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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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畳む帆

十日後 外洋 「ハルネ」船室


都に着く前の晩、長は眠れずにいた。


船室の小さな窓から、月の光が差し込んでいた。帆柱が軋むギイ、ギイという音が、絶え間なく続いている。船は、追い風を受けて北へ走っていた。


長は、膝の上に名簿を広げていた。


あの海の民の兵が、一人ずつ名を聞き取って作った帳面だった。本国の文字で書かれている。ところどころ綴りが崩れていた。聞き取りを手伝ったのは、寝返った技術者だと聞いていた。


長は、頁をめくった。名。生まれた土地。乗っていた艦。それが三百二十行、途切れずに続いている。


最後の頁の余白に、見慣れない字で一行が書き添えられていた。あの海の民の字だった。長には読めなかった。出航の前に、あの基地の通訳の女に意味を尋ねた。


全員、生存。


女は、そう訳した。


長は、その一行を指でなぞった。あの海の特使は言った。急がなくていい。だが止まらずに、と。止まらずに運ぶべきものは、協定の文だけではない。長は、そう思い始めていた。


────


十一日後 都 港


都の港は、夕暮れの光に染まっていた。


石積みの防波堤の内側に、大小の帆船がひしめいている。漁から戻った小舟。沿岸を行き来する荷船。帆柱の林の向こうに、評議会場の塔が小さく見えた。


「ハルネ」は、夕方の潮に乗って港へ入ってきた。


防波堤の上で網を繕っていた漁師たちが、手を止めて顔を上げた。あの海の民のもとへ渡った船が、戻ってきた。その噂は、船影が沖に見えた時から港じゅうを走っていた。


帆が一枚ずつ下ろされていく。錨鎖がガラガラと鳴り、船体がゆっくりと止まった。桟橋には、評議会の使いが既に待っていた。


使節団の長は、油布の包みを胸に抱えて桟橋に降りた。包みは二つあった。一つは、協定の文案。もう一つは、三百二十人の名簿の写しだった。


十一日の航海で、長の頬はさらにこけていた。足元が、まだ揺れているように感じた。陸に降りると、いつもこうなる。


「評議会は、明朝に開かれます」使いが言った。


「分かった」長は言った。「その前に、頼みがある」


使いは、怪訝そうな顔をした。


「書記を、集めてほしい」長は言った。「字の綺麗な者を、十人ほど。今夜のうちに」


「何を書かせるのです」


長は、二つ目の包みを軽く叩いた。


「名だ」長は言った。「三百二十人分の」


────


同夜 都 港の倉庫


倉庫の中には、潮と麻縄の匂いがこもっていた。


荷を片付けた床に、長机が三つ並べられている。ランプが等間隔に吊るされ、その下で書記たちが筆を走らせていた。


長は、机の端に座っていた。名簿の原本は、自分の手元から離さなかった。書記たちには、一枚ずつ頁を渡して写させた。


「これを、どうなさるのですか」年配の書記が聞いた。


「港の掲示板に貼る」長は言った。


書記の筆が止まった。


「評議会のお許しは」


「まだ無い」長は言った。「明朝の評議会で、この名簿は読み上げられる。だが、議場の中で読まれた名は、議場の外には出てこない。記録の棚に収まって、それで終わりだ」


「処罰されるかもしれません」


「されるかもしれない」長は言った。「だが、この名を待っている者は、評議員ではない」


年配の書記は、しばらく長の顔を見ていた。それから、黙って筆を取り直した。


夜が更けていった。


一番若い書記が、ある頁で手を止めた。何度か瞬きをして、同じ行を見直している。


「どうした」長が聞いた。


「従兄です」若い書記は言った。「北の砲台にいたはずでした。戦に出たとは、聞いていませんでした」


長は、何も言わなかった。


若い書記は、しばらくその名を見つめていた。それから、他の名と同じ丁寧さで、一画ずつ写し取った。


────


翌朝 都 港の掲示板


港の広場に、人だかりができていた。


夜明け前に、書記たちが紙を貼っていった。最初に気づいたのは、朝の荷揚げに来た人足たちだった。そこから、噂は魚の市へ広がった。職人町へ、坂の上の住宅地へと、噂は駆け上がっていった。


