第59話 代行令嬢の限界
山間の村から「今夜にも凍死者が出る」という悲痛な救援要請が届いた夜。
私は藁にもすがる思いで、領主の館の奥にある父の寝室へと急いだ。
「お父様……!」
だが、静かに扉を開けた私の目に飛び込んできたのは、急激な冷え込みのせいで高熱にうなされ、荒い息を吐く父の痛々しい姿だった。
「アメリア様。旦那様は今、意識が混濁しておられます。……お声をかけても、おそらく」
傍らに控えていた専属の医師が、重々しく首を横に振る。
私は父の熱い手を握りしめ、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
王都から派遣された監察官の冷酷な言葉が、脳裏に蘇る。
『委任状は万能ではない。それが不当だと言うなら、辺境伯本人の追加裁可状を提出しろ』
今の父に、ペンを握って正式な裁可を下すことなど不可能だ。
私の持つ父の委任状は、緊急時の差配を行う盾にはなっても、王都の財務院が「制度上不十分だ」と強引に主張すれば、それを正面から覆すだけの力を持たない。
再任用室の扉は重い錠前で封じられ、中央命令のせいで物資は倉庫に集約されたままピクリとも動かない。
その間にも、白い寒波は無情にも領民たちの体温を奪っていく。
(これが、ただの『代行令嬢』でしかない私の限界なの……?)
王都の冷酷な制度と、過酷な自然の脅威。
二つの巨大な壁に挟まれ、私は自分の無力さに膝から崩れ落ちそうになった。
「……アメリア様。ご自身を責める必要はありません」
沈み込む私の肩に、温かく力強い声がかけられた。
振り返ると、レオンが静かな、けれど決して揺るがない瞳で私を見下ろしていた。
「バルツァー院長の狙いは、初めからこれだったのです」
レオンは私の隣に立ち、冷徹に王都の真の意図を整理し始めた。
「彼らは先の審問で、私個人の過去を暴き、信用を殺そうとした。だが、辺境の反撃は止まらなかった。なぜなら、私一人を潰しても……あなたが我々に居場所を与え、結びつけている限り、不正の証拠と実務の成果は、何度でも王都に突きつけられると悟ったからです」
王都が本当に恐れたのは、レオンという一人の男の復讐ではない。
「だから彼らは、我々を結びつけ、成果を生み出している『再任用室という席』そのものを、国法を盾にして合法的に壊しに来たのです」
「……私たちを、もう一度ばらばらにするために」
私が呟くと、レオンは深く頷いた。
「ええ。ですが、彼らは一つだけ決定的な勘違いをしている」
レオンは、廊下に集まっていたミラやヴェラ、ニコやガレスたちの顔を見渡した。
「王国規模の異常寒波を乗り越えることは、たった一人の天才がいればどうにかなるものではありません。私のような台帳と数字を読む者だけでは、決して冬は越せないのです」
レオンの声は、静かな館の廊下に響き渡った。
「現場の人数と未達を正確に記録するミラ。裏へ流れる金流を見抜き、不正を防ぐヴェラ。少ない魔力で確実に暖を取る道具を作るニコ殿。そして、雪に閉ざされた中で実際に通れる帰還路を知るガレス殿」
彼が紡ぐ言葉は、再任用室という存在の真の価値だった。
「……それぞれの専門の能力が、正しい『席』に揃って初めて、我々は数多の命を救える。再任用室は、あなたが気まぐれで作った慈善施設などではない。王国の冬越しに不可欠な機能を一つに集めた、最高の実務機関です」
その言葉に、ミラが涙を拭い、ガレスが力強く頷き、ヴェラとニコが顔を上げる。
私はハッとした。
王都の監察官が私たちから奪ったのは、一体何だったのか。
彼らが封じたのは、執務室の重い扉と、「再任用室」という木彫りの看板だけだ。
彼らが正式な帳簿を台帳棚に閉じ込めても、レオンの頭脳の中にある完璧な計算式までは奪えない。
彼らが机の使用を禁じても、ミラやヴェラが命懸けで分散して持ち歩いている『記録の写し』までは奪い取れていないのだ。
(……そうよ。彼らが封じたのは、ただの『部屋』にすぎないわ)
部屋を奪われても、人が価値を発揮できる『席』そのものは、決して消えはしない。
私は自分の弱さを完全に振り払い、力強く立ち上がった。
父の委任状を再び懐の奥深くに仕舞い込み、王都の不条理に抗うための号令をかける。
「オルド! ガレス!」
「はっ、ここに!」
私の声に、武官たちが即座に反応する。
「王都の連中が封じた扉の前に、もう用はないわ。……違法に封印を破る必要もない」
私は、領主の館の外……猛吹雪が吹き荒れる広場を指差した。
「今すぐ、領内の倉庫前の広場へ、私たちの机を運び出しなさい! ……看板や部屋がなくても、私たちの仕事は止まらないということを、王都の連中に思い知らせてやるわ!」
絶望の最低点から、私たちが持つ真の力を証明するための、反撃の火蓋が切って落とされた。




