけ、しようと決めていた。
面会室に入る前、廊下で、一度だけ立ち止まった。
やろうとしていることは、規則の上では問題がない。言語の検証は、この班の職務そのものだ。それでも、迷いがあった。
こちらが敬語を使うということは、こちらが相手の社会の内側に、一歩入るということだった。今までは、外から見ていた。外から見て、記録していた。使えば、外にはいられない。
そして、間違えたときに傷つくのは、こちらではない。
それでも、と十六夜は思った。外から見ているだけでは、いつまでも、確かめられないことがある。
扉を開けた。
最初の議題は、いつも通りに進んだ。物資の受け渡しの手順。次の往来の日取り。医療品の名称の対応表。三十分ほどかけて、実務を片付けた。
片付けてから、十六夜は、ノートを閉じた。閉じたことに、レイスが気づいた。
「レイス」十六夜は言った。「今日。私。試す。こと。ある」
「はい」
十六夜は、覚えたばかりの末尾の音を、一つ、足した。
朝から、二十回は口の中で練習した音だった。ヴァルタ語の高い形の末尾は、日本語の話者には難しい。舌の位置が、日本語のどの音とも一致しない。近い音で代用すれば通じるが、代用したと分かる。分かった上で受け取られるのは、こちらの意図とは違った。
だから、正確に出すつもりで、出した。
「あなた。教える。ありがとう」——高い形で。
レイスは、動かなかった。
一拍。二拍。
十六夜は、その二拍の間に、失敗の可能性を数え上げていた。音を外したか。使う相手を間違えたか。あるいは——外の者が使ってはいけない形だったか。三つ目が、いちばん怖かった。言語には、そういう領域がある。習ってはならない言葉、というものが、どの文明にもある。
それから、レイスは、目を伏せた。
伏せる速さが、ゆっくりだった。まぶたを閉じるのではなく、視線を、机の一点に落とす。落としたまま、一拍。それから、もう一度、顔を上げた。
その一連の動きが、何かの作法であることは、十六夜にも分かった。反射ではない。反射なら、もっと速い。これは、教わって身につけた動きの速さだった。
高い形で話しかけられた者が返す、受けの型。
十六夜は、それを、その場で記録した。頭の中の別の場所に、書いた。言葉の高さには、動作の応答がある。言語だけを見ていては、半分しか見えない。
「イザヨイ」レイスは言った。「今の。形。高い。形」
「はい」
「どこで。覚えた。カ」
「記録。聞いた」十六夜は答えた。「あなたの。声。三つ。同じ。意味。違う。終わり」
レイスの目が、わずかに動いた。三つ、という数を、確かめている目だった。
「三つ」レイスは繰り返した。「そう。三つ。ある」
そして、少しの間を置いて、言った。
「私に。使う。少し。高すぎる」
十六夜は、素直に頷いた。間違えたのだ。使うべき相手を、間違えた。
「ごめんなさい」
「いいえ」レイスは言った。「間違い。ではない。——嬉しい」
十六夜は、顔を上げた。
「高い形。覚える。難しい。誰も。教えない。イザヨイ。自分で。見つけた。私たちの。地図。読んだ」
レイスは、言葉を選ぶために、少し止まった。この先を説明する語彙が、まだ足りていない。足りない語彙で説明しようとする者の、独特の速さで、続けた。
「私たちの。国。子供。この形。習う。長い。時間。かかる。間違える。叱られる。——大人。なる。まで」
「難しい。あなたたちにも」
「難しい」レイスは言った。「難しい。だから。外の。人。使わない。使えない。誰も。期待。しない」
誰も期待しない。だから、使われたときに、意味が生まれる。
「それから。私に。使った。私。低い。者。なのに」
「低くない」十六夜は言った。「あなた。教える人。私。教わる人。教わる人。頭。下げる。私たちの。形」
レイスは、その言葉を、ゆっくり受け取った。
それから、聞いた。
「あなたたちの。国。高い形。ある。カ」
「ある」
「誰に。使う。カ」
十六夜は、答えようとして、詰まった。
誰に使うか。日本語の敬語を、片言で説明する方法を、探した。目上に。客に。初対面の相手に。——並べてみて、どれも本質からずれていることに気づいた。
「難しい」十六夜は、正直に言った。「私たちの。高い形。相手。決めない。場所。決める。——同じ。人。ある場所。高い形。別の場所。低い形」
レイスは、その説明を、長く考えた。
「同じ。人。なのに。カ」
「同じ人。なのに」
「変。です」レイスは言った。
十六夜は、笑った。この面会室で、初めて、声を出して笑った。
「変。です」十六夜も繰り返した。「でも。私たち。それで。生きている」
レイスも、笑った。ヴァルタの笑いは、日本人のそれと形が違う。口ではなく、目のあたりが動く。だが、笑いであることは、もう、間違えようがなかった。
