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第20話 社交界の断罪は誰が用意したか

ハーゼン副使が空箱を抱えて応接室を退いた翌日。


 辺境伯邸の応接室には、再び私とレオン、そしてエレナ・ロシュフォールの三人が集まっていた。


「……あの夜のことです。私がレオン様との婚約を白紙に戻したいと、父に泣きついたのは事実です」


 エレナは膝の上で薄手の手袋を握りしめ、静かに語り始めた。


「ですが、あのように大勢の貴族が集まる夜会の中心で、彼を大々的に糾弾し、破滅させるような真似は……私は、決して望んでいなかったのです。ただ、穏便に距離を置きたかっただけで」


「では、あの派手な断罪劇は、エレナ嬢の意図したものではなかったということね」


 私が確認すると、エレナは深く頷いた。


「ええ。思い返せば、あの夜会は最初から異様でした。本来なら私たちが同席するはずのない派閥の方々が招待客に名を連ね、会場の席順も、私とレオン様を意図的に引き離すような配置になっていました」


 エレナの記憶が、少しずつ過去の違和感を形にしていく。


「それに、夜会が始まる前から……いえ、私が父に相談した直後から、社交界ではすでに『レオン様が私を虐げている』という噂が、不自然なほどの速さで広まっていたのです。まるで、誰かが意図的にその噂を流布していたかのように」


「……」


 レオンは無言のまま、エレナの言葉に耳を傾けていた。


 彼がエレナを傷つけてしまったことは事実だ。


 だが、その事実が、何者かによって何倍にも誇張され、悪用されていた。


「私が感情を抑えきれずに泣き崩れてしまった時……周囲の反応は、あまりにも整いすぎていました」


 エレナの肩が微かに震える。


「誰がどのタイミングで私を庇うように声を上げ、誰がレオン様を責め立てるか。まるで、あらかじめ完璧な台本が用意されていて、全員がその役を演じているかのようでしたわ。……そして、その中心にいたのが」


 エレナは顔を上げ、一つの名前を口にした。


「ユリウス・セイル様です」


「ユリウス・セイル……」


 私がその名を反芻すると、エレナは重々しく頷いた。


「王都社交界の貴公子と呼ばれる方です。彼は言葉巧みに周囲の同情を集め、私を庇うふりをしながら、レオン様への非難を決定的なものへと扇動していきました。彼の言葉一つで、レオン様は完全に『冷血な悪者』として仕立て上げられてしまったのです」


 私は傍らに座るレオンを見た。


 彼は反論するでもなく、言い訳をするでもなく、ただじっと目を閉じて沈黙していた。


 彼には、人の心に寄り添う言葉がない。


 感情の機微を理解できず、誤解されても上手く弁明することができない。


 ユリウスという男は、レオンのその『言葉足らずで沈黙してしまう』という致命的な欠点を把握し、悪意を持って利用したのかもしれない。


 レオンの沈黙は、エレナを傷つけた。


 そしてその傷が、レオン自身から社交界における『言葉を信じてもらう権利』を奪い去るための舞台装置として使われた。


「……レオン。あなた、どう思う?」


 私が静かに問いかけると、レオンはゆっくりと目を開けた。


 彼の瞳にあるのは、過去への後悔で立ちすくむ光ではない。


 バラバラだった事実のピースを、自らの頭脳で繋ぎ合わせようとする『考える沈黙』の果ての、冷徹な光だった。


「ユリウス・セイル。……あの男は、王都財務院の有力な幹部たちと、裏で太い繋がりを持っている男です」


 レオンの平坦な声が、応接室に響いた。


「私が財務院の備蓄台帳に不審な点を見つけ、調査を始めようとした矢先のことでした。あの夜会が仕組まれたのは」


「……つまり」


 私が息を呑むと、レオンは冷ややかに事実を並べた。


「ただの恋愛の縺れではない可能性が高い。私が台帳の不正に気づきかけたこと。ユリウスが財務院の幹部と繋がっていること。そして、あの夜会が異様なほど整えられていたこと。……それらを並べれば、一つの仮説が成り立ちます」


 レオンはそこで、ほんのわずかに言葉を切った。


「あの断罪劇は、私から発言権を奪い、社会的に信用を失わせるために利用されたのかもしれません」


 エレナの証言によって、点と点が繋がり始めた。


 レオンは、ただ無能だから追放されたのではない。


 王都がひた隠しにする不正に気づきかけたからこそ、巧妙に信用を壊され、口封じのように捨てられた可能性がある。


 けれど、まだ足りない。


 台帳と金流は、財務院とエルヴェ商会の不正を示し始めている。


 だが、社交界で行われた断罪劇そのものが意図的に仕組まれたと王都で突きつけるには、まだ物証がない。


 必要なのは、ユリウスと財務院、あるいはエルヴェ商会を結ぶ社交界側の記録だった。


「私のせいで……」


 エレナが青ざめた顔で唇を噛んだ。


「私が感情的になってしまったせいで、彼らに利用され、レオン様をあのような目に……」


「エレナ嬢」


 レオンが、はっきりとした声で彼女の言葉を遮った。


「彼らに利用された可能性はあります。ですが、あなたが傷ついたことも、私があなたを一人にしてしまったことも、間違いなく事実です。……そこを、混同してはならない」


 レオンの言葉は、相変わらず不器用で、飾り気がなかった。


 けれど、彼は自分の過去の非から目を逸らすことはしなかった。


 ただ真っ直ぐに、彼女が傷ついた事実だけは否定せずに受け止めている。


「……そう、ですね」


 エレナは少しだけ目を丸くし、それから、憑き物が落ちたようにふっと息を吐いた。


「レオン様。あなたから大切なものを奪ってしまったこと、お詫びはいたしません。ですが……私が知っている社交界の不自然な動きについては、すべてお話しします。それが、今の私にできる唯一のことですから」


 王都の貴公子ユリウスと、財務院の暗躍。


 私たちが立ち向かうべき敵の輪郭が、ここに来て少しずつ姿を現し始めていた。

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