再会
西暦××××年××月××日 ダーウィン基地 隔離区画 廊下 午前10時
廊下に人が増えた。
いつもの面会の時間、廊下には赤城と記録者と十六夜だけだった。今日は違う。日本側の担当者が数名、廊下の端に立っている。そして、こちら側ではない人間が三名いる。
レイスと、通信担当二名だ。
レイスは廊下に立って、周囲を見ていた。昨日の夜からこの施設にいるが、この廊下は初めてだ。
十六夜はレイスを見た。
昨日、赤城が「普通の人間だ」と言った。その通りだった。普通の人間が、普通に立っている。緊張しているのが分かる。だが、落ち着こうとしている。
レイスも十六夜を見た。
視線が合った。
言語は通じない。だが視線は通じる。こちらが見て、向こうが見た。それだけだ。それだけだが、初めて直接目が合った。
「おはようございます」十六夜は日本語で言った。通じない。だが言った。
レイスが何かを言った。向こうの言語だ。意味は分からない。だが、穏やかな声だった。挨拶の種類の声だった。
どちらも相手の言語が分からない。だが挨拶が来て、挨拶を返した。それが今日の始まりだった。
「準備ができています」記録者が言った。
今日の面会室には、捕虜だけでなくレイスも入る。捕虜とレイスが会う。同じ文明の人間同士が、あの朝以来初めて会う。
その場に、十六夜も同席する。
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ヴァルタ連合 外交補佐官レイス ダーウィン基地内 同日午前
レイスは廊下を歩きながら、緊張を感じていた。
昨日、上陸した。施設に入った。部屋を与えられた。食事が出た。全部、予定通りだった。予定通りだったが、実際に向こうの施設の中にいると、信号で聞いていた情報と実感は違う。
今日、捕虜に会う。
あの朝以来だ。捕虜が拿捕されてから、信号でのやり取りはあった。生きていることは分かっていた。だが直接会うのは、あの朝以来だ。
向こうの担当者に案内されながら、レイスは廊下を見た。清潔だ。整っている。どういう施設かは分からないが、悪い場所ではない。
捕虜がこの廊下を歩いてきた。この廊下を、ずっと歩いてきた。
扉の前で止まった。
向こうの担当者が扉を示した。入れ、ということだろう。
レイスは深呼吸した。
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面会室の扉が開いた。
捕虜は椅子に座っていた。扉が開いた瞬間、顔を上げた。
レイスが入った。
捕虜は、レイスを見た。
一拍。
十六夜はその一拍を、録音しながら見ていた。
捕虜が誰かを見て、一拍置いた。その一拍の意味が、十六夜には少し分かった気がした。確認している。目の前にいるのが、信号で聞いていたレイスだ、と確認している。
それから捕虜は立ち上がった。合意のときに立ったような、正式な立ち方だ。
レイスも立ったまま、捕虜を見ていた。
レイスも確認している。長い航海の末に来た。今、目の前にいるのが、ずっと信号を送り続けていた捕虜だ、と確認している。
二人は少しの間、向き合って立っていた。
その間は短かった。だが十六夜には長く感じた。
あの朝から今日まで、捕虜はずっとこの面会室にいた。同じ文明の人間と会ったことがなかった。今日、初めて会う。その前の間だ。
それから、捕虜が短い音節を出した。
レイスが同じ音節を返した。
その音節が、何を意味するかは分からない。だが、その音節で二人の間に何かが通じた、ということは分かった。
二人の間で、向こうの言語のやり取りが始まった。
「分かりますか」十六夜は記録者に小声で言った。
「音節は録音できています。意味はまだ分かりません」
向こうの言語で、二人が話している。速い。これまでの面会で捕虜が出していた音節より、速い流れだ。同じ文明の人間同士の会話だから当然だ。
十六夜は録音しながら、二人の表情を見ていた。
捕虜の表情が、これまでの面会で見たことのない種類に変わっていた。言語解析の場面ではない表情だ。言語が通じる相手と話している表情だ。
レイスの表情も変わっていた。施設に入った後の緊張が、少し解けていた。
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しばらく、二人は話し続けた。
十六夜は録音しながら待った。急かさない。今は向こうの時間だ。
二人の会話の中に、いくつか聞き取れる語が混じっていた。合意。止まる。名前。捕虜がレイスに、これまでの経緯を説明している可能性がある。
言語解析として聞けば、知っている語が聞こえてくる。だが今日は言語解析として聞くより先に、二人の人間が話している場として感じていた。
二人の会話が少し静かになった。捕虜が何か短く言った。レイスが頷いた。そして二人が少しの間、黙った。
やがて捕虜がこちらを向いた。
十六夜を見た。
捕虜がこちらを見た、ということに、十六夜は少し驚いた。二人の会話が続いている中で、捕虜がこちらを向いた。
捕虜が覚えている。あの朝から今日まで、面会を続けてきたこちらのことを覚えている。レイスが来ても、こちらの存在を忘れていない。
それだけのことだが、少し胸に来るものがあった。
それから、これまでの面会で確認してきた動作をした。「次へ」の動作だ。両手を前に出して、手のひらを上に向けた。
