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第18話 台帳を入れるための空箱

翌朝。


 冷え込む応接室には、奇妙な緊張感が張り詰めていた。


「おはようございます、アメリア代行。並びに、クラウゼン氏」


 王都調査団の副使ハーゼンは、昨日と同じ隙のない黒い礼服姿で、事務的な挨拶とともに部屋へ入ってきた。


 彼の背後には、数人の護衛の騎士と、調査団に同行しているエレナの姿がある。


 私たち迎え撃つ辺境側は、私とレオン、そして部屋の隅に小さな机を与えられた記録係のミラの三人だ。


 ロイス卿の一件以来、私はミラに、王都関係者との会話記録は必ず二部作らせていた。


「さっそくですが、例の台帳の『調査』を始めさせていただきたい。出していただこうか」


 ハーゼンが眼鏡を押し上げながら言うと、レオンが無言で机の上に二冊の分厚い紙の束を置いた。


 私が管理している『現在の備蓄台帳』と、レオンが雪の中で守り抜いた『青印の控え』だ。


「どうぞ。お好きなだけ照合してください。不正な金流、赤い訂正印、そして『北七号』の不自然な記述……王都財務院が目を背けたくなるような事実が、山のように記載されていますから」


 私が牽制するように言うと、ハーゼンは眉一つ動かさなかった。


 だが、私の視線はハーゼンではなく、彼の後ろに立つ従者が抱えている『ある物』に釘付けになっていた。


 それは、頑丈な金属の装飾が施された、鍵付きの立派な木箱だった。


 サイズは、ちょうど机の上の二冊の台帳がすっぽりと収まる大きさだ。


(……なぜ、あんな箱を用意しているの?)


 私は強い違和感を覚えた。


 彼らの名目は、辺境備蓄の確認と台帳の『調査』だ。

 中身を閲覧して照合し、問題があればその内容を書き写して王都へ報告するのが筋のはずだ。


 だというのに、あの従者は最初から、大切そうにその『空箱』を抱え込んでいる。


「ふむ」


 ハーゼンは机の上の台帳に歩み寄ると、パラパラと数ページをめくった。


 数字の羅列を真剣に追っているようには見えなかった。

 ただ、現物がそこにあることを確認しただけの、ひどく雑な動作だった。


「なるほど。確かに、王都の記録とこちらの台帳の数字には、いくつか看過できない不一致があるようですな」


 ハーゼンはそう言うと、従者に顎で合図をした。


 従者が進み出て、机の上にドンと立派な木箱を置き、カチャリと蓋を開けた。


「現地での簡易的な照合では、これ以上の解明は難しい。よって、これらの台帳は『詳細な調査のための一時預かり』として、我々が王都へ持ち帰らせていただく」


 息を吐くように放たれたその言葉に、私は確信した。


 彼らは最初から、調査などする気がなかったのだ。


 あの北七号や赤い訂正印という、王都財務院やエルヴェ商会にとって不都合な物証。

 それを強引に奪い去り、闇に葬り去ること。


 そのために、わざわざあんな立派な『空箱』を王都から用意してきたのだ。


「……ッ」


 部屋の隅で、ミラがビクッと肩を震わせた。


 だが彼女はペンを落とすことなく、震える手で必死に羊皮紙に向かい、ハーゼンの今の発言を一言一句、正確に議事録へ書き残している。


「お待ちください、ハーゼン副使」


 静かな応接室に、凛とした声が響いた。


 声を上げたのは、ハーゼンの背後に控えていたエレナだった。


「王都を出発する前のブリーフィングでは、我々調査団の権限は、あくまで現地での『閲覧』および『事実確認』に限ると伺っておりました。台帳そのものを王都へ持ち出すなどという話は、一度も聞いておりませんが」


 エレナはレオンの元婚約者としてではなく、調査団の一員として、手続きの不自然さを理路整然と指摘した。


 彼女は、レオンを傷つけたことには負い目を感じていても、王都の不正に加担するような悪女ではないのだ。


「エレナ様。現場の状況は刻一刻と変わるものです。それに、これは我々財務院の専門的な判断です。貴女が口を挟むことではありません」


 ハーゼンは面倒そうに手をひらひらと振った。


 だが、そのやり取りを見逃すレオンではない。


 彼は机の上に置かれていた、ハーゼンが提出した『調査令状』を手に取り、冷徹な目で文面をなぞった。


「エレナ嬢の記憶は正確です」


 レオンの平坦な声が、ハーゼンの動きを止めた。


「この令状には、『フォルクハルト領内における備蓄および台帳の閲覧を許可する』とはありますが、領地記録の『接収』や『持ち出し』を許可する文言はどこにも記載されていません。つまり、あなたのやろうとしていることは、令状の範囲を逸脱した越権行為です」