帰る船
湾口 亡命艦隊旗艦「エイカ」
船団が北へ帰る前の晩、ドラフォが「エイカ」を訪ねてきた。
湾口の水面は、夜の凪に静まり返っていた。沖に錨を下ろした五隻の商船には、まだ灯りが点っていた。荷揚げを終えた水夫たちが、甲板で帰りの荷を固定しているのだろう。時折、綱を締める掛け声が水面を渡ってきた。
小舟から甲板に上がると、ドラフォは懐から封書を一通取り出した。評議会の印が押されていた。
「ゲラード評議員から、殿下へ」ドラフォは言った。「北の軍港を出る前に、預かりました」
アルセナは、封書を受け取った。厚い紙だった。封蝋の印は、協定の正本に押されていたものと同じ形をしていた。
「中身は、知っているのか」アルセナが聞いた。
「知りません」ドラフォは言った。「ただ、渡す時に評議員が言いました。殿下が読み終えるまで、湾口を離れるなと」
アルセナは、封書を手の中で一度だけ裏返した。
「待っていてくれ」アルセナは言った。
アルセナは、艦尾の船室へ入り、ランプの下で封を切った。
レナが、扉の傍らに控えていた。
────
手紙は、短かった。
亡命艦隊の帰還について、評議会は審議を始める。ただし、条件を付ける。艦隊の砲は、本国の港に入る前に全て下ろすこと。艦隊の指揮は、評議会に返すこと。そして、あの政変の時に艦隊が取った行動について、殿下ご自身が評議会で証言すること。
最後に、ゲラードの手で一行書き添えてあった。
全てを語れば、扱いは変わる。半分では足りない。
アルセナは、その一行を何度も読み返した。
ゲラードの字は、硬く、真っ直ぐだった。一画ずつ、紙に刻みつけるように書かれていた。この男は、規則が好きなのではなく嘘が嫌いなのだと、オルグがかつてそう評したと聞いていた。その言葉の意味が、この一行を読んで少し分かった気がした。
アルセナは、手紙をレナに渡した。
レナは、それを読んで顔を上げた。
「証言、ですか」レナは言った。「殿下が、評議会で」
「ナサとミゼンが、同じことをした」アルセナは言った。「バルドーも、カルストも、フェルトも。今度は、私の番だということだ」
「殿下は、追われた側です」レナは言った。「なぜ、追われた側が証言しなければならないのですか」
アルセナは、ランプの火を見つめた。
「追われた側にも、したことはある」アルセナは言った。「政変の報せが届いた時、私は艦隊を本国へ戻さなかった。水夫たちには、本国に家族がいた。その家族を残したまま、私の判断に付き合わせた」
レナは、黙った。
「それも、全て語らねばならない」アルセナは言った。「半分では、足りないそうだから」
────
アルセナが甲板に戻ると、ドラフォは舷側の手すりにもたれて待っていた。
「読んだ」アルセナは言った。
ドラフォは、何も聞かなかった。アルセナの顔を見て、手紙の中身の重さを察したようだった。
「帰還の審議を始めるそうだ」アルセナは言った。「条件付きで」
「砲を下ろせ、ですか」
「それと、指揮を返せ。そして、私が評議会で証言しろ」
ドラフォは、しばらく黙っていた。
「私も、証言します」ドラフォは、やがて言った。
アルセナは、ドラフォを見た。
「あの政変の後、私は本国の艦隊にいました」ドラフォは言った。「殿下の艦隊を追う側にいた。湾口で砲を向けたのも、その延長です」
「お前の証言は、もう済んでいる」アルセナは言った。「審問で、全てを語ったと聞いた」
「湾口でのことは」ドラフォは言った。「ですが、その前のことは、まだ誰にも聞かれていません。誰も聞かなかったので、語っていない」
ドラフォは、手すりから身を起こした。
「殿下が語るなら、追った側の言葉も要るはずです」ドラフォは言った。「一つの出来事を、片側からだけ語れば、それはまた半分になる」
アルセナは、長いことドラフォの顔を見ていた。
「ゲラードに、そう伝えてくれ」アルセナは言った。
