第28話 二重帳簿を読む女
「やはり、どう計算しても数字が合いませんわ」
執務室の机に広げられた数々の書類を見下ろし、ヴェラが呆れたように扇子で口元を覆った。
彼女の手元にあるのは、エルヴェ商会が春市で提出した売上申告書、宿場に残された荷下ろし記録、運送人の受領証、そしてミラが集めた販売台数の記録だった。
秘密の帳簿を盗み出したわけではない。
春市に出店する以上、商会が領へ提出しなければならない公開書類と、現場に残った記録。
それらを一つずつ照合した結果、表向きの帳簿とは別の金の流れが、くっきりと浮かび上がってきたのだ。
「どういうこと、ヴェラ」
「アメリア様。この商会、春市の仮設市場で暖房具を『王都認証済みの正規品』として強気な価格で売り捌いておきながら、領地に提出する売上帳簿の上では、すべて『安価な民間向け品』として処理していますのよ。……利益を過少申告して、税を逃れるための見事な二重帳簿ですわね」
元娼館の会計係である彼女の目は、どんなに巧妙に隠された数字の嘘も見逃さない。
「なるほど、悪質な脱税ね。でも、それだけじゃないんでしょう?」
「ええ、問題はここからです」
ヴェラは赤い爪先で、輸送記録の『材料費』の欄をトントンと叩いた。
「この粗悪な暖房具の材料費、王都からの輸送費を差し引いても異常に安すぎます。いくら安全弁の部品をケチったとしても、これでは赤字になるはず。……ですが、商会の全体収支は黒字になっている。つまり、この赤字分を補填するために、どこか別の口座から『見えない資金』が流れ込んでいるということですわ」
「見えない資金……」
私が呟くと、隣の机で黙々と書類をめくっていたレオンの手がピタリと止まった。
彼は自分の手元にある、あの『青印の控え』と『赤い訂正印』が押された王都台帳の写しを開き、ヴェラが指摘した商会の別口座の資金の流れと照らし合わせた。
「……また、『北七号』だ」
レオンの低く、冷たい声が響いた。
これまで何度も私たちを阻んできた、あの忌々しい管理番号。
「このエルヴェ商会の別口座へ流れ込んでいる資金の出所は、北方七領向けに支給されるはずだった『冬越し補助金』と重なっています。……つまり」
レオンがギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「少なくとも、エルヴェ商会が扱うこの粗悪暖房具の資金には、北七号の金流が混ざっている可能性が高い。辺境の冬越し金を中抜きし、その資金を……ニコから盗んだ疑いのある設計で作った粗悪暖房具の材料費に充てていた。そう考えれば、帳簿の異常な安さにも説明がつきます」
なんて、おぞましいカラクリだろうか。
私たちが凍えながら待っていた命綱の金が、形を変えて、私たちを焼き殺しかねない欠陥品として売りつけられていたのかもしれないのだ。
「金の流れは、ヴェラ殿のおかげでかなり見えてきました」
レオンは机の端に置かれた、私から渡した『正式な交渉権限の委任書』を一瞥し、そして冷徹な瞳で前を向いた。
「ですが、北七号資金と財務院認証局の関与は、王都の制度そのものに関わる巨大な問題です。今ここで、春市の仮設市場という局地戦で追及するには、相手が大きすぎる。……我々が今、商会に問うべきは、領民を危険に晒した『販売責任』と、ニコに対する『盗作の罪』の二点に絞るべきです」
「ええ、その通りね」
私は頷いた。
悪党を一度にすべて裁くことはできない。
まずは目の前で火の粉を撒き散らしている商会を、確実にこの辺境の地で叩き潰さなければならない。
「商会は『これは王都認証済みの安全な商品だ』と、そして『ニコの方が真似をした』と主張しています。ならば、その彼ら自身の言葉を逆手にとり、逃げ道をすべて契約で縛り上げます」
「契約の条項は、あなたに任せるわ、レオン」
「承知いたしました」
レオンが力強く頷き、再び書類に向かう。
「金流と契約の準備は整ったわ。あとは……」
私が小さくため息をついた時、部屋の隅で必死に販売記録の整理をしていたミラが、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの……アメリア様」
「どうしたの、ミラ」
「契約やお金の流れで追い詰めても……肝心の、あの暖房具が『ニコの設計とは違う欠陥品である』という、技術的な証明が……必要になるのでは、ないでしょうか」
ミラの小さな声での指摘は、極めて的確だった。
どんなに論理で武装しても、「これは安全な商品だ」とシラを切られれば、魔導具の専門家ではない私たちでは反証しきれない。
ニコ自身が「これは俺の設計じゃない」と叫んでも、泥棒扱いされて終わりだ。
「そうね……あの商会の粗悪品と、ニコの本物の構造の違いを、誰の目にも明らかな形で証明してくれる『専門家』が必要だわ」
私が頭を悩ませていると、レオンが顔を上げた。
「……心当たりがあります。王都の工房で長年働き、理不尽に追放され……今は再任用室の工房で、無口に鉄を叩き続けている、あの男ならば」
「ドミニクね」
私はすぐに頷いた。
派手な新作は作れないが、絶対に壊れない堅牢な道具を作る、無口な老職人。
「オルド! すぐにドミニクをここへ呼んできてちょうだい」
公開審理に向けた、最後のピース。
商人たちの嘘を暴くための『本物の職人の目』が、今まさにこの戦いに加わろうとしていた。




