説明
西暦××××年××月××日 首相官邸 記者会見室 午前10時
黒崎恒一が、演台に立った。
カメラが多い。記者が多い。いつもの定例会見とは人数が違う。最前列の記者たちの目が、準備してきた目だ。
黒崎は原稿を持っていなかった。
メモはある。ポケットの中に、白瀬が昨夜整理した一枚の紙がある。「話せること」と「話せないこと」が、箇条書きで並んでいる。だがその紙を出すつもりはない。出せば、紙を読んでいる、という印象になる。今日は、読むのではなく、話す日だ。
「始めます」
黒崎は前を向いた。
「あの朝から今日まで、政府は国民の皆さんに対して、十分な説明をしてきませんでした。その点について、まず率直にお詫びします」
会見室が静まった。
「説明が遅れた理由は、確認できていないことが多すぎたからです。確認できていないことを話せば、憶測を呼びます。憶測は不安を生みます。不安は混乱を生みます。だから、確認できるまで待ちました。ただし、待ちすぎました。今日、確認できたことを話します。確認できていないことは、確認できていないと話します」
────
「あの朝、何が起きたかについて話します」
黒崎は続けた。「あの朝から、日本は外部との通信を失いました。GPSが消失しました。海外との往来が途絶えました。外国の電波反応が、全方向から消えました。これは事実です」
「なぜそうなったのか。現時点では、説明できません。確認できていないからです」
「日本の周囲の状況について話します。外縁、という言葉を使います。日本列島の外側に、電波が届かない領域の境目が存在しています。その境目の向こう側に、何があるかを確認するために、自衛艦を出しました。確認できたことをお話しします」
────
「外縁の向こう側には、世界があります」
その一言で、会見室がざわめいた。
「オーストラリアが存在していました。オーストラリアも、あの朝から同じ状況を経験していました。外部との通信を失い、GPSを失い、外との往来が途絶えていました。日本と同じ朝を生きていました」
「今、日本とオーストラリアは、情報を共有しています。共同で状況を確認しています。これも事実です」
「「あさひ」がダーウィンに寄港した理由について話します。オーストラリア海軍の艦艇が損傷を受けました。「あさひ」はその支援のために行動しました。損傷の原因については、確認中の事項があります。詳細は、確認が取れ次第、改めて説明します」
────
「帆船について、聞かれると思うので話します」
黒崎は一拍置いた。
「外縁方向の海域で、現代のものではない帆船と接触しました。帆船は武装していました。交戦が起きました。「あさひ」とオーストラリア海軍の艦艇が対処しました。日本側の乗員に軽傷者が出ました」
会見室が大きくざわめいた。
「帆船がどこから来たのか。誰が乗っていたのか。なぜ向かってきたのか。現時点では、確認できていません。確認できていないので、説明できません。ただし、確認を続けています」
────
「この惑星について話します」
また一拍置いた。
「星座データの分析など、複数の観測結果から、私たちがいる場所が地球上の既知のどの位置とも一致しない可能性が出ています。この惑星が地球と同じ惑星かどうかについて、現時点では断定できていません。断定できる段階になったとき、改めて説明します」
────
会見室は、静かになっていた。
誰も声を上げない。誰も手を挙げない。
黒崎が話した言葉の重さを、全員が処理しようとしていた。
帆船。交戦。この惑星が地球ではないかもしれない。
一つ一つは、それだけで十分すぎる情報だった。それが三つ、続けて出てきた。
最初に手を挙げたのは、ベテランの記者だった。
「総理、確認させてください。この惑星が地球ではないかもしれない、とおっしゃいました。それは、日本が別の惑星にいる可能性があるということですか」
「可能性がある、という段階です。断定ではありません」
「その場合、私たちはどうなるのですか」
黒崎は少し間を置いた。「それを確認するために、動いています。今日話せることは、今日話しました。確認できた段階で、また話します」
「帆船の乗員はどうなりましたか」
「確認中です」
「捕虜はいますか」
黒崎は白瀬を見た。白瀬は小さく頷いた。「います。オーストラリア側の管理下にあります」
「捕虜の言語は」
「解析中です。既知のいかなる言語とも一致していません」
「既知の言語と一致しない、ということは」
「この惑星に、私たちとは異なる文明が存在する可能性があります。可能性として、現時点で排除できない、ということです」
「食料と資源について、国民は心配しています。日本はエネルギーを輸入に依存しています。今後の見通しは」
黒崎は短く答えた。「オーストラリアとの協力関係の中で、対応策を検討しています。詳細は別途説明します」
「オーストラリアとの正式な合意はありますか」
「現在、協議を進めています。正式な枠組みが整い次第、説明します」
────
会見が終わった。
