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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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20/57

ダーウィン

西暦××××年××月××日 ダーウィン港 午前7時15分


桟橋に人が並んでいた。


制服姿が多い。オーストラリア海軍の制服。空軍の制服。民間の作業着も混じっている。整列しているわけではない。だが誰もが同じ方向を向いていた。


「あさひ」が桟橋に近づいていく。


川上は艦橋から見ていた。人の顔が、少しずつはっきりしてくる。男もいる。女もいる。年配者もいる。若者もいる。全員が、「あさひ」を見ていた。


「……思ったより多いですね」当直士官が言った。


「そうだな」


何人いるのか数えようとして、やめた。数えることに意味はない。ただ、いる。外側に、人がいる。その事実だけでいい。


ワラマンガがすでに隣の桟橋に係留されていた。損傷を受けた右舷が、朝の光の中に見えている。穴が開いている。焦げている。だが艦は沈んでいない。乗員が甲板に出て、係留索を扱っている。


「あさひ」がゆっくりと桟橋に寄せていく。係留索が投げられる。桟橋の作業員が受け取る。引き絞られる。艦と桟橋の距離が縮まる。


接触した。


その瞬間、川上は何かが終わり、何かが始まったと感じた。


────


甲板に出た瞬間、空気が違った。


湿度が高い。温度が高い。日本の夏とは違う種類の熱さだ。植物の匂いがする。土の匂いがする。海の匂いとは別の、陸の匂い。


「あさひ」の乗員が次々と甲板に出てきた。誰も命令していないのに、全員が同じ方向を向いていた。


桟橋の向こうに、街が見える。建物がある。道路がある。車が走っている。看板がある。電線がある。


当たり前のものが、当たり前にある。


「……あそこに人がいるんですね」若い水測員が言った。独り言に近い声だった。「あの灯りの下に、人がいる。生活している。あの朝から、外にも人がいたんですね」


誰も答えなかった。答える必要がなかった。見ればわかる。


────


出迎えに来たオーストラリア海軍の将校が、通訳を介して川上に言った。「「あさひ」の入港を歓迎します。長い航行でした。乗員の休養を優先してください」


「ありがとうございます。ワラマンガのご協力に感謝します」


「こちらこそ。あなた方がいなければ、ワラマンガは戻れなかった」


握手が交わされた。


あの朝以来初めての、外国の土地の上での、外国の軍人との、正式な握手だった。


重さが違った。これまでの握手とは、質が違う重さだった。


「捕虜と装置の件を確認したい」川上は言った。「ワラマンガが被弾していたため、一時的にこちらで収容していました。本来であれば、管理はそちらにお願いすべきものです。正式に引き渡します」


将校は頷いた。「了解しました。引き継ぎます。装置についても同様に」


「装置に触れた際の注意事項を引き継ぎ書に記載しています。触れると反応が出る者と出ない者がいます。症状が出た者には頭痛と視覚障害が確認されています。直接触れないことを推奨します」


「把握しました。共同での分析を希望します。日本側の技術員の参加を歓迎します」


「こちらも参加させてください」


「では手続きを進めます」


────


引き渡しは、午前中に完了した。


捕虜はオーストラリア軍の管理下に移った。装置も同様だ。書類が交わされ、署名がなされた。「あさひ」の役割は、輸送から参加へと変わった。


川上は書類に署名しながら、副長に言った。「記録は全部残せ。収容中の観察ログ、発光のタイミング、周期振動のデータ、全部だ」「了解です」「これからは向こうの管理下だが、こちらのデータは消えない。それが今後の共同分析の基礎になる」


────


同日 ダーウィン基地 施設内


捕虜の男は、新しい隔離区画に移送された。


「あさひ」の隔離区画より広い。照明が明るい。監視カメラが多い。オーストラリア側の警備員が複数。日本側からは技術員と「しょうなん」から同行した観測員が立会人として参加している。


男は新しい部屋でも、同じことをした。


壁の材質。天井の配線。カメラの位置。空調の音。ドアの形。人の動き。一つ一つを確認している。


「慣れた場所に来たみたいですね」日本側の技術員が言った。「怯えていない」


「「あさひ」のときから怯えていなかった」観測員が答えた。「計算していた」


「しょうなん」の計測装置を持ち込んだ技術員が報告した。「周期振動、継続しています。ただし周期が変わりました。一・〇秒から一・三秒に戻っています」


「戻った?」


「はい。ダーウィンに着いてから伸びました。送信が完了した、あるいは目的が達成された可能性があります」


十六夜さくらはその報告を聞きながら、メモを取った。「面白いですね」


赤城蓮人が隣で資料を見ていた。「今日も何かが分かったのに何が面白いんだ」


「送信が完了した、という解釈が正しければ、男はずっと何かを送り続けていた。艦の中で。移動中も。ダーウィンに着いてから止まった。目的地に着いたから止めた、という可能性があります」


「つまり」


「男は最初から、ここに連れてこられることを計算していた可能性があります。捕まることも、計算のうちだったとすれば、帆船があの海域にいた理由も変わってきます。偶然そこにいたのではなく、意図的にあの位置にいた」


赤城は少し間を置いた。「何のために」


「分かりません。ただ」十六夜は画面を見た。「向こうは私たちの位置を知っている。私たちは向こうの位置を知らない。その非対称が、今一番気になります」


「それと」十六夜は続けた。「装置への反応についてですが、触れた者全員に症状が出るわけではありません。同じ装置に触れても、何も起きない者と、頭痛・視覚障害が出る者がいる。人間の側に条件があります」


