第31話 契約に仕掛けた安全規格
春市の中央広場に、急遽、臨時の公開審理の場が設営された。
その舞台の袖に張られた薄暗い天幕の中で、事前の交渉が行われていた。
向かい合って座るのは、私とレオン、そしてエルヴェ商会の代理人だ。
「……公開審理だなんて、ずいぶんと大げさなことをなさる。辺境の田舎芝居にお付き合いする暇は、我々にはないのですがね」
代理人は腕を組み、ふんぞり返りながら鼻で笑った。
「昨日の小火は、我が商会の『王都認証済み』の商品が原因ではありません。あの三流職人が作った紛い物の欠陥品が火を噴いただけのこと。王都の厳格な審査を通った商品に、辺境の独自規格などという勝手な取り決めでケチをつけるのは、王都への反逆ですぞ」
代理人は相変わらず、王都の権威を絶対の盾として振りかざしてくる。
「それに……」
代理人は忌々しげに目を細め、私の隣で静かに書類を整理しているレオンを指差した。
「そちらで偉そうに座っている男は、王都で婚約者を泣かせて追放された、クラウゼン家の元令息でしょう。信用を失った無能な男を交渉の場に出すとは……当主ではない『代行令嬢』の貴女には、まともな人を見る目も、権限もないとお見受けする」
男の嘲笑に、天幕の空気が冷たく張り詰めた。
レオンは無表情のままだが、彼のペンを持つ手がわずかに止まるのを私は見逃さなかった。
「……言葉を慎みなさい」
私は低く、だが確かな怒りを込めた声で言い放った。
そして、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、机の上に置いた。
フォルクハルト辺境伯家の重厚な印章が押された、正式な委任書だ。
「彼は王都の敗残兵でも、無能でもない。私が能力を見込んで正式に雇用した、フォルクハルト領の筆頭補佐官よ」
私は代理人を鋭く睨み据えた。
「そして、この委任書が示す通り、この公開審理と、領内販売停止および補償交渉に関する限り、彼の発言はフォルクハルト辺境伯家の正式な交渉発言として扱われるわ」
代理人の表情が、わずかに歪む。
「彼の言葉を侮ることは、この審理におけるフォルクハルト辺境伯家の正式な判断を侮るのと同じことよ」
私の宣言に、代理人は舌打ちをし、渋々といった様子で姿勢を正した。
「……結構」
レオンが、私が贈った『銀細工のペン』を指先で回しながら、氷のように冷徹な声で口を開いた。
彼の感情は表には出ない。
だが、私が彼の席と権限を守ったことに対する、静かなる決意がその背中から立ち上っていた。
「では、エルヴェ商会の代理人殿。公開審理の前に、お互いの主張の論点を契約書面にて明確にしておきましょう」
レオンは一枚の契約書をすっと差し出した。
「確認します。昨夜の火事現場にあった魔導具は『エルヴェ商会が王都認証品として販売したもの』であり、その『安全性を商会が保証している』こと。よろしいですね?」
「当然だ。王都の審査を通った最高級品だからな」
「そして、その商品は『ニコの製品とは別物』であり、『ニコの方がそちらの設計を真似た』という主張で相違ありませんね?」
「その通りだ。あのような三流職人の海賊版と、我々のオリジナルを一緒にされてはたまらんからな」
代理人は自信満々に頷き、レオンの差し出した契約書に、迷うことなくエルヴェ商会の署名を書き込んだ。
「ご自身の商会のオリジナルであり、販売責任と安全保証はすべてエルヴェ商会にある……。確かに、言質をいただきました」
レオンが署名の入った契約書を手元に引き寄せた瞬間。
彼の冷たい瞳の奥で、カチャリと、逃げ道を塞ぐ冷酷な罠の鍵が閉まった音がした。
もし彼らが「ニコと同じ構造だ」と主張すれば、安全弁を省いた事実をどう誤魔化すかが問われる。
だが彼らは、自らのプライドと責任逃れのために「ニコの製品とは別物の、自分たちのオリジナルだ」と明言してしまった。
「……結構です。事前の確認はこれで終わりです」
レオンは銀細工のペンを置き、静かに立ち上がった。
「では、その輝かしいオリジナルの証明を……広場にお集まりの皆様の前でも、堂々とご説明いただきましょう」
「ふん。何度でも言ってやるさ」
代理人が鼻歌交じりに立ち上がり、天幕の外へと向かう。
私もレオンと共に天幕を出て、眩しい春の陽光が降り注ぐ中央広場へと足を踏み出した。
広場には、すでに大勢の領民や商人たちが集まり、ざわめきながら私たちの登場を待っていた。
そして舞台の中央には、二重帳簿の根拠となる書類を抱えたヴェラ、記録用紙を握りしめたミラ、分厚い工具箱を下ろしたドミニク、そして、自分の本物の暖房具を抱きかかえ、真っ直ぐに前を見据えるニコの姿があった。
王都が捨てた『役立たず』たちが、それぞれの専門性を武器に、巨大な悪意を打ち砕くための公開審理が、今まさに始まろうとしていた。




