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星が重なる日(改訂版)  作者: 橘花


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交渉の場で

数日後 豪州基地 正式交渉の場


使節団との正式な交渉が再開されていた。


会議室には、これまでよりも多くの資料が積み上げられていた。捕虜の処遇、犠牲者記録、賠償の在り方。一つ一つの議題が、この数週間で少しずつ形を整えてきていた。


この日は、これまでで最も資料の量が多かった。議題も、これまでの被害の確認や謝罪の枠組みから一歩踏み出した、未来の関係構築へと移ろうとしていた。


使節団の代表が、口を開いた。


「本日は」代表は言った。「今後の関係構築について、具体的な話し合いを進めたいと思います」


赤城が、頷いた。


「異論はありません」赤城は言った。


────


「まず」代表は言った。「湾口周辺の海域について。この地域を緩衝地帯として正式に定めることを提案します」


オルグが、その提案を聞いていた。


「緩衝地帯、というのは」オルグが聞いた。「具体的には」


「双方の艦隊が、通常時には立ち入らない区域です」代表は言った。「先日のような不測の事態を防ぐための措置でもあります」


代表は、地図を、机の上に広げた。湾口周辺の海域が、赤い線で、囲われていた。この地図は、これまでの交渉の中で双方が少しずつ、書き込みを重ねてきたものだった。集落の位置、戦闘のあった場所、そして、いま新たに線引きされようとしている緩衝地帯。この一枚の紙に、これまでの全ての歴史が刻まれているようだった。


「この区域には」代表は続けた。「監視のための、双方共同の観測所を設けることも検討したいと考えています」


「共同の観測所、ですか」赤城が聞いた。


「もし、また今回のような孤立した艦が現れた場合」代表は言った。「双方が協力して対応できる体制が必要だと思います」


カーターが、その提案に、頷いた。


「実務的な、良い案だと思います」カーターは言った。「共同の観測所には、こちらからも要員を派遣します」


「派遣する要員の選定については」代表が言った。「別途、協議させてください。双方が、納得できる、人選が必要です」


「その点は」赤城が言った。「使節団の意見も十分に尊重します」


────


赤城は、その提案に頷いた。


「賛成です」赤城は言った。「先日の漂流艦の一件は、まさに、こうした区域の必要性を示していました」


「もう一つ」代表は言った。「今後、両国の間で正式な通商の可能性についても検討を始めたいと考えています」


その言葉に、会議室の空気が僅かに変わった。


カーターが、その言葉に目を細めた。


「通商、というのは」カーターが聞いた。「具体的に、どのようなものを、想定していますか」


「まずは」代表は言った。「小規模な、物資の交換から。豪州の技術製品と、あの海の漁業資源や織物などを」


────


「通商、ですか」オルグが言った。「戦争の直後に、それは少し性急ではありませんか」


「性急、かもしれません」代表は言った。「ですが、対立の芽は多くの場合、無知と恐れから生まれます。互いを知る機会が増えれば、恐れも減るはずです」


赤城は、その言葉に深く頷いた。


「証言外交が教えてくれたことと」赤城は言った。「同じ原理ですね」


ファリスが、静かに口を挟んだ。


「もう一つ、確認させてください」ファリスは言った。「この通商の提案は、評議会の正式な承認を既に得ているのですか」


────


代表は、その問いに少し間を置いた。


「まだ、正式な承認は、得ていません」代表は言った。「ですが、この提案自体は評議会内でも支持する声が増えてきています」


「増えてきている、というのは」ファリスが聞いた。


「証言外交の、成果が」代表は言った。「評議会の空気を、少しずつ、変えているのです。休戦、犠牲者の記録、そして隠蔽の解明。それら全てが、対話の価値を証明してきました」


「以前は」代表は続けた。「あの海の民との接触を、危険視する声が、評議会の大多数を占めていました。ですが、いまは対話を続けることこそが、この本国の未来にとって必要だという意見が、少しずつ増えています」