「そう。ですか」
そして、その日、初めて、レイスの口から日本語の丁寧な末尾が出た。真似だった。意味を掴んだ上での、真似だった。
十六夜は、ノートを開き直して、書いた。
高い形、双方向に確認。第六の門、開く。
門、という言い方を、いつからか使うようになっていた。音素の門、語彙の門、助詞の門、疑問の門、時制の門。開くたびに、向こうの景色が少し広くなる。開いた門は、二度と閉じない。
だが、今日の門は、これまでと少し違った。
これまでの門は、聞き取るための門だった。今日の門は、こちらが話すための門だ。受け手から、話し手へ。同じ部屋にいながら、立っている場所が変わった。
書いてから、その下に、もう一行足した。
——相手依存型/場面依存型(日本)。互いに「変」と感じる。この差は、いつか事故になる。
事故になる前に、渡しておかなければならない。監察官が来る前に。
北西から来る者が、こちらの言葉をどう受け取るか、分からない。だが、少なくとも、その者の目の前で、こちらの誰かが敬語を間違えるという事態だけは、避けたかった。
礼を欠いたのではなく、知らなかっただけだ——という弁明は、どこの文明でも、あまり通らない。
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同じ頃 ダーウィン港 桟橋
ミゼンは、荷を積んでいた。
二度目の往来の日だった。
前回と違うのは、荷の中身だった。一度目は、ほとんどが向こうから預かった品だった。返すもの、届けるもの、確認のために持ち出したもの。荷は、行きに重く、帰りに軽かった。
今回は、逆だった。日本側から持ち帰るものが、増えていた。教材の写し。音の記録。医療品の見本。それから、若い乗員たちが真似た日本語の、たどたどしい録音。
荷が帰りに重くなる。それは、往来が一方通行でなくなったということだった。
ミゼンは、その重さを、手で確かめながら積んだ。
「これ、持って行っていいんですか」若い日本人の隊員が聞いた。録音の箱を指していた。「その、公式のやつじゃないんですけど。みんなで面白半分にやったやつで」
「良いです」ミゼンは答えた。「向こうの。若い者。聞く。喜ぶ」
「下手ですよ。発音」
「下手。良い」ミゼンは言った。「上手。だと。真似。できない。下手。だと。真似。できる」
隊員は、少し考えてから、笑った。
「なるほど。俺らのが手本になるわけだ」
「なります」
隊員は、少し照れた顔をした。それから、箱を袋に入れ直しながら、聞いた。
「向こうにも、こういうの、いるんですね。若いのが」
「います」ミゼンは言った。「同じ。です」
「同じ、か」
「同じ。です」
同じです。
その一語が、ミゼンにとって、この二つの月でいちばん大事な報告になるはずだった。
監察官は、数を測りに来るだろう。往来の回数。合意の項目。物資の量。譲ったものと、得たものの差し引き。本国の机の上で意味を持つのは、そういう数字だ。
だが、この荷の中にあるものは、数字にならない。下手な発音の録音が、どちらの側の若い者にも笑われて、笑われながら真似されている。その事実に、単位がない。単位のないものは、報告書に書けない。書けないものは、審査で数えられない。
数えられないものを、それでも、運ぶ。
それが、自分の仕事だと、ミゼンは思っていた。
赤城が、桟橋に来た。
見送りに来る理由は、いつも、用事の形をしていた。今日は、書類の確認だった。本当に確認が必要な書類かどうかは、両方とも分かっていて、両方とも触れなかった。どちらの民も、見送りたいときには、用事を作る。
「気をつけて行け」
「はい」
「三隻のことは、聞いているな」
「聞いています」
赤城は、それ以上、何も言わなかった。ミゼンも、聞かなかった。二つの月の後に何が来るかは、桟橋で話すことではなかった。
風が、少し強くなっていた。北西から来る風だった。同じ方角から、いずれ、船が来る。二人とも、そのことを、口には出さなかった。
赤城は、海を見ていた。それから、海を見たまま言った。
「こちらの言葉が、上手くなったな」
「教える人。良い。から」
「教わる人が、良いんだろう」
代わりに、赤城は言った。
「戻ってきたら、また話そう」
戻ってきたら。
未来の形だった。まだ約束の言葉ではないが、約束にいちばん近い形。
この形が使えるようになったのは、つい先日のことだ。それまで、この基地の誰も、ミゼンに対して未来の話ができなかった。次に何をするか、いつ会うか——言おうとするたびに、言葉が現在形に潰れた。潰れた言葉は、意志を伝えない。
いま、伝わる。
「はい」ミゼンは答えた。「戻ります」
