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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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提案

西暦××××年××月××日 官邸地下 危機管理センター 午前


「ヴァルタ側から、正式な提案が届きました」


藤堂が報告した。


黒崎が顔を上げた。「内容は」


「外交補佐官レイス経由で、文書が伝わりました。捕虜の処遇について、向こうの外交代表からの提案です」


「向こうの外交代表からの提案、というのは初めてだな」黒崎が言った。


「はい。これまでは、外交補佐官レイスを通じた接触が中心でした。今回は、より上位の判断として、文書が届きました」


「内容に、何か特別な形式があったか」


藤堂が答えた。「形式は、これまでのレイスからの報告と似ていますが、署名にあたる部分に、より重い印が使われていました。正式な決定であることを示しているようです」


白瀬が報告書を受け取って読んだ。


「捕虜の意向を尊重し、往来できる立場を検討する」


短い一文だった。だが、その短さの中に、こちらが議論してきた内容と同じ方向性があった。


白瀬は、その一文を、もう一度読み返した。短いからこそ、解釈の余地がある。「検討する」という言葉が、どこまで具体的な約束を含んでいるのか。それは、これからの協議で明らかになる。


ただ、方向性が示されたこと自体に、意味があった。


「こちらの考えと、同じ方向ですね」白瀬が言った。


「向こうも、同じことを考えていた」黒崎が言った。


この数週間、何度も同じことが起きてきた。こちらが考えていることと、向こうが考えていることが、一致する。最初は偶然かと思った。だが、回数が重なれば、それはもう傾向と呼べる。


双方が、似たような問題意識を持ち、似たような結論に至っている。文明が違っても、知性のある存在が同じ問題に向き合えば、似た答えに辿り着くのかもしれない。


────


「具体的にどういう形になりますか」相馬が聞いた。


白瀬が答えた。「向こうの文書には、具体的な仕組みまでは書かれていません。方向性の提案です。これから、双方で詳細を詰める必要があります」


「向こうが、あえて詳細を書かなかった、という可能性は」


「あると思います。向こうも、こちらの意見を聞きたいのかもしれません。一方的に細部まで決めて提示するより、方向性だけ示して、こちらの考えを引き出す。それは、対話を重視する姿勢の表れだと思います」


黒崎が言った。「向こうのその姿勢に、こちらも応える必要があるな」


「はい。こちらも、一方的な提案ではなく、向こうの考えを引き出す形で返すべきです」


「こちらからも、提案を返しますか」


「返すべきだと思います。捕虜が定期的に艦隊や本国に戻れる仕組み、こちらでの活動を継続できる仕組み。両方を組み合わせた形を、提案できます」


吾妻が言った。「往来する際の安全の確保も、議題に入れる必要があります。捕虜が艦隊との間を移動する手段、その間の安全をどう保証するか」


「向こうの帆船を使うのか、こちらの船を使うのか」


「向こうの技術と、こちらの技術。どちらを使うかも、これから決める議題の一つです」


相馬が言った。「移動の途中で何かが起きた場合の責任の所在も、決めておく必要があります。これは外交的にも、慎重な議論が必要な点です」


「責任の所在、というのは」


「例えば、移動中に事故があった場合、それがどちらの管轄で起きたことになるのか。これまでの合意では、艦隊の停止と外交の継続が中心でした。人の往来となると、また別の法的な枠組みが必要になります」


黒崎は少し考えた。「専門家の意見も必要だな」


「国際法の専門家に相談します。ただし、今回のケースに完全に当てはまる前例はありません。新しい枠組みを、一から作ることになります」


「前例がない、というのは、あの朝からずっとそうだったな」


「そうです。今回も、その延長です」


吾妻が続けた。「もう一点。往来の証明手段も必要です。捕虜が艦隊から戻ってきたとき、確かに本人であることを確認する方法です」


「顔を見れば分かるだろう」


「もちろんですが、正式な手続きとして、何か基準が必要です。これまでの面会の記録、音声のパターン、動作の特徴。それらを組み合わせて、本人確認の基準を作ることができます」


