同じ朝を生きた国
西暦××××年××月××日 ダーウィン オーストラリア国防省連絡室 午前9時
テーブルを挟んで、二つの国が向き合っていた。
日本側。後藤彰浩外務大臣。大塚誠NSC局長。吾妻英二統合幕僚長。白瀬誠。
オーストラリア側。国防相。外務次官。国防軍参謀長。
通訳が両側に一名ずつ。
部屋は広くない。会議室というより、執務室に近い。大きな窓がある。外にはダーウィンの街が見えている。青い空。緑の木。普通の朝の景色。
あの朝以来、「外国と正式に向き合う」場面は初めてだった。大使館との接触はあった。マクブライド少佐の聴取もあった。ワラマンガとの通信もあった。だが、両国の代表が同じ部屋に座るのは、今日が初めてだった。
「始めましょう」国防相が言った。通訳を介した声は、感情を削ぎ落とした後の言葉のように聞こえた。「長い間、お互いに待ちすぎました」
後藤が頷いた。「同感です」
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「最初に確認したいことがあります」国防相は続けた。「この会議で話されることは、両国政府の公式見解ではなく、事実の確認と情報共有を目的とします。合意形成は次の段階です。今日は、お互いが何を知っているかを確認する」
「同意します」
「では、私たちが確認していることを言います。あの朝から、オーストラリアは外部との通信を失いました。GPSが消失しました。既知の衛星が消えました。海外との往来が途絶えました。星座データが地球上の既知のどの位置とも一致しません」
「日本も同様です」後藤が言った。
国防相は続けた。「次に、確認できていないことを言います。この惑星が地球であるかどうか。外縁の向こうに何があるか。帆船の文明がどこから来たか。捕虜の送信先がどこか」
「同様です」
「つまり」国防相は前を向いた。「私たちは同じ朝を生きた。同じものを失い、同じものを確認できていない。その確認から始めたい」
後藤は頷いた。「同意します」
その出発点の確認に、しばらく時間をかけた。急がなかった。急ぐ必要がなかった。二国が同じ出発点を共有していることを、丁寧に確認することが、今日の会議の基礎になる。
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「この惑星が地球ではない可能性について」大塚が言った。「日本側の分析を共有します」
資料が配られた。星座データの照合結果。マクブライド少佐の飛行記録から取得した観測データ。地球上の既知のどの緯度とも一致しない、という分析結果。
「同じ分析を、私たちも行いました」参謀長が言った。「結果も同じです。この惑星は地球と同じ宇宙にありますが、地球ではない可能性が高い」
「断定できますか」白瀬が聞いた。
「断定はしていません。ただし地球である可能性は現時点で非常に低いと判断しています」
「了解です。日本側も同じ判断です」
白瀬はメモを取った。「両国が同じ結論に達した、という事実を記録します。断定ではなく、同じ判断に至った、という形で」
「それで構いません」
「では」白瀬は続けた。「この会議において、"この惑星は地球ではない可能性が高い"という認識を両国が共有した、という記録を残します。公表はしません。ただし記録は残す。よろしいですか」
「同意します」
その瞬間、「この惑星は地球ではない」という認識が、初めて二国間の公式記録に載った。
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参謀長が言った。「さて、ここから先が重要です。両国が同じ状況にある。その確認は今できました。次の問いは、ではどう動くか、です」
後藤が頷いた。「その通りです。ただし順番があります。まず情報を揃える。次に判断する。判断の前に動いてはいけない」
「同意します」国防相が言った。「ただし、動かないことも判断です。何もしないことが、結果を決めることもある」
「そうです。だから"待つ"という判断をするなら、その判断も明示する必要があります」
「……面白い言い方ですね」国防相は少し間を置いた。「"待つ"も判断だと」
「確認できていないことに、確認もせずに動くことはできない。でも、確認する前に何かが来てしまう可能性もある。その間の時間をどう使うか、それが今の問いです」
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「捕虜と装置の共同分析について」吾妻が言った。「昨日、引き渡しが完了しました。管理はオーストラリア側が主体です。日本側は共同参加の立場で分析に加わります。現時点での分析結果を共有します」
資料が追加で配られた。周期振動のデータ。送信完了の可能性。装置の材質分析。既知の元素との不一致。「素質がある者」の存在。捕虜による視認識別の可能性。
国防相は資料を読み終えてから、参謀長を見た。二人の間に短い沈黙があった。
「……"素質がある者"については、こちらでも確認しています」参謀長が言った。「マクブライド少佐が該当します」
