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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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本国の通信

西暦××××年××月××日 ダーウィン基地 言語解析室 午前


外交補佐官レイスとの接触が、三日続いた。


毎日、面会室で一時間ほど。捕虜が同席する日もあった。捕虜が橋渡しになって、語彙が増えた。


今日の段階で確認できている語は、六十を超えた。


あの朝から始まった語彙の積み上げが、最初の数週間で三十語に届いた。レイスが来てからの三日で、さらに三十語近く増えた。速度が違う。同じ文明の人間が来ることで、積み上げの速度が変わった。


なぜ速度が変わったのか。十六夜は考えた。


捕虜との面会では、こちらが慎重に進めていた。一語ずつ確認して、誤解がないかを何度も検証した。レイスとの接触では、その慎重さの一部を省略できる。捕虜が橋渡しになって、語の意味を確認する手間が減った。捕虜が「これはこういう意味だ」とレイスに伝え、レイスが頷く。そこから始められる。


二人の文明人が間に立つことで、確認の往復が一段減った。それが速度の差になっている。


十六夜はノートに語彙リストを書きながら、今日の面会の準備をしていた。


今日確認したい語が三つある。期間。関係。将来。


合意の次に何が来るかを確認するための語だ。艦隊が止まった。次の関係をどう築くか。その議題に入るための語彙を、今日試みる。


外交の議題に入るには、抽象的な概念を扱う語彙が必要になる。これまでの語彙は具体的なものが多かった。艦隊。帆船。方向。止まる。名前。これらは見せれば伝わる。だが「関係」や「将来」は、見せて伝えるのが難しい。


絵で表現する方法を、十六夜は考えていた。二つの図形が並んでいる絵、その図形の間に線を引く。線が続いていく先に、別の図形を描く。関係と将来を、空間的な配置で示す試みだ。


上手くいくかどうかは分からない。だが、試す価値がある。


────


赤城が来た。コーヒーを二つ持ってきた。


「三日でどこまで来たか」


「六十語を超えました。今日、期間・関係・将来という語を試みます。合意の次の議題に入るための語彙です」


「外交の内容に踏み込む段階か」


「まだ踏み込めません。語彙が増えても、文が作れる段階ではない。ただし、今日確認できれば、次の段階で何を話し合いたいかを示せます。方向として」


「レイスはどうだ」


「毎日来ています。メモを取っています。こちらの語彙を覚えようとしている。向こうも積み上げている」


「捕虜はどうだ」


十六夜は少し考えた。「落ち着いています。レイスが来てから、面会室の空気が変わりました。捕虜一人のときとは違う。橋渡しの役割が生まれた分、捕虜の表情が少し変わった気がします」


「どう変わった」


「責任を分け合っている表情です。あの朝から今日まで、捕虜は一人で全部を背負ってきました。言語を教えること。合意を成立させること。艦隊を止めること。今は、レイスが来て、その重さを分けられている」


