第60話 凍る倉庫と動く机
猛吹雪が吹きすさぶ、領内の倉庫前の広場。
オルドや兵士たちの手によって急造の天幕が張られ、その下にいくつかのおんぼろの机と椅子が運び出された。
「……何をしている。愚かな真似を」
領主の館の窓からそれを見下ろしていた王都の監察官が、呆れたように鼻で笑った。
「違法に封印を破らずに外へ出たのは賢明だが、公式な台帳も部屋も持たずに、そんな吹きさらしの場所で何ができるというのだ。大人しく調査の結果を待っていればいいものを」
「お待ちにはなりませんわ」
私は天幕の下で、領内の古い地図を広げながら言い放った。
「私たちは『再任用室』という王都が問題視する部署の権限で動いているのではありません。フォルクハルト辺境伯領に古くから存在する『領内契約』、『職人組合の規定』、そして『村長会との緊急取り決め』に基づいて動いているのです。……王都の命令にも、国法にも一切違反していない、辺境の正当な実務ですわ」
王都が止めたのは、『再任用室』という部署の業務だ。
けれど、領内の既存組織が、彼らの知識と技術を借りることまでは禁じられていない。
レオンは、正式台帳には触れない。
彼が使うのは、私物として持っていた写しと、頭に叩き込んだ数字だけ。
ミラは再任用室の記録係ではなく、村長会から依頼された書記補助として動く。
ヴェラは領内商人組合の帳簿相談役として、金の流れを見る。
ニコは再任用室工房ではなく、職人組合の共同工房で暖石を調整する。
ガレスは再任用室の訓練役ではなく、村長会と自警団の道案内役として動く。
部屋は奪われた。
公式の看板も、立派な机も封印された。
だが、私が彼らに与え、彼ら自身が仕事で勝ち取った『席』は、王都の監察官ごときの手で消せるものではない。
「レオン、補給の計算は?」
「問題ありません」
レオンはかじかむ手に息を吹きかけながら、手元の紙の束にすさまじい速度でペンを走らせていた。
公式の台帳は書庫に封じられている。
だが、彼の頭脳には過去のあらゆる数値が完璧に刻み込まれており、さらに彼の懐には、万が一に備えて私たちが分散して持っていた『写し』の束があった。
「中央命令の指定路は捨てます。ガレス殿、迂回路の選定を」
「ああ、任せろ」
ガレスが地図の上に、力強い線を描き込んでいく。
「王都の役人が引いた大街道は雪で死んでいるが、地元の猟師が使う獣道や、炭焼きの裏道なら、馬車でも通れる。……俺が先頭に立って、道を開く」
「辺境の撤退術の専門家が言うなら、間違いはないだろうな」
そこに、甲冑を鳴らして王都騎士のラウターが進み出た。
かつての山岳救援でガレスの帰還路に命を救われた彼は、王都の無謀な命令よりも、目の前の命を救う道を選んだのだ。
「俺たち王都騎士の有志も、護衛と道作りに協力させてもらう」
「……感謝する、ラウター殿」
実務の歯車が、猛烈な勢いで回り始める。
ニコは自分の工房を封じられたため、職人組合の共同工房へ入り込み、地元の職人たちを指揮して暖石と小型暖房具の最終調整を突貫で行っていた。
そして、ミラとヴェラもまた、己の席で戦っていた。
「アメリア様……! 分散していた議事録の写しと、各村の状況を照合しました!」
ミラが、強風に煽られる紙の束を必死に押さえながら報告する。
「書類上は『配布済み』となっている物資ですが、実際の現場には一つも届いていません……! これでは、エレナ様が知らせてくださった王都下町の配給未達と、全く同じ構図です!」
「ええ。そして、その消えた物資の一部は……」
ヴェラが氷のように冷たい声で引き継いだ。
「中央倉庫へ集めるという名目で滞留させられ、裏の帳簿を通じて、再びあの黒い商印の闇経路へ流れかけていますわ。……寒波を理由に物資を止めて価格を吊り上げ、領民の命と引き換えに私腹を肥やす。本当に、吐き気がする連中ね」
それぞれの能力が、正しい場所に置かれる。
台帳を読む者、記録する者、金の流れを見る者、暖を作る者、道を知る者。
部屋を奪われても、彼らの働きは決して止まらなかった。
そして数時間後。
広場に、歓喜の報告が飛び込んできた。
「東の村へ、第一陣の救援隊が到着しました! ガレス殿の裏道と、ニコ殿の暖石のおかげで……凍死者はゼロです!」
第一陣に積んだのは、中央指定倉庫に集められる前に村長会が確保していた予備の黒パンと、職人組合が保管していた試作用の暖石だった。
量は少ない。
だが、今夜を越すには足りた。
天幕の下で、皆の顔に安堵の笑みが広がる。
さらにそこへ、雪まみれになった早馬の使いが飛び込んできた。
「アメリア様! 北方七領の領主連合より、急ぎの書状です!」
受け取った書状には、多数の領主たちの連名と印章が押されていた。
そこには『王都の中央命令に従った結果、配給が完全に滞り、各地で寒波の被害が拡大している。我々はフォルクハルト領の緊急差配に同調し、直ちに王都へ改善を求める』と、力強い言葉が記されていた。
さらに、末尾にはこう添えられていた。
『同じ内容の写しを、貴族院の監察部にも送付済みである』
私たちの実務が、辺境の命を救い、そして北方の領主たちをも動かしたのだ。
(……やれるわ。私たちのやり方で、この冬を越せる)
だが。
広場で小さな成果を上げ続ける私たちの前に、巨大な不条理の壁が立ちはだかっていた。
「……退きなさい。中には、領民たちの命を救うための薪と毛布があるのよ」
広場のすぐ目の前にある、領内最大の『中央指定倉庫』。
その前には、王都の兵士たちが槍を構えて立ち塞がっていた。
「なりませぬ! 財務院からの正式な印章と、追加の配給許可が届くまで、この倉庫の物資を動かすことは国法により固く禁じられております!」
兵士の背後にある倉庫の重い鉄扉は、太い鎖で巻かれ、完全に凍りついている。
紙の上では物資はあふれている。
目の前の倉庫にも、確かに命を繋ぐ薪はある。
だが、王都が強要する印章と許可を待つというただそれだけの理由で、凍った扉は決して開かない。
紙の命令は薪にならない。
この理不尽な冷たい壁を打ち崩さなければ、王国の冬を越すことはできないのだ。