────
その夜、アルセナは船室で眠れずにいた。
レナが、湯を入れた器を持って入ってきた。アルセナの前に置くと、自分は扉の傍らの椅子に腰を下ろした。
「レナ」アルセナは言った。「お前は、帰りたいか」
レナは、すぐには答えなかった。
「母が、都の外れにいます」レナは、やがて言った。「本国を発った日から、一度も会っていません。生きているかどうかも、分かりません」
「帰りたいのだな」
「殿下が帰られるなら」レナは言った。「お供します」
「私が帰らなければ」
「お供します」レナは言った。
アルセナは、器を両手で包んだ。湯気が、ランプの光の中でゆらゆらと立ち上った。
「それでは、答えになっていない」アルセナは言った。
「答えです」レナは言った。「私が帰る場所は、殿下のおられる場所です。母には、いつか手紙を書きます。書けるようになったら」
アルセナは、何も言わなかった。器の湯を、一口だけ飲んだ。
────
翌朝、アルセナは艦隊の士官たちを「エイカ」に集めた。
船室は、狭かった。十人を超える士官が、肩を寄せ合って立っていた。アルセナは、ゲラードの手紙を全員の前で読み上げた。
艦長たちは、亡命艦隊の全ての船から集まっていた。年嵩の者もいれば、まだ若い者もいた。あの政変の日に、それぞれの船でそれぞれの判断を下した者たちだった。
読み終えると、船室は静まり返った。
最初に口を開いたのは、年嵩の艦長だった。
「砲を下ろせ、と」艦長は言った。「丸腰で、あの政変を起こした者たちの港に入れということですか」
「あの頃の評議会と、今の評議会は違う」アルセナは言った。「隠したことを暴かれた者は、職を解かれた。語った者は、語ったことで量られた」
「では、今は誰が評議会を動かしているのです」
「ゲラードと、オルグと、ファリスだ」アルセナは言った。「そして、ヴェインという若い強硬派」
艦長は、黙った。
「ゲラードは、強硬派だったはずです」別の艦長が言った。「あの男が、殿下の帰還を言い出したのですか」
「言い出したのが誰かは、分からない」アルセナは言った。「だが、手紙を書いたのはゲラードだ。そして、条件を付けたのも」
「罠では」
「罠なら、もっと甘い言葉を書くだろう」アルセナは言った。「帰ってこい、全てを許す、と。この手紙には、許すとは一言も書いていない」
別の士官が言った。
「故郷に、妻と子がいます」士官は言った。「この半年、一度も便りを出せていない。帰れるなら、砲などいくらでも下ろします」
「私は、帰りたくありません」また別の士官が言った。「あの国が、私たちを裏切った。殿下を追い出した。帰れば、また同じことが起きるかもしれない」
「同じことは、起きない」別の若い艦長が言った。「今の評議会は、証言で動いている。隠したことが暴かれる評議会だ」
「それが、いつまで続く」年嵩の艦長が言った。「ゲラードもオルグも、いずれ年を取る。次の評議会が、同じだとは限らない」
声が、次々に重なった。帰りたい者。帰りたくない者。分からないと言う者。
船室の隅で、一番若い士官が黙って立っていた。アルセナは、その士官に目を向けた。
「お前は、どう思う」
若い士官は、驚いたように顔を上げた。
「私は、あの政変の時、まだ見習いでした」若い士官は言った。「何が起きたのかよく分からないまま、艦長の命令に従っただけです。帰るかどうか以前に、私は自分たちが何をしたのかを知りたいです」
船室が、少し静かになった。
アルセナは、黙ってそれを聞いていた。
────
議論は、昼まで続いた。
アルセナは、最後に一つだけ言った。
「帰るかどうかを、今日決める必要はない」アルセナは言った。「だが、評議会で何を語るかは、決めておきたい」
士官たちが、顔を上げた。
「あの政変の時、私たちが何をしたか」アルセナは言った。「何を守り、何を捨て、誰に砲を向けたか。全てを、私が評議会で語る。お前たちが覚えていることを、全て私に教えてくれ」