オルグは、その言葉に深く頷いた。


「その変化を」オルグは言った。「私たちも、この目で、見てきました。証言が届くまで、この評議会がどれほど頑なだったか」


「ですが」代表は言った。「まだ、油断はできません。強硬派の抵抗は決して消えたわけではないのです」


────


その頃 都 評議会場


評議会では、使節団からの交渉経過の報告が届いていた。


ゲラードが、その報告書を読んでいた。


「緩衝地帯の設定」ゲラードは呟いた。「悪くない提案だ」


ゲラードは、報告書の次のページをめくった。


「通商の可能性、か」ゲラードは続けて呟いた。「これは、まだ慎重に検討すべき事項だろう」


だが、その報告書には、もう一つ別の情報も記されていた。強硬派の一部が、この交渉に水面下で異を唱えているという噂だった。


────


「強硬派の残党が」ファリスが、ゲラードに言った。「まだ諦めていないようです」


「どのような動きだ」ゲラードが聞いた。


「詳しくは、まだ分かりません」ファリスは言った。「ですが、交渉を妨害しようとする動きがあるという報告が複数上がっています」


ゲラードの表情が険しくなった。


「妨害の、規模は」ゲラードが聞いた。「単なる、噂話の域を、出ないものか。それとも」


「それ以上のものかもしれません」ファリスは言った。「その点を、確かめる必要があります」


「情報源は」ゲラードが聞いた。「信頼できるものか」


「基地に駐留する豪州軍からの報告です」ファリスは言った。「信頼性は高いと考えられます」


ゲラードは、しばらく腕を組んだ。


「使節団の代表を、危険に晒すことは」ゲラードは言った。「この評議会全体の、信用に、関わる。決して、許してはならない」


────


「妨害、というのは」ゲラードが聞いた。「具体的に何を」


「使節団の代表の身辺に」ファリスは言った。「不審な接触があった、という報告があります」


ゲラードは、しばらく沈黙した。


「バルドー将軍とセドリックの一件が」ゲラードは、やがて言った。「一部の強硬派を刺激したのかもしれない。証言外交への反発がより過激な形で表れ始めている可能性がある」


ゲラードは、しばらく考え込んだ。


「使節団の代表に直接警告を送るべきだろう」ゲラードは言った。「万一のことがあっては、この交渉全体が水泡に帰す」


────


その頃 豪州基地 正式交渉の場


交渉は、なおも続いていた。


使節団の代表が、しばらく休憩を提案した。


「少し時間をいただけますか」代表は言った。「本国からの追加の連絡を確認したいので」


赤城は、頷いた。


「もちろんです」赤城は言った。


会議室に、しばらく静けさが広がった。誰もが、それぞれの資料を確認しながら、次の議題の準備を進めていた。


────


代表は、席を立ち、部屋の外へ出ていった。ミゼンとナサも、その様子を見ていた。


「様子が変だな」ミゼンが小声で言った。


「そう」ナサが言った。「代表。顔。硬い。何か。あった」


十分ほどの時間が、経っただろうか。会議室に僅かな緊張が漂い始めていた。


しばらくして、代表が青ざめた表情で戻ってきた。


────


「どうしました」赤城が、その様子に気づいて聞いた。


「本国から」代表は言った。「私の身辺に不審な動きがあると、警告が届きました」


会議室に、緊張が走った。


「不審な動き、とは」オルグが聞いた。


代表は、しばらくその手にした書簡を見つめた。


────


「詳しくは分かりません」代表は言った。「ですが、私がこの交渉で譲歩しすぎている、という非難の声が一部から上がっているようです。その非難が単なる言葉に留まらない可能性がある、と」


