第57話 席を狙う命令
「ただちに業務を停止せよ」
王都から派遣された財務院の監察官は、凍りつくような声で言い放った。
彼の背後には、財務院の紋章を掲げた兵士たちがずらりと並び、執務室の空気を威圧感で満たしている。
「急に押し入ってきて業務停止とは、どういうことですの?」
ヴェラが扇子を口元に当て、鋭い視線を向けた。
だが、監察官は表情一つ変えることなく、手に持っていた羊皮紙の巻物を恭しく広げた。
バルツァー院長の署名と、財務院の正式な印章が押された命令書だ。
「フォルクハルト辺境伯領において設立された『再任用室』。……この部署は、病床にある辺境伯本人の正式な裁可を経ていない、極めて不透明な仮部署であると判断された」
監察官の冷徹な声が、私たちの足元を切り崩しにかかる。
「アメリア嬢。あなたの持つ権限は、あくまで緊急時の領地経営を『代行』するものにすぎない。王国の制度において、新たな部署を恒久的に設立し、身分の怪しい者たちを要職に登用する権限までは認められていない」
「……っ」
私は、懐の委任状を強く握りしめた。
バルツァーが本当に狙っているのは、証拠ではなかった。
彼は私たちの集めた証拠を個別に潰すのではなく、証拠を集めた『再任用室』という組織そのものの正当性を、国法を盾にして根底から否定しに来たのだ。
「よって、これより再任用室の運用実態を厳正に調査する。……レオン・クラウゼンの、領内における一切の帳簿閲覧権限を停止する。さらに、同部署に所属する記録係、会計係、職人、そして元騎士の契約をすべて再審査の対象とする」
それは、私たちが辺境でようやく手に入れた『席』を、再び白紙に戻すという死刑宣告に他ならなかった。
「ふざけないで! 彼らは素性の怪しい者ではありません。私の名の下に、正式な契約を結んだ領民です!」
私は一歩前に出て、監察官を真っ直ぐに睨み据えた。
「父の委任状には、領内のあらゆる緊急差配を私に任せると記されています。この異常寒波の中で彼らの業務を停止すれば、領民の命が危険に晒されるのですよ!」
「緊急時の差配と、恒久的な組織改編は異なる。それが王国の法だ」
監察官は冷たく切り捨てた。
「委任状は万能ではない。もしこの命令を不当だと言うのであれば……今すぐ、辺境伯ご本人の『直接の追加裁可状』をここに提出していただきたい」
その言葉に、私は息を呑んだ。
父の部屋へ向かおうとした私の足が、重く縫い付けられる。
……昨夜、専属の医師から報告を受けたばかりだった。
父は今、急激な冷え込みのせいで高熱を出し、意識が混濁している。
ペンを握って裁可状を書けるような状態では、決してないのだ。
監察官は、父の病状まで完全に把握した上で、絶対に提出不可能な条件を突きつけてきたのだ。
「……監察官殿」
沈黙する私に代わり、レオンが静かに歩み出た。
彼は自分の机から、分厚い記録の束を取り出し、監察官の前に差し出した。
「国法の遵守は理解できます。ですが、まずは我々がこれまで成し遂げた、救援と補給の実績記録を見ていただきたい。我々再任用室が、いかに効率的かつ正確に物資を運び、領民を救ってきたか。数字がすべてを証明しています」
それは、レオンたちが辺境で血を吐くような思いで積み上げてきた、揺るぎない成果の結晶だった。
だが、監察官はその記録の束を受け取ろうともせず、まるで汚物でも見るかのように目を細めた。
「……クラウゼン。勘違いするな」
監察官の言葉には、王都の冷酷な論理が詰まっていた。
「成果があるかどうかなど、どうでもいいのだ。王国制度上、それが『正しい手続きを経た席』かどうかが問題なのだよ。……権限なき者がどれほど優れた成果を上げようと、国法に照らし合わせれば、それはただの越権行為であり、反逆でしかない」
結果ではない。
手続きと身分こそがすべて。
それが、バルツァーという男が操る、王都の巨大で理不尽な壁だった。
「調査が完了するまで、再任用室の業務を完全に凍結する。……直ちに部屋を封鎖しろ」
監察官が冷酷に手を振ると、背後に控えていた兵士たちが、一斉に動き出した。
彼らは足早に廊下を進み、私たちが血の滲むような努力で作り上げた『再任用室』へと向かっていく。
「やめろ! 中にはまだ、大切な記録が……!」
「触れるな! すべて調査対象だ!」
ミラが悲鳴を上げて止めようとするが、屈強な兵士たちに乱暴に押し退けられる。
兵士たちは部屋の中にあった帳簿や記録用紙を取り上げると、誰もいなくなった部屋の重い木扉を無情にも閉め切った。
そして、その扉の合わせ目に、財務院の紋章が描かれたべったりとした封印の札が、何枚も貼り付けられていく。
「……っ」
ミラは涙を浮かべた。
けれど、泣き崩れはしなかった。
彼女は胸元に隠していた写しの束を、両手で強く抱きしめていた。
ヴェラは悔しげに扇子を握り潰さんばかりに力を込めている。
ガレスは無言で拳を震わせ、レオンはただ静かに、冷たい瞳でその光景を見つめていた。
扉の横に誇らしく掲げられていた、『再任用室』と書かれた木彫りの看板。
そこに、兵士が容赦なくバツ印の封印を叩きつけた。
部屋が奪われた。
王国の冬越しに必要な、物資を動かし、人を救うための機能が、国法という名の暴力によって完全に停止させられた。
窓の外では、白い寒波が猛威を振るい、空をどんよりとした灰色に染めている。
雪に閉ざされた村からの救援要請が積み上がっていく中で、私たちは手足を縛られ、絶望的な無力感とともに、ただ封じられた扉を見つめることしかできなかった。




