第56話 中央命令は雪道を知らない
「……これは、酷いものですね」
財務院から送られてきた『中央管理への移行』に関する分厚い命令書と、新たな配給台帳の写し。
レオンはそれに素早く目を通し、忌々しげに銀細工のペンを、いつもより強い音を立てて机に置いた。
「王都の役人たちは、地図の上で定規を引いて線を引いただけで、この配給の道筋を決めている。……現場の雪道を、何一つ理解していません」
「どういうこと、レオン」
「彼らの命令書によれば、我々の領地にある東の村へ物資を運ぶために、一度、北にある『中央指定の倉庫』へ薪や食料をすべて集約し、そこから改めて再配分しろと書かれています」
レオンは地図の上にペンを滑らせ、北への道筋を示した。
「ですが、北へ向かう尾根沿いの道は、この白い寒波のせいで完全に雪で塞がれています。一度物資を北へ集約などしようものなら、馬車は雪に足を取られて立ち往生する。……東の村へ薪が届くのは、雪解けの春になってからでしょう」
「そんな……! それでは、村の人たちは凍え死んでしまうわ!」
現場の地形も、過酷な自然の脅威も一切考慮されていない、王都の整然とした「机上の空論」。
怒りに震える私に追い打ちをかけるように、ミラが小さな声で報告を上げた。
「あ、あの……アメリア様」
ミラは王都から届いた台帳の写しと、自分が記録していた現場の確認書を震える手で見比べた。
「王都の台帳には……すでに、私たちの領地向けの第一陣の冬越し物資に、『配布済み』の印章が押されています。書類の上では、すでに各村へ薪が届いていることになっています……」
「ふざけるな!」
ガレスが苛立たしげに拳で壁を殴りつけた。
「実際に、俺が中央指定の倉庫へ確認に行ってきたんだぞ! 現場では、王都からの追加許可待ちだの、書類の印章が一つ足りないだのと言われて、荷馬車一つ動かせない! 倉庫の重い錠前は、凍りついたまま開く気配もないんだ!」
紙の上の命令書では、物資は動いている。
王都の帳簿の上では、薪も黒パンも、そして暖石も、すでに領民たちの手元に「配布済み」となっている。
だが、現実はどうだ。
幾重にも重ねられた無駄な手続きと、印章と、許可待ちの列。
その間に物資は冷たい倉庫の中で完全に止まり、実際の村や下町には、ただの一本も薪は届いていないのだ。
紙の命令は、決して薪の代わりにはならない。
「……さらに不愉快な事実がありますわよ」
重苦しい空気の中、ヴェラがパチンと扇子を鳴らし、彼女が執念で追いかけている『金流表』を机の中央に広げた。
「一度、中央指定の倉庫に集めるという名目で、帳簿の上から一時的に消えた物資。……その一部の流れに、おかしな空白がありますわ」
「空白?」
「ええ。正規の配給の道筋から外れ、またしてもあの忌々しい『黒い商印』の裏経路へと流れかけている形跡がありますの」
ヴェラは冷たい声で、王都の闇の輪郭をなぞった。
「バルツァー院長は、寒波対策という大義名分で物資を囲い込み、配給の手続きをわざと遅らせている。そうして市場の薪の価格を極限まで吊り上げた上で、裏経路へ横流しし、またしても私腹を肥やそうとしているのですわ」
すべてが仕組まれていた。
彼らは春市の不正を追及された腹いせに、今度は王国全土の寒さを利用して、より巨大な搾取の仕組みを作り上げようとしているのだ。
「……許さない」
私は『父の委任状』を強く握りしめ、立ち上がった。
「王都の命令書なんか待っていられないわ。再任用室の権限で、独自の救援部隊を出すわよ! ガレス、実際に通れる冬道の選定を! レオンは……」
私が反撃の指示を飛ばそうとした、まさにその時だった。
領主の館の前に、重々しい蹄の音と車輪の軋む音が響き、一台の立派な馬車が到着した。
窓から見下ろすと、その馬車の扉には、財務院の権威を示す紋章がこれ見よがしに刻まれていた。
「……アメリア様」
レオンが、油断のない冷たい視線でその馬車を見据える。
馬車から降り立ったのは、冷酷な目つきをした王都の役人だった。
彼は多数の兵士を引き連れて館の玄関を通り抜け、私たちがいる執務室へと向かってくる。
やがて、兵士が無言で扉を押し開け、監察官が一歩も迷わず執務室に踏み込んできた。
「財務院より、再任用室に対する『正式な監察命令』をお持ちした」
役人は、冷ややかな声で私たちを見下した。
「王都の制度に反する不透明な部署の運用実態を、これより厳正に調査する。……調査が完了するまで、同部署の業務の一切を凍結するよう、バルツァー院長からの通達である」
ついに、王都の刃が私たちの『席』そのものへと振り下ろされた。
冬の嵐が吹き荒れる中、最も過酷で理不尽な、再任用室の解体を巡る攻防が始まろうとしていた。