室内が静まった。
「少佐が装置に触れたとき、症状が出たということですか」後藤が聞く。
「はい。ダーウィン到着後、試験的に触れてもらいました。頭痛と視覚障害が出ました。少佐は"何かが見えた"と言っています。具体的に何が見えたかは、まだ説明できていません」
「マクブライド少佐は」吾妻が言った。「北東に飛んで日本に来た人物です」
「そうです」参謀長は短く言った。「関連があるかどうかは分かりません。ただし、素質がある者が、外縁を越えて最初に接触してきた人物と同一である、という事実は記録します」
白瀬が言った。「確定」
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「何かが来る可能性について」後藤が言った。「捕虜が送信した位置情報について、懸念があります。送信先がどこかは不明です。ただし、送信したなら受信した者がいる可能性がある」
「こちらも同じ懸念を持っています」国防相が言った。「準備をしておくべきだと考えます」
「準備と、想定を固定することは別の話です」後藤は言った。「何かが来ると断定して動けば、その前提が判断を変えます」
「同意します。準備はするが、断定はしない」
「確定」白瀬が言った。
「具体的な準備としては」参謀長が続けた。「衛星による広域観測を強化します。日本側が先日打ち上げた衛星と、こちらの観測システムを連携させたい」
吾妻が頷いた。「調整します」
「それと」参謀長は続けた。「外縁方向への哨戒飛行を定期化します。日豪共同で実施する方向で調整したい」
「了解します」
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会議が終わった後、後藤は廊下に出た。
窓の外に、ダーウィンの街が見えている。
今日、初めて外国と正式に向き合った。同じ朝を経験した国と、同じ資料を見た。同じ言葉を使った。
「この惑星は地球ではない可能性が高い」
その認識が、今日初めて記録された。
公表はしない。だが記録は残る。記録は判断の根拠になる。判断が積み重なれば、国家が動く。
後藤はメモ帳を出した。何も書かなかった。しばらくその白紙を見てから、ポケットに戻した。
書くべき言葉は、まだない。
だが、書くべき言葉が近づいてきていることは、感じていた。
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同日 分析室
十六夜は一人で残っていた。
装置が目の前にある。触れていない。ただ、見ている。
「面白いですね」
独り言だ。
マクブライド少佐が素質のある者だった。北東に飛んで日本に来た人物。外縁を越えて最初に接触してきた人物。
偶然か。
偶然にしては、揃いすぎている。
向こうは、素質のある者が外縁の向こうに存在することを知っていた可能性がある。だとすれば、帆船があの海域にいた理由が変わってくる。こちらに来させるためではなく、こちらから来た者を確認するために、あそこにいた可能性がある。
「面白いですね」
もう一度、独り言だ。
窓の外に、ダーウィンの夜景が見えた。星が出ていた。同じ宇宙の、別の惑星の夜空に、見慣れた星座が光っていた。
分からないことが、増え続けている。
だが十六夜は、それが怖いと同時に、面白いとも感じていた。分からないことが増えるということは、問いが深くなっているということだ。問いが深くなるということは、答えに近づいているということだ。
装置は静かにそこにある。
答えを待っているかのように。
あるいは、問いを出し続けているかのように。
赤城が入ってきた。「まだいたのか」
「ええ」
「装置の分析、明日も続きます。今日は休んでください」
「もう少しだけ」
赤城は装置を見た。「……今日分かったこと、まだ整理しきれていないな」
「そうです。マクブライド少佐が素質のある者で、しかも最初に外縁を越えて来た人物でもある。捕虜が視認で素質を識別できる。装置に触れると一瞬何かが見える。これらが全部、同じ仕組みの上に乗っている可能性があります」
「その仕組みは」
「まだ分かりません。でも、仕組みがあることは確かだと思います。理解できれば、向こうの文明の一端が見えてきます」
赤城は椅子を引いて座った。「お前が言う"面白い"は、こういうときのことなんだな」
「そうです。答えのない問いに向き合っているとき、怖いけど面白い。今がまさにその状態です」
「……怖くないのか」
「怖いです。でも、怖いだけでいると、先に進めません。面白いと同時に感じることで、足を踏み出せます」
部屋は静かになった。
二人は装置を見ていた。装置は何も言わなかった。ただそこにある。
答えは、まだ来ていない。
◆捕虜管理の法的根拠
日本には捕虜の取り扱いに関する国内法が整備されていない。ジュネーブ条約の捕虜規定を実施する法律も存在しない。今回「あさひ」が一時収容したのは、ワラマンガが被弾・損傷していたためのやむを得ない措置だった。ダーウィン到着後、管理主体はオーストラリア側に移った。