レイスに向かって。
捕虜がレイスに、「次へ」の動作を向けた。
次の接触に進め、という意味かもしれない。こちらと話せ、という意味かもしれない。
レイスは捕虜の動作を見た。それから、十六夜を見た。
十六夜は、同じ動作を返した。
両手を前に出して、手のひらを上に向けた。
レイスはその動作を見た。少し間を置いた。
捕虜がレイスに何かを言った。向こうの言語で、短く。その言葉を聞いて、レイスが動作をした。
同じ動作をした。
「動作が通じました」記録者が小声で言った。
捕虜がレイスに動作の意味を伝えた可能性がある。捕虜が橋渡しになった。
捕虜があの朝から今日まで学んできたことが、今日初めてレイスに伝わった。間接的に、だが確実に伝わった。
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レイスが向こうの言語で何かを言った。
十六夜はAIに照合させた。
既知の語彙との一致がいくつかある。帆船。方向。合意。
「帆船と方向と合意の語が含まれています」
レイスは帆船で来た。方向を確認した。合意が成立した。その流れを確認しているのかもしれない。あるいは、自己紹介の一部として使っているのかもしれない。
十六夜は、これまでの面会で積み上げてきた語彙を使った。
帆船の語を出した。方向の語を出した。合意の動作をした。
レイスが見た。
一拍の間があった。捕虜が何か短い言葉をレイスに言った。それからレイスが頷いた。
「頷きました」記録者が言った。
頷きが通じた。捕虜がレイスに、頷きの意味を教えた可能性がある。あるいはレイスが直感的に理解した可能性もある。
どちらにしても、頷きがレイスとの間でも機能した。
今度はレイスから何かが来た。向こうの言語の短い語だ。
AIで照合した。帆船の語族に近い音節構造だ。レイスが乗ってきた帆船を指している可能性がある。
レイスが自分を指した。帆船の語を出した。
「自分が帆船で来た、ということを言っているかもしれません」記録者が言った。
自己紹介だ。言語が片言でも、自分が誰で、どこから来たかを伝えようとしている。
十六夜は、こちらも同じように返した。ダーウィンを示す方向の動作と、こちら側を示す動作を組み合わせた。
レイスが頷いた。受け取った、という頷きだった。
語彙は少ない。文は作れない。だが、帆船で来た、こちらがダーウィンにいる、その程度のことが今日通じた。
あの朝、音節の切り出しから始めた。今日、外交補佐官と語彙を交換した。その間に、何が積み上がったかが、今日の面会で分かった。
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面会の後半で、十六夜は名前を試みた。
自分を指して、自分の名前に相当する音を出した。
レイスは聞いた。
少し間を置いた後、その音を繰り返した。完全に正確ではない。だが近い。
それから、レイスは自分を指して、自分の名前を出した。
十六夜は繰り返した。
レイスが頷いた。
「名前が通じました」記録者が言った。
捕虜と名前を交換したとき、捕虜の表情に「聞こえた」という変化があった。今日のレイスの表情も、少し変わった。同じ種類の変化ではないかもしれない。だが、何かが変わった。
レイスは、十六夜の名前を繰り返した後、少し間を置いた。それから、もう一度繰り返した。今度は少し正確になっていた。
覚えようとしている。
十六夜は、レイスの名前をもう一度繰り返した。
レイスが頷いた。今度の頷きは、確認の頷きではなく、嬉しそうな頷きに見えた。正確かどうかは分からない。ただ、そう見えた。
名前を持つ者同士として、今日初めて向き合った。
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面会後、廊下に出た。
赤城が待っていた。今日は廊下に他の人間もいる。少し離れた場所で、担当者たちが話している。
「どうだった」
「帆船・方向・合意の語が確認できました。頷きが機能しました。名前が通じました」
「捕虜との再会は」
「観察した限りでは、二人は長く話していました。捕虜がレイスに状況を伝えたと思います。それからレイスがこちらと接触し始めた」
「レイスはどういう人物だと思うか」
十六夜は少し考えた。「慎重で、落ち着いています。動作の意味を確認してから使う。急がない。今日の面会で、それが分かりました」
「向こうの外交担当として適切だ」赤城は言った。
「そう思います。あと」
「あと」
「捕虜が、レイスに次への動作を向けました。こちらと話せ、という意味だと思います。捕虜が、接触の主導をレイスに渡した。そういう場面でした」
赤城は少し間を置いた。「捕虜は今日どんな様子だったか」
「表情が違いました。これまでの面会で見たことのない表情でした。言語が通じる相手と話している表情です。安堵に近いと思います」
「長く隔離されていたからな」
「そうです。あの朝から今日まで、同じ文明の人間と直接会っていませんでした。今日初めて会えた。それがどういう意味を持つかは、こちらには完全には分かりません。でも、表情を見れば何かが伝わります」
「捕虜の役割は今後どう変わるか」
「橋渡しとして機能しながら、外交補佐官に情報を渡す役割が続くと思います。ただし、直接接触の段階では外交補佐官が前面に出ます。捕虜の役割は変わります」
