第44話 王都の石畳
馬車の窓から見える風景が、雪深い針葉樹の森から、整然と敷き詰められた白亜の石畳へと変わった。
何日にも及ぶ旅の末、私とレオン、そしてミラとヴェラの一行は、王都の正門を潜り抜けた。
春の陽光に照らされた王都は、華やかな装飾の店並みと、豪奢な馬車が行き交う、相変わらずの繁栄を見せていた。
だが、その華やかさの裏側に潜む空気は、雪山よりもずっと冷たい。
「……あら、あれは」
「クラウゼン家の……いや、元侯爵令息か」
私たちが大通りを歩いて宿へ向かう道すがら、すれ違う貴族や商人たちが、レオンの顔を見るなりヒソヒソと扇子の陰で囁き合い始めた。
「婚約者を泣かせた挙句、何も言えずに逃げ出したという……冷血な男」
「実家からも勘当されて、どうしているかと思えば……」
「辺境の田舎令嬢に拾われて、お飾りの補佐官にでも収まったのだろうさ。惨めなものだ」
彼らは決して大声では言わない。
だが、確実にこちらへ聞こえるように、計算された『噂』という形の刃を次々と投げつけてくる。
レオンは無表情だった。
彼は背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を向いて歩いている。
だが、私は見逃さなかった。
彼がコートのポケットの中で、私が贈った『銀細工のペン』を、指の関節が真っ白になるほど強く……痛いほど強く握りしめているのを。
王都は、彼から言葉を信じてもらう権利を奪い、彼を『笑い者』という席に縛り付けた場所だ。
その呪縛が、再び彼の心を深く抉ろうとしている。
「レオン」
私は怒鳴り返したい衝動をぐっと堪え、彼の歩幅に合わせるように、スッとその隣に並び立った。
「……アメリア様」
「顔を上げ、胸を張りなさい、私の補佐官。……あなたは辺境の厳しい冬を越えさせ、魔物の群れから人々を救い、私をここまで導いた、誇り高き男よ」
私は彼だけに見えるように、ほんの少しだけ微笑んだ。
「王都の噂など、辺境の吹雪に比べればそよ風みたいなものよ。……私が、あなたの隣にいるわ」
「……」
レオンは一瞬だけ目を伏せ、ポケットの中で握りしめていた手の力を、ゆっくりと緩めた。
「恐縮です。……ええ、私はもう、一人ではありませんから」
彼が短く頷いたのを確認し、私たちは堂々とした足取りで王都の滞在先となる宿へと向かった。
宿の裏口から、誰にも見られないように手配した一室。
私たちは明日の審問へ向け、証拠の最終確認をしていた。
青印の控え、赤い訂正印の照合表、北七号の記録、黒い商印の写し、金流表、設計図、鑑定書。
それぞれの証拠を確認し終えた後、レオンの指示で、書類はすべて各自の皮袋へ分散して収められた。
「これで、仮に誰か一人が狙われても、証拠の全体は失われません」
「ええ。用心に越したことはないわね」
私が頷き、扉へ向かった、その時だった。
コン、コン。
控えめなノックが響いた。
護衛が外を確かめ、合図を送る。
現れたのは、深くフードを被った女性だった。
「……お久しぶりです、レオン様。アメリア様も」
フードを外したのは、レオンの元婚約者であるエレナだった。
「エレナ様。王都での証拠集め、ご苦労様でした。……危険はなかったですか?」
「ええ、大丈夫です。誰も、私があなた方に協力しているとは夢にも思っていないでしょうから」
彼女は静かに微笑んだ。
その顔には、以前辺境で会った時のようなくぐもった悲しみはなく、ただ真っ直ぐな、一つの真実を明らかにするという強い意志が宿っていた。
「見つけました。彼らが仕組んだあの夜会……私とレオン様を切り裂いた、あの悪意の『ほころび』を」
エレナは手提げ鞄の中から、古い数枚の紙の束を取り出し、机の上に並べた。
「これは、あの婚約破棄の夜会で使われた『古い招待状』の控えと、会場の『席順表』。そして、夜会より前の時期に開かれた茶会での、噂の流布を記録したものです」
それは、レオンの断罪劇が、決して偶然の恋愛沙汰の果てに起きたものではなく、極めて周到に、意図的に計画されたものであることを証明するための、決定的な『社交界側の物証』だった。
「これがあれば……彼らの描いた美しい筋書きを、根本からひっくり返すことができます」
「ありがとう、エレナ様。……あなたの勇気に、心から感謝するわ」
「いいえ。私はただ、私が傷ついたという事実まで、彼らの嘘の道具にされたくないだけです」
エレナが力強く頷き、私たちは彼女の持ってきた証拠を確認した。
そして、その写しを取ると、原本はエレナ自身の皮袋へ戻し、写しはミラが管理する記録束へ分散して収める。
証拠をそれぞれの皮袋に収め、扉を開けた瞬間だった。
廊下の薄闇に、ひどく美しい笑みを浮かべた男が立っていた。
「やあ。相変わらず、君たちは裏でこそこそと集まるのが好きだね」
「……ユリウス・セイル」
レオンが、その名を重く、低く呟いた。
「久しぶりだね、レオン。辺境の空気は君の冷たい心には合っていたようだが……」
婚約破棄の断罪劇を演出し、レオンからすべてを奪った張本人。
ユリウスは、非の打ち所のない空虚な笑顔を浮かべ、まるで古い友人に挨拶するかのように優雅に一礼した。
「また明日、君を公衆の面前で傷つけてしまうかもしれない。……でも、王都の秩序のためだ。恨まないでおくれよ?」
底知れぬ悪意を美しく包み込んだその宣戦布告に、私たちは静かに、しかし燃えるような決意をもって、彼を睨み返した。