赤城は、頷いた。それだけだった。
だが、ミゼンには、その頷きが、今日の荷のどれよりも重かった。
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その夜 旗艦「エイカ」 甲板
海は、静かだった。
ミゼンは、艦に戻り、荷を降ろし、報告を終えた。
報告は、事務的に済んだ。殿下は不在で、レナが代わりに受け取った。項目を読み上げ、数を確認し、署名をもらう。三十分ほどの作業だった。
最後の項目のところで、レナが手を止めた。
「この録音は、何ですか」
「向こうの。若い者が。私たちの言葉を、真似たものです」
レナは、少しの間、その一行を見ていた。
「——項目名は、何と書きましょう」
「難しいですね」ミゼンは言った。「そういう欄が、この書式には無い」
「作りますか」
「作りましょう」
レナは、罫線の外に、一行、書き足した。何と書いたのかは、見えなかった。だが、ペンの動きは、いつもより長かった。
甲板に出ると、若い乗員たちが、その録音をもう鳴らしていた。誰が持ち出したのか、報告が終わる前に広まっていた。艦の中の噂の速さは、どの文明でも変わらないらしい。
誰かが日本語の「ありがとう」を真似て、盛大に外して、笑いが起きた。
その笑いを聞きながら、ミゼンは、甲板の端に立った。
北西の水平線に、まだ何も見えなかった。
見えるはずもない距離だった。それでも、この二十日ほど、甲板に出た者は、必ず一度は北西を見る。誰も口に出さないが、全員がやっている。見張り当番でない者まで、やっている。
だが、その向こうに、三つの帆がある。二つの月のうち、一つ目が、もう半分過ぎた。
半分。
長いのか、短いのか、ミゼンには、まだ分からなかった。怯えて数えれば短く、頼もしく数えれば長い。同じ日数が、数える者の気分で伸び縮みする。伸び縮みしないのは、実際にやったことの量だけだ。
この半月で、やったことを、数えてみた。
往来が一度。面会が、向こうの数え方で六度。合意された手順が四つ。新しく確認された文法が、一つ。
多いのか、少ないのか。それも、分からない。分からないが、ゼロではなかった。
ミゼンは、自分が何者かを、あらためて考えた。
向こうでは、ミゼンと呼ばれる。こちらでも、ミゼンと呼ばれる。二つの文明で同じ名前を持つ者は、今のところ、自分ひとりだ。得難い位置だと、殿下は言った。重い位置だとも。
海に落ちた日のことを、ときどき思い出す。
あの日、自分は、数え方の外にいた。艦隊の名簿からは消え、向こうの名簿にはまだ載っていない。どちらの数にも入らない一人。あのとき、自分の名前を呼ぶ者は、この惑星のどこにもいなかった。
いまは、二つある。
増えたのは、良いことのはずだった。だが、二つあるということは、二つの側から見られるということでもある。片方から見て正しいことが、もう片方から見て正しいとは限らない。その差を、自分の体で吸収するのが、この位置の仕事だった。
監察官は、その位置を、何と呼ぶだろうか。
橋と呼ぶか。それとも——穴と呼ぶか。
橋は、渡すためにある。穴は、塞ぐためにある。同じ一人を指して、どちらの言葉も使える。使う側が、先に決める。
どちらに数えられるかは、自分では決められない。決められるのは、それまでの日々を、どう積むかだけだ。
石を積む者は、その石が誰のために積まれたかを、決められない。決められるのは、高さだけだ。殿下は、そう言っていた。
背中で、また笑いが起きた。今度は、上手く言えた者がいたらしい。歓声が上がり、もう一度やれ、と誰かが囃した。
ミゼンは、振り返らずに、その笑いを聞いていた。
この音は、報告書には載らない。
レナが罫線の外に書き足した一行にも、たぶん、この音は入っていない。入れようがない。項目名のない欄には、数字が書けない。
だが、この音がある海と、ない海は、違う海だ。
二つの月の後、北西から来る者が測るのは、たぶん、高さだけだろう。合意の数、譲歩の量、規律の度合い。物差しの当たるところだけが、記録に残る。
それでいい、とミゼンは思った。
物差しの当たらないところに、いちばん多くのものが積まれている。それを見せる必要はない。見せなくても、そこにある。
背後の笑いが、少し静かになった。一人が、ゆっくりと、もう一度発音を試していた。今度は、真面目な声だった。
ありがとう。
たどたどしく、しかし、確かに、その音が海の上に出た。
ミゼンは、目を閉じた。
北西の風が、頬に当たっていた。同じ風が、いずれ三つの帆を運んでくる。その風で、いま、この艦の上の言葉が乾いている。
同じ風だった。
それだけは、誰が測りに来ても、変わらないはずだった。