掲示板に、紙が何枚も貼り出されていた。名簿の写しだった。名と生まれた土地、乗っていた艦の名が、細かい字でびっしりと並んでいる。


長が、夜のうちに書記たちを集めて写させたものだった。評議会の許しは、まだ得ていなかった。


字の読めない者も多かった。魚売りの女が、掲示板の前に立って名を読み上げ始めた。よく通る声だった。一つ名を読むたびに、人垣のどこかで誰かが息を呑んだ。


「ガラン、東の岬の生まれ、『ヘイゼル』の水夫」


「ティオ、塩田の村の生まれ、『グラーヴェ』の砲手」


一人の女が、紙の前で立ち止まった。指で名を辿っていく。その指が、ある一行で止まった。


女は、声を上げなかった。ただ、その場に膝をついた。


石畳の冷たさが、膝から伝わってきた。それでも、女は立ち上がらなかった。指は、紙の上のその一行から離れなかった。


隣にいた老人が、女の肩に手を置いた。老人の指もまた、別の一行を押さえていた。


「孫だ」老人は、誰に言うでもなく言った。「生きておった」


人垣の後ろで、若い男が掲示板の端まで何度も読み返していた。やがて、黙って人垣を離れていった。その背中を、誰も呼び止めなかった。名簿に載っていない名もあることを、広場の誰もが知っていた。


────


同日 都 評議会場


議場は、いつになくざわついていた。


港の掲示板の話は、評議員たちの耳にも既に届いていた。何人かは、使節団の長を咎めるような目で見ていた。


オルグは、自分の席に着く前に、窓から港の方角を見た。ここからでは、広場は見えない。だが、朝の坂道を港へ下っていく人の流れは、評議会場の前を通っていた。


議長が、木槌を鳴らした。


「審議の前に、一つ確かめておく」議長は言った。「港の掲示板の件だ。あれは、誰の指示か」


長が、一歩前に出た。


「私です」長は言った。


議場が、再びざわついた。


「評議会の許しを得ずに、公の文書を貼り出した」議長は言った。「それが何を意味するか、分かっているな」


「分かっています」長は言った。「処分は、お受けします。ですが、あれは公の文書ではありません。三百二十人の家族に宛てた手紙です。宛名が多すぎたので、港に貼りました」


議長は、しばらく長を見ていた。


「処分は、後で諮る」議長は言った。「報告を」


長は、議場の中央に立った。


「あちらの民は、文案をほぼ受け入れました」長は言った。「ただ一点を除いて」


長は、三行目の一語を読み上げた。帆を下ろす。そして、あちらの希望を伝えた。帆を畳む、と。


議場が、静まり返った。


評議員の多くは、若い頃に船に乗った経験があった。帆を下ろすことと、畳むことの違いは、説明されるまでもなかった。その違いが協定の文に持ち込まれたことの意味を、それぞれが頭の中で量っていた。


────


最初に立ったのは、若い評議員だった。カルストが去った後、強硬派の席を引き継いだ男である。名を、ヴェインといった。


三十を少し過ぎたばかりの男だった。艦隊の士官から評議会に入った経歴を持つ。背筋の伸びた立ち姿に、まだ軍人の名残があった。


「畳めば、二度と上げられない」ヴェインは言った。「あちらが約束を破った時、我々はどうするのです。この国の手を、自分で縛ることになる」


何人かの評議員が頷いた。


「あちらの民は、鉄の船を持っています」ヴェインは続けた。「帆も無く、風も待たずに走る船です。こちらが帆を畳んでいる間に、あちらは好きな時に動ける。その差を、紙の上でさらに広げるつもりですか」


