第32話 春市の公開審理
春市の熱気と喧騒に包まれていた中央広場は、今や水を打ったような静寂に支配されていた。
広場の中央に設けられた公開審理の机。
その片側には私とレオン、そして再任用室の面々が並び、対する側にはエルヴェ商会の代理人が、余裕の笑みを浮かべて立っていた。
机の中央には、昨夜の小火の原因となった煤で黒くなった魔導具と、焦げた床板が証拠品として置かれている。
「皆様、お集まりいただき感謝する。昨夜の火事は、我々エルヴェ商会としても誠に遺憾だ」
代理人は広場を囲む領民や商人たちに向けて、芝居がかった手振りで語りかけた。
「だが、原因は明白。あそこにいる王都を追われた三流職人……ニコが作った、粗悪な模倣商品が火を噴いただけのことだ。我々の正規の王都認証品に似せて作られた紛い物のせいで、我が商会も大迷惑を被っている」
「……俺のは、盗作なんかじゃない」
ニコが、自分の手にある本物の『小型暖房具』を抱きしめながら、震える声で反論した。
「火を噴いたその魔導具には、俺が一番時間をかけて設計した『安全弁』がついていない。俺の設計を表面だけ真似て、安全機構をケチったから過熱したんだ!」
「証拠もないのに、商会の名誉を傷つける気か?」
代理人が冷笑したその時、ドミニクが重い足取りで前に出た。
彼は使い込まれた分厚い工具を机に置き、無言のまま、煤で黒くなった商会の魔導具を指差した。
「……証拠なら、この構造そのものだ」
ドミニクの重く低い声が、広場に響いた。
「俺は王都の工房で何十年も鉄を叩いてきた。この箱は、熱を逃がす部品を意図的に省いて作られている。ただの設計ミスじゃねえ。材料費を浮かすために、命に関わる安全弁を根こそぎ削り取った悪質な手抜きだ」
「なっ、ただの老いぼれ職人が何を……!」
代理人が色をなしたところに、今度はミラの小さな、けれど真っ直ぐな声が重なった。
「あの……こちらに、日付の記録が、あります」
ミラは自分がまとめた販売記録と、商会の暖房具の裏に押された『王都認証印』を掲げて見せた。
「この粗悪品が、王都で認証を受けた日付……それは、ニコさんが最初の設計図を王都の工房へ提出した日よりも、『前』になっています。……設計図ができる前に、同じ構造を名乗る商品の認証が下りるなんて、あり得ません」
広場がどよめいた。
それは、商会の主張する「正当な王都認証品」という看板が、通常の手続きでは説明できない矛盾を抱えていることを意味していた。
少なくとも、この認証印は絶対の盾ではない。
むしろ、王都の認証手続きそのものに、何らかの不自然な手が加わっている疑いを示していた。
「さらに申し上げますわ」
ヴェラが艶やかに扇子を広げ、ドンと分厚い書類の束を机に叩きつけた。
「この粗悪品を作るために浮かせた材料費。そして、この商品の利益がどこへ流れているのか……表向きの帳簿だけでは、とても説明がつきませんわね」
ヴェラは代理人を鋭く睨み据えた。
「春市への売上申告書、宿場の荷下ろし記録、運送人の受領証、そして販売台数の記録。これらを照合すると、あなた方の帳簿には、表と裏で別の数字があるようにしか見えません」
代理人の顔色が変わる。
「しかも、その裏口座の流れには、見覚えのある資金が混ざり込んでいますわ」
ヴェラは、赤い爪先で書類の一箇所を叩いた。
「北方七領へ支給されるはずの冬越し金……『北七号』の資金と重なる流れが、なぜエルヴェ商会の帳簿の裏側に現れるのかしら?」
北七号。
その忌々しい番号の名が出た瞬間、代理人の余裕の笑みが完全に剥がれ落ちた。
「貴様ら、でたらめを……っ! ええい、王都認証印が押されている以上、この商品の安全性は国が保証しているのだ! 辺境の田舎貴族が、いちゃもんをつけて我々に責任を被せる気か!」
代理人が顔を真っ赤にして吠える。
だが、その言葉こそが、レオンが待ち望んでいた最後の引き金だった。
「……ご自身の言葉を、お忘れですか」
レオンが、天幕での事前交渉で署名させた『契約書』を静かに机の上に置いた。
私が彼に渡した『正式な交渉権限の委任書』の隣で、その羊皮紙は冷徹な事実を突きつけていた。
「あなたは先ほど、ご自身の署名でこう明言しました。『この商品はエルヴェ商会のオリジナルであり、ニコの製品とは別物である』。そして、『販売責任と安全保証はすべて商会にある』と」
