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第23話 春市と小さな暖房具

長く厳しい猛吹雪の季節が過ぎ、フォルクハルト辺境領にもようやく雪解けの時期が訪れた。


 街道の雪が解けると、領内では年に一度の大規模な交易の場である『春市』の準備が本格化する。


 周辺の村々から農作物や保存食が持ち込まれ、遠方からは王都の行商人たちが珍しい品を荷馬車に積んでやってくる、活気に満ちた季節だ。


「アメリア様。明日の春市視察の予定表です」


 執務室の机に、レオンが綺麗に清書された書類を置いた。


 私はペンを置いてそれを受け取り、分刻みで組まれた日程に目を通す。


「……レオン。午後の視察と、商人組合との会議の間に、三十分ほど不自然な空白があるのだけれど」


 予定表のど真ん中。

 そこだけ何の予定も書き込まれていない空白行を指差すと、レオンは少しだけ視線をそらした。


「計算ミスではありません。……疲労の蓄積は、交渉における判断力を平均で三割低下させます。業務効率維持のため、その時間帯は温かい茶の摂取と、脳の休息を推奨します」


 相変わらずの、事務的で理屈っぽい言い訳。


 私を心配しているとか、休んでほしいとか、そういう甘い言葉は絶対に使わない男だ。


「……ふふっ、わかったわ。補佐官の推奨に従って、その時間はしっかりお茶をいただくことにするわね」


 私が笑って予定表を受け入れると、レオンは「……恐縮です」と小さく呟き、逃げるように自分の机へと戻っていった。


(温かいお茶か……楽しみね)


 恋愛なんて甘い言葉で呼べるものではないかもしれない。


 けれど、彼の予定表に入れられたその不器用な『休憩』を、私が少しだけ待ち遠しく思っているのは事実だった。


「アメリア様、レオン殿! 最終調整、終わりました!」


 和やかな空気を割って、再任用室からニコが飛び込んできた。


 彼の手には、金属製の小さな箱のような魔導具が抱えられている。


 吹雪の夜、孤児院の子どもたちを温め、彼らの指先の血色を取り戻させた『小型暖房具』の完成品だ。


「よくやったわ、ニコ。今年の春市の目玉商品になるわね」


「はい! ただ長く温めるだけじゃありません。ほら、ここを見てください」


 ニコは魔導具の側面に付いている、小さな突起を指差した。


「魔力暴走を防ぐための『安全弁』です。万が一、魔石の温度が上がりすぎたり、子どもが倒してしまったりしても、この弁が自動で熱を逃がして、絶対に発火しない構造にしてあります」


「素晴らしいわ。王都の貴族が求めるような、広間を一瞬で暖める大きな炎じゃなくても……領民たちが安全に、安心して冬を越せるための『消えない火』ね」


 私はニコの職人としての誠実な仕事に、深く頷いた。


「レオン。この安全弁の構造を、フォルクハルト領における魔導具販売の暫定的な『安全基準』として規定書にまとめてちょうだい。春市で販売する商品には、少なくともこの基準を満たしているか確認できるようにしましょう」


「承知しました。直ちに書面を作成します」


 私たちが領民のための安全な販売計画を固めようとしていた、その時だった。


「……ずいぶんと和気藹々としているところ申し訳ありませんが、アメリア様」


 執務室の扉が開き、呆れたような顔をしたヴェラが入ってきた。


 彼女の手には、色鮮やかな一枚の紙が握られている。


「先ほど、王都から春市にやってきた行商人たちが、下町で大々的に配っていたチラシですわ。……これ、ニコの作ったものにそっくりじゃありません?」


 ヴェラが机の上に置いたチラシを見て、私たちは言葉を失った。


 そこには、華美な宣伝文句が躍っていた。


『王都商会連盟・エルヴェ商会が贈る、画期的な新型暖房具!』


 そして、その文句とともに描かれていた魔導具の絵は、今ニコが手元に抱えている試作品と、外見も構造の理念も、寸分違わず瓜二つだった。


「な……これ、俺が王都の工房を追い出される前に、最後に提出した設計図と同じです……!」


 ニコが血の気を失い、震える声で叫んだ。


「魔力が弱くて使い物にならない、三流のゴミだと……そう言って俺の図面を破り捨てて追い出したくせに! 裏では、設計を盗んでいたなんて……!」


「酷い話ね……っ」


 私はギリッと奥歯を噛み締めた。


 エルヴェ商会。


 北七号の横領疑惑に関わり、調査団の旅費を二重請求してきた、マルセル会頭の商会。


 彼らは辺境の冬越し金だけでなく、王都で捨てた職人の技術まで、自分たちの利益に変えようとしているのかもしれない。


「すぐに春市の仮設市場へ行って、あの商会の販売を差し止めましょう。設計の盗用で訴えるわ」


 私が立ち上がろうとした瞬間、レオンが冷ややかな声でそれを制止した。


「アメリア様、お待ちください。……ただの盗作による差し止めでは、彼らを止めることはできません」


 レオンの指先が、チラシの右下に小さく印刷された、ある一つの『印』を指し示していた。


 それは、国の正式な検査機関を通したことを証明する、絶対的な権威の象徴。


「この商品には……王都財務院の認証局が発行する『王都認証印』が押されています」


 その言葉に、執務室の空気が凍りついた。


 相手はただの泥棒ではない。


 商会連盟は、王都財務院の認証局が発行した印を盾にし、ニコの設計に酷似した商品を、すでに国定の合法的な商品として売り出そうとしているのだ。


 辺境の春市に、王都の巨大な悪意が、堂々と商品を並べて売りに出されようとしていた。

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