議場の空気が、わずかにヴェインの側へ傾いた。


「前例もありません」ヴェインは続けた。「古い協定は、全て下ろすで書かれてきた。祖先が選んだ言葉には、理由がある」


オルグが立ち上がりかけた。だが、その前に、別の声が上がった。


「祖先の協定は」ゲラードが言った。「何度破られた」


議場の視線が、ゲラードに集まった。


ゲラードは、座ったままだった。腕を組み、目だけをヴェインに向けていた。


「ロウデン」ゲラードは、議場の隅を見た。「記録を」


ロウデンは、分厚い綴りを膝の上で開いた。


長年の手垢で、綴りの角は丸くなっていた。ロウデンは、頁を繰る指を迷わせなかった。どこに何が書いてあるかを、この男は全て覚えていた。


「沿岸諸侯の協定は、記録にあるもので十四」ロウデンは言った。「そのうち、破られたものが九。破られるまでの平均は、三年と少しです」


ざわめきが起きた。


「最も短いものは」ゲラードが聞いた。


「四十日です」ロウデンは言った。「東の岬の諸侯と、塩田の諸侯。漁場の境を巡る協定でした」


「下ろした帆は、三年で上がった」ゲラードは言った。「早ければ、四十日で上がった。祖先の言葉は、祖先の戦を止められなかった。それが記録だ」


ヴェインは、口を閉ざした。


────


ファリスが、静かに手を挙げた。


「一つ、問いたい」ファリスは言った。「畳むと書けば、二度と上げられないのですか」


誰も答えなかった。


「畳んだ帆も、上げようと思えば上げられる」ファリスは言った。「ただ、手間がかかる。綱を解き、帆布を広げ、帆桁に縛り直す。その間に、誰かが気づく。止める間がある」


ファリスは、議場を見回した。


「私が求めてきたのは、破れない約束ではありません」ファリスは言った。「破るのに手間のかかる約束です。畳むという言葉は、その手間を、言葉の中に最初から持っています」


ヴェインが、再び立ち上がった。


「手間がかかるのは、こちらも同じです」ヴェインは言った。「あちらが先に破れば、こちらは畳んだ帆を解くところから始めなければならない」


「その通りです」ファリスは言った。「だから、あちらにも同じ言葉を書かせる。帆を持たない民に、帆を畳むと書かせるのです」


議場の何人かが、はっと顔を上げた。


「あちらは、この言葉を自分から望みました」ファリスは続けた。「帆の無い船で走る民が、わざわざ我々の帆の言葉で、終わりを約束したいと言っている。私は、それを軽いとは思いません」


────


議長が、短い休会を告げた。


評議員たちが、三々五々と廊下へ出ていった。


ヴェインは、窓際に一人で立っていた。その背中に、ゲラードが近づいた。


「さっきは、恥をかかされたと思っているか」ゲラードが言った。


ヴェインは、振り返らなかった。


「記録を出されれば、何も言えません」ヴェインは言った。


「それでいい」ゲラードは言った。「反対するなら、記録で反対しろ。祖先の言葉だから、という理由では誰も動かん。私も、若い頃は同じことをして、同じように黙らされた」


ヴェインは、ようやく振り返った。


「あなたは、畳む方に入れるのですか」


ゲラードは、答えなかった。窓の外の港を、しばらく眺めていた。


「石の色は、人に言うものではない」ゲラードは言った。


廊下の反対側では、オルグとファリスが並んで立っていた。


「帆を持たない民に、帆の言葉を書かせる」オルグが言った。「よく思いつきましたね」


「思いついたのではありません」ファリスは言った。「あちらの通訳が、使節団の長に尋ねたそうです。止めるのではなく、終える言葉はないのか、と。それを聞いて、そう読むしかないと思っただけです」


