表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/64

第33話 山から来た早馬

公開審理の熱気がまだ春市に残る、その日の夕刻。


 エルヴェ商会の持ち込んだ危険な粗悪暖房具は、私の領主代行権限によって市場から一掃された。


 代わりに、ニコが作った安全弁付きの暖房具には、フォルクハルト領内の暫定安全基準を満たす品として、注文が集まり始めていた。


 正式登録は、まだ王都の制度上で争わなければならない。


 それでも領民たちは、目の前で火事を起こした『王都認証品』よりも、実際に子どもたちを温め、火を噴かなかったニコの暖房具を選び始めている。


「アメリア様。商会に対する被害補償の請求書、および領内販売停止命令書の送付が完了しました」


 執務室の机に書類を置きながら、レオンが淡々と報告する。


「ご苦労様、レオン。……王都の大きな商会相手に、よくやってくれたわ。これで、春市も落ち着きを取り戻せるわね」


「私の手柄ではありません。ドミニク殿の鑑定、ミラの記録、ヴェラ殿の金流追跡。……すべてが揃ったからこそ、契約で彼らの逃げ道を塞げたまでのことです」


 レオンは相変わらず自分の手柄を誇るようなことはしない。


 だが、その声色には、再任用室という一団への確かな信頼が滲んでいた。


(……これで、少しは休めるかしら)


 私が小さく息を吐き、机に置かれた紅茶のカップに手を伸ばそうとした、その時だった。


「アメリア様! 緊急のご報告です!」


 執務室の扉が乱暴に開け放たれ、泥だらけになった警備隊の伝令が飛び込んできた。


 そのただならぬ様子に、私は紅茶のカップを置き、即座に立ち上がった。


「どうしたの? 怪我をしているようだけど」


「私の傷はかすり傷です! それより、北方山脈の監視所から早馬が……! 山の奥深くで、季節外れの魔物の群れが異常な規模で移動を始めています!」


 伝令の悲痛な叫びに、執務室の空気が一気に張り詰めた。


「季節外れ……? 雪解けの時期に魔物が活発になるのはわかるけれど、大規模な群れの移動にはまだ早すぎるわ」


「はい。雪崩を避けるためか、あるいは別の要因か……詳しい原因は不明ですが、このままでは早ければ二日以内に、前線の監視所が群れに呑み込まれてしまいます!」


 伝令は息を荒らげ、血を吐くような声で訴えた。


「すぐに救援隊を編成しなさい! それから、監視所への追加の補給便を大至急手配して……」


 私がオルドに向けて指示を出そうとした瞬間、オルドはひどく苦い顔をして首を横に振った。


「それが……アメリア様。監視所へ向かうはずの定期補給便が、現在、麓の宿場で足止めを食らっております」


「足止め? どういうことよ、雪はもう解け始めているはずでしょう?」


「雪ではありません。……商人の『様子見』です」


 オルドの言葉に、私は眉をひそめた。


「先ほどの公開審理で、王都のエルヴェ商会が摘発された余波です。あの件を知った王都系の商人たちが、『辺境の独自基準で王都認証品を販売停止にされるなら、迂闊に物資を動かすのは危険だ』と難癖をつけ、麓の宿場から荷馬車を出そうとしないのです。中には、非常事態を察知して、物資を抱え込んで値上がりを待とうとしている輩もいるようで……」


 私はギュッと拳を握りしめた。


 商会を叩き伏せた痛快な勝利。


 しかし、それが皮肉にも『王都商人の様子見と補給線の停止』という、新たな危機を引き起こしてしまっていたのだ。


「……愚かな。魔物より先に、兵士の命綱である補給線を自分たちで絶つ気か」


 レオンが、羽ペンを強く握りしめながら低く呟いた。


 彼は即座に手元にある分厚い台帳を開き、目にも止まらぬ速さで数字を追い始めた。


「レオン、監視所の備蓄はどうなっているの?」


「……春市前の定期補給が遅れていたため、現在の監視所の備蓄量は危険水域です。このまま魔物の群れと防衛戦になれば、食料と消耗品が尽きるまで……持って、二日」


 レオンの冷徹な計算結果が、執務室に重くのしかかる。


「二日……。それ以上は?」


「兵士の体力が持ちません。三日目には飢えと寒さで防衛線は崩壊し、監視所は魔物の群れに蹂躙されます」


 猶予は、たったの二日。


 魔物が到達するよりも早く、補給線を回復させ、現場に救援物資を届けなければならない。


(帳簿の上でいくら数字を睨んでも、荷馬車が動かなければ、現場の兵士は死ぬ……!)


 私は数秒だけ目を閉じ、そして、領主代行として目を見開いた。


「……待ってはいられないわ」


 私はコートを手に取り、背筋を伸ばした。


「王都の商人が動かないというなら、私たちが直接、麓の宿場へ向かいます。荷馬車を領主権限で動かし、そのまま救援隊を組んで山へ向かうわよ」


「アメリア様自ら、前線へ向かわれるおつもりですか」


 オルドが心配そうに声を上げるが、私の決意は揺るがない。


「ええ。物資の優先供出を拒むような輩には、領主代行としての直接の命令が必要になるわ」


 私がそう宣言すると、レオンは一切の反論をせず、静かに立ち上がった。


「……承知いたしました。では、私が最小限の手続きで、麓の商人たちから荷馬車と物資を供出させるための『緊急時の契約条項』と法的根拠を即座に準備します。言い逃れはさせません」


 彼は私の判断を疑わない。


 そして私も、彼が必ず商人たちの理屈を打ち破る武器を用意してくれると信じている。


 私たちはすでに、互いの言葉と行動を疑わない、完全な仕事上の相棒となっていた。


「行くわよ、レオン。魔物に監視所を抜かれる前に、止まった馬車を動かすわ」


「はい、アメリア様」


 勝利の余韻はもう終わった。


 王都の悪意を払いのけたのも束の間、私たちは過酷な自然と、人間の強欲さが生み出した『補給線の停止』という新たな危機へと、真っ直ぐに立ち向かっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