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第7話 記録と小さな火

翌朝、フォルクハルト辺境伯邸の大広間では、吹雪に向けた対策会議が朝から開かれていた。


「第二村への薪の輸送は、明日中に終わらせろ!」


「いや、それよりも先に谷間の村へ回すのが先決だ。雪で道が塞がってからでは遅い!」


 各村の代表者や、屈強な守備隊の隊長たちが、大声を張り上げて議論を交わしている。


 彼らの声に混じり、部屋の隅に置かれた小さな机で、ひたすらにペンを走らせている少女がいた。


 王都の役所から『使えない』と追放された記録係、ミラだ。


 彼女は怒号のような声が飛び交うたびにビクビクと肩をすくめ、自分からは一言も発しようとしない。


 王都でも、この気弱さと声の小ささゆえに「会議の進行の邪魔だ」「無能」と見なされたのだろう。


「よし、各村への毛布と薬草の割り当ては、今決まった通りで進めるわよ」


 私が議論をまとめ、最終決定を下そうとした、その時だった。


「あ、あの……っ」


 蚊の鳴くような、ひどく細い声が響いた。


 声が小さすぎて、大柄な村長たちには聞こえていない。


 だが、私と、隣に立つレオンだけはその音を拾い上げた。


「どうしたの、ミラ」


 私が声をかけると、ミラは怯えたように身を縮こまらせながら、震える手で自分が書き込んでいた紙――議事録を、そっと私に向けて差し出した。


「その……配分、ですが……計算が、合って、いません」


「計算が?」


 私が彼女の差し出した記録紙に目を落とす。


 レオンも横から覗き込み、そして、感心したようにほうと息を吐いた。


「……なるほど。確かに合っていませんね」


 レオンが、彼女の几帳面な字で書かれた数字を指差した。


「先ほどの議論で、第三村への毛布を十枚減らし、第四村へ回す決定がなされました。しかし、大元の在庫の控えからその十枚が差し引かれていない。さらに、薬草の配分も、昨晩消費した分が反映されず、架空の数字で割り当てを行おうとしています」


「えっ」


 私は慌てて手元の資料と、ミラの議事録を見比べた。


 本当だ。


 白熱した議論の中で、誰もが気づかずに見落としていた『致命的な計算ミス』。


 もしこのまま物資を出発させていれば、吹雪の中で一つの村が毛布と薬草の不足で凍えるところだった。


「ミラ、あなたがこれに気づいたの?」


「は、はい……話された数字を、そのまま、書き留めていたので……矛盾が、あるなと……」


 ミラは顔を真っ赤にしてうつむいた。


 彼女は、大きな声で自らの意見を主張することはできない。


 だが、その耳は誰よりも正確に事実を拾い上げ、その手は一切の感情を排して紙に残すことができる。


 声は小さくても、紙に残された『記録』は決して消えないのだ。


「助かったわ、ミラ。あなたの記録のおかげで、村が一つ救われたわ」


 私が微笑みかけると、ミラは信じられないものを見たように目を丸くした。


 それから、慌てて視線を落とす。


 ペンを握る小さな手が、かすかに震えていた。


「……は、はい」


 消え入りそうな返事だった。


 けれど、その声は先ほどよりも、ほんの少しだけ前に出ていた。


 ミラは潤んだ目を伏せたまま、何度も小さく頷いた。


 そして、まるで自分の居場所を確かめるように、もう一度、議事録の紙を大切に胸元へ引き寄せた。



 午後。


 私とレオンは、会議室を出て領内の孤児院を兼ねた診療所へ視察に向かっていた。


 診療所の扉を開けると、そこには王都の工房を追われた魔導具職人、ニコの姿があった。


 彼は部屋の中央で、自分が持ち込んだ奇妙な形をした小さな魔導具を調整している最中だった。


「どう? ニコ。上手く動いている?」


 私が尋ねると、ニコは分厚い手袋で汗を拭いながら、恥ずかしそうに笑った。


「はい、アメリア様。出力は安定しています」


 王都の工房が彼に求めたのは、貴族の広大な大広間を一瞬で暖めるような、強力で派手な炎を出せる魔導具だった。


 魔力の弱いニコには、そんな大層なものは作れない。


 だから『三流の役立たず』として捨てられた。


 だが、今彼が診療所に設置している魔導具は違った。


「すごい! あったかいよ!」


「手、痛くなくなった……!」


 魔導具の周りに、孤児院の子供たちが集まってくる。


 大きな炎は上がらない。


 だが、その小さな装置からは、少ない魔力でジンワリと、それでいて確実に部屋全体を温める熱が放たれていた。


 寒さで紫に染まっていた子供たちの指先が、みるみるうちに赤く、血色を取り戻していく。


「大きな炎ではない。ですが……消えない火です」


 子供たちの笑顔を見つめながら、レオンが静かに呟いた。


「王都の貴族が求める見栄えの良さはありませんが、燃費が良く、少ない魔力で長時間発熱を維持できる。……吹雪の中で夜を越すには、これ以上ないほど実用的な設計です」


 レオンの言う通りだ。


 ニコが作ったのは、誰も褒め称えない地味な魔導具かもしれない。


 けれど、間違いなく今、目の前で子供たちを凍えから救っている。


「ありがとう、ニコ。これで、吹雪が来ても子供たちを冷たい床で寝かせずに済むわ」


「も、もったいないお言葉です! 俺、あと五つは明日までに組み上げてみせます!」


 ニコの顔に、王都で失っていたであろう職人としての誇りと活気が戻っていた。


 ミラとニコ。


 王都が捨てた彼らの『欠点』は、ここ辺境において、すでに確かな価値となって稼働し始めている。


 これなら、あと五日で来る吹雪も乗り切れるかもしれない。


 私がそう確かな手応えを感じていた、その時だった。


「アメリア様! レオン殿!」


 雪まみれになったオルドが、血相を変えて診療所に駆け込んできた。


「どうしたの、オルド。そんなに慌てて」


「王都から……早馬が来ました」


 オルドは荒い息を吐きながら、忌々しそうに顔をしかめた。


「王都財務院の『巡察使』が、視察という名目でこちらへ向かっているとのことです。おそらく、明日にはこの屋敷に到着するかと……!」


 私はレオンと顔を見合わせた。


 吹雪という自然の脅威の前に、王都からの厄介な干渉が、すぐそこまで迫っていた。

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