文書係の証言
数日後 評議会場 調査委員会
召喚状に応じ、一人の男が委員会の前に立っていた。
初老の痩せた男だった。艦隊司令部の文書管理部門に長く勤めてきたという。名を、ロウデンといった。その手は微かに震えていた。
長年、目立たぬ仕事を、こなしてきたのだろう。その佇まいには、表舞台に立つことへの不慣れさが滲んでいた。証言台の前に立つロウデンの姿は、この隠蔽の実行者というより、巻き込まれた小さな歯車のように見えた。
召喚状が届いた日から、ロウデンは、ほとんど眠れていなかったという。委員会に呼ばれるということが、何を意味するのか。処罰されるのか、それとも、真実を話す機会を与えられるのか。その両方の可能性の間で、ロウデンの心は、揺れ続けていた。
委員たちは、それぞれの席からこの証人を静かに見つめていた。誰もが、この初老の男の口から何が語られるのかを固唾を呑んで待っていた。
「ロウデン」ゲラードが言った。「この報告書に見覚えはあるか」
ゲラードは、原本と最終版、二枚の書類を机に並べた。
ロウデンは、その二枚を見た。顔色が変わった。
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「答えろ」ゲラードは言った。「この報告書を書き直したのは、お前か」
ロウデンは、しばらく何も言わなかった。
「黙秘は」ゲラードが言った。「お前にとって有利には働かない。真実を話せば、情状を考慮する余地もある。だが、隠し続ければ——」
「私です」ロウデンが、ようやく口を開いた。声が震えていた。「私が書き直しました」
議場に、緊張が走った。
委員の一人が、その告白を静かに記録に書き留めた。ペンの走る音だけが、しばらく、議場に響いていた。
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「なぜだ」ファリスが聞いた。「なぜ、民間人の被害を消した」
ロウデンは、うつむいた。
「指示が、あったからです」ロウデンは言った。
「誰の指示だ」ゲラードが言った。
ロウデンは、しばらく迷った。その沈黙が長かった。
「言えません」ロウデンは言った。「言えば、私は——」
「言わなければ」ゲラードは言った。「お前一人が、全ての責任を負うことになる。それでいいのか」
ロウデンは、震える手で自分の膝を強く握った。委員会の視線が、その手の震えに、集まっていた。
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ロウデンは、震える手で机を握った。
「艦隊司令部の上官からです」ロウデンは言った。「民間人の被害を報告に含めるな、と」
「上官の名は」ゲラードが聞いた。
「バルドー将軍です」ロウデンは言った。「艦隊司令部の副司令官です」
議場に、どよめきが広がった。
「バルドー将軍」その名を、委員たちが口々に確かめるように繰り返した。
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「バルドー将軍が」議長が言った。「なぜ、そのような指示を」
「分かりません」ロウデンは言った。「ただ、こう言われました。——民間人の被害を報告すれば、遠征への支持が揺らぐ。評議会が動揺する。それは、望ましくない、と」
ゲラードの表情が、険しくなった。
「つまり」ゲラードは言った。「遠征を継続させるために、意図的に情報を歪めたということか」
「そうだと思います」ロウデンは言った。「私は、ただ命令に従っただけです」
「その指示は」議長が聞いた。「口頭でのものか。それとも、何か、書面が残っているのか」
「口頭でした」ロウデンは言った。「バルドー将軍は決して書面には残しませんでした」
「証拠が残らないよう、慎重だった、ということですね」ファリスが言った。
「そう思います」ロウデンは言った。「私に指示を出す時、いつも周囲に人がいないことを確認していました」
「その指示は」三人目の評議員が聞いた。「今回の一件だけだったのか。それとも、以前にも同様の指示があったのか」
ロウデンは、僅かに目を伏せた。
「他にも、あります」ロウデンは言った。「今回ほど、大きなものではありませんが。細かい都合の悪い数字を丸めたり省いたりすることは、これまでにも何度か」
議場に、再びどよめきが広がった。今回の隠蔽が単発の出来事ではなく、繰り返されてきた慣行だったという事実が、その重みを一段と増していた。
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「命令に従っただけ」ゲラードは、その言葉を繰り返した。「その言葉を、これまで何度聞いてきたことか」
ロウデンは、身を縮めた。
「お前にも」ゲラードは言った。「良心はなかったのか。民間人が死んだという事実を消すことに、何も感じなかったのか」
ロウデンは、しばらく黙っていた。それから、絞り出すように言った。
「感じました」ロウデンは言った。「毎晩、あの一文を消した時のことを、思い出します。——でも、逆らえば私の家族がどうなるか分からなかった。上官の命令に逆らうということは——」
ロウデンは、そこで言葉を詰まらせた。
「私には妻と子供がいます」ロウデンは絞り出すように言った。「バルドー将軍に逆らえば、閑職に飛ばされるか、それ以上の処分を受けるか。家族を養えなくなることが怖かった」
