episode3-7
「一体、どういうこと?」
場所を職員室前の廊下から教室に移し、僕は安藤茉奈美から詳しい話を聞くことにした。安藤を適当な椅子に腰掛けさせ、対面するかたちで僕が座った。先日と同じように無表情ではあったが、その目にはどこか緊張の色が滲んでいた。
「岡部君が木村君の腕をつねっているところを、見たんだよね」
安藤は無言で頷く。
「それは、いつのこと?」
「先週の、月曜日の放課後です」
木村恭子が学校に訪れたのは火曜日だったから、時期は合致している。
「放課後……時間は覚えてる?」
「三時半くらい、だと思います」
おや、と思った。三時半? 月曜は五限までだから、掃除を含めても学校が終わるのは三時頃のはずだ。
「どうして、そんな時間まで学校に残っていたんだい」
「忘れ物をして、途中で引き返してきたんです。国語の教科書です」
「ああ、なるほど。木村君と岡部君を見かけたのは、教室?」
安藤はコクリと頷く。
「教科書をとろうと思って、教室に入ろうとしたら、二人がいました」
「声は、かけなかった?」
「はい。でも、なんだか様子がおかしかったので、廊下からこっそり見ていました」
「……そこで、岡部君が、木村君の腕を?」
「……はい。左手でギュッて、つねっていました」
「喧嘩している様子ではなかった?」
「……はい。何か話していたようだったけど、聞き取れませんでした」
ということは、少なくとも感情に任せて怒鳴り合い、取っ組み合いになるような喧嘩ではなかったわけだ。
「その後は?」
「木村君が、教室から出てきました。私は、トイレに隠れました」
「岡部君は?」
「岡部君も、その後すぐに帰っていきました」
「じゃあ、君の姿は見られていないんだね?」
「はい」
つまり岡部と木村は、一部始終を安藤に目撃されていたことを知らない。
「どっちの腕をつねっていたか分かるかな」
「右腕です。場所はよく分からなかったけど」
安藤の話を信じるなら、ことの発端である木村の腕の痣は、岡部によってつけられたものだろう。しかし本心を言えば、僕は彼女の話を半信半疑で聞いていた。彼女の話におかしなところがあったわけではない。状況がうまく思い描けないのだ。誰もいない放課後の教室で、岡部がひそひそと何かを話しながら木村の腕をつねる。その場面を何度思い描いても、シュールな映像しか見えてこない。
なにかがおかしい。ここは……。
「引っ掻き傷は、痛む?」
唐突を装った質問だった。案の定、安藤は驚いたように目を見開いた。完全に油断していたのだろう。
「あ……はい。大丈夫です」
「何に引っ掻かれたの」
「え?」
安藤が目を丸くする。
「いや、適当に引っ掻き傷っていったんだけど、否定しなかったから」
安藤の顔が歪む。眉間に皺を寄せ、こちらを睨んでいるようにも見えた。
「……ゲージに、手を引っかけました」
「ゲージ?」
「ミントが……あ、九官鳥が入っているゲージです。扉のところが、少し出っ張っていて」
「……そっか」
安藤の言葉に不自然なところはない。それなのに、どうして違和感を感じる?
「岡部君が木村君に暴力を振るうことに、何か心当たりはあるかな」
「いえ、ありません」
時計を見ると、すでに四時近くになっていた。当たり障りのない質問をしたあと、僕は安藤を家に返し、職員室に戻った。
職員室には、興味津々と言った様子の亘先生と麻倉先生、それになぜか道元先生が待ち構えていた。
「茉奈美ちゃん、なんだって?」
尋ねてきたのは、先ほどはいなかったはずの道元先生だった。おおかた、どちらかが彼女に全て話したのだろう。
僕は彼らに、先ほど安藤から聞いた話を全て話した。亘先生と麻倉先生は驚いているような様子だったが、道元先生は何やら考える素振りを見せた。
「やっぱり、犯人は岡部君だったんですか」
「ちょっと亘先生、犯人って……」
麻倉先生が亘先生を咎める。
「いや、亘先生の言う通りだよ。木村君の腕の痣は、岡部君がつけたものだった」
「でもそう考えると、やっぱり道元先生は正しかったんですね」
「……そうねぇ」
返事をしながらも、道元先生は何処か心此所にあらず、といった様子だった。
「じゃ、あとは岡部君に注意をして、事件解決ですかね」
今の状況を額面通り受け取るのならば、そうだ。しかし……。
「本当にそうでしょうか」
疑問を呈したのは僕ではなく、麻倉先生だった。
「どういうこと?」
「銀河君が翔君に怪我をさせたという状況が、今ひとつ想像出来ないんですよ」
麻倉先生は、僕と同じ感想を抱いたようだった。
