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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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指示

ヴァルタ連合 派遣艦隊旗艦「エイカ」 通信室 西暦××××年××月××日 午前


新しい信号が来た。


通信士がアルセナに知らせた。「本国から、通常ルートでの信号です。新しい体制からのものです」


通常ルート。


昨夜の信号は通常ルートを避けていた。今日は通常ルートで来た。新しい体制が、正規の手続きとして連絡してきた、ということだ。


正規の手続き、ということは、新しい体制がすでに通信網を確立しているということだ。昨夜の混乱から一晩で、本国は通常の手続きを取り戻した。


それは、クーデターが速く完了したことを示している。抵抗が少なかったのか、あるいは、抵抗を抑える力が強かったのか。どちらかは分からない。


「内容は」


「解読中です」


アルセナは待った。


待つ間、これまでの数日を振り返った。クーデターの信号が来た日から、今日まで、本国からの正式な反応はなかった。動かない時間が続いた。


その動かない時間の中で、向こうとの接触は続けていた。レイスとの語彙交換も続いていた。本国がどうなっていても、ダーウィンでの仕事は止まらなかった。


今、ようやく本国からの反応が来る。


待つ間、艦橋の外を見た。止まっている艦隊。変わらない海。本国で何が起きていても、ここの景色は変わらない。


────


「解読できました」


通信士が報告書を渡した。アルセナは読んだ。


新しい体制からの指示だった。


「艦隊の任務を継続せよ。ただし、合意の内容を新体制が確認するまで、新たな約束を結ぶことを禁ずる」


短い指示だった。それ以上の言葉はなかった。説明もなかった。命令だけが届いた。


任務の継続。


旧議会の決定が全て無効とされたが、艦隊の任務そのものは継続を命じられた。


無効とされた決定の中に、この艦隊の派遣決定そのものが含まれていたはずだ。だが任務は継続を命じられた。矛盾しているようで、矛盾していない。新体制は、決定の正当性ではなく、任務の結果を評価したのかもしれない。


すでに合意が成立している。艦隊が止まっている。外交補佐官が接触している。それだけの実績がある。実績を捨てる理由が、新体制にもないのかもしれない。


「継続、という言葉が来た」アルセナはレナに言った。


「良い知らせですか」


「半分はそうだ」アルセナは答えた。「艦隊を引き返させる指示ではない。これまでの合意も、否定はされていない。ただし、新たな約束は禁じられている。新体制が確認するまで」