白瀬が言った。「言語解析チームが蓄積してきたデータが、そのまま使えるかもしれません。捕虜の発音の特徴、動作の癖。それらは、すでに記録されています」


「十六夜たちのデータが役に立つわけだ」黒崎が言った。


「はい。あの朝からの記録の全部が、思わぬところで活きています」


黒崎は頷いた。「提案を返す準備をしろ。急ぐな。だが止まるな」


────


同日 ダーウィン基地 言語解析室 午後


ヴァルタ連合 外交補佐官レイス ダーウィン基地内 同日朝


レイスは、捕虜と今日の面会について、事前に短く話していた。


「今日、向こうから返答が来るはずだ」レイスは言った。「アルセナ様からの提案に対して、向こうも何か考えを示すだろう」


捕虜は頷いた。


「お前自身の考えも、聞かれるかもしれない」


捕虜は、少し間を置いて、何かを言った。レイスはその言葉を聞いて、少し驚いた。


「もう決めている、ということか」レイスは確認した。


捕虜は、もう一度頷いた。


レイスは、その確信に満ちた様子を見て、何も言わなかった。捕虜が自分で決めたことなら、それを尊重するべきだ。


「分かった。今日、それを伝えよう」


レイスは、面会室に向かう前に、もう一つ気になっていたことを考えた。


捕虜は、これまで「捕虜」という立場で扱われてきた。だが、今日からは、別の何かになろうとしている。立場の変化は、本人にとって、どういう感覚なのだろうか。


レイス自身も、立場が変わってきた。最初は単なる外交補佐官だった。今は、より重要な交渉の中心にいる。立場が変わることに、戸惑いがなかったわけではない。


捕虜にも、同じような戸惑いがあるかもしれない。だが、今日の確信に満ちた様子を見れば、その戸惑いを、もう乗り越えているようにも見えた。


────


十六夜は、官邸からの返答案を受け取っていた。


これを、今日の面会で、レイスと捕虜に伝える。


これまでの面会とは、また違う種類の伝達だ。これまでは、語彙の確認や意向の確認だった。今日は、具体的な制度についての提案だ。


片言で、どこまで伝えられるか。


十六夜は、官邸からの返答案を、もう一度読んだ。「往来できる仕組みを検討する。詳細は今後協議する」という内容だ。これを、絵と動作で、どう表現するか。


完全に伝えることは無理だ。だが、大筋——往来を検討している、という方向性——は伝えられるはずだ。


十六夜は、絵を準備した。捕虜が艦隊と基地を往復する様子を、矢印で示した絵だ。


さらに、絵の周りに、いくつかの小さな印を付けた。これから詳細を詰める、という意味を込めて。完成形ではなく、これから作っていく途中であることを示そうとした。


記録者が、準備された絵を見て言った。「これで、伝わるでしょうか」


「完全には伝わらないと思います」十六夜は答えた。「でも、方向だけは伝わるはずです。これまでも、そうやって進めてきました」


「不安はありますか」


十六夜は少し考えた。「不安はあります。でも、不安があっても、出さなければ何も進みません。あの朝から、それを繰り返してきました」


────


面会室で、十六夜はその絵を出した。


レイスと捕虜、両方が見た。


二人は、向こうの言語で、短く言葉を交わした。これまでの面会で、二人が言葉を交わす場面は何度かあった。今日のやり取りは、いつもより長かった。


十六夜は、その様子を見守った。二人の間で、何かが確認されている。内容は分からない。だが、表情から、深刻な話ではないことは分かった。


二人の表情には、緊張ではなく、確認に近いものがあった。これから起きることについて、すでに話し合っていたのかもしれない。今朝、レイスが捕虜に何かを伝えていたのだとすれば、この短いやり取りは、最終確認だったのかもしれない。


それから、レイスがこちらを向いて、頷いた。


「ヴァルタ側の提案と、こちらの提案が、一致しているという確認だと思います」十六夜は記録した。


捕虜が、絵の中の往復する矢印を指した。それから、自分を指した。


「私が、これをする」


そういう意味だと、十六夜は理解した。


指す動作は、迷いのないものだった。先日、帰る絵と留まる絵を見比べたときの迷いとは、違う。あのときは、二つの選択肢の間で迷っていた。今日は、選択肢ではなく、自分が担う役目として、矢印を指した。


迷いが、確信に変わっている。


────


捕虜は、それから、新しい動作をした。


両手で、絵の両端——艦隊とダーウィン——を同時に押さえるような動作だ。


「両方を、繋ぐ役目」記録者が言った。


捕虜自身が、その役目を担う意志を示しているように見えた。


十六夜は、その動作の意味を、もう少し考えた。両端を押さえる、という動作は、単に行き来するという意味だけではないかもしれない。両方を、安定させる役目。両方が崩れないように、支える役目。そういう意味も含まれている可能性がある。


