第37話 代行令嬢と王都騎士
合図灯が灯らない、不吉な霧に包まれた雪山の入り口。
私たち混成救援隊がいよいよ山道へと足を踏み入れようとしたその時、白い霧の中から一人の若者が馬を飛ばして駆け下りてきた。
豪奢な銀の甲冑。
王都から派遣されてきた、騎士団の先遣隊の使者だ。
「私は王都騎士団、先遣隊のラウター! 辺境伯軍の指揮官はどこか!」
ラウターと名乗ったその青年騎士は、私たちの陣容を一瞥するなり、馬から降りて高圧的な声で叫んだ。
「先遣隊は現在、監視所手前の渓谷で魔物の群れと交戦中だ! だが、麓で合流するはずの辺境の救援隊が、魔物を討伐する気もなく『撤退計画』などという及び腰の布陣を敷いていると聞き、急ぎ戻ってきた。直ちに討伐の増援を出していただきたい!」
彼の目は真剣そのものだ。
悪人ではないのだろう。
ただ、魔物を力でねじ伏せることこそが騎士の誉れであるという『王都の価値観』に、骨の髄まで染まりきっている。
「……増援は出さないわ。私たちの目的は、監視所の兵とあなたたち先遣隊を、安全に麓へ撤退させることよ」
私が前に進み出て告げると、ラウターはあからさまに眉をひそめた。
「撤退だと? そんな弱腰な計画、誰が立てた……むっ」
ラウターの視線が、私の背後で地図を確認していた男の上で止まった。
「よりにもよって……王都の騎士団で『無謀な突撃を恐れて逃げ帰った』と笑われていた、臆病な元騎士のガレスではないか! 呆れた采配だ。そんな逃げ癖のある男に、部隊の指揮を任せているのか!」
「……」
ガレスはラウターの嘲笑を無言で受け流し、ただ黙々と撤退路の確認を続けている。
だが、ラウターの侮蔑の刃は、ガレスだけに留まらなかった。
「そもそも……辺境伯が病に倒れている今、正式な当主でもない『代行令嬢』の貴女の命令など、我々王都の騎士団には届きません。それに、そちらで計算をしている筆頭補佐官殿は、社交界で婚約破棄されて追放された元侯爵令息でしょう。……辺境は、よほど人材不足と見える」
私は、ふっと冷たい息を吐いた。
王都の人間は、どうしてこうも肩書きと過去の噂だけで人の価値を測りたがるのだろうか。
私は感情的に怒鳴り返すことはせず、懐から一枚の分厚い羊皮紙を取り出し、彼の眼前にピシャリと突きつけた。
「これは、父であるフォルクハルト辺境伯の『委任状』であり、この印章が辺境の緊急指揮権を証明しているわ」
私はラウターの目を真っ直ぐに見据えた。
「確かに、王都の制度上、代行である私の命令が、独立権限を持つ王都騎士団の完全な上位にあるとは言わないわ。……でも、この領内で起きた緊急事態において、現場の指揮権は正式に私が持っている。これ以上、あなたたちの面子のために、無謀な突撃で人命を散らすことは許可しない」
(……今はこれで黙らせられる。けれど、いつか必ず、この『代行』という立場の弱さを、王都の連中に突かれる日が来るわね)
私は内心で舌打ちをしながらも、領主代行としての毅然とした態度は崩さなかった。
「だが、戦わなければ監視所が保たない! 我々は王都の誇りにかけて……!」
「感情論は不要です」
食い下がろうとするラウターの前に、今度はレオンが静かに進み出た。
彼は一切の感情を交えない、氷のように冷徹な声で告げる。
「あなたがたが山へ持ち込んだ物資量と、交戦による現在の消費速度。……計算するまでもありませんが、あなた方の部隊は明日の朝には完全に補給が尽きる。戦おうにも、剣を振るう体力すら残らないはずだ」
レオンは私の贈った銀細工のペンで、手元の補給表を叩いた。
「そして、この地図を見なさい。雪解けの渓谷で魔法を放てば、魔物を倒す前に雪崩で自滅します。……王都の誇りとやらで、部下の命を無駄に散らすおつもりか?」
「くっ……それは……」
レオンの突きつけた容赦のない数字と、冷徹な地形の現実。
ラウターは反論の言葉を失い、悔しげに唇を噛んで押し黙った。
彼も現場を見てきたからこそ、レオンの計算が完全に正しいと認めざるを得なかったのだ。
「指揮系統の確認はこれで終わりよ。……ガレス、出発の指示を」
「はっ」
私たちがラウターを現実の数字で黙らせ、いよいよ山へ踏み入れようとした直後。
山の奥から、低く重い地響きが届いた。
最初は雷のように聞こえた。
だが、ガレスが即座に顔色を変え、地図の上へ視線を落とす。
「……まずい。群れが動きを変えた」
「わかるの?」
「雪面の揺れ方が違います。正面の渓谷ではなく、こちらの尾根側へ回り込み始めている。今すぐ撤退路を確保しなければ、先遣隊と監視所をつなぐ避難路が塞がれます」
ラウターの顔色が紙のように白くなった。
王都の騎士たちが固執していた「進む道」は、もはや魔物に塞がれようとしている。
残されたのは、彼らが嘲笑っていたガレスの『戻る道』だけだ。
「急ぐわよ! これ以上、一人の命も失わせない!」
時間の猶予はない。
私たちは重い荷馬車を引き、魔物の群れが迫る不吉な雪山へと、その足を踏み入れた。




