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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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通商の第一歩

数日後 豪州基地 交渉の場


使節団との交渉は、大きな山場を迎えようとしていた。


会議室には、これまでの全ての合意事項が、一枚の正式な文書としてまとめられようとしていた。緩衝地帯の設定。捕虜の処遇。犠牲者記録の保存。そして、いま、その最後の議題として、通商協定の具体的な条文が話し合われていた。


この日のために、双方の代表団はこの数週間、細部の擦り合わせを重ねてきた。関税の在り方、輸送手段の確保、そして双方の商人が行き来する際の安全の保障。一つ一つの条項が、これまでの交渉の積み重ねの証だった。


使節団の代表が、その文書の最終ページを指差した。


「この通商協定案が」代表は言った。「本国の評議会の正式な承認を得ました。今日、この場で、双方の署名を交わすことができます」


────


赤城は、その言葉に深く頷いた。


「長い道のりでした」赤城は言った。「証言から、休戦、そして、いま、通商へ」


オルグも、その場に立ち会っていた。


「この協定が」オルグは言った。「これからの両国の関係を決定づける、第一歩になります」


カーターも、その場に控えていた。


「これほどの成果が」カーターは言った。「証言という、たった一つの行為から始まったとは、いまでも信じ難い」


「あの、最初の日を」オルグが言った。「覚えているか。ナサとミゼンが、この評議会に初めて証言を持ち込んだ、あの日を」


「もちろんです」赤城は言った。「あの日から、ここまで来るとは誰も想像していなかったでしょう」


カーターは、その言葉にしばらく考え込んだ。


「あの頃は」カーターは言った。「毎日、弾薬の残りを、数えていた。それが、いまは通商協定に署名する日を迎えている。世の中というのは、分からないものだな」


────


ミゼンとナサも、その場にいた。特別随行員として、この協定の成立を見届ける役目を担っていた。


「ついに、ここまで来たな」ミゼンが、ナサに小声で言った。


「まだ。第一歩」ナサが言った。「でも。確かな。歩み」


ナサは、しばらく、机の上に広げられた協定文書を見つめた。


「あの朝から」ナサが言った。「ここまで。長い。でも。一つ。一つ。積み重ねた」


────


代表が、羽根ペンを手に取った。


「では」代表は言った。「署名を」


赤城とオルグが、それぞれ書面に目を通した。全ての条文に間違いがないことを確認する、最後の儀式だった。


赤城は、その一枚一枚を丁寧にめくった。捕虜の処遇に関する条項。犠牲者記録の保存に関する条項。そして、最後の通商協定の条文。それぞれが、この数か月の証言と交渉の結晶だった。


赤城は、その文書をしばらく見つめ続けた。この一枚一枚の紙に、どれほどの人々の証言と決断が、積み重なっているのか。ナサとミゼンの、あの最初の証言。バルドー将軍の告白。セドリックの自白。ドレク艦長の勇気。そして、名もなき多くの人々の、小さな決断の数々。