「確認、とはどういう意味でしょうか」


「分からない。だが、新体制がこの任務に関心を持っている、ということだ。否定するでもなく、放置するでもなく、関心を持って見ている」


「関心を持っているなら、いずれ何か言ってくるはずですね」


「そうだ。今は様子を見ているだけだ。様子を見ている間は、こちらが大きく動かない方がいい。新体制の確認が取れるまで、現状を維持する」


「現状維持は、私たちにとって悪いことではないですね」


「悪いことではない」アルセナは認めた。「ただし、いつまで続くかは分からない。様子を見る期間が長引けば、向こうとの接触にも影響が出る」


────


「外交担当者の地位については、何か書いてあるか」レナが聞いた。


アルセナは報告書をもう一度見た。一文字も漏らさず確認した。


地位についての言及はなかった。


旧議会が任命した外交担当という肩書きについて、新体制は何も言っていない。継続せよとも、解任するとも、確認するとも、書いていない。


言及がないことが、何かを意味するのか。それとも、単に書き忘れただけなのか。


「私の地位については、何も書かれていない」


「それは」


「悪い意味かもしれない。良い意味かもしれない。旧議会が任命した私の地位を、新体制がどう扱うかは、まだ決まっていない、ということだ」


レナは何も言わなかった。


アルセナも、それ以上は言わなかった。地位がどうなるかを考えても、今すぐ変わるものではない。今できることは、与えられた指示に従うことだけだ。


捨て駒として送り出された。捨て駒を送り出した手は、もうない。それでも、捨て駒としての仕事を続けている。


誰が認めようと認めなかろうと、艦隊が止まっている。外交補佐官が接触している。捕虜が橋渡しをしている。その事実は、アルセナの地位とは関係なく、すでにある。


「任務は継続する。新たな約束は結ばない。それだけを、ドラフォに確認する」


アルセナは立ち上がった。


艦橋に向かう前に、もう一度速度計を見た。


ゼロ。


本国が変わっても、艦隊は止まったままだ。その事実だけは、誰にも変えられない。


────


通信室を出て、艦橋に向かう途中、ドラフォからの呼び出しが来た。


「指揮官が話したいそうです」通信士が言った。


通信を繋いだ。


「殿下も同じ指示を受け取ったか」ドラフォが言った。


「受け取った。任務継続、新たな約束は保留」


「私も同じ指示を受けた」


「指揮官はどう動くか」


「指示の通りに動く。任務を継続する。艦隊は止まったままだ。新たな約束は結ばない」


「新たな約束を結ばない、というのは」


「向こうとの接触で、合意の内容を更新することを指す。これまでの合意——艦隊の停止——はそのまま維持する。ただし、それ以上の約束は、新体制の確認が取れるまで待つ」


アルセナは少し間を置いた。「指揮官は、新体制をどう見ているか」


「分からない。私は軍人だ。命令系統が確立されれば、その命令に従う。今、艦隊への命令系統は新体制から来ている。それだけのことだ」


「それだけ、か」


「殿下は違うのか」


アルセナは少し考えた。「私も同じだ。命令系統が確立されれば、従う。ただ、これまで積み上げてきたものが、今の体制でどう扱われるかは気になる」


「気になっても、今は分からない。分かることを待つしかない」


ドラフォの言葉は短かったが、正しかった。


「外交補佐官レイスへの指示は」


「同じだ。現状を維持しろ、と伝える」


通信が切れた。


────


ヴァルタ連合 外交補佐官レイス ダーウィン基地内 同日朝


レイスは信号を受け取った。


艦隊から、本国の新しい指示が届いた。任務継続。新たな約束は保留。


レイスは、その指示をどう実行するかを考えた。


今日もこちらとの面会がある。これまで積極的に進めてきた言語の確認を、今日からは慎重にする必要がある。新しい議題に進むことは、新たな約束に近づくことだ。新体制の確認が取れるまで、そこには踏み込めない。


だが、面会を完全に止めるわけにもいかない。任務は継続している。これまでの合意は維持されている。


中間の対応が必要だ。


語彙の確認は続ける。だが、新しい議題には進まない。


それが、今日レイスが選んだやり方だった。


通信担当が言った。「捕虜にも、この指示は伝えますか」


レイスは少し考えた。「捕虜には伝えなくていい。捕虜は政治的な決定権を持つ立場ではない。これまでと同じように接触させる」


「捕虜の役割は変わらない、ということですね」


「変わらない。むしろ、私が保留している間、捕虜との接触が普段通り続くことが、向こうに安心感を与える。全部が止まったわけではない、と示せる」


レイスは部屋の窓から外を見た。ダーウィンの朝だ。


本国がどうなっていても、ここでの仕事は続く。続けることが、今できる最善だ。


────


同日 ダーウィン基地 言語解析室 午後


外交補佐官レイスとの面会で、十六夜は変化を感じた。


これまでレイスは積極的に語彙を増やそうとしてきた。今日は違う。語彙の確認には応じるが、新しい話題には進まない。


「期間」の語を昨日試みた。今日、その続きを試みようとしたが、レイスは曖昧な反応をした。頷きでも否定でもない、中間の反応だった。


十六夜はそれを記録した。「曖昧な反応」というのは、これまでの面会記録になかった分類だ。これまでは、頷くか、頷かないか、新しい語を出すか、いずれかだった。


今日は違う。中間の反応。判断を保留している反応だ。


言語が通じない段階でも、保留という態度は伝わる。完全な拒絶ではない。完全な承認でもない。その中間を示す動作や表情が、確かにあった。


「保留しているように見えます」十六夜は記録者に言った。


「何かを待っている、ということでしょうか」


「そう思います。新しい指示か、確認か。何かが届くまで、レイスは今の状態を維持しようとしています」


既存の語彙は確認する。だが、新しい語彙には進まない。それが今日のレイスのやり方だった。


面会が終わった後、十六夜はレイスの様子を整理した。レイスが何かを待っている。新しい指示か、確認か。前日まで積極的だった態度が、今日少し変わった。


十六夜はノートに書いた。「レイス、本日:既存語彙の確認は継続。新規議題への進展なし。態度に変化あり。本国の状況と関連の可能性」


断定はしない。あくまで観察記録だ。だが、この記録が積み重なれば、向こうの状況を間接的に知る手がかりになる。


言語解析の仕事は、向こうの言葉を理解することだ。だが今日のように、言葉そのものより、言葉の「出方」が情報になることもある。


────


面会後、廊下に出た。


赤城が待っていた。


「今日の面会はどうだった」


「レイスの態度が変わりました。積極的に語彙を増やそうとしていたのが、今日は保留する反応でした」


「向こうの内部で何かあったか」


「可能性があります。本国の信号が関係しているかもしれません」


赤城は少し間を置いた。「捕虜はどうだ」


「捕虜は変わりませんでした。いつも通りの面会でした」


「捕虜には伝わっていないのかもしれない」


「あるいは、捕虜の立場では関係がないのかもしれません。捕虜は捕虜として、向こうの内部の政治とは別に扱われている可能性があります」


「捕虜は最初から、政治的な決定権を持つ立場ではなかった、ということか」


「そう思います。捕虜は接触の最前線にいる存在です。外交補佐官や艦隊の指揮系統とは別の役割です。新体制が艦隊や外交補佐官に指示を出したとしても、捕虜への直接の指示はないのかもしれません」