「全て、ですか」年嵩の艦長が言った。「私たちに都合の悪いことも」
「都合の悪いことほど」アルセナは言った。「半分では、足りないそうだ」
アルセナは、一番若い士官を見た。
「この者は、自分たちが何をしたのかを知りたいと言った」アルセナは言った。「私も、全ては知らない。お前たちがそれぞれの船で何を見て、何を決めたのか。私が聞いていないことが、たくさんあるはずだ」
年嵩の艦長は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと頷いた。
「では、私から話しましょう」艦長は言った。「政変の報せが届いた夜のことを」
────
午後、アルセナは船室で士官たちを一人ずつ迎えた。
レナが、机の端で帳面を開いていた。士官が語る言葉を、一つずつ書き留めていく。
年嵩の艦長は、政変の報せが届いた夜のことを語った。報せを運んできた船の灯り。甲板に集めた水夫たちの顔。誰が何を言い、誰が黙っていたか。
若い艦長は、同じ夜のことを語った。だが、覚えていることが違っていた。報せが届いた刻限も、殿下の言葉の順番も、年嵩の艦長の話とは食い違っていた。
レナが、帳面から顔を上げた。
「殿下」レナは言った。「お二人の話が、合いません」
アルセナは、二つの話を書き留めた頁を並べて見た。
「どちらかが、嘘をついているのでしょうか」レナが聞いた。
「いや」アルセナは言った。「二人とも、自分の船から見た夜を語っている。同じ夜でも、船が違えば見えるものも違う」
「では、評議会ではどちらを」
「両方だ」アルセナは言った。「食い違ったまま、両方を語る。どちらかに揃えれば、それは私が作った話になる」
レナは、二つの頁に小さな印をつけた。食い違い、と書き添えた。
日が傾くまでに、レナの帳面は半分以上埋まった。
────
士官たちの聞き取りの合間に、アルセナは一度だけ甲板に出た。
下の甲板から、水夫たちの話し声が聞こえていた。帰還の話は、既に艦隊じゅうに広まっていた。帆桁の下で、綱を巻く手を止めて話し込んでいる者たちがいた。
「帰れるなら、まず母親の墓に行く」一人が言った。「あの朝の後に死んだと、噂で聞いただけだ。本当かどうかも分からん」
「俺は、女房に謝らなきゃならん」別の一人が言った。「帰ると言って出たきり、何の便りも出していない。もう、別の男と一緒になっているかもしれん」
「便りか」三人目が言った。「出せるものなら、とっくに出している」
アルセナは、その声を聞きながら、北へ帰る船団の帆柱を見た。
あの船団は、明日の夕方には北へ向かう。そして、十日あまりで北の軍港に着く。
アルセナは、レナを呼んだ。
「ドラフォに、もう一つ頼みたいことがある」アルセナは言った。「水夫たちの手紙を、本国へ運んでもらえないか」
レナは、少し驚いた顔をした。
「評議会の許しは」
「頼むだけだ」アルセナは言った。「手紙を運ぶことまで、評議会は禁じていないはずだ。禁じられていたら、ドラフォが断るだろう」
────
その夜、ドラフォは小舟で「エイカ」に戻ってきた。アルセナの頼みを聞くと、少しも迷わずに答えた。
「運びます」ドラフォは言った。「北の軍港の桟橋で、樽一つ分の手紙を受け取ったことがあります。今度は、こちらから運ぶ番です」
亡命艦隊の全ての船に、その報せが回った。
その夜、艦隊の甲板という甲板で、ランプが灯った。水夫たちが、手当たり次第の紙に手紙を書き始めた。帆の端切れに書く者もいた。字の書けない者は、書ける者の横に座って、言葉を口で伝えた。
「エイカ」の甲板では、レナが字の書けない水夫たちの言葉を書き取っていた。一人が話し終えると、次の一人が隣に座った。夜が更けても、列は途切れなかった。