赤城は頷いた。「人間、一人で全部背負うのは長く続かない」


「そう思います」


「お前もそうだぞ」


十六夜は少し驚いて赤城を見た。


「お前もあの朝からずっと一人でこの仕事の中心にいた。今、レイスが来て、捕虜の負担が減った。お前の負担はどうだ」


十六夜は少し考えた。「分かりません。ただ、楽になった部分はあると思います。レイスが自分から語を返してくれる。受け取るだけじゃなく、向こうも積み上げてくれている」


────


同日 午後 ダーウィン基地 隔離区画 面会室


今日の面会で、十六夜は二つの図形を描いた絵を出した。


一つの図形ともう一つの図形。その間に線がある。線は途切れず続いている。「関係」を示そうとした絵だ。


レイスは見た。


少し間を置いた。それから、向こうの言語で何かを言った。短い語だ。


十六夜はAIに照合させた。既知の語彙との一致はない。新しい語だ。


「新しい語が来ました」記録者が言った。


捕虜が、レイスの言葉に続けて何かを言った。それから、自分とレイスを指して、その語を出した。


捕虜とレイスの間の何かを示している。あるいは、こちらと向こうの間の何かを示している。


「関係、という語が確認できたかもしれません」十六夜は言った。


次に、線の先にもう一つの図形を描いた絵を出した。「将来」を示そうとした絵だ。


捕虜とレイスは、その絵を見て、しばらく向こうの言語で話し合った。意見が一致しないのか、何度かやり取りが続いた。


十六夜は待った。これは難しい概念だ。今日確認できなくてもいい。


やがて、レイスが一つの語を出した。捕虜が頷いた。それから、その語をこちらに向けて繰り返した。


「これが将来に近い語かもしれません」十六夜はノートに書いた。


断定はできない。だが、近づいている。


────


ヴァルタ連合 外交補佐官レイス ダーウィン基地内 同日午後


面会が終わった後、レイスは部屋に戻った。


通信担当が、面会の途中に伝えてきた信号のことが気になっていた。


「もう一度確認してくれ」レイスは言った。


「はい」


通信担当が機器を確認した。「……艦隊からの定期信号に、わずかな変化がありました。通常より暗号化の層が厚いです」


暗号化が厚い。何かを隠している、あるいは何かを警戒している信号だ。


「内容は」


「解読できていません。ただし、いつもの定期報告とは違う種類の信号です」


レイスは少し考えた。本国で何かが起きているのかもしれない。だが今、ここで確認できることは少ない。


「面会は続ける。だが、艦隊との信号には注意しろ」


「了解です」


何かが起きている。だが今は分からない。分からないまま、面会を続けるしかない。


────


同日 午後 ダーウィン基地 言語解析室


面会が終わった。


「期間」に相当する語の候補が出た。「関係」に相当する語の候補も出た。「将来」はまだ確認できていない。


二つ確認できた。一つ残った。それでいい。一日で全部確認しようとしない。それがあの朝から続けてきたやり方だ。


レイスも今日は積極的だった。こちらが語を出すたびに、向こうの言語での対応する語を返してきた。双方向で語彙を確認する形になっている。


それが積み上げの速度を上げている。


今日の面会で、一つ気になることがあった。


レイスが面会の途中、一度だけ通信担当に小声で何かを言った。普段はそういうことをしない。面会中は集中している。今日だけ、少し気を取られているように見えた。


十六夜は記録者にそのことを伝えた。「気になります。レイスの様子が、後半少し変わりました」


「何かあったんでしょうか」


「分かりません。本国との通信か、艦隊との通信か。何かが入ったのかもしれません」


十六夜は今日の記録を整理しながら、外を見た。ダーウィンの午後だ。明るい。


明るい光の中で、その小さな違和感だけが少し気になっていた。


────


ヴァルタ連合 派遣艦隊旗艦「エイカ」 艦橋 同日夕方


アルセナは通信記録を見ていた。


本国とは、いつも通り通信ができていた。定期報告は欠かさず送っていた。議会の議論が定まらないまま、返事が遅れることはよくあった。それにも慣れていた。


向こうの文明との接触が進んでいる。語彙が増えている。レイスが帆船から手応えを持ち帰ってきている。本国への報告も、その手応えを伝える内容が続いていた。


