第61話 紙の命令は薪にならない
「財務院の台帳が絶対だ。王国の手続きに間違いなどない!」
猛吹雪の吹きすさぶ中央指定倉庫の前で、王都の監察官は苛立たしげに分厚い台帳を振りかざした。
「見ろ、ここに明記されている。王都からの指示通り、薪も、黒パンも、暖石も、すでに各村の代表者に向けて『配布済み』の印章が押されている! 書類の上では、冬越し物資の配給は完璧に完了しているのだ!」
監察官の主張は、狂気すら孕んだ官僚主義の極みだった。
現場の倉庫の扉が凍りつき、荷馬車が一台も動いていなくとも、書類に『配布済み』の印が押されていれば、彼らにとって仕事は終わっているのだ。
「……目を覚ましなさい」
私は、監察官の顔の前に、私たちが集めた膨大な書類の束を叩きつけた。
「書類の上でどれだけ立派な印章が押されていようと、その『紙の命令』は、決して領民を温める薪にはならないのよ」
「な、なんだこれは……」
「ミラの記録と、山間の村長たちの悲痛な署名よ。……そして、これだけじゃないわ」
レオンが私の隣に進み出、さらに二つの書状を提示した。
「王都下町の配給所記録。そして、北方七領の領主連合から届いた抗議の書状です。……これらすべてが、財務院の台帳が示す『配給完了』という美しい数字が、現場には一切届いていないという大嘘であることを証明しています」
財務院が手続きと印章で物資を止めている間に、領民たちは凍えている。
私たちが広場の机で集めた『現場の真実』の前に、監察官は言葉を詰まらせ、額に冷や汗を滲ませた。
「で、でたらめだ! 辺境の代行令嬢が、己の権限逸脱を誤魔化すために捏造した記録に決まっている!」
監察官は後ずさりしながら、私の最大の弱点である『代行』という立場を再び盾にして食い下がった。
「そもそも、正式な領主の裁可なしに『再任用室』などという不透明な組織を動かしている時点で、お前たちの行動は国法違反なのだ! 代行の独断で作られた記録など、王都の誰も信じはしない!」
彼がそう叫び、兵士たちに私たちを捕縛させようとした、その時だった。
「アメリア様……! 至急、お館の中へ!」
広場の奥から、老執事のオルドが雪を蹴立てて走り寄ってきた。
「旦那様が……辺境伯様が、意識を取り戻されました!」
「お父様が!?」
私は監察官たちを置き去りにし、領主の館の奥、父の病室へと駆け込んだ。
監察官も信じられないという顔で後を追ってくる。
病室の扉を開けると、ベッドに横たわる父の目が、薄く開いていた。
熱はまだ完全に下がっておらず、全快には程遠い。
だが、その瞳には確かに、かつて辺境を統べていた領主としての強い理性の光が宿っていた。
「……お父様」
「アメリア……。騒がしい、な。……外で、何が起きている」
掠れた、だがはっきりとした声。
私は父の傍らに膝をつき、王都の監察官がすぐ後ろで見ている前で、短く現状を伝えた。
それを聞いた父は、ゆっくりと視線を動かし、扉の前に立つ監察官を睨み据えた。
「……王都の役人よ。よく、聞け」
父の言葉は途切れ途切れだったが、その声には辺境伯としての絶対の威厳があった。
「冬季における、領内の緊急差配。……そして、その実務を担う『再任用室』の臨時設置は……私が倒れる前に、娘のアメリアに委ねた、緊急差配の権限に基づくものだ」
「な……っ!」
「彼女の行動は……辺境伯である、私の意志だ。……代行の独断、などではない」
監察官が息を呑み、血の気を失って後ずさった。
父の一言だけで、寒波も物資の滞りも解決するわけではない。
けれど、少なくとも「代行令嬢の独断」という監察官の逃げ道は、ここで一つ潰れた。
「ば、馬鹿な……。だが、財務院の命令は絶対……」
監察官が病室から逃げるように廊下へ出ると、今度は表の門から、王都の騎士たちが慌ただしく館の中へ入ってきた。
「道を開けよ。貴族院より遣わされた、特命監察役である」
現れたのは、財務院の息がかかっていない、貴族院から派遣された厳格な面持ちの特命監察役だった。
彼は決して、私たちが窮地に陥ったから助けに来てくれた正義の救世主などではない。
北方七領の領主たちからの激しい抗議書状と、王都下町から上がった大量の配給未達の報告。
エレナ様が密かに動かしてくれた貴族院内部の動き。
それらが重なり、事態を看過できなくなった王都が、財務院の報告の真偽を直接確認せざるを得なくなって派遣してきた人物だ。
特命監察役は、青ざめる財務院の監察官を一瞥し、そして私とレオンに向き直った。
「財務院の美しい完了報告と、各地から上がる凍えそうな悲鳴。……どうやら、紙の上の数字と現実に、看過できない大きな隔たりがあるようだな」
彼は手元にある王都の台帳と、私たちが広場の机で作り上げた記録の束を交互に見比べた。
「アメリア・フォルクハルト代行殿。……明日、この館において臨時評議を開く」
特命監察役の冷たく、そして公平な宣告が館に響く。
「財務院の中央命令と、貴殿ら『再任用室』の実績。……どちらが王国の冬を越すために正しいのか、直接照合させてもらおう」
父の言葉によって補強された私たちの『席』と、実務の記録。
王都の腐敗した命令を結果でねじ伏せるための、最後の反証の舞台がいよいよ整ったのだった。




