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第21話 黒い商印

「……やはり、ただの羽振りのいい商会というわけではありませんわね」


 執務室の机の上に広げられた複数の書類を見比べながら、ヴェラがふうっと艶やかなため息をついた。


 夜会の断罪劇に隠されたユリウスの影を知ってから数時間後。

 私たちは再び、手元にある物証――王都の現台帳、青印の控え、調査団の旅費記録、そしてミラの議事録を並べ、金の流れを追っていた。


「どういうこと、ヴェラ?」


「アメリア様、ここをご覧くださいませ」


 ヴェラが赤い爪先で示したのは、昨日彼女が見つけた調査団の『二重請求の伝票』の隅だった。


 そこには、小さく見落としてしまいそうなほど控えめに、真っ黒なインクで意匠の凝った印が押されていた。


「エルヴェ商会を通したという証明の印ですが……この独特な黒いインクと紋章は、ただの事務印ではありません。王都商会連盟の会頭、マルセル・エルヴェ個人の決済印ですわ」


「商会連盟の会頭……」


 王都中の商人のトップに立つ男。

 そんな大物が、なぜわざわざ辺境へ向かう調査団の旅費などという、ちっぽけな請求書の決済に直接関わっているのか。


「あの……」


 部屋の隅で記録を整理していたミラが、おずおずと手を挙げた。


 彼女は自分が抱えていた書類の束から、一枚の紙を抜き出して机の上に置く。


「先日、逃げ帰ったロイス卿の……不当な徴発記録の写しです。ここにも、同じ黒い商印が、あります」


 ミラが震える指で示した箇所には、確かにヴェラが見つけたのと同じ、マルセル・エルヴェの真っ黒な印が押されていた。


「……なるほど」


 レオンが、低い声で呟いた。


 彼は手元にある王都の『現台帳の写し』を開き、あの不自然な『赤い訂正印』が押されたページを指でなぞる。


「王都財務院が、フォルクハルト領への冬越し補助金を『再配分済』として支出した先も、エルヴェ商会です。そして、その横には……」


「また、『北七号』だわ」


 私が顔をしかめて言うと、レオンは静かに頷いた。


「はい。ここにも北七号」


「こちらの二重請求の伝票にも、その番号が振られていますわ」


 ヴェラが手元の書類をトントンと叩く。


 赤い訂正印。

 黒い商印。

 そして、北七号。


 散らばっていた点と点が、一本の太く黒い線として繋がり始めた。


「……王都財務院の巡察使であるロイス卿。そして、調査団のハーゼン副使。彼らは別々の名目で辺境に介入しようとしましたが、裏で繋がっている先は同じ『エルヴェ商会』です」


 レオンは冷徹な頭脳で、事実だけを組み上げていく。


「財務院は、辺境へ送るはずの冬越し補助金を、商会連盟の会頭マルセルと結託して横領している可能性が高い。そのままでは足がつくため、『北七号』という架空の枠組みを使い、商会を経由させて別の口座へ金を流している。そう見れば、今ある記録の不自然さには説明がつきます」


「ひどい話ですわ」


 ヴェラが肩をすくめる。


「娼館の裏帳簿でも、ここまで堂々とした中抜きはしませんわよ。王都のお役人様と大商人は、ずいぶんと太い腹をお持ちのようで」


 ヴェラの金流追跡と、ミラの正確な記録。


 王都が『出自が悪い』『声が小さい』と嘲笑って捨てた彼女たちの能力が、財務院と商会連盟が巧妙に隠した巨大な不正の構造を、いとも鮮やかに暴き出していた。


「……レオンの沈黙を利用して彼を社会的に抹殺した可能性があるユリウス・セイルは、財務院の幹部と繋がりがあると言っていたわね」


 私が尋ねると、レオンは「はい」と答えた。


「ユリウスが社交界で断罪劇を煽り、私の信用を壊した。その時期は、私が財務院の台帳に不審な点を見つけた直後です。そして財務院とマルセル会頭は、北七号の金流に関わっている疑いが濃い」


 レオンは、机上の書類を一枚ずつ指で示していく。


「調査団の二重請求。ロイス卿の徴発記録。王都現台帳の赤い訂正印。エルヴェ商会の黒い商印。いずれも別々の記録ですが、同じ方向を指しています」


「組織的な犯行と見て、まず間違いない……ということね」


「はい」


 レオンは短く頷いた。


「ただし、王都で突きつけるには、まだ足りません」


 彼の声は、どこまでも冷静だった。


「財務院とエルヴェ商会の金流については、かなり強い物証があります。ですが、ユリウスが意図的に断罪劇を仕組み、財務院側の口封じに加担したと証明するには、社交界側の記録が足りない。招待状、席順表、噂の流布元、夜会前後の書簡。そこを押さえなければ、王都では『偶然』や『恋愛沙汰』として逃げられます」


 私はギュッと拳を握りしめた。


 これはもう、フォルクハルト辺境領という一つの領地だけの問題ではない。

 王都の根幹に巣食う、構造的な大汚職の影だ。


 けれど、王都で裁くには、まだ最後の杭が足りない。


「アメリア様! 申し上げます!」


 張り詰めた執務室の空気を破るように、オルドが血相を変えて駆け込んできた。


「どうしたの、オルド」


「隣接する、別の北方領の使いから早馬が到着しました! あちらの領地でも、王都からの冬越し補助金が未だに届いていないそうです!」


 オルドの報告に、私とレオンは顔を見合わせた。


「問い合わせに対する王都からの回答は?」


「それが……」


 オルドは信じられないものを見るような顔で、言葉を紡いだ。


「『北七号』という共通管理番号で、すでに商会経由で一括支出済みである、と……!」


 その言葉が落ちた瞬間、執務室に戦慄が走った。


 フォルクハルト領だけではない。


 北七号。


 その番号が示す通り、この横領疑惑は、北方辺境に連なる『七つの領地すべて』の命綱を食い物にしている可能性がある。


 同じ傷が、北方全体に広がっている。


 私たちは、想像を絶するほど巨大な王都の悪意と、真っ向から対峙しようとしていた。

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