「終える言葉」オルグは繰り返した。


「あちらは、戦を止めたいのではない」ファリスは言った。「終えたいのです。止めた戦は、また始まる。その違いを、あちらはこちらの言葉で言おうとしている」


オルグは、しばらく黙っていた。


「半年前、この議場で、あちらの民を理解しようとする者は一人もいなかった」オルグは言った。「今は、あちらの通訳の問いを、評議員が引いている」


「理解したわけではありません」ファリスは言った。「ただ、問いが届くようになっただけです。それで十分でしょう」


────


オルグが、ようやく立ち上がった。


休会が明けて、議場は元の静けさを取り戻していた。


「港の掲示板を、見た者はいますか」オルグは言った。


何人かが、目を伏せた。


「今朝、あの前に膝をついた母親がいたそうです」オルグは言った。「名が、そこにあった。息子は生きていた」


オルグは、使節団の長を見た。長は、黙って頷いた。


「あちらの湾口では、捕虜たちが天幕の柱に刻み目を入れているそうです」オルグは続けた。「投降した日から、一日一つずつ。一時は、刻むのをやめた者もいた。帰る日が分からなかったからです」


議場は、静かに聞いていた。


「下ろすと書けば、あの母親は、息子がまた次の船に乗せられる日を待つことになる」オルグは言った。「畳むと書けば、港に帰る日を待つことができる。同じ待つでも、数え方が違う」


議場は、静まり返っていた。


議場の後方で、一人の老評議員が杖をついて立ち上がった。長く発言したことのない男だった。


「私の父は、塩田の諸侯に仕えた船乗りでした」老評議員は言った。「四十日で破れた協定の、その四十日目に、父は海に出て戻らなかった」


誰も、口を挟まなかった。


「帆を下ろすという言葉を、私は子どもの頃から憎んできた」老評議員は言った。「下ろした帆は、いつ上がるか分からない。その分からなさの中で、母は四十日を数えました」


老評議員は、杖を握り直した。


「私は、畳む方に入れる」老評議員は言った。「石の色を言うのは、作法に反する。だが、この歳になれば、作法より言っておきたいことがある」


老評議員は、ゆっくりと腰を下ろした。


────


議長が、票決を命じた。


石の投票だった。白は畳む。黒は下ろす。評議員たちが一人ずつ席を立ち、壺の前へ進んだ。


壺は、議場の中央の台に置かれていた。古い陶の壺で、口に布が掛けてある。評議員は、白と黒の石を一つずつ手に握り、布の下で片方だけを落とす。残った石は、隣の箱へ伏せて返す。誰がどちらを入れたかは、手を入れた本人にしか分からない。


