第30話 小さな声が日付を読む
「提出するより前の日付……ミラ、それはどういうことなの?」
静まり返った執務室で、私が問いかけると、ミラは手元の販売記録とニコの調書をきつく握りしめた。
彼女は皆の視線を集めて少しだけ肩をすくませたが、その声の芯は決してブレなかった。
「あ、あの……私が記録したニコさんの調書によれば、ニコさんが最初の『小型暖房具』の設計図を王都工房の親方に提出したのは、昨年の『霜月の十日』です」
ミラは、ドミニクが分解した粗悪品の底面に刻まれた、財務院認証局の紋章と数字を指差した。
「ですが……この商会の暖房具に刻印されている王都認証印の日付は、同じ年の『神無月』……ニコさんが設計図を描き上げて提出する、まる一ヶ月も前の日付になっています」
その明確な日付の逆転現象に、私たちは言葉を失った。
「設計図が存在する前から、その商品が国の厳しい審査を通過しているなんて。……王都の時間は、辺境とは逆に流れているのかしら?」
ヴェラが扇子を広げ、心底呆れたように皮肉な笑いを漏らした。
「つまり、エルヴェ商会はニコの設計を盗作しただけではないということね」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
この日付の矛盾が意味するものは、極めて悪質だ。
商会と王都財務院の認証局が裏で癒着し、都合の良い認証日を後から改ざんして刻印したのか。
あるいは、最初から誰かの設計を奪い取る前提で『認証済みの空枠』を用意していたのか。
全貌はまだ断定できない。
だが、この日付は、彼らが主張する『正当な国定商品』という大義名分を根本からへし折る決定打となる。
「ニコ」
私は、うつむき加減の若い魔導具職人に向き直った。
「あなたの技術と誇りを、必ず取り戻すわ。……商会と財務院認証局の威光を前にしても、自分の設計だと証言する覚悟はある?」
私が問うと、ニコはビクッと肩を震わせた。
王都で無能と罵られ、捨てられた彼にとって、王都の商会と対峙することは大きな恐怖だろう。
だが、彼は横に立つ老職人・ドミニクの顔を一度見上げると、その瞳に確かな光を宿して力強く頷いた。
「はい。……俺の『消えない火』を、これ以上、人を傷つける危険な箱にされたくありません。俺が、本物の構造を説明します」
「よく言ったわ。頼りにしているわよ」
私が微笑むと、隣の机で静かにペンを走らせていたレオンが顔を上げた。
彼の手にあるのは、私が昨日渡した『銀細工のペン』だった。
少し欠けた古いペンを使っていた時よりも、契約書の要点を書き出すその手つきは、どこか滑らかで迷いがないように見える。
「アメリア様。公開審理へ向けた論点の構築が完了しました」
レオンは書き上げた羊皮紙を一枚、私の前に提示した。
「武器は揃いました。ドミニク殿による『安全弁欠落の構造鑑定』、ヴェラ殿が暴いた『二重帳簿と北七号資金の混入疑惑』、そしてミラが発見した『認証日の矛盾』」
「ええ。これだけあれば、あの代理人をぐうの音も出ないほど叩き潰せるわね」
「いいえ。これらを最初からすべて突きつけてはいけません」
私が勢い込むのを、レオンの冷静な声が制した。
彼は銀細工のペンを指先で回しながら、氷のように冷徹な交渉の罠を言葉にする。
「王都認証印という絶対の盾を持っている以上、彼らはいくらでも言い逃れを試みるでしょう。ですから、まずは彼ら自身に『これは安全な正規品である』『ニコの製品とは別物である』『販売責任はすべて商会にある』と……彼ら自身の口で、言質を取らせるのです」
レオンの言葉に、執務室の温度が少しだけ下がったような気がした。
それは、敵の退路をあらかじめすべて塞ぎ、自らの言葉で首を絞めさせるための、冷酷なまでに完璧な契約の罠だった。
「彼らが自ら逃げ道を塞いだその瞬間に、すべての証拠を一斉に突きつける。……ええ、良いわね。その脚本でいきましょう」
私は立ち上がり、領主代行として最後の決断を下した。
「春市の中心である中央広場に席を用意しなさい。そこで、多くの領民と商人たちの前で、エルヴェ商会の責任を問う『公開審理』を開きます」
「承知いたしました」
レオンは静かに立ち上がると、懐から私が渡した『正式な交渉権限の委任書』と、辺境伯家の印章が押された封書を取り出した。
「では、私がこれよりエルヴェ商会の代理人が滞在する宿へ向かい、彼らを交渉のテーブルへと引きずり出してまいります」
かつて王都で言葉を信じてもらう権利を奪われた男が、今は辺境の正式な代理人として、商人たちに契約審理の果たし状を突きつけるために執務室を出ていく。
春市の賑わいの裏側で、王都の悪意を焼き尽くすための静かな戦いの火蓋が切られようとしていた。