「少なくとも、木村君が黙ってされるがままになっていたと言うのはおかしいです」
「でも、現に安藤さんはその現場を見ているんでしょう」
「そうですけど……なにか、特殊な事情があるのでは……」
「特殊な事情って?」
「いえ、それは分かりませんけど……」
「第一、それを言ったら今度は安藤さんが嘘をついているってことになる。そっちの方が変だと思うよ」
亘先生と麻倉先生が話し合っている間、道元先生は俯きながら、じっと黙っていた。僕は堪らず、声をかけた。
「道元先生、どうしました?」
「ん、あ、いや、何でもないわ」
「でも、さっきからずっと……」
「そんなことより、何だか騒がしくない?」
「え?」
その言葉で、僕たち三人は黙り込んだ。耳に入るのは、同僚の教師たちの話し声、ただそれだけ……いや。
「校庭ですか」
亘先生が言った。
「外から、何か聞こえますね」
確かに、外から何か聞こえる。放課後に残った子たちが遊んでいるにしては、なにやら騒がしい。
麻倉先生が窓際に駆け寄る。
「あ、あれは……」
外を眺めた彼女の目が見開かれる。
その時、職員室の扉が勢いよく開かれた。
「先生っ」
入ってきたのは、なんとうちのクラスの児童だった。柏木、という女子児童だ。そして、もう一人……。
「綺羅ちゃん、どうしたの?」
道元先生の口ぶりから、こっちの子は四年三組の児童だろう。二人とも、やけに慌てている様子だった。
「先生来て! 男子たちが喧嘩してる!」
柏木は僕に向かってそう言った。
「喧嘩?」
「はい、四年生の男子たちと……」
「四年生?」
状況から察するに、相手は四年三組の児童たちだろうか。綺羅、と呼ばれた子も、道元先生に必死に何かを訴えている。
「分かった、とにかくすぐに行くよ。場所は?」
「校庭です」
校庭……嫌な予感がした。外を覗いた瞬間に見開かれた、麻倉先生の目。あれは、それほどのことが校庭で起きているということではないだろうか。
階段を駆ける柏木たちも諌めず、僕も早足で昇降口へ向かった。靴を履き替えようと思ったが、後ろから来た道元先生がスリッパのまま飛び出していったので、僕もそれに倣った。
スリッパから伝わる、いつもと比べて強めの砂利の感触、そして目の前には、放課後の長閑な風景ではなく、喧騒。
まず目に入ったのは、地面に腰を下ろしている児童の姿だった。その周りにも人だかりが出来ていたが、それが誰なのかはすぐに分かった。岡部銀河だった。
岡部の様子が気になったが、まずはこの喧騒を止める方が先だ。人だかりをかき分け、輪の中心へ向かう。
喧騒の中で殴り合いの喧嘩をしていたのは、木村翔と、見覚えのない大柄な少年だった。状況から判断するに四年生のはずだが、体格にあまり差はなかった。
とりあえず、間に割り込むようなかたちで二人を引き剥がす。その時、木村の拳が肩に当たったが、怯んでいる場合ではない。
一目見て、頭に血が上っているのは木村の方だとわかった。僕は、四年生の児童を背中で隠すようにして、木村と対峙した。
「どうしたんだ、木村君」
肩で息をしているのは、披露ではなく興奮からだろう。鋭い目つきで僕を睨む。
「おい、何をしている!」
怒鳴りながら乗り込んできたのは亘先生だった。彼は二人の児童を見て、木村君と大森君か、と呟いた。
「とりあえず、二人は職員室に来て。他の皆は、もう帰りなさい」
亘先生と二人で周りに集っていた児童たちを解散させた。面白くなさそうな表情を浮かべながらも、数分で全員が自分の荷物を持ち、校門を出て行った。ただ、職員室に駆けつけた柏木と四年生の女子児童だけは留まらせた。
その後、木村と大森を亘先生に任せ、僕は岡部のもとへ向かった。彼の傍らには、道元先生がついていた。
「岡部君、大丈夫か」
見たところ、怪我はなさそうだった。意識もハッキリしているようだ。
「ちょっと転んだだけです」
岡部は目も合わせずにそう言った。
「どうやら、圭太君に突き飛ばされたみたいね」
「圭太君って、大森、と呼ばれていた子のことですか」
「ええ。うちのクラスの児童よ。ごめんなさいね」
「いや、こっちこそ木村君が……でも、一体何が……」
「とりあえず、当事者から話を聞きましょ。私はこの子を保健室へ連れて行くから、あなたは職員室へ。そっちの二人も、私が引き取るわ」
「わかりました」
喧嘩というものは珍しくないが、下級生が相手というのはあまり聞かない。場合によっては、木村をキツく叱らなければならないだろう。
叱るのは苦手だ。僕は、重い足取りで職員室へ戻った。




