第55話 帰領と白い寒波
王都での過酷な審問を終え、私とレオン、そして同行していたミラとヴェラは、数週間ぶりにフォルクハルト辺境領へと帰還した。
エルヴェ商会の不正を暴き、王都認証印の矛盾を突いた私たちの帰還を、領民たちは安堵と誇りを込めて出迎えてくれた。
だが、馬車から降り立った私の頬を撫でた風は、春の訪れどころか、真冬よりも鋭く冷たい、刺すような痛みを伴っていた。
「……冷えるわね」
「はい。例年とは比較にならないほどの、異常な冷気です」
レオンが厚手のコートの襟を立てながら、険しい顔で空を見上げた。
領主の館へ戻ると、留守を預かっていたガレスがすぐさま執務室へ駆け込んできた。
「アメリア様、ご帰還早々に申し訳ありません。……領内の状況が、不穏です」
ガレスは一枚の報告書を私の机に広げた。
「領都の井戸水が、例年より二週間も早く凍り始めています。さらに、山間部にある三つの村から、薪の消費が異常に早く、すでに冬越しの備蓄が底を突きかけているとの救援要請が届きました」
「まだ春の初めなのに……」
私が絶句していると、今度はヴェラが、王都から届いたばかりの密書を差し出した。
エレナ様から送られたものだ。
「王都下町でも、事態は深刻なようですわ。……寒波の影響で凍える者が急増しているにも関わらず、国からの配給が一向に届かず、貧民街では凍死者が出始めていると」
ヴェラは密書の末尾を指で示した。
「それから、エレナ様はこうも書かれています。『王都下町の配給未達について、私は貴族院の一部にも記録を届けています。財務院だけでは、もう隠しきれないはずです』と」
私はその一文を、胸の奥に刻み込むように読み返した。
エレナ様は王都で、ただ私たちの帰りを待っていたわけではない。
あの冷えた配給所で見た現実を、確かに次の手へと繋いでくれていたのだ。
王国全土を覆い尽くそうとする、記録的な白い大寒波。
辺境だけでなく、王都の中枢すらもが、その容赦のない自然の脅威に晒されようとしている。
「一刻の猶予もないわ。ただちに領内の備蓄を開放して、山間の村へ救援物資を……」
私が緊急の差配を命じようと立ち上がった、まさにその時だった。
執務室の扉が乱暴に叩かれ、息を切らした文官が転がり込んできた。
「あ、アメリア様! 王都の財務院より、早馬で緊急の命令書が……!」
文官が差し出したのは、またしてもあの忌々しい、財務院の黒い印章が押された封書だった。
レオンが素早くそれを受け取り、無表情のまま封を切って文面を目で追う。
「……読み上げて、レオン」
「……『王国全土を襲う異常寒波に対し、財務院は非常措置として、すべての冬越し物資を中央管理へと移行する』」
レオンの冷徹な声が、静まり返った執務室に響いた。
「『各領地の備蓄物資は、個別の差配を禁ずる。すべてを一度中央の指定倉庫へ集約し、財務院の指示に従って再配分すること。……違反した場合、領地への国庫補助を全面的に打ち切る』と」
「な……に?」
私は自分の耳を疑った。
つまり、私たちフォルクハルト領が自力で買い集め、備蓄していた薪や食料すらも、自分の意志で領民へ配る権限を奪われたのだ。
一度中央の倉庫へ集約し、そこから再配分を待つ。
そんな悠長な手続きを踏んでいれば、書類に印章が押されるのを待つ間に、村の領民たちは完全に凍え死んでしまう。
「……さらに、追記があります」
レオンの言葉は、まだ終わっていなかった。
「『加えて、フォルクハルト領における不透明な部署である再任用室の運用実態について、王都より監察官を派遣し、厳正なる調査を行う。……調査が完了するまで、同部署の業務の一切を凍結することを通達する』」
「……っ!」
私は、怒りのあまり唇を噛み締めた。
バルツァーの狙いは明確だった。
彼は王都での審問で悟ったのだ。
レオン一人の信用を攻撃し、笑い者にしても、辺境の反撃は止まらなかった。
私が彼らに居場所を与え、能力を掛け合わせて作り出した『証拠』は、レオン一人を潰しても消えなかったからだ。
だからあの老獪な男は、今度は私たちの証拠を疑うのではなく……私たちが物資を動かす『代行としての権限』と、証拠そのものを生み出す『再任用室という席』を、国法という絶対の盾を使って合法的に奪いに来たのだ。
「彼らは本気で、私たちをバラバラにする気ですわね」
ヴェラが扇子を強く握りしめ、低く呟く。
机の上に置かれた『王都からの黒い命令書』。
それは、紙に書かれた文字でしかない。
だが、この紙の命令が、現実に領民たちの命を凍らせ、私たちがようやく手に入れた居場所を容赦なく奪い去ろうとしている。
王国全土が凍てつく中で、王都からの理不尽な命令が物資の流れを縛り付ける。
私たちの真の力が試される、最も過酷で絶望的な冬越しの戦いが、静かに幕を開けたのだった。