だが今日、いつもと違う信号が来た。


本国の通常の通信ルートではない。別の発信源からの信号だ。


「解読できるか」アルセナはレナに聞いた。


「試みています。暗号化されています。ただし、パターンが分かりました。本国の軍用信号のパターンに近いです」


本国の軍用信号。それ自体は珍しくない。だが、通常のルートを使っていない。


「なぜ通常のルートを使っていない」アルセナは聞いた。


「分かりません。ただし、通常ルートを避けて、こちらに直接届けようとしている可能性があります」


通常ルートを避けて、直接届けようとしている本国の軍用信号。


アルセナは少し間を置いた。


「どういう内容か、推測できるか」


「まだ解読できていません。ただし、密度が高い。急いでいる信号です」


急いでいる。


「ドラフォに知らせたか」


「まだです。殿下に先に報告しました」


「今すぐドラフォに知らせろ。それから解読を続けろ」


レナは頷いて、通信室に向かった。


アルセナは艦橋の窓から外を見た。止まっている艦隊。静かな海。


本国の軍が、通常ルートを避けて、こちらに信号を送っている。


通常ルートを避ける理由があるとすれば、それは穏便な話ではない。


────


「解読できました」


レナが戻ってきた。顔色が少し変わっていた。


アルセナは、その顔色だけで何か悪い知らせだと分かった。


「何が書いてあった」


「……本国で議会の解散が宣言されました。新しい体制が成立しています。旧議会の決定は全て無効とされています」


レナの声は、いつもより小さかった。報告の内容を信じたくない、という響きがあった。


議会の解散。


旧議会の決定は全て無効。


アルセナは少し間を置いた。


旧議会の決定には、この艦隊の派遣が含まれる。アルセナを外交担当として派遣した決定も含まれる。


「クーデターか」


「……信号の内容から、そう読めます」


アルセナは天井を見た。艦橋の天井だ。何度も見てきた天井だ。今日見ると、少し違う天井に見えた。


アルセナは艦橋の椅子に座った。


クーデター。


あの朝から今日まで、ずっとこの任務を続けてきた。合意を成立させた。艦隊を止めた。帆船を送った。外交の段階が始まった。


その全部の根拠となった議会の決定が、今日無効とされた。


捨て駒として送り出された。捨て駒として送り出した議会そのものが、もう存在しない。


アルセナは少し笑いそうになった。笑う場面ではない。だが、おかしかった。捨て駒を送り出した手が、もうない。捨て駒だけが、まだここにいる。


誰が自分を「外交担当」と認めるのか。旧議会はもうない。新しい体制は、まだこちらに何も言ってきていない。


肩書きが、揺れている。


だが、揺れているのは肩書きだけだ。


アルセナは窓の外を見た。止まっている艦隊。穏やかな海。


捕虜は今もダーウィンにいる。レイスも今もダーウィンにいる。向こうとの合意は、本国の体制が変わったからといって、消えるわけではない。合意した相手が、こちらの内部事情を知っているわけでもない。


向こうにとって、合意は合意のままだ。


本国がどう変わっても、ダーウィンでの接触は続いている。それだけは確かだ。


「殿下」レナが言った。「ドラフォ指揮官への報告は、私が行いますか」


「いや、私が行く」アルセナは立ち上がった。「これは私の責任の範囲だ」


────


通信室で、アルセナはドラフォに繋いだ。


「指揮官。本国からの信号を受け取った」


「私もだ」ドラフォの声は、いつもより硬かった。「殿下は、これをどう見る」


「クーデターが起きた。旧議会の決定は無効とされている」


「そうだ」


「指揮官は、これからどうする」


長い沈黙があった。


「分からない」ドラフォは言った。「新しい体制からの指示はまだない。指示が来るまで、現状を維持する」


「現状維持、ということは」


「艦隊は止まったままだ。向こうとの接触も続けていい。新しい体制が何を求めてくるかは、来てから判断する」


アルセナは少し意外だった。ドラフォが、この状況で現状維持を選んだ。


「指揮官は、新しい体制を支持しないのか」


「支持も否定もしない」ドラフォは答えた。「私は艦隊の指揮官だ。本国の政治は私の領分ではない。今、艦隊が成果を出している。その成果を、政治の混乱で台無しにする理由がない」