「あ……」
代理人の顔から、サッと血の気が引く。
「ドミニク殿の鑑定により、この商品には重大な欠陥があることが示されました。そしてあなたは、この商品の安全性を自ら保証し、全責任を負うと契約に署名した」
レオンは銀細工のペンで、契約書の署名をトントンと叩いた。
「もう逃げ道はありません。領民の命を危険に晒した責任は、契約に基づき、エルヴェ商会に負っていただきます」
完璧な封殺だった。
ドミニクの構造鑑定、ニコの設計理念、ミラの記録、ヴェラの金流追跡、そしてレオンの契約の罠。
王都が捨てた『役立たず』たちの専門性が、巨大な商会の悪意を完全に包囲していた。
「……言い逃れはできないわね」
私は領主代行として、立ち上がった。
辺境伯家の印章を手に、広場の人々へ向けて判断を下す。
「フォルクハルト辺境伯領の名において命じます。エルヴェ商会の粗悪暖房具の領内販売を即刻停止。昨夜の火事で生じた被害については、販売責任に基づき、商会に補償を請求します」
私は、ニコの本物の暖房具へ視線を向けた。
「また、ニコの設計権はフォルクハルト領内において暫定的に保護します。正式登録に向けて、設計図、調書、鑑定記録、販売記録、認証日付の矛盾を添え、正規の手続きで申請するわ」
そして、バルトたち職人組合の方へ目を向ける。
「領内では、暫定安全基準を満たした本物のみを認定品として扱います。今後の審査には、再任用室だけでなく、職人組合にも立ち会ってもらいます」
最初に広場を満たしたのは、歓声ではなかった。
ざわめきだった。
春市に集まっていた商人たちが顔を見合わせ、エルヴェ商会の屋台の方から、じりじりと距離を取り始める。
「……俺の宿を焼きかけたのは、やっぱりあの箱だったのか」
昨夜の小火で寝床を失った商人が、震える声で呟いた。
「子どもが寝ていた部屋の隣だったんだぞ。あれが燃え広がっていたら、どうなっていたと思っている」
その声に、広場の空気が一段重くなる。
次に、職人組合のバルトが、腕を組んだまま深く頷いた。
「安全弁なしの暖房具を、うちの領で売るわけにはいかねえ。アメリア様の判断を、職人組合として支持する」
その一言で、商人たちの表情が変わった。
王都の大商会の看板よりも、目の前の火事と、現場の職人の判断の方が重い。
誰もがそれを理解した瞬間、広場の空気が一気に反転した。
「ニコの方を買わせてくれ!」
「王都認証だか何だか知らないが、燃える箱なんざ要らん!」
「エルヴェ商会は説明しろ!」
そこではじめて、割れんばかりの歓声と怒号が広場に巻き起こった。
ニコが涙を堪えきれずにドミニクの背中にしがみつき、ミラがホッと胸を撫で下ろし、ヴェラが満足げに微笑む。
「……覚えておけ」
完全に追い詰められたエルヴェ商会の代理人は、ギリッと歯を鳴らし、憎悪に満ちた目で私たちを睨みつけた。
「この粗悪品に押されている王都認証印は……ただの地方役人が勝手に出せるものではない。辺境の小娘と敗残兵どもが、これで勝ったつもりなら大間違いだぞ。我々の背後にある『本当の力』を知る時が、必ず来る」
代理人は捨て台詞を吐き、足早に広場から逃げ去っていった。
商会を打ち負かした、痛快な勝利だった。
だが、代理人が残した言葉と、あのあり得ないほど早い『王都認証印』の日付は、財務院の中枢に、まだ見えない巨大な闇が控えていることを不気味に示していた。
そして、その不穏な空気を裏付けるように。
「アメリア様! 緊急の報せです!」
広場の歓声を切り裂くように、警備隊の伝令が血相を変えて駆け込んできた。
「北方山脈の監視所から早馬が! ……季節外れの魔物の群れが、異常な動きを見せているとのことです!」
私は息を呑んだ。
春市の火事は、今ようやく収まったばかりだ。
だが、辺境は一つの危機が終わるのを待ってはくれない。
「それと、もう一つ……監視所へ向かう補給荷馬車が、春市の混乱を理由に宿場で止め置かれています。このままでは、山の見張りたちが二日と保ちません!」
王都の不正を暴き出した私たちの足元で。
今度は補給の停止と魔物氾濫という、辺境の過酷な現実が、新たな脅威となってその牙を剥こうとしていた。




