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第22話 北方七領の同じ傷

最初の早馬が到着してから数日の間に、事態は私たちが想像していたよりも遥かに深刻な様相を呈し始めていた。


「……またです、アメリア様」


 執務室に駆け込んできたオルドが、冷や汗を拭いながら手紙の束を机に置いた。


「北西のクライス領、そして最北端のヴォルグ領からも書状が届きました。どちらも、王都からの冬越し補助金が未達。そして、王都財務院への問い合わせに対する回答は、すべて『北七号』の管理番号にて支出済みというものでした」


 私は机の上の地図を見下ろした。


 これで、フォルクハルト領を含めた北方七つの領地すべてにおいて、『北七号』という共通の架空枠を使った冬越し金の未達が確認されたことになる。


「一つの領地の記録ミスや、担当者の小遣い稼ぎなどではありませんわね。これは明確に、北方全体の命綱を狙った大規模な横領ですわ」


 ヴェラが、エルヴェ商会の黒い商印が押された伝票を弾きながら、呆れたようにため息をつく。


 レオンは無言で青印の控えを見つめていたが、その瞳の奥には、彼を陥れた巨大な悪意の正体をはっきりと捉えた冷徹な怒りが宿っていた。


「……王都に戻ります」


 静かな応接室に、凛とした声が響いた。


 声の主は、エレナ・ロシュフォールだった。


 彼女は膝の上で手袋を固く握りしめ、私とレオンを真っ直ぐに見据えていた。


「エレナ嬢、あなたは……」


「調査団の任務は終わりました。ハーゼン副使もすでに王都へ戻る準備を進めています。私も同行し、王都の社交界へ戻ります」


 エレナの表情には、この辺境にやってきた時のような悲痛な影はもうなかった。


 代わりに、公爵令嬢としての確かな矜持と、静かな決意が宿っている。


「ユリウス・セイル様が仕組んだ、あの不自然な婚約破棄の夜会。招待状の控え、不可解な席順表、そしてあの夜の数日前から意図的に流されていた噂の出所。……社交界の側から集められる証拠は、私が必ず見つけ出してみせます」


 それは、レオンに対する罪滅ぼしではない。


 彼女自身が、自分の感情と運命を悪意ある者たちに利用されたことへの、彼女なりの落とし前なのだ。


「危険よ、エレナ。相手は財務院と裏で繋がっている男だわ」


 私が忠告すると、エレナは薄く微笑んで首を振った。


「ご心配には及びません、アメリア様。私はロシュフォール公爵家の娘です。扇子一つで身を守る術くらいは心得ておりますわ」


「……」


 レオンは何かを言おうとして口を開き、そして、深く頭を下げた。


「……感謝いたします、エレナ嬢。どうか、ご無理はなさらないでください」


「ええ。レオン様も、どうかお元気で」


 エレナの微笑みは、少しだけ寂しげで、けれど確かな温かさを持っていた。


 彼女との間にあった『未完の謝罪』は、まだ完全な言葉にはなっていない。


 それでも、互いが向き合うべき過去の形は、この辺境の地で確かに一つの区切りを迎えていた。


「さて、エレナ様が王都で戦うなら、私はこの泥深い辺境で、商会のお財布の底を覗かせてもらいましょうか」


 ヴェラが帳簿を閉じ、楽しげに笑う。


「エルヴェ商会が北七号の金をどう回し、どこへ隠しているのか。二重帳簿の癖はすでに見抜いていますわ。あとは、尻尾を掴んで引きずり出すだけです」


「ええ、頼りにしてるわ、ヴェラ。ミラの記録も存分に活用してちょうだい」


 私は力強く頷き、執務室に集まった彼らを見渡した。


 声の小さい記録係のミラ。


 出自で拒まれた会計係のヴェラ。


 そして、婚約破棄で笑い者にされ、信用を奪われた帳簿の天才、レオン。


 彼らは皆、王都が『役立たず』として見下し、切り捨てた人々だ。


 けれど今、フォルクハルト辺境伯領の『再任用室』に集った彼らは、ただ救済を待つ哀れな敗残兵などではない。


 王都がひた隠しにする巨大な不正を暴き、領民の命を守るための、最高の調査の一団として機能し始めている。


「さあ、反撃の準備を整えましょう。王都が見ようとしなかった数字を、こちらから突きつけて差し上げます」



 ***



 王都、財務院。


 重厚なマホガニーの机越しに、白髪混じりの初老の男が、部下からの報告書にじっと目を通していた。


 財務院長、バルツァー。


 王都の金流のすべてを握る男は、報告書の内容を読み終えても、決して声を荒らげたりはしなかった。


「……ハーゼンが、台帳を持ち帰れなかったと」


「は、はい。令状の不備を突かれた上に、領主代行である辺境伯令嬢に、正式な権限をもって拒絶されたとのことです。それに、レオン・クラウゼンがまだあの『青印の控え』を手元に持っていると……」


 部下が震えながら報告を続ける。


「さらに、北方七領の各方面から、補助金の未達に関する問い合わせが急増しております。どうやら、例の『北七号』の不一致に、辺境側が気づき始めたようでして……」


「そうか」


 バルツァーは静かに短く応じ、報告書を机の上に置いた。


 彼の表情には焦りはない。


 ただ、盤面の駒が一つ二つ、予想外の動きをしたことを確認するような、冷え切った目だ。


「レオン・クラウゼン。口を塞ぐために早々に信用を叩き潰したというのに、辺境で拾われ、まだ数字を追い続けているとはな。……それに、娼館から追い出されたというあの忌々しい会計係の女も、辺境の再任用室とやらに転がり込んだと聞く」


 バルツァーは机の引き出しを開け、一枚の紙片を取り出した。


 それは、彼らが辺境の調査過程で密かに手に入れていた、ある『魔導具』の見取り図と報告書だった。


「エルヴェ商会のマルセル会頭を呼べ」


 バルツァーは、その見取り図を指先で弾いた。


 そこに描かれているのは、王都の工房を追放された若き職人、ニコが作った『小型暖房具』の図面だ。


「辺境で、随分と面白い玩具が作られているようだな。……目障りな連中の力を削ぐには、まずその成果を、こちらで『有効活用』してやるのが筋というものだろう」


 王都の奥深くで、静かなる巨悪が次の手を打ち始めていた。


 雪深い辺境で灯った小さな火を、彼らの都合の良い『王都の成果』として奪い取るための、黒い罠が動き出そうとしていた。

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