第53話 言葉を持つ夜
激動の審問初日が終わり、王都の空は深く冷たい夜の闇に沈んでいた。
宿のバルコニーに出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。
私は手すりに寄りかかり、眼下に広がる王都の華やかな灯りを見下ろしていた。
「……冷えますよ、アメリア様」
背後から静かな声がして、私の肩にふわりと温かい外套が掛けられた。
振り返ると、いつものように感情の薄い顔をしたレオンが、銀細工のペンを指先で転がしながら立っていた。
「ありがとう、レオン。……今日は、よく言葉を絞り出してくれたわね」
「いいえ。私はまだ、自分の感情を上手く言葉にする術を、ほとんど知りません」
レオンはバルコニーの柱に寄りかかり、夜空を見上げて自嘲気味に息を吐いた。
「今日、あの審問室でユリウスの言葉を浴びた時。……私は一瞬、再びあの絶望的な『沈黙』の中へ逃げ込みそうになりました。あなたのあの手が、私を力強く引いてくれなければ、私はきっと……王都の冷たい闇に呑み込まれたままだったでしょう」
「レオン……」
「それでも」
彼は私の方へ向き直り、その氷のような瞳に、確かな熱を宿して言葉を続けた。
「私は、あのまま王都の底で無力に朽ちるのではなく……もう一度、あなたの隣に戻りたいと、強く思いました。私の言葉を信じ、私に『席』を与えてくれた……あなたを、筆頭補佐官として支え続けるために」
それは、甘くロマンチックな愛の言葉では決してない。
だが、彼が自らの意志で『私の隣にいること』を選び取り、必死に言葉にしてくれたことが、私の胸の奥をじんわりと温かく満たしていった。
私は彼を、可哀想な被害者として甘く慰めたりはしない。
私は少しだけ悪戯っぽく微笑み、掛けられた外套の襟を正した。
「言葉が足りないなら、行動と正確な数字で示せばいいわ。あなたがどれだけ不器用でも、私があなたを選んで座らせた『補佐官の席』は、王都の野次くらいじゃ絶対に揺るがない」
私は彼の銀細工のペンを指差す。
「だから、明日も必ず私の隣に立ち、あの連中の嘘をあなたの完璧な計算で暴きなさい。……これは、辺境伯領主代行としての命令よ」
「……承知いたしました、アメリア様」
レオンは短く答え、不器用だが、確かな信頼のこもった微笑みを微かに浮かべた。
私たちの間に流れる空気は、互いの欠落を仕事と信頼で埋め合う、唯一無二の相棒としての強い結びつきだった。
「お邪魔だったでしょうか」
その時、バルコニーの入り口から静かな声がした。
明日の最終証言の打ち合わせを終えたエレナが、分厚いショールを羽織って立っていた。
「エレナ様。いえ、構いませんよ」
「少しだけ……夜風に当たりたくて」
エレナは手すりに近づき、私とレオンの横に並んだ。
彼女は、以前のようにレオンに泣きすがることも、責めることもしなかった。
ただ、とても穏やかな、憑き物が落ちたような顔をしていた。
「レオン様。……あなたは、本当に自分の言葉を持てるようになり始めたのですね」
「エレナ様……」
「今日、あなたがアメリア様の隣で、ご自身の意志を口にされたのを見て……私、ようやく理解しました」
エレナは王都の夜景を見つめながら、ぽつりと呟く。
「私には、あなたのその不器用で重い言葉を、引き出してあげることはできなかった。……私たちは、ただお互いの孤独を埋める術を知らないまま、並んで座っていただけだったのですね」
それは、彼女なりの痛みの清算だった。
彼を許すわけではない。
ただ、二人の関係が完全に終わったのだと、彼女自身が納得するための儀式。
エレナは私の方へと向き直り、深く頭を下げた。
「アメリア様。……どうか、彼が選んだその席で、これからも共に戦ってあげてください」
それは、恋敵への嫉妬ではなく、かつて愛した人がようやく自分の言葉で立てる場所を、ただ静かに見届けるような、美しく気高い姿だった。
「……ええ。約束するわ、エレナ様」
私が敵意なく、力強く頷くと、エレナはどこか晴れやかな微笑みを残し、静かにバルコニーを去っていった。
彼女の背中を見送りながら、私とレオンは再び、夜の王都の静寂に取り残される。
感情の整理と、過去の呪縛の清算は終わった。
「行くわよ、レオン。明日は、彼らの嘘をすべて終わらせる日よ」
「はい。……私のすべてを懸けて、あなたを勝利へ導きます」
翌朝。
私たちは、王都の巨大な陰謀と嘘を打ち崩すため、最終判断が下される貴族院の審問室へと、不退転の決意で足を踏み入れた。