黒崎は会見室を出た。廊下で相馬が待っていた。
「どうだった」
「終わりました」相馬は言った。「あとは向こうが処理します」
「国民は」
「今はまだ処理できていないと思います。情報が多すぎる。ただし、嘘はつきませんでした。それが一番重要です」
黒崎は頷いた。「次は何だ」
「オーストラリアが同時に発表しています。内容はこちらと調整済みです。食い違いはありません」
「それでいい」
黒崎は窓の外を見た。官邸の庭。いつも通りの景色。
あの朝から今日まで、沈黙を守ってきた。「確認できない」を守り続けてきた。
今日、その沈黙が終わった。
終わったから、次が来る。次が来ることは、怖いことでもある。だが、止まれない。
「急ぐな。だが止まるな」
自分がずっと言い続けてきた言葉を、黒崎は今日初めて、自分自身に向けて思った。
────
同日 各地の反応
テレビの前に人が集まった。
スマートフォンでライブ配信を見た人もいた。職場で、学校で、街頭の画面で、会見の映像が流れた。
反応は一様ではなかった。
「やっぱりそうだったのか」という納得。「なぜもっと早く言わなかったのか」という怒り。「別の惑星、とはどういうことだ」という混乱。「帆船と戦ったというのは本当か」という驚き。「自衛隊が守ってくれている」という安堵。
どれも、同じ事実から派生した異なる感情だった。
だが一つだけ、共通していることがあった。
「知った」という事実だ。
知ることは、不安を生むこともある。だが、知らないまま不安を抱えることより、知った上で考える方がいい。少なくとも、そう思う人間が多かった。
────
同日 ダーウィン 分析室
十六夜は画面を見ていた。
衛星の二周目のデータが届いていた。
昨夜、外縁の向こうに検出した小さな点。再確認した。
「……ある」
同じ場所に、同じものがある。一周目より、わずかに大きい。
十六夜は赤城に連絡した。「来てください。報告があります」
赤城が入ってきた。「何だ」
「外縁の向こうに、反応があります。昨夜の一点が、再確認されました。位置は同じです。ただし規模がわずかに大きくなっています」
「移動しているか」
「していません。同じ場所にあります。ただし、大きくなっているということは」
「増えている」
「可能性として。単体が大きくなったのか、数が増えたのか、現時点では区別できていません。ただし、一周目と二周目で変化があります。変化があるということは、偶然のノイズではない可能性が高い」
赤城は画面を見た。小さな点。外縁の向こう。どの方向かはまだ特定できていない。だが、確かにそこにある。
「官邸に上げる」
「はい。言葉は慎重に選んでください」
「どう言う」
「"外縁方向に、衛星による継続観測で反応を確認。規模が増大傾向にある。方向・詳細は現在解析中"。それだけです」
赤城は短く言った。「了解だ」
そのとき、三周目のデータが届き始めた。
十六夜は画面を見た。
点は、また大きくなっていた。
「……速い」
独り言だ。
一周ごとに変化している。ゆっくりではない。確実に、しかし速く変わっている。
「赤城さん」
「何だ」
「急いだ方がいいかもしれません」
赤城は画面を見た。十六夜が「急いだ方がいい」と言うのは初めてだった。
────
官邸地下
会見から数時間後、報告が届いた。
「外縁方向に、衛星による観測で反応を確認。規模が増大傾向にあります。詳細は解析中です」
「方向は」
「現在解析中です。ただし」藤堂は続けた。「増大のペースが速いという報告が来ています。一周ごとに変化しています」
「一周はどのくらいの時間だ」
「約九十分です。九十分ごとに、観測される反応が大きくなっています」
黒崎は少し間を置いた。
「捕虜が送信した位置情報と」
「関連を否定できません」
室内が静まった。
会見が終わったばかりだった。国民に話したばかりだった。「確認を続けている」と言ったばかりだった。
その「確認」が、予想より早く、次の段階を示し始めていた。
「継続して観測しろ」黒崎は言った。「方向が特定でき次第、報告しろ。オーストラリア側とも即時共有しろ」
「了解です」
「急ぐな。だが止まるな」
白瀬が言った。「確定」
────
同日 深夜 ダーウィン
四周目のデータが届いた。
点は、また大きくなっていた。そして今回は、方向の特定が進んでいた。
「北西です」十六夜が言った。「外縁の北西方向。距離は現時点では不明。ただし外縁の外側、相当距離にあると推定されます」
「北西」赤城が繰り返した。「オーストラリアから見て、北西か」
「はい」
「ダーウィンから見て、北西。外縁の向こう」
十六夜は画面を見た。点は、静止していない。わずかに動いている。移動している。
方向は、ダーウィンへ向かっている。
「……動いています」十六夜は言った。声が、珍しく平静を失っていた。「外縁の向こうから、こちらへ向かっています」
赤城は即座に立ち上がった。「官邸に上げる。今すぐだ」
「はい」
十六夜は画面を見続けた。
面白いですね、という言葉が、今日は出なかった。