「これは」赤城は、独り言のように、呟いた。「一つの物語の集大成なのかもしれない」


オルグは、その言葉に耳を傾けていた。


「そうかもしれません」オルグは言った。「証言から始まった、この長い道のりが、いまここに結実しようとしている」


────


その、まさに署名しようとした瞬間だった。


会議室の外で、大きな物音が響いた。


「何だ」赤城が、その音に顔を上げた。


────


護衛の兵が、慌ただしく会議室に駆け込んできた。


「隊長!」護衛の兵は、カーターに向けて叫んだ。「基地の外周で、不審な動きがあります!」


カーターは、すぐに席を立った。


「詳しく話せ」カーターは言った。


────


「複数の武装した人影が」護衛の兵は言った。「基地に接近しています。数は十名ほど」


会議室に緊張が走った。使節団の代表は、思わず椅子から腰を浮かせた。


「まさか」代表は言った。「この大事な日に」


────


「使節団の皆さんは」赤城が言った。「この部屋に留まってください。護衛を増やします」


カーターは、部下たちに指示を飛ばした。


「基地の警戒態勢を最大に。武装した集団の正体を確認しろ」カーターは言った。


護衛の兵たちは、その指示にそれぞれF88オーステアの弾倉を確かめながら、持ち場へと散っていった。銃剣を取り付ける金属の擦れる音が、あちこちで響いた。


────


その頃 基地の外周


見張りの兵たちが、その武装集団に対峙していた。F88オーステアの銃口が、暗闇の向こうの人影に向けられていた。


「止まれ!」見張りの兵が鋭く声を上げた。「これ以上近づけば発砲する!」


武装集団は、その警告に一瞬足を止めた。だが、すぐに、その中の一人が声を上げた。


────


「我々は」その男は言った。「本国の正規の使者だ。攻撃の意図はない」


「正規の使者が」見張りの兵は言った。「武装して夜間に押しかけるとは思えない」


「事情がある」男は言った。「使節団の代表に、緊急の伝達がある」


若い見張りの兵が、隣の古参の兵に小声で聞いた。


「信じても、いいんでしょうか」若い兵は言った。


「まだ分からない」古参の兵は言った。「だが、油断はするな」


────


見張りの兵は、しばらく、その男を睨みつけた。


「武器を置け」見張りの兵は言った。「それが先だ」


男たちは、しばらく顔を見合わせた。それから渋々、剣と簡素な短銃を地面に置いた。


その動きを、F88オーステアの照準越しに、見張りの兵たちは注意深く見守っていた。


────


「案内する」見張りの兵は言った。「だが、一人ずつだ。残りは、この場で待機しろ」


代表格と思われる男が一人、進み出た。見張りの兵に両脇を固められながら、基地の中へと案内されていった。残された者たちは、その場に跪かされ、監視の下、待機を命じられた。


若い見張りの兵が、その跪かされた男たちをしばらく見つめていた。


「疲れ切っているようですね」若い兵は、古参の兵に言った。「随分と急いで来たようです」


「使者、というのは」古参の兵は言った。「常に、時間との、勝負だ。良い報せも悪い報せも、早く届けなければ意味がなくなる」


若い兵は、その言葉に頷いた。それでも、F88オーステアの銃口は、下ろさなかった。


────


その頃 交渉の場


会議室に、その男が連れてこられた。


「あなたは」赤城が、警戒したまま聞いた。「何者ですか」


「私は」男は言った。「本国の評議会からの緊急の使者です。使節団の代表に、直接お伝えしたいことがあります」


────


使節団の代表が、その男を見た。


「見覚えがある」代表は言った。「評議会の伝令部門の者だ」


「その通りです」男は言った。「あなたに緊急の報せを持ってきました」


「ずっと、こちらへの道中を」代表は言った。「急いでいたのですね。顔色が優れません」


「休む間もなく来ました」男は言った。「事情が事情ですので」


────


男は、懐から一枚の封書を取り出した。


「これを」男は言った。「読んでください」


代表は、その封書を受け取り、震える手で開封した。中身に目を通す。その表情がみるみる変わっていった。


────


「これは」代表は、しばらく絶句した。


「どうしました」赤城が心配げに聞いた。


「評議会が」代表は言った。「通商協定に、正式な承認を追加で与えました。当初の案よりも、更に踏み込んだ内容です」


────


「踏み込んだ、というのは」オルグが聞いた。


代表は、その封書を震える手のまま掲げた。


「関税の大幅な引き下げ。そして、双方の商人が自由に往来できる専用の航路の設定です」代表は言った。「これほどの内容が、これほど早く承認されるとは正直、想像していませんでした」


赤城は、その言葉に目を見開いた。


「関税の引き下げは」赤城は言った。「当初の、交渉案に、含まれていましたか」


「含まれていませんでした」代表は言った。「これは、評議会が独自に追加した条項です。証言外交への支持が、想像以上に広がっている証だと思います」


「支持が、広がっている」オルグが、その言葉を繰り返した。


「はい」代表は言った。「かつて、証言に懐疑的だった評議員の中にも、いまでは、この交渉の成果を評価する者が増えています」


────


会議室に安堵の空気が広がった。


「では」オルグが言った。「なぜ、これほど緊急の武装した使者が必要だったのですか」


────


伝令の男は、しばらく答えなかった。


「実は」男は、やがて言った。「この追加承認を巡って、評議会内で対立がありました。強硬派の一部が、この伝達を妨害しようとしていました。私たちは、その妨害を警戒し武装して、この地まで来ました」


「妨害というのは」赤城が言った。「具体的に、どのような」


「道中、何度も」男は言った。「別の一団に追跡されました。彼らが我々を襲う意図だったのか、それとも単に監視していただけなのかは分かりません。ですが、危険を感じたことは確かです」


────


「妨害、というのは」ゲラードが、その場に遅れて駆けつけながら聞いた。


「詳しくは分かりません」男は言った。「ですが、途中、何度か追跡されている気配を感じました」


ゲラードは、その報告を資料に書き留めた。


「その追跡してきた者たちの特徴は」ゲラードが聞いた。


「暗くて、はっきりとは見えませんでした」男は言った。「ですが、統制の取れた動きでした。素人の集団ではないと思います」


────


ゲラードは、その言葉にしばらく考え込んだ。


「カルストの動きか」ゲラードは独り言のように呟いた。


「カルスト、ですか」男が、その名に反応した。「その名前を、私も耳にしました。評議会の一部で、今回の追加承認に強く反対していた評議員です」


「あの男が」赤城が言った。「今回の追加承認にも反対していたのですか」


「はい」男は言った。「通商が進めば、証言外交そのものが後戻りできなくなる。カルスト評議員は、そう公然と主張していました」


「後戻りできなくなる、というのは」オルグが聞いた。


「一度、商人たちが、行き来を始めれば」男は言った。「その関係を断つことは、もはや簡単ではなくなります。武力による再開戦の道が事実上、閉ざされることを、カルスト評議員は恐れていたのだと思います」