捕虜は、ただの連絡係ではなく、両方の関係そのものを支える存在になろうとしている。そう読めた。


十六夜は、頷いた。それから、合意の動作をした。


捕虜も、頷いた。


レイスも、頷いた。


三人が、同じ動作で繋がった瞬間だった。


面会室の中に、しばらく静かな時間が流れた。記録者も、すぐには次の動きに移らなかった。


言語が違う。文明が違う。背景にある政治も、それぞれに複雑だ。それでも、この瞬間、三人は同じ動作で、同じ意味を確認し合っていた。


十六夜は、あの朝からの全部を、一瞬だけ思い出した。何も分からなかったところから、ここまで来た。今この瞬間が、その全部の先にある。


────


面会の終わりに、十六夜は捕虜にもう一度、合意の動作を示した。今日確認したことを、最後にもう一度確認する意味だった。


捕虜は頷いて、同じ動作を返した。


それから、捕虜は珍しく、自分から新しい動作をした。両手を、軽く上下に振る動作だった。これまでの面会で見たことのない動作だ。


「新しい動作です」記録者が言った。


意味はまだ分からない。だが、その動作には、何か温かいものが込められているように見えた。


十六夜は、同じ動作を真似て返した。


捕虜が、また少し笑った。


────


面会後、廊下に出た。


赤城が待っていた。


「提案は伝わったか」


「伝わりました。捕虜自身が、往来する役目を担う意志を示しました」


「向こうも納得しているのか」


「レイスも頷きました。捕虜が自分の意志でその役目を選んだことを、レイスも認めているように見えました」


赤城は少し間を置いた。「強制ではなく、本人の意志か」


「そう思います。今日の面会で、それが一番大事だと感じました」


「もし、捕虜が消極的だったら、お前はどう報告した」


十六夜は少し考えた。「そのまま報告したと思います。捕虜が消極的だったという事実を、変えずに伝えます」


「報告を、都合よく曲げたい気持ちにはならなかったか」


「正直に言えば、今日のような積極的な反応を期待していました。でも、期待と報告は別です。もし違う反応だったら、その通りに報告します」


赤城は頷いた。「その姿勢が、ここまでの全部を支えてきたんだろうな」


「そうかもしれません」


「あと、今日捕虜が新しい動作をしたと言ったな」


「はい。両手を軽く上下に振る動作でした。意味はまだ分かりません」


「お前はどう感じた」


十六夜は少し考えた。「温かいものだと感じました。正確な意味は分かりませんが、何か親しみのようなものが込められている気がしました」


「親しみ、か」


「あの朝から積み上げてきた中で、初めて感じた種類のものです。情報としてではなく、ただ、伝わってきました」


赤城は少し笑った。「言語解析の仕事をしているお前が、そう言うのは珍しいな」


「自分でも、少し驚いています」


────


同日 官邸地下 夕方


「今日の面会の結果です」


藤堂が報告した。「往来する役目について、捕虜自身が担う意志を示しました。外交補佐官レイスも、その意志を認める反応でした」


室内に、安堵に似た空気が流れた。これまでの議論で、誰もが心配していた点だった。提案が、捕虜にとって望ましいものになるかどうか。


相馬が言った。「正直なところ、強制に近い形になってしまうことを、私は懸念していました。向こうの文明との関係構築という大きな目的のために、一人の人間の意志が後回しにされる可能性を、心配していました」


