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第29話 遅い職人の目

執務室にやってきたのは、少し背中を丸めた白髪の老職人だった。


 ドミニク。


 王都の魔導具工房で長年働いていたが、「作業が遅く、派手な新作を作れない」という理由で理不尽に解雇され、この辺境に流れ着いた男だ。


 確かに彼の作業は素早くはないかもしれない。


 だが、絶対に壊れない堅牢な道具を作る、その『構造を見る目』だけは、誰よりも確かだった。


「……見せてみろ」


 ドミニクは短くそれだけ言うと、机の上に置かれた二つの物を見比べた。


 一つは、昨夜の火事で煤で黒くなった『エルヴェ商会の粗悪暖房具』。

 もう一つは、ニコが徹夜で引き直した『本物の設計図』だ。


 彼は革袋から使い込まれた分厚い工具を取り出すと、無言のまま、ゆっくりと、しかし極めて正確な手つきで粗悪品の金属カバーを分解し始めた。


 カチャ、カチャという硬い音が執務室に響く。


 ニコが固唾を飲んで見守る中、やがてカバーが外れ、真っ黒に焼け焦げた内部構造が露わになった。


 ドミニクは油まみれの指でその内部をなぞり、ふんと短く鼻を鳴らした。


「……これは、ニコの設計じゃねえ。ガワだけ真似た、薄っぺらな紛い物だ」


「紛い物……」


 ドミニクの重く低い声に、私が促すと、彼は焼け焦げた魔石の台座部分を指差した。


「ニコの図面には、熱が一定を超えた時に魔力供給を断つ『遮断回路』と、余分な熱を外部へ逃がす『安全弁』が組み込まれている。……だが、この商会の品にはそれがない。ただ魔石を燃やすだけの、空っぽの箱だ」


「それは、商会側の設計ミスの可能性は?」


「いいや」


 レオンの問いを、ドミニクは即座に否定した。


「設計ミスじゃねえ。魔石の台座の形を見ればわかる。これは最初から、安全機構の部品を組み込むスペースすら作ってねえんだ。……安全を削って、材料費を少しでも浮かすためにな」


 意図的な費用の削減。


 ヴェラが暴いた『安すぎる材料費』の秘密は、領民の命を守るはずの安全機構を根こそぎ削り取った結果だったのだ。


「ニコ」


 ドミニクは、顔を蒼白にしている若い職人を真っ直ぐに見据えた。


「お前は、よくこんな細かい安全回路を思いついたな。地味で時間のかかる作業だが……魔力が弱くても、絶対に火事を出さないっていう、お前の『職人としての誠意』が図面から伝わってくるぜ」


「ドミニクさん……っ」


 ニコの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


 王都で三流と嘲笑われ、商会に盗作だと罵られた彼の技術。

 それを、同じ王都から来た大ベテランの職人が、正面から「本物だ」と認めてくれたのだ。


「……これで、商会の『ニコが真似をした』という嘘は崩せますね」


 私がホッと息をついた時だった。


 部屋の隅で、二つの魔導具の鑑定記録を必死に書き留めていたミラが、ふいにペンの手を止め、首を傾げた。


「あの……アメリア様」


「どうしたの、ミラ」


 ミラの小さな声は、少しだけ震えていた。


 彼女は自分の手元にある販売記録の束と、ドミニクが分解した粗悪品の底に押されていた『王都認証印』を、何度も見比べている。


「これ……王都認証印の、日付です」


 ミラが指差したその印には、財務院認証局の紋章とともに、小さく製造と認証の年月が刻印されていた。


「この日付……おかしい、です」


「おかしいって、どういうこと?」


「商会のこの暖房具が、王都で正式に認証を受けた日付……。それは、ニコさんが最初の設計図を、王都の工房の親方に『提出した日』よりも……もっと、『前』の月になっています」


 ミラのその指摘に、執務室の空気が一瞬にして凍りついた。


「提出する前……?」


 ヴェラが扇子をパチンと閉じ、目を丸くした。


 ニコが設計を出す前に、王都の認証だけが存在している。


 まだ誰も、言葉を継げなかった。


 けれど、その沈黙の中で、私たち全員が同じ不気味さを理解していた。


 設計図が出る前に、認証だけが存在している。


 時間の辻褄が、合わない。

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