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ファリスが、静かに口を開いた。
「バルドー将軍を、この委員会に召喚する必要があります」ファリスは言った。
「賛成だ」ゲラードは言った。「だが、バルドー将軍は艦隊司令部の副司令官だ。相応の地位にある。慎重に進める必要がある」
三人目の評議員が、口を挟んだ。
「相応の地位、というのは」その評議員は言った。「召喚を、躊躇う理由には、ならないはずです。むしろ地位が高いからこそ、より厳しく追及すべきではないでしょうか」
「その通りだ」ゲラードは言った。「慎重に、というのは、手続きの話だ。地位に配慮するという意味では、ない」
議長が頷いた。
「召喚状を準備します」議長は言った。「ただし——ロウデン、お前の証言は記録に残す。今日話したことは、全て」
「はい」ロウデンは、うなだれたまま言った。
「一つ、聞いておきたい」ゲラードが、最後に言った。「もし、証言を撤回するよう圧力をかけられたら、どうする」
ロウデンは、しばらく黙っていた。
「今日、話したことは」ロウデンは、やがて言った。「もう、変えません。これ以上、何かを隠して生きていくことに疲れました」
「それを聞いて、安心した」ゲラードは言った。「委員会として、お前の身の安全は、保障する。もし、報復めいた動きがあれば、すぐに届け出るように」
ロウデンは、その言葉に僅かに顔を上げた。
「ありがとう、ございます」ロウデンは言った。「正直に言えば——ずっと、誰かに、話したかったのかもしれません。あの一文を消してから、今日まで」
議場の空気が、少しだけ和らいだ。ロウデンの証言は、恐怖からの告白であると同時に、長く抱え続けた重荷を下ろす行為でもあったのかもしれなかった。
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その日の夕方 オルグの控室
オルグは、その日の調査結果を、ファリスから聞いていた。
「バルドー将軍」オルグは、その名を繰り返した。「聞いたことのある名だ」
「知っているのか」ファリスが聞いた。
「評議会の強硬派に近い将軍だ」オルグは言った。「遠征を積極的に支持していた一人だ」
ファリスは、その言葉に目を細めた。
「強硬派の意向を汲んで」ファリスは言った。「情報を隠したということか」
「その可能性は高い」オルグは言った。「だが、バルドー将軍個人の判断だったのか。それとも、もっと上の誰かの指示があったのか。それは、まだ分からない」
「もっと上、というと」ファリスが聞いた。
「評議会の中にも」オルグは言った。「強硬派を、後ろから支える者がいる。もし、その筋から、指示が下りていたとすれば——」
「それは」ファリスは言った。「評議会そのものが、この隠蔽に関与していたということになる」
「その可能性を、排除はできない」オルグは言った。「だからこそ、慎重に、証拠を積み上げる必要がある。憶測だけでは誰も動かせない」
ファリスは、しばらく腕を組んだ。
「もし、そうだとすれば」ファリスは言った。「この評議会は、自らの内側にある腐敗と向き合わなければならなくなる」
「証言外交が」オルグは言った。「あの海の民との関係を、正すための試みだったとすれば。この調査は、我々自身の内側を、正すための試みなのかもしれない」
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「ゲラードは」ファリスが言った。「強硬派の一員だったはずだ。だが、この調査は強硬派に不利な事実を暴きつつある」
「それでも」オルグは言った。「あの男は止まらないだろう。派閥よりも規則を優先する男だ」
ファリスは、しばらく考え込んだ。
「もし」ファリスは言った。「この調査が強硬派全体への批判に発展したら。ゲラードの立場も、危うくなるのではないか」
「危うくなるだろう」オルグは言った。「だが、あの男は、それを恐れているようには見えない」
「恐れていないのか」ファリスが聞いた。「それとも、恐れを隠しているだけなのか」
オルグは、しばらく考えた。
「分からない」オルグは言った。「だが、少なくとも、あの男の追及の手は緩んでいない。それだけは、確かだ」
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その頃 豪州基地 交渉の場
赤城のもとに、調査の進展が報告されていた。
「バルドー将軍という名が出てきたそうだ」赤城は言った。
十六夜が、その報告書を覗き込んだ。
「強硬派の将軍ですね」十六夜が言った。「証言外交への反対と、この隠蔽は繋がっているのでしょうか」
「まだ断定はできない」赤城は言った。「だが、可能性は否定できない。もし、遠征の継続のために都合の悪い事実を組織的に隠していたとすれば——」
「証言外交そのものの正当性が」十六夜が言った。「より強固なものになりますね」
「そういう見方も、できる」赤城は言った。「だが、同時に、この隠蔽が証言外交そのものへの新たな攻撃材料に使われる可能性もある」
「攻撃材料、ですか」十六夜が聞いた。
「もし」赤城は言った。「強硬派の一部が、事実を隠していたことが、明らかになれば。強硬派は、その責任逃れのために別の論点を持ち出すかもしれない」