ゲラードは、その説明に頷いた。


「なるほど」ゲラードは言った。「あの男の抵抗は、単なる、個人の意地ではない。強硬派全体の最後の砦を守ろうとしているのかもしれない」


────


ゲラードは、その報告に深く頷いた。


「やはり」ゲラードは言った。「あの男は、まだ動いている」


オルグが、その言葉に頷いた。


「今回の一件も」オルグは言った。「調査の対象に加える必要がありますね」


「もちろんだ」ゲラードは言った。「この証言も記録に残す」


────


その日の夕方 交渉の場


騒動が落ち着いた後、改めて署名の儀式が行われた。


赤城とオルグ、そして使節団の代表が、それぞれ正式な通商協定の文書に署名を記した。羽根ペンの紙を滑る音が、静かな会議室に響いた。


────


「これで」代表は言った。「正式に両国の通商が始まります」


赤城は、その署名を見つめた。


「多くの困難を乗り越えて」赤城は言った。「ここまで来ました」


代表は、その言葉に深く頷いた。


「これからは」代表は言った。「軍や外交だけでなく、商人や職人たちも、この関係を支えていくことになります」


────


ミゼンとナサも、その署名を見守っていた。


「やっと、ここまで来たな」ミゼンが言った。


「まだ。始まり」ナサが言った。「でも。大きい。始まり」


「これから」ミゼンが言った。「商人たちが行き来するようになる。そうすれば、もっと多くの人が、あの海のことを知るようになる」


「知る。恐れ。減る」ナサが言った。「証言。私たち。始めた。これから。みんな。証言者」


オルグが、その会話に、加わった。


「証言外交、という言葉が」オルグは言った。「これほど、広い意味を持つようになるとは、思っていなかった。証言する者、証言に耳を傾ける者、そして、いま商人という、また新しい役割を担う者たち」


「みんな」ナサが言った。「繋がる。人。少しずつ。増える」


「その通りだ」ミゼンが言った。「一人が始めたことが、こんなに大きな輪になるとはな」


オルグは、その言葉に深く頷いた。


「この協定が」オルグは言った。「今後、多くの商人や旅人たちの往来を生み出すだろう。その一人一人が、また新しい証言の担い手になっていく」


────


その頃 湾口 護衛艦


カーターは、拘束した武装集団の処遇を考えていた。


「彼らは」カーターは言った。「攻撃の意図はなかったようだ。だが、念のため、しばらく拘束は続ける」


「拘束は、どれくらい」部下の一人が聞いた。


「使節団と評議会側の、確認が取れるまでだ」カーターは言った。「不必要に、長引かせるつもりはない。彼らは、あくまで正式な使者だ」


十六夜が、その報告に目を通した。


「カルストという名前が」十六夜が言った。「また出てきましたね」


「今回は」赤城が言った。「本人が、直接、手を下したわけではなさそうだ。だが、その周辺で何かが動いているのは間違いない」


────


「証言外交への抵抗は」赤城が言った。「まだ終わっていない。だが、この通商協定の成立は大きな前進だ」


十六夜は、しばらく資料をめくった。


「今回のような妨害も」十六夜が言った。「これから先、通商が進むにつれて、形を変えて続くのかもしれませんね」


「かもしれない」赤城は言った。「だが、通商という実利が動き始めれば、抵抗する側の足場も少しずつ失われていくはずだ」


「実利、というのは」十六夜が言った。「強い、言葉ですね」


「そうだ」赤城は言った。「証言は、人の心を、動かす。だが、通商は人の暮らしを動かす。どちらも必要な力だ」


十六夜は、その言葉を資料に書き留めた。


「証言外交という言葉が」十六夜は言った。「対話、休戦、隠蔽の解明、そして、いま通商まで。本当に、多くの意味を背負うようになりましたね」


「まだ、増えるだろう」赤城は言った。「この言葉が、どこまでこの世界を変えていくのか。それを見届けるのが、私たちのこれからの役目だ」


────


窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。


一つの大きな合意が成立した。だが、その影で、まだ燻る火種があった。カルストという名前が、その中心にあった。


証言から交渉へ。そして、交渉から通商へ。一つ一つの合意が積み重なっていく。だが、その道は、まだ平坦ではなかった。


その先に何が待っているのか、まだ誰にも分からなかった。

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