「母さんへ」若い水夫が言った。「生きています。帰れるかどうかは、まだ分かりません。でも、生きています」
レナは、その言葉を一字ずつ書き留めた。
「それだけでいいのですか」レナが聞いた。
「それだけでいいです」若い水夫は言った。「それが、一番知りたいことだと思うから」
次に座ったのは、年配の水夫だった。しばらく黙ったまま、レナの手元の紙を見ていた。
「女房に」年配の水夫は、やがて言った。「すまなかった、と。それだけ書いてくれ」
「他には」
「他に書くと、言い訳になる」年配の水夫は言った。「言い訳は、帰ってから顔を見て言う」
レナは、その一行を丁寧に書いた。年配の水夫は、書き上がった紙を受け取ると、しばらく両手で持ったまま動かなかった。
夜明け前に、手紙は大きな布袋二つ分になった。
────
同じ頃、豪州基地の交渉の場にも、ゲラードの手紙の話は届いていた。
伝えたのは、ナサだった。アルセナから、日本の側にも話しておくよう頼まれたのだという。
赤城は、ナサの話を最後まで聞いてから、しばらく黙っていた。
「亡命艦隊が帰れば」白瀬が言った。「湾口の守りは、こちらと豪州軍だけになります」
「守る相手が、もういないとすれば」赤城は言った。
「本国の評議会が、ずっと今のままとは限りません」白瀬は言った。「ゲラードも、オルグも、いずれ退く。その時、湾口に誰がいるか」
赤城は、窓の外の湾を見た。沖に、「エイカ」の帆柱が見えた。畳まれた帆が、帆桁の上に白く並んでいた。
「殿下が帰るかどうかは、殿下が決めることだ」赤城は言った。「こちらが引き止めれば、それはまた別の遠い机になる」
十六夜が、口を開いた。
「殿下は、評議会で何を語るのでしょうか」十六夜は言った。
「それも、殿下が決めることだ」赤城は言った。
十六夜は、頷いた。それでも、その顔には何か言いたげなものが残っていた。
十六夜は、ナサの方を見た。ナサは、赤城たちの話を黙って聞いていた。本国の言葉と日本の言葉の両方を知る男の顔には、どちらの側の表情も浮かんでいなかった。
「通訳は、要らないでしょうね」十六夜は言った。「本国の評議会で、本国の言葉で語るのですから」
「要らないだろう」赤城は言った。「ようやく、殿下が自分の言葉だけで語れる場所ができたということだ」
────
翌日の夕刻、船団は帆を上げた。
ドラフォの船が、最後に湾口を出ていった。
出航の前、ドラフォはもう一度「エイカ」に立ち寄った。アルセナは、甲板でドラフォを迎えた。
「評議員への返事は」ドラフォが聞いた。
「次の船団が来るまでに書く」アルセナは言った。「士官たちの話を、全て聞いてからだ」
「承知しました」ドラフォは言った。「お前も証言すると言っていた、と伝えます」
「伝えてくれ」アルセナは言った。「追った側と、追われた側。両方の言葉が揃わなければ、あの夜は半分のままだ」
ドラフォは、深く頭を下げた。
レナが、二つの布袋を小舟に降ろした。夜通し書かれた手紙が、ぎっしりと詰まっていた。
ドラフォは、布袋の口を少しだけ開けて中を覗いた。帆の端切れに書かれた手紙が、何枚も見えた。
「北の軍港の掲示板に、宛名を書き出して貼ります」ドラフォは言った。「名簿の時と同じように。取りに来た者に、一通ずつ渡します」
「受け取る者がいなかったら」レナが聞いた。
「受け取る者が来るまで、預かります」ドラフォは言った。「何月でも」
ドラフォは、布袋の口を固く縛った。それから、小舟に降りていった。
アルセナは、「エイカ」の艦尾甲板からそれを見送った。手には、ゲラードの手紙があった。
レナが、隣に立った。
「返事は、いつ」レナが聞いた。
「次の船団が来るまでに」アルセナは言った。「士官たちの話を、全て聞いてからだ」
アルセナは、帆柱を見上げた。
亡命艦隊の帆は、署名の日からずっと畳まれたままだった。