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「そうだ」赤城は言った。「ナサとミゼンの証言が正しかったことを、皮肉にもこの隠蔽の発覚が裏付けている」
「皮肉、ですか」十六夜が聞いた。
「証言を疑っていた者たちの中に」赤城は言った。「都合の悪い事実を隠す側にいた者がいた。証言を疑うことと、事実を隠すこと。この二つは、本来別の話のはずだ。だが、今回それが同じ根から生えていたのかもしれない」
十六夜は、その言葉を資料に書き留めた。
「この件は」十六夜は言った。「使節団にも、正式に、報告すべきですね」
「もちろんだ」赤城は言った。「隠された事実の全容を、交渉の場にも共有する必要がある」
「一つ、気になることがあります」十六夜が言った。「ロウデンという人物は、過去にも似たような書き換えを何度か行っていたそうです。今回の件が初めてではなかった、と」
赤城は、その報告に眉をひそめた。
「常態化していた、ということか」赤城は言った。「一度の隠蔽ではなく、繰り返されてきた慣行だったとすれば、これはより根深い問題だ」
「証言外交だけでなく」十六夜は言った。「本国の統治の仕組みそのものに、綻びがあるということですね」
「そうだ」赤城は言った。「そして、それは決して他人事ではない。組織というものは、放っておけば都合の良い情報だけを上に伝えたがるものだ。日本も、例外ではない」
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その頃 湾口 交渉の場
ミゼンとナサは、その日の報告を受け取っていた。
「バルドー将軍」ミゼンが、その名を口にした。「聞いたことのある名だ」
「知ってる。人」ナサが言った。「艦隊。副司令官。強硬。遠征。支持」
「強硬派の将軍が」ミゼンは言った。「情報を隠していたってことか」
「多分」ナサが言った。「遠征。続ける。ため。都合。悪い。事実。消す」
カーターが、その会話に、加わった。
「文書係の男は」カーターが聞いた。「どんな様子だった」
「怯えていた。多分」ナサが言った。「でも。話した。全部」
「それだけでも」カーターは言った。「勇気のいることだったろうな」
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ミゼンは、しばらく考え込んだ。
「もし、それが本当なら」ミゼンは言った。「証言を疑っていた連中の中に、事実を隠していた奴らがいたってことになる」
「そう」ナサが言った。「証言。疑う。理由。本当。じゃない。かもしれない。ただ。都合。悪い。だけ」
「皮肉なもんだな」ミゼンは言った。「証言を疑う奴らが、いちばん、事実を隠していたとは」
「でも」ナサが言った。「文書係。ロウデン。話した。それ。勇気。持つ。人。いる。証拠」
ミゼンは、その言葉に、頷いた。
「そうだな」ミゼンは言った。「隠す人間もいれば、話す人間もいる。それが、救いだな」
カーターが、その言葉に頷いた。
「俺たちの証言も」カーターは言った。「最初は、誰にも信じてもらえないかもしれないと思っていた。だが、話したことでこうして道が開けた。ロウデンも、同じだったんだろうな」
「同じ」ナサが言った。「怖い。でも。話す。それ。道。開く」
ミゼンは、窓の外の海を、見つめた。
「証言の力、ってやつか」ミゼンは言った。「一人が話せば、また一人が続く。それが、少しずつ、積み重なっていく」
「積み重なる」ナサが言った。「証言。休戦。使節団。捕虜。賠償。今。隠蔽。調査。全部。繋がってる。一つ。証言。から」
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ナサは、窓の外を見た。
「証言。外交。まだ。続く」ナサが言った。「今度。誰。隠したか。それも。証言。一つ」
「次は」ミゼンが聞いた。「バルドー将軍、本人が、召喚されるのか」
「多分」ナサが言った。「将軍。何。言うか。楽しみ。じゃない。でも。知りたい」
カーターは、腕を組んで、しばらく考えた。
「バルドー将軍が」カーターは言った。「素直に、話すとは、思えないな。地位もある。守るものも、多いだろう」
「抵抗する。多分」ナサが言った。「でも。ゲラード。諦めない。証拠。もう。ある。逃げられない」
「証拠、か」ミゼンが言った。「原本の報告書と、ロウデンの証言。それだけでも、十分だな」
「まだ。足りない」ナサが言った。「将軍。自分。認める。それ。必要。ゲラード。それ。求める」
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窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。
一人の文書係の証言が、より大きな名前へと道を開いた。バルドー将軍。艦隊司令部の副司令官。強硬派の一員。
この隠蔽の糸は、どこまで遡るのか。ロウデン一人の判断だったのか。それとも、もっと大きな組織的な意図があったのか。
証言から交渉へ。そして、交渉の裏側で隠された事実を掘り起こす戦いは、いま より深い場所へと進もうとしていた。
その先に何が待っているのか、まだ誰にも分からなかった。




