第48話 エレナの証言と、届かなかった言葉
ミラの提示した記録の精査を理由に、貴族院の審問は一時休廷となった。
私たちに割り当てられた冷たい石壁の控室で、重苦しい空気が漂う中、静かに扉がノックされた。
「……失礼いたします」
入ってきたのは、深くフードを被った女性……レオンの元婚約者、エレナ・ロシュフォールだった。
彼女は私に一礼すると、フードを外し、真っ直ぐにレオンの元へと歩み寄った。
「エレナ様。……危険を冒してまで、なぜここに」
「次は、私が証言台に立つ番ですから」
エレナのその言葉に、レオンは微かに目を見開いた。
「レオン様。私は、あなたを庇うためだけに証言するわけではありません」
彼女は、手袋をはめた両手を胸の前で固く握りしめ、静かに、けれどはっきりとした声で告げた。
「私は、あの婚約破棄の夜会で……あなたがただ沈黙し、私を守るための言葉を一つも口にしてくれなかったことに、本当に傷つきました。私がどれほど心細く、不安だったか。あなたはそれを理解しようともしなかった。……その事実と痛みは、今でも私の心から消えてはいません」
それは、悪女の恨み言でも、未練による泣き言でもない。
レオンという一人の人間に深く傷つけられた、被害者としての正当な痛みの吐露だった。
レオンは逃げなかった。
以前の彼なら、何を言えばいいのかわからず、再び沈黙の殻に逃げ込んでいただろう。だが、今の彼は違う。辺境で自分の席を得て、記録と成果を積み上げ、少しずつ他者へ向ける『言葉』を取り戻し始めているのだ。
「……申し訳ありませんでした」
レオンは深く頭を下げ、そして、逃げることなく彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「以前、調査団としてあなたが辺境へいらした時、私は……ただ、あの騒動にあなたを巻き込んだことだけを謝ろうとしていた。ですが、そうではありませんね」
彼の声は、不器用ながらも、痛みを伴う真摯な響きを帯びていた。
「私は……あなたの孤独に気づきながら、あなたを安心させる言葉を一つも渡そうとしなかった。自分の感情を伝える努力を怠り、あなたを放置した。……私に悪意がなかったとしても、私の『沈黙』があなたを深く傷つけた事実は、決して消えません。本当に……すまなかった」
それは、復縁を乞うための甘い言葉ではない。
自らの罪の在り処を正確に理解し、一人の人間として、彼女の痛みに初めて正面から向き合った、確かな『謝罪の言葉』だった。
エレナは小さく息を吐き、固く握りしめていた手をゆっくりと解いた。
彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……ようやく。ようやく、あなたは私に言葉を向けてくださったのですね」
彼女は涙を拭い、微かに微笑んだ。
そこに復縁を望む色はない。ただ、彼から長年欲しかった謝罪の言葉を受け取り、彼女自身の心を縛っていた過去の呪縛を、ようやく一つ清算できたのだとわかった。
「……これを」
エレナは手提げ鞄から、数枚の紙片を取り出し、私とレオンの前に差し出した。
「私は、自分の痛みを……王都のあの薄汚い悪意に利用されたままにはしておきません」
それは、彼女が王都の社交界を駆け回って密かに集めてきた『古い招待状』と、あの夜会の『席順表』だった。
「どうか、これを使って……彼らの美しい嘘を、暴いてください」
「エレナ様……」
私がその紙の束を受け取ると、エレナは深く一礼し、証言の準備のために控室を出ていった。
彼女はもう、誰かに利用されるだけの令嬢ではない。真実を暴くための、誇り高き証言者だ。
「アメリア様。その席順表を」
レオンが、鋭い声で私に手を差し出した。
彼と一緒にその席順表と招待状の控えを確認した瞬間、私は背筋が粟立つのを感じた。
「これは……」
「ええ。本来なら同席するはずのない、異なる派閥の貴族たちが意図的に同じテーブルに配置されています。さらに……私とエレナ様が、物理的に言葉を交わせないほど遠く引き離される席順になっている」
レオンの指が、席順表の不自然な配置を次々と示していく。
断罪の声を上げる者たちが最も目立つ位置に座らされ、彼を擁護する可能性のある者たちは、巧妙に会場の端へと追いやられている。
「……やはり」
レオンの瞳に、静かな怒りの炎が灯る。
「あの夜会は、偶然の恋愛沙汰の果てに起きた悲劇などではない。……最初から、私という存在を完全に孤立させ、断罪するために仕組まれた、完璧な舞台だったのです」
婚約破棄という名の、周到に用意された公開処刑。
ユリウス・セイルが美しい言葉で隠し続けてきたその醜悪な真実の裏側が、今、エレナの勇気によって白日の下に晒されようとしていた。