赤城は、その言葉を重く受け止めた。


「あなたの安全を確保する必要があります」赤城は言った。「基地の警護を強化しましょう」


カーターが、すぐに指示を出しに席を立った。


「即座に、対応します」カーターは言った。「使節団の宿舎周辺の、巡回を、増やしましょう」


────


「感謝します」代表は言った。「ですが、それでも、この交渉を止めるつもりはありません」


ミゼンが、口を開いた。


「あんたも」ミゼンは言った。「証言する側に立ってるんだな。この交渉自体が、あんたにとっての証言なんだ」


代表は、その言葉に僅かに驚いたようにミゼンを見た。


「証言、というのは」代表が、しばらくして聞いた。「どういう、意味でしょうか」


────


「証言、ですか」代表は言った。「そうかもしれません。私が、この交渉を続けることそのものが——真実を告げ続けることになるのかもしれません」


ナサが、頷いた。


「証言。止まらない」ナサが言った。「あなた。も。今。その。一部」


代表は、その言葉をしばらく噛み締めるように繰り返した。


「証言、か」代表は言った。「そう思えば、この脅しに屈するわけにはいきません」


────


その日の夜 豪州基地 警護強化区域


基地の警護が強化された、その夜。


一つの影が、使節団の宿舎の近くをうろついていた。


見張りの兵が、その影に気づいた。目を凝らすと、その人影は明らかに基地の関係者とは異なる動きをしていた。


「そこで止まれ」見張りの兵が鋭く声を上げた。


────


その影は、一瞬立ち止まった。だが、すぐに走り出した。


暗闇の中を、その影は驚くほどの速さで駆け抜けていった。


「逃げるぞ」見張りの兵が仲間に合図を送った。「追え」


数名の兵が、暗闇の中をその影を追いかけた。足音が夜の静寂を切り裂いた。


兵たちの懐中電灯の光が、暗闇の中を乱れ飛び交った。


────


その影は、基地の外周へと向かっていた。だが、事前に配置されていた別の兵が、その進路を塞いだ。


「動くな」その兵が銃を構えながら言った。


影は、一瞬身を翻し、別の方向へ逃れようとした。だが、そちらにも既に兵が待ち構えていた。


「もう、逃げ場は、ない」その兵が言った。


影は、その場で僅かに後退った。だが、他に逃げ道はなかった。四方から兵たちが、じりじりとその包囲の輪を狭めていた。


追い詰められた影は、懐に手を伸ばそうとした。


「動くな!」見張りの兵が、鋭く、叫んだ。「武器を抜けば撃つ」


その声に、影の動きが、止まった。


影は、追い詰められ、ついに動きを止めた。


────


「両手を上げろ」兵が命じた。


影は、ゆっくりと両手を上げた。フードを外すと、その下から見知らぬ男の顔が現れた。年若い、痩せた男だった。


「本国の間者か」兵の一人が言った。


その男の顔には、恐怖と諦めが入り混じっていた。


────


翌朝 豪州基地 審問の場


拘束された男の審問が始まっていた。


「お前は、誰の指示で動いていた」赤城が、直接問いただした。


男は、しばらく答えなかった。その手は、拘束された両手首を擦り続けていた。


────


「言わなければ」赤城は言った。「お前一人が、全ての責任を負うことになる」


男は、深く息を吐いた。


「本国の強硬派の一部から」男は言った。「使節団の代表を脅すよう指示を受けました。交渉から手を引かせるために」


「具体的に、どのような、脅しを」十六夜が聞いた。


「彼の故郷にいる家族に、危害を加えると」男は言った。「そう伝えるよう命じられていました」


赤城の表情が、険しくなった。


────


「その指示は」赤城は言った。「誰から、出たものか」


「それは」男は言った。「分かりません。私は、末端の、実行役に過ぎません。指示は、常に間接的に伝えられていました」


「間接的、というのは」赤城が聞いた。


「文書ではなく、口伝えで」男は言った。「顔も名前も知らない、複数の人間を経由して私に届きました」


「お前自身は」十六夜が聞いた。「なぜ、その指示を引き受けたのか」


男は、しばらく視線を床に落とした。


「金です」男は言った。「金を、渡されました。それだけの理由です」


「証言外交という、大きな流れの中で」十六夜は言った。「あなたのような小さな役割を担う人間が、まだいるということですね」


「そうかもしれません」男は言った。「ですが、いまは、後悔しています。捕まって初めて、自分が何をしていたのか考える余裕ができました」


────


赤城は、その言葉にしばらく沈黙した。


「証言外交は」赤城は、静かに言った。「まだ多くの抵抗の中にある。だが、それでも、この道を進むしかない」


十六夜が、傍らで、その言葉に頷いた。


「一つの脅しに屈すれば」十六夜が言った。「これまでの全ての証言が無駄になります」


「その男の処遇は」十六夜が聞いた。「どうしますか」


「使節団を通じて」赤城は言った。「本国に、正式に、引き渡す。この件も、証言外交の一部として記録に残すべきだ」


────


その頃 交渉の場


使節団の代表は、その報せを聞いていた。


「私を狙った間者が」代表は言った。「捕らえられたのですね」


「そうです」赤城は言った。「あなたの安全は確保しました」


代表は、深く息を吐いた。


その表情には、安堵と同時に深い疲労が浮かんでいた。


────


「これでも」代表は言った。「私は、この交渉を続けます。むしろ、この一件が、私の決意をより固くしました」


「家族への脅しも」赤城が言った。「あったと聞いています。それでも、ですか」


「それでも、です」代表は言った。「家族には既に事情を伝え、警護を手配しました。私が、ここで退けば——この隠蔽と脅しを行った者たちの思う壺です」


ミゼンとナサは、その言葉を聞いていた。


「証言は」ナサが言った。「止められない。それ。証明。また。一つ」


カーターが、傍らでその様子を見守っていた。


「代表殿」カーターは言った。「あなたの、決意には、頭が下がります。だが、無理は、なさらないでください」


「無理はしません」代表は言った。「ただ、この場から逃げ出さないだけです」


ミゼンは、しばらく代表の顔を見つめた。


「あんたも」ミゼンは言った。「証言者の一人だ。これから先も、あんたの言葉が多くのものを動かしていくんだろうな」


代表は、その言葉に静かに頷いた。


「そう、信じたいと思います」代表は言った。


────


窓の外には、朝の光が差し込んでいた。証言から交渉へ。そして、その交渉を妨げようとする力も、まだ消えてはいなかった。


赤城は、その日の交渉の記録を改めてまとめ始めた。捕虜の処遇、犠牲者記録、賠償の在り方、緩衝地帯の設定、通商の可能性。そして、いま新たに加わった代表への脅迫という、負の記録。


「一つ一つ」赤城は、独り言のように、呟いた。「積み重ねていくしかない」


十六夜が、その言葉に、頷いた。


「証言外交は」十六夜は言った。「良いことばかりを記録する試みではないのだと、改めて思います。良いことも悪いことも、全て正直に記録していく。それが、本当の意味なのかもしれません」


だが、その妨害を乗り越えて、この道は続いていく。緩衝地帯の設定、通商の可能性。一つ一つの小さな合意が、確かな未来への礎になろうとしていた。


その先に何が待っているのか、まだ誰にも分からなかった。

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