「体質か」


「それだけでは説明できないと思います。症状が出た者に共通点があるかどうか、調べる必要があります。もし共通点があるなら、装置はある種の人間にだけ反応するということになります」


「向こうの捕虜の"同期"能力と同じ原理か」


十六夜は少し間を置いた。「可能性として。だとすれば、"素質がある者"が存在するということになります。向こうにも、こちらにも」


────


装置の再試験が行われた。


オーストラリア側の技術員が触れる。何も起きない者。頭痛を訴える者。日本側と同じ結果だ。


「同じ人間には再現する。別の人間には起きない」


解析班が顔を見合わせる。人間の側に条件がある。


「症状が出た三名の共通点を調べました」十六夜が言った。「性別、年齢、血液型、職種、いずれも一致しません。遺伝的な共通点も、今の段階では見つかっていません。ただし」


「ただし」


「症状が出た全員が、同じ証言をしています。症状が出る直前の一瞬、何かが"見えた"と言っています。三名とも、それが何だったかは説明できていません。ただ"見えた"という感覚だけは共通しています」


「見えた」赤城は繰り返した。「向こうの文明が使っているものが、一瞬見えた、ということか」


「可能性として。装置は、反応できる者に対して、何かを送っている可能性があります。三名に同じものを見せようとしている」


────


そのとき、監視映像に変化があった。


日本側の担当者が捕虜に近づいたとき、捕虜の目がわずかに変わった。


担当者は、装置に触れて症状が出た一人だった。


「……見ていますね」十六夜が言った。


「何を」赤城が聞く。


「捕虜が、症状が出た者と出なかった者を区別しています。見ただけで分かる。向こうの文明では、その選別が当然のように行われているんだと思います」


「だとすれば」


「捕虜は最初から、こちらの乗員の中に"素質がある者"が何人いるかを、すでに数えている可能性があります」


赤城は短く言った。「官邸に上げる」


「言葉は慎重に選んでください」十六夜は言った。「"捕虜が装置への反応の有無を視認で識別している可能性がある"。それだけです」


────


同日 夕方 桟橋付近


「あさひ」の若い水測員が、桟橋の端に立っていた。


隣には同期の航海士がいた。二人で、ダーウィンの街を見ていた。


「普通ですね」水測員が言った。「普通の街です。コンビニみたいな店があります。車が走っています。子供が自転車に乗っています」


「ああ」


「あの朝から、外側は全部なくなったと思っていました。でも、普通にあった」


「なくなったとは思っていなかったけどな」航海士は言った。「確認できていなかっただけで」


「でも、確認できていないって、なくなったと同じじゃないですか」


「違う」航海士は言った。「確認できていないのに、あると思って動いてきた。だから今日、ここにいる」


水測員は少し考えた。「そうですね」


二人は黙って、街を見ていた。


普通だったことの方が、何もなかったことより、ずっと重かった。


────


同日 夜 川上一佐


川上は桟橋に一人で立っていた。


ワラマンガの損傷した右舷が、港の灯りに照らされている。修理が始まっていた。溶接の光が散っている。


ワラマンガ艦長が近づいてきた。通訳はいない。


しばらく沈黙があった。


「あなた方は」艦長が英語で言った。「長い間、一人だったんだな」


川上は頷いた。


「我々も同じだった。あの朝から、世界がオーストラリアだけになった。怖かった」


「日本も同じでした」


「だが」艦長は言った。「「あさひ」が来た。一人じゃなくなった」


川上は答えなかった。答えようとしたが、言葉が見つからなかった。


ワラマンガの修理の光が、港の水面に揺れていた。


────


官邸地下 深夜


「ダーウィン入港後の状況整理です」藤堂が言った。「捕虜と装置はオーストラリア側に引き渡しました。「あさひ」は輸送から技術参加へ役割を変えています。共同分析が開始されています。捕虜近傍の周期振動はダーウィン到着後に変化し、現在一・三秒で安定しています。技術班は"送信完了の可能性"と評価しています」


「送信完了」黒崎が言った。「何をどこに送ったんだ」


「不明です。ただし捕虜が最初から連れてこられることを計算していた可能性があります。この三日間、「あさひ」の移動経路が全て送信されていたとすれば、追跡されていた可能性があります」


「衛星の観測範囲を外縁方向に向けたか」


「向けています。現時点では新しい反応は出ていません」


「継続しろ。それと」黒崎は続けた。「捕虜が素質のある者を視認で識別している可能性が出てきた。向こうはこちらの情報を持っている。こちらは向こうの情報を持っていない。その非対称を早く縮めろ」


「急ぐな。だが止まるな」


白瀬はメモ帳を出した。廊下で何度も書いてきた三つの言葉。「確認できない」「理由がない」「前提」。


今日、その三つが変わり始めていた。「確認できた」が、増え始めていた。

◆捕虜の引き渡し

日本の国内法には捕虜管理に関する規定がほぼない。ジュネーブ条約の捕虜規定を国内法で実施する法律も未整備だ。今回「あさひ」が一時収容したのは、ワラマンガが被弾・損傷していたためのやむを得ない措置だった。ダーウィン到着後、捕虜の管理主体はオーストラリア側に移った。


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