「その懸念は、杞憂だったということか」黒崎が聞いた。


「今日の結果を見れば、杞憂だったと言えます。ただ、懸念したこと自体は、間違っていなかったと思います。懸念したから、慎重に進めることができた」


白瀬が頷いた。「懸念があったから、十六夜たちも慎重に聞き方を考えました。懸念は、無駄ではありませんでした」


「捕虜自身の意志、というのが重要だな」黒崎が言った。


「はい。強制ではなく、本人が選んだという点が、今後の制度設計の基盤になります」


白瀬が言った。「次は、具体的な仕組みを詰める段階です。往来の頻度、手段、安全確保。一つずつ、面会を通じて確認していきます」


「時間はかかるな」


「かかります。ただし、あの朝からの全部が、時間をかけて積み上げてきたものです。ここで急ぐ必要はありません」


相馬が言った。「捕虜——いえ、今後は名前で呼ぶべきですが——本人の意志が確認できた以上、呼称の変更も早めるべきだと思います」


「いつから変えるか」


「次の正式な発表のタイミングで。往来の制度が固まったとき、合わせて呼称も変更するのが自然です」


黒崎は頷いた。「準備しておけ」


「了解です」


黒崎は頷いた。「急ぐな。だが止まるな」


────


ヴァルタ連合 派遣艦隊旗艦「エイカ」 艦橋 同日夕方


アルセナは、レイスからの報告を読んでいた。


捕虜が、自分の意志で往来の役目を担うと示した。


アルセナは、その報告を読んで、少し安堵した。


提案は、こちらから出した。だが、提案が捕虜本人にとって、押し付けにならないか、心配していた部分があった。


「殿下」レナが言った。「捕虜が、自分から望んだということですね」


「そうだ」アルセナは答えた。「それが何より、よかった」


「殿下は、もし捕虜が拒否していたら、どうしていましたか」


アルセナは少し考えた。「別の形を考えただろう。捕虜の処遇を、こちらの都合だけで決めるつもりはなかった。捕虜が拒否すれば、その意志を尊重する。それだけだ」


「捕虜に拒否する権利が、本当にあったでしょうか」


アルセナは少し間を置いた。「難しい問いだな。立場の差を考えれば、完全に自由な選択だったとは言えないかもしれない。だが、できる限り、自由な選択であるようにと、こちらも努めた」


「それで十分だとお考えですか」


「十分かどうかは分からない。だが、何もしないよりは、ましだ」


アルセナは窓の外を見た。止まっている艦隊。穏やかな海。


提案が、押し付けではなく、選択として受け取られた。それが、今日の一番の成果だった。


捨て駒として送り出されたとき、誰も自分の意志を聞かなかった。決定が下りて、それに従うだけだった。あの時感じた重さを、アルセナは今でも覚えている。


捕虜には、その重さを、できるだけ感じさせないようにしたかった。完全にはできなかったかもしれない。立場の違いは、消えない。だが、できる範囲で、意志を確認した。


それが、アルセナが自分の経験から学んだ、唯一のことかもしれなかった。


「レナ」アルセナは言った。


「はい」


「次の報告書には、捕虜の意志を確認した経緯を、詳しく書いてくれ。本国にも、そのやり方を見てほしい」


「分かりました」


────


同日 深夜 官邸廊下


白瀬はメモ帳を出した。


「提案」


今夜の言葉を書いた。


これまでの言葉が並んでいる。「確認できない」から「帰る場所」まで来た。


そして今夜。「提案」。


提案という言葉は、これまでにも何度か使われてきた概念だ。だが、メモ帳に書くのは今夜が初めてだ。


外交における提案とは、これまでは国家間のものだった。艦隊の停止、関係の継続。今夜の提案は、一人の人間の処遇についてのものだ。


国家間の提案と、個人についての提案。種類が違う。だが、どちらも丁寧に扱う必要があるという点では、同じだ。


両方から、提案が出た。そして、その提案が、本人の意志によって受け入れられた。


提案する側と、提案される側。その関係が、押し付けにならずに済んだ。それは、これまでの積み上げがあったからだと、白瀬は思う。


いきなり提案だけが来たら、押し付けに見えたかもしれない。語彙を確認し、意向を聞き、笑顔を見て、それから提案が来た。順番があったから、今日の結果になった。


順番、という言葉を、白瀬は頭の中で繰り返した。


あの朝から今日まで、すべてに順番があった。確認できないことを、急いで確認しようとはしなかった。一語ずつ、一歩ずつ。その積み重ねが、今夜の結果を作った。


急いでいたら、今夜のような結果にはならなかったかもしれない。提案を急いで出して、捕虜の気持ちを聞く前に進めていたら、押し付けになっていたかもしれない。


「急ぐな。だが止まるな」


黒崎が繰り返してきた言葉が、今夜また意味を持った。急がなかったから、今夜の結果がある。止まらなかったから、ここまで来られた。


白瀬はメモ帳を閉じた。


明日からは、具体的な制度を詰める日々が始まる。頻度、手段、安全確保。一つずつ、また確認していく。


時間はかかる。だが、時間をかけることが、これまでの全部を支えてきた。


廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。


その音の下で、今夜は一つの提案が、誰かの選択になった。

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