コトン。コトン。石が壺の底に落ちる音だけが、議場に響いた。


ヴェインが石を入れた。その手は、布の下で長く止まっていた。


ファリスが石を入れた。迷いのない、短い動きだった。


オルグが石を入れた。


ゲラードが石を入れた。その色は、誰にも見えなかった。


最後の評議員が席に戻った。書記が壺を傾け、石を机の上に広げた。


白と黒の石が、机の上で転がった。書記が、一つずつ指で分けていく。議場の誰もが、その指の動きを目で追っていた。


白が、黒を三つ上回っていた。


議長が、木槌を一度だけ鳴らした。


「協定の文言は、帆を畳む、とする」議長は言った。


議場に、長い息が漏れた。誰のものともつかない息だった。


議長は、使節団の長に目を向けた。


「掲示板の件について、処分を申し渡す」議長は言った。


長は、背筋を伸ばした。


「使節団の長は、この協定の正本を携え、再びあちらへ渡ること」議長は言った。「署名が済むまで、帰国は許さぬ」


議場の何人かが、小さく笑った。長は、しばらく議長の顔を見ていた。それから、深く頭を下げた。


「謹んで、お受けします」長は言った。


────


議場を出た廊下で、オルグはゲラードに追いついた。


「礼を言うべきでしょうか」オルグは言った。


「何の礼だ」ゲラードは、足を止めずに言った。


「記録を出してくださった」オルグは言った。「あれが無ければ、ヴェインの言葉で議場は傾いていた」


「私は、記録を読ませただけだ」ゲラードは言った。「読んだのはロウデンで、判じたのは議場だ。礼を言われる筋合いはない」


オルグは、苦笑した。


「石の色は、聞かない方がよさそうですね」


「聞くな」ゲラードは言った。


それから、ゲラードは少しだけ歩みを緩めた。


「一つだけ言っておく」ゲラードは言った。「あちらが先に帆を上げたら、私は真っ先に黒い石を握る。畳むという言葉を、あちらにも守らせろ。それが、お前たちの仕事だ」


「分かっています」オルグは言った。


ゲラードは、それ以上何も言わずに、階段を降りていった。


────


同日夕刻 都 港の掲示板


票決の報せは、夕方には港まで届いていた。


評議会の使いが、名簿の横に小さな紙を一枚貼った。そこには、短い一文だけが書かれていた。


帆を畳む、と決す。


魚売りの女が、それを読み上げた。今度は、声が少し震えていた。


人垣の中に、朝の女がいた。一日じゅう、広場を離れなかったのだろう。女は、読み上げられた一文を聞くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、港の外の海へ目を向けた。


夕日が、防波堤の向こうの水平線に沈みかけていた。あの海のずっと先に、息子がいる。


隣の老人が、同じ方角を見ていた。


「畳む、か」老人は言った。「わしが若い頃に乗った船では、港に入って最後にやる仕事だった」


女は、何も言わなかった。ただ、老人の言葉に小さく頷いた。


広場の端には、「ハルネ」が見えていた。


水夫たちが、帆桁の上で作業をしていた。長い航海を終えた帆を、一枚ずつ畳んでいく。綱を解き、帆布を巻き、帆桁に縛りつける。港に入った船の、最後の仕事だった。


だが、あの船は、数日のうちにまた出ていく。協定の正本を積んで、南の海へ。


水夫の一人が、帆桁の上から広場を見下ろしていた。掲示板の前の人垣に気づくと、しばらく手を止めていた。やがて、また黙々と帆を畳み始めた。


────


同刻 都 港の桟橋


使節団の長は、桟橋の端に腰を下ろしていた。


処分を言い渡された後、長は宿に戻らなかった。足が、自然と港へ向いた。


「ハルネ」の船腹が、目の前で波に揺れていた。帆は全て畳まれている。数日後には、あの帆がまた上がる。


背後から、足音が近づいてきた。昨夜の若い書記だった。


「従兄の名を、母に伝えました」若い書記は言った。「母は、泣いていました」


長は、黙って頷いた。


「次の航海に、私も連れて行ってください」若い書記は言った。「あちらで、名簿の続きを書く者が要るはずです。帰る日の決まった名簿を」


長は、しばらく若い書記の顔を見ていた。それから、小さく笑った。


「字が綺麗だったからな」長は言った。「議長に掛け合ってみよう」


────


夕刻 都 評議会場 文書室


ロウデンは、新しい紙を机に広げた。


地下の文書室には、上の議場の喧騒は届かなかった。棚に積まれた古い記録の束が、ランプの光を静かに吸い込んでいる。


ランプの火が、小さく揺れていた。文案の写しを、最初から書き直す。一行目。二行目。筆の運びは、いつもどおり淀みがなかった。


一行目には、二つの民が互いに砲を向けたことが記されている。二行目には、殿下とドラフォ将軍の名が並んでいる。どちらも、ロウデンが一月前に書いた文と同じだった。


三行目で、ロウデンの筆が止まった。


長く評議会の文書を書いてきた。この言葉を協定の文に書くのは、初めてだった。記録のどこにも、手本は無い。


ロウデンは、棚の方を振り返った。十四の協定が、あの棚のどこかに眠っている。九つは破られ、五つはまだ破られていない。その全てに、帆を下ろすと書かれている。


新しい言葉を書けば、この紙は、あの棚の中で一枚だけ違う顔をすることになる。


ロウデンは、墨を含ませ直した。


帆を畳む。


払いが一つ多い。その一画を、ロウデンはゆっくりと引いた。

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