「だから捕虜は変わらない」


「はい。捕虜が変わらないことで、今日もこちらは語彙を増やす機会を得られました。レイスが保留していても、捕虜との面会は続けられます」


赤城は頷いた。「捕虜が今、こちらにとっての安定した接点になっているわけだな」


「そう思います」


「皮肉なものだな」赤城は言った。「あの朝、最初に捕まった一人が、今は最も安定した存在になっている」


十六夜は少し考えた。「捕虜が変わらないのは、捕虜の立場が政治と距離があるからです。でも、それだけじゃないと思います」


「何だ」


「捕虜自身が、変わらないことを選んでいるのかもしれません。本国がどうなっても、ここでの仕事——こちらとの接触を続けること——を、捕虜自身の役割だと思っているのかもしれない」


赤城は少し間を置いた。「それは、お前の願望じゃないのか」


十六夜は少し笑った。「かもしれません。でも、そう見えます」


────


同日 官邸地下 夕方


「今日の面会の結果です」


藤堂が報告した。「外交補佐官レイスの態度に変化がありました。語彙確認には応じますが、新しい議題には進まない保留状態です」


「向こうの内部の影響か」黒崎が言った。


「可能性があります。本国からの信号が、艦隊だけでなく外交補佐官レイスにも何らかの形で届いている可能性があります」


「艦隊の動きは」


「変化はありません。停止が継続しています」


白瀬が言った。「現状を維持しているように見えます。艦隊も、レイスも。これまでの合意を否定せず、ただ新しいことには進まない。保留の状態です」


相馬が言った。「向こうの内部が落ち着くまでの期間が、こちらにとって重要です。その間にこちらが何をするかで、落ち着いた後の関係に影響します」


「何をすべきか」


「変わらないことです。向こうが保留している間、こちらが態度を変えれば、向こうに不安を与えます。これまでと同じ態度を維持することが、信頼を保つことになります」


「こちらはどう対応するか」


「同じように、急がない方針が適切だと思います。向こうが保留しているなら、こちらも急いで踏み込まない。現状の接触を維持しながら、向こうの内部の状況が落ち着くのを待ちます」


「捕虜との面会は」


「続けます。捕虜には変化がありません。これまでと同じペースで語彙を積み上げます」


黒崎は頷いた。「捕虜が変わらないことが、今は安定の支えになっている。続けろ」


「了解だ。急ぐな。だが止まるな」


────


同日 深夜 官邸廊下


白瀬はメモ帳を出した。


「指示」


今夜の言葉を書いた。


これまでの言葉が並んでいる。「確認できない」から「本国の信号」まで来た。


そして今夜。「指示」。


「本国の信号」を書いた次の夜が「指示」になった。信号の正体が、今夜分かった。指示だった。混乱の信号の後に、組織化された指示が来た。


向こうの内部に、新しい指示が出た。艦隊にも、外交補佐官にも。任務は継続するが、新たな進展は保留する。そういう指示だ。


こちらには、その指示の全容は分からない。ただ、影響だけが見える。


レイスの態度が変わった。艦隊は止まったままだ。


止まったまま、保留されている。


それは悪いことではない。悪化していない。ただ、止まっている。


あの朝から今日まで、状況は常に動いてきた。今夜初めて、向こうの事情で「保留」という状態が生まれた。


保留、という状態をどう扱うか。これまで白瀬は、確認できることだけをメモ帳に書いてきた。今夜の「指示」は、確認できたことだ。指示が出た、ということは確認できた。指示の内容も、断片的には確認できた。


ただし、その指示が向こうの内部でどう実行されるかは、まだ確認できていない。レイスの態度から推測しているだけだ。


推測と確認の境目に、今夜のメモ帳は立っている。


廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。


その音の下で、今夜は何も大きく動かない。


動かないことも、一つの情報だ。


動かない日があってもいい。あの朝から今日まで、ずっと動き続けてきた。動かない日が一日あることで、これまでの動きを整理できる。


白瀬はメモ帳を閉じた。今夜はここまでだ。

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