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ヴァルタ連合 外交補佐官レイス ダーウィン基地内 同日午後
レイスは部屋に戻った。
捕虜に会った。向こうの担当者と接触した。名前が通じた。動作が通じた。語彙がいくつか確認できた。
想定通りだった。想定通りに進んだ。
だが、想定通りだったのに、疲れた。精神的に疲れた。
言語が通じない場所で、動作と語彙で接触するのは、思ったより消耗する。相手が何を言っているか分からない。自分が伝えたいことを、どう伝えるか考え続ける。
捕虜が、よくやったと改めて思った。
言語が通じない状態で、あの朝から今日まで。動作と語彙だけで、合意を成立させた。艦隊を止めた。帆船を呼んだ。
「レイス様」通信担当が言った。「捕虜から信号が来ました。今日会えてよかった、という内容です」
レイスは少し笑った。「こちらもそう思う、と返信しろ」
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同日 官邸地下 夕方
「今日の面会の結果です」
藤堂が報告した。「捕虜と外交補佐官レイスの再会が成立しました。二人は向こうの言語で会話しました。その後、外交補佐官レイスとの直接の言語接触が始まりました。帆船・方向・合意の語、頷きの動作、名前の交換が確認されました」
「名前が通じた」黒崎が言った。
「はい。外交補佐官レイスという名前が今日確認されました」
「捕虜の状態は」
「今日の面会で表情の変化が確認されました。これまでの面会で見たことのない表情です。同じ文明の人間と話している表情、安堵に近い表情と記録されています」
「よかった、ということか」
白瀬が答えた。「あの朝から今日まで、長い時間でした。その間、同じ文明の人間と直接会えなかった。今日会えた。それが表情に出たと思います」
「今後の接触はどう進めるか」
白瀬が答えた。「捕虜との面会は続けます。同時に、外交補佐官レイスとの直接の接触を別に設定します。捕虜が橋渡しとして機能しつつ、外交補佐官との間で独立した接触を進めます」
「外交の段階として、何を最初に伝えるか」
「向こうの文明が、今後どういう形でこちらと関係を持とうとしているか、その意図を確認します。艦隊の停止は合意しました。次の段階として、どういう関係を築くかの確認が外交の最初の議題になります」
「片言でその議題を扱えるか」
「扱えない部分は出ます。ただし、意図を示すことはできます。こちらが友好的かどうか。何を求めているか。言語より先に、態度と動作で示せます」
「態度と動作で示す」
「捕虜との面会でも、言語より動作が先に機能しました。外交補佐官との接触でも同じ可能性があります。言語が追いつくまでの間は、動作で進めます」
「了解だ。進めろ」
「今日の接触で、外交補佐官レイスはどういう印象の人物だったか」
藤堂が答えた。「慎重で落ち着いています。動作の意味を確認してから使う。急がない。向こうの外交担当として適切だと思います。捕虜との再会でも、動揺しなかった」
「動揺しなかった」
「はい。長い航海の後、施設に入って、捕虜と会って、言語の確認をした。全部を今日こなした。精神的に安定している人物だと思います」
黒崎は少し間を置いた。「向こうも、外交の担当者を慎重に選んだということか」
「そう思います」
「急ぐな。だが止まるな」
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同日 深夜 官邸廊下
白瀬はメモ帳を出した。
「再会」
今夜の言葉を書いた。
これまでの言葉が並んでいる。「確認できない」「理由がない」「前提」「確認できた」「話す」「地図」「見えた」「聞こえている」「届いた」「同じ問い」「答えの形」「北西」「速度」「取り決め」「艦隊と合意」「最初の言葉」「合意」「速度が止まる」「速度と問い」「合意」「合意」「止まった日」「名前」「帆船が来た」「顔を合わせる」。
そして今夜。「再会」。
再会、という言葉は、こちらが使う言葉ではない。捕虜とレイスの再会だ。こちらが経験したわけではない。
だがその場に立ち会った。
あの朝から今日まで、こちらは外側にいた。向こうの文明の言語を解析する側だった。今日初めて、その言語を話す二人の人間が再会する場にいた。
外側にいたけれど、その場にいた。
立ち会う、ということの意味を、今日初めて考えた。解析することと立ち会うことは違う。解析は外から見ることだ。立ち会うことは、その場にいることだ。
今日、初めてその場にいた。
あの朝からずっと、言語解析の仕事として接触してきた。今日はその仕事の中に、別のものが入ってきた気がした。解析ではなく、立ち会い。分析ではなく、同席。
その違いを、今夜初めて感じた。
廊下の蛍光灯がいつも通りに唸っていた。あの朝からずっと、そうだった。
その音の下で、今夜はダーウィン基地の中に、向こうの文明の人間が三名いる。
そして明日も、接触が続く。
明日は、言語の接触が増えるかもしれない。外交補佐官レイスが、今日よりも多くの語を確認しようとするかもしれない。捕虜が橋渡しとして、さらに語を増やす助けをするかもしれない。
少しずつ。一語ずつ。あの朝からそうしてきた。明日もそうする。
メモ帳を閉じた。今夜はここまでだ。