あの帆を上げる日が来るとしたら、それは北へ向かう日になる。砲を下ろし、指揮を返し、全てを語るために。アルセナは、その日のことをまだ思い描けなかった。
船団を見送った後、ミゼンが「エイカ」に上がってきた。
ミゼンがこの船に上がるのは、久しぶりだった。証言外交の役目を負ってからは、「あさひ」と基地を行き来する日々が続いていた。甲板の板の軋み方も、帆柱の匂いも、子どもの頃から変わっていなかった。
「殿下」ミゼンは言った。「帰るんですか」
アルセナは、ミゼンの顔を見た。海に落ちた少年を、この艦隊が拾い上げた日のことを、アルセナは覚えていた。
「まだ決めていない」アルセナは言った。「お前は、どうしたい」
ミゼンは、少し考えた。
「俺は、この艦隊で育ちました」ミゼンは言った。「殿下が帰るなら、付いていくのが筋だと思っています。でも」
「でも」
「ナサは、両方を行き来すると言いました」ミゼンは言った。「俺も、それができるなら、そうしたい。本国にも、ここにも、俺の名を呼ぶ者がいる」
アルセナは、しばらく黙っていた。
「行き来する船がある限り」アルセナは言った。「どちらか一つを選ぶ必要はない。ナサの言う通りだ」
「殿下も、ですか」
アルセナは、答えなかった。ただ、畳まれた帆を見上げた。
「私は、選ばねばならない」アルセナは、やがて言った。「艦隊を連れて帰るか、ここに留まるか。艦隊の全員の行き先を、私の一言が決める。お前やナサのようには、いかない」
ミゼンは、何も言えなかった。
「だから、全てを聞く」アルセナは言った。「選ぶ前に、全ての者の言葉を」
その夜、アルセナは船室で評議会への返事を書こうとした。
ゲラード殿。
最初の一語は、すぐに書けた。その先が続かなかった。帰るとも、帰らないとも書けない。何を語るかも、まだ決まっていない。
アルセナは、筆を置いた。
机の上には、レナが書き留めた帳面があった。士官たちの言葉が、頁を埋めていた。食い違い、という印がいくつもついていた。
アルセナは、帳面の最初の頁を開いた。年嵩の艦長の話だった。報せが届いた夜。甲板に集めた水夫たちの顔。
あの夜、自分は甲板で何を言ったのか。アルセナは、それを自分でもはっきりとは覚えていなかった。年嵩の艦長が覚えている言葉と、若い艦長が覚えている言葉は違っていた。どちらが本当に自分の言ったことなのか、アルセナには分からなかった。
自分の言葉を、自分は全部覚えているわけではない。
アルセナは、そのことを初めて知った気がした。
アルセナは、もう一度筆を取った。評議会への返事ではなく、帳面の余白に一行だけ書いた。
私が覚えていないことも、語る。
────
湾口 浜
ミゼンとナサは、浜で船団を見送っていた。
五隻の帆が、夕日を受けて橙色に染まっていた。先頭の船の帆柱に、白い旗がはためいていた。畳まれた帆の旗だった。
「殿下が、本国へ帰るかもしれない」ミゼンが言った。
「聞いた」ナサが言った。
ミゼンは、砂の上に腰を下ろした。ナサも、その隣に座った。
「俺は、本国で生まれた」ミゼンは言った。「海に落ちて、あの艦隊に拾われて、殿下の下で育った。殿下が帰るなら、俺も帰るのが筋なんだろう」
「筋」ナサが繰り返した。
「でも、俺の名は、こっちで付いた名だ」ミゼンは言った。「本国にいた頃の名は、もう誰も呼ばない」
ナサは、黙ってミゼンの横顔を見ていた。
「お前は、どうする」
ナサは、しばらく海を見ていた。
「私。帰る。所。二つ。ある」ナサは言った。「本国。と。ここ」
「選ぶのか」
ナサは、首を振った。
「選ばない」ナサは言った。「両方。行く。来る。船。ある。から」
ミゼンは、少し笑った。
「お前は、いつもそうだな」ミゼンは言った。「どっちか一つにしろと言われても、両方を取る」
「両方。取る。難しい」ナサは言った。「でも。一つ。だけ。もっと。難しい」
沖を、白い帆の旗を掲げた船団が北へ遠ざかっていった。