それだけだった。


通信が切れた。


アルセナは少しの間、レシーバーを見ていた。


ドラフォが、現状維持を選んだ。強硬派の指揮官が、合意の成果を守る判断をした。


それは、希望と言えるものかもしれない。


「新しい体制は何を主張しているか」


「信号には詳細がありません。ただし、旧議会の決定を全て無効とする以上、この艦隊の任務も無効とされる可能性があります」


「ドラフォはどう動くか」


「まだ連絡が来ていません。今頃同じ信号を受け取っているはずです」


アルセナは少し考えた。「新しい体制が、この艦隊に何を求めてくるか」


「分かりません。旧議会の決定が無効なら、艦隊の任務も無効です。引き返せと言われる可能性があります」


「あるいは」


「あるいは」


「新しい体制が、強硬派に近い体制だとすれば」アルセナは言った。「この艦隊が止まっていることを、不満に思うかもしれない。動けという指示が来る可能性がある」


レナの顔色がさらに変わった。「動けと言われれば、ドラフォは動きますか」


「ドラフォの判断は、ドラフォにしか分からない。だが、軍人だ。新しい体制からの命令系統が確立されれば、従う可能性が高い」


艦隊が、また動く可能性がある。


合意が成立した。艦隊が止まった。その全部が、今夜揺らいでいる。


────


同日 官邸地下 危機管理センター 夕方


「異常な信号が検知されました」


藤堂が報告した。「北西方向、艦隊より奥から来ています。向こうの文明の信号ですが、これまでとパターンが違います」


「どう違う」


「密度が高い。急いでいる信号です。内容は解読できていません。ただし、艦隊や捕虜からの信号とは異なるパターンです」


「どこから来ている信号か」


「艦隊より奥、北西方向のさらに先からです。これまで観測してきた信号源とは別の場所です」


艦隊より奥。向こうの本国がある方向かもしれない。


「新しい発信源、ということか」


「可能性があります。これまで観測対象にしていなかった場所からの信号です」


「艦隊の動きは」


「変化はありません。停止が続いています。ただし、信号の受信と連動して、艦隊内での通信量が増えている可能性があります」


「向こうの内部で何かが起きているかもしれない」黒崎が言った。


「可能性があります。今夜、解析を続けます」


白瀬が言った。「もう一点気になることがあります。今日の面会でレイスの様子が少し変わったという報告がありました。集中力が後半落ちていたとのことです。何かが届いたタイミングと一致するかもしれません」


「向こうに何かが届いた」


「断定できません。ただし、信号の検知タイミングと、レイスの様子の変化のタイミングが近い可能性があります。今夜、時刻を照合します」


「外交の進展に影響が出るか」


「現時点では分かりません。明日の面会で確認します」


相馬が言った。「もし向こうの内部で政変が起きているとすれば、こちらの外交方針にも影響が出ます。これまでの合意の相手が誰になるのか、確認が必要になる可能性があります」


「合意の相手が変わる、ということか」


「最悪の場合、そうなります。旧体制との合意が、新体制に引き継がれるかどうかは分かりません」


黒崎は少し間を置いた。「今の段階でできることは、現状の接触を維持することだけだ。向こうの状況が変わっても、こちらが今やっていることは変わらない」


「了解だ。艦隊の動きを注視しろ。変化があれば即座に報告しろ」


「急ぐな。だが止まるな」


────


同日 深夜 官邸廊下


白瀬はメモ帳を出した。


「本国の信号」


今夜の言葉を書いた。


これまでの言葉が並んでいる。「確認できない」から始まって「再会」まで来た。


そして今夜。「本国の信号」。


この言葉は、まだ確認が取れていない言葉だ。あの朝以降、白瀬は確認できたことだけをメモ帳に書いてきた。今夜は違う。確認できていないことを書いた。


異常な信号があった。それだけは確かだ。何が書かれているかは分からない。だが、何かが起きている可能性がある。


外交の接触が進んでいる。語彙が増えている。レイスとの対話が深まっている。その一方で、向こうの内部で何かが起きているかもしれない。


二つが同時に進んでいる。


接触が深まることと、向こうの内部が変わることが、同じ時間に起きている。


どちらがどちらに影響するか。まだ分からない。


ただ、今夜から状況が変わった可能性がある。


あの朝から今日まで、こちらは積み上げてきた。向こうの言語を確認し、合意を成立させ、艦隊を止め、外交補佐官を迎えた。一つずつ、確実に積み上げてきた。


その積み上げが、向こうの内部事情によって崩れる可能性がある。


崩れるかもしれない、という不安を、白瀬は今夜初めて感じた。これまでの不安は「分からないこと」への不安だった。今夜の不安は「積み上げたものが崩れること」への不安だ。種類が違う。


崩れないことを願っても、向こうの内部の問題はこちらにはどうしようもない。できることは、今ある接触を大事にすることだけだ。


廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。


その音の下で、今夜もダーウィン基地の中に、向こうの文明の人間が三名いる。


そして北西のどこかで、本国からの信号が動いている。


何が起きているのか。明日、また少しずつ分かってくるはずだ。

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