第51話 信用を殺す理由
「君は何も言わなかった。あの夜、婚約者を泣かせ、周囲から非難を浴びても、ただ無様に口を閉ざしていただけではないか!」
ユリウス・セイルの美しい顔が、歪な嘲笑に染まっていた。
彼は証言台のレオンを指差し、傍聴席の貴族たちへ向けて声高に響かせる。
「たとえ席順に私の作為があったとしても、彼が不誠実な『沈黙』を貫いた事実は何一つ変わらない! 彼は社交界の誰からも信頼されていない、孤立した無能だ。……皆様、そんな男がどこからか拾い集めてきた『台帳』など、到底信じられるものではないでしょう?」
傍聴席の貴族たちが、再びユリウスの言葉に同調し、レオンへの猜疑と侮蔑の視線を向ける。
その時、私はようやく、すべてが一本の線で繋がったのを感じた。
(……そういうことだったのね)
なぜ王都の連中は、北方備蓄の横領という重大な不正に気づきかけていたレオンを、密かに暗殺したりしなかったのか。
なぜ彼が持っていた『青印の控え』という決定的な物証を、強引に奪い取ろうとしなかったのか。
「……だから、あなたたちは彼を『笑い者』にしたのね」
私は静かに、けれど審問室の隅々にまで届くようにはっきりと口を開いた。
「侯爵令息である彼を暗殺すれば、貴族院を巻き込む大騒ぎになる。かといって、彼が持っている台帳を無理に奪い取れば、あなた方自身が『不正の存在』を認めることになる」
私はユリウスの空虚な目を真っ直ぐに見据えた。
「だからあなたたちは、婚約破棄という醜聞を利用して、彼を『冷血で無能な男』に仕立て上げた。彼が何を訴えても、誰もが『あの愚か者の逆恨みの妄言だ』と笑って聞き流すように……社交界の噂を使って、彼を社会的に殺したのよ」
紙は怒鳴らない。
だが、人の信用は、悪意ある噂と演出された断罪劇によって、いとも簡単に潰すことができる。
王都がレオンから奪い去ったのは、婚約者でも地位でも、ましてや台帳でもない。
『彼の言葉を信じてもらう権利』そのものだったのだ。
「……面白い推理だ、代行令嬢」
私の指摘に対し、ユリウスは悪びれるどころか、ふっと肩をすくめてみせた。
「だが、仮にそうだったとして、それが何になる? 現に、彼は誰からも信じられていない。そんな男の言葉に、誰が耳を貸すというんだね?」
「ええ。彼一人が台帳を持って叫んでも、王都では誰も信じなかったでしょうね」
私は、自分の後ろに控える頼もしい相棒たちを振り返った。
「でも、今は違うわ」
私は証言台の上に、私たちが辺境から命懸けで運んできた証拠の数々を、次々と広げて見せた。
「レオンの『青印の控え』。ミラの『議事録』と『日付の照合』。ヴェラが暴いた『金流表』と『黒い商印』。ドミニクの『鑑定書』とニコの『設計図』。そして……エレナ様がもたらした『社交界の記録』」
それは、かつて王都が「役立たず」として捨てた人々が、辺境の再任用室でそれぞれの席を与えられ、己の専門性を注ぎ込んで集めた、確かな成果の結晶だった。
「王都に見捨てられた彼らの記録が、一つに重なり合った時。……それはもはや個人の妄言ではなく、誰も覆すことのできない『揺るぎない物証』になるのよ!」
私の宣言に、傍聴席の貴族たちから息を呑む音が漏れた。
能力が分かれていたからこそ、一人では証明できなかった王都の巨大な不正。
それが今、辺境という地で再び結びつき、王都の嘘を完全に包囲したのだ。
だが、それでもユリウスの悪意は止まらなかった。
「……見事な紙の束だ。だが、それだけだ」
彼は証拠の束を一瞥すると、再びその視線をレオンへと突き刺した。
証拠の正当性を崩すことができないと悟った彼は、最後の手段として、レオン個人の心を完全にへし折りにきたのだ。
「記録が揃おうと、君自身の卑怯な本質は変わらない。君は自分の言葉を持たず、いつも誰かの後ろに隠れて黙り込むだけの男だ」
ユリウスは証言台ににじり寄り、毒蛇のように囁いた。
「あの夜会と同じように。君はまた、大切なものの前で何も言えずに黙り込むのだろう? ……さあ、何か言ってみろ、クラウゼン!」
ユリウスが、過去の断罪劇を完全になぞるように、公衆の面前でレオンを精神的に追い詰める。
その残酷な刃を前に、レオンの肩が再び、あの夜と同じように微かに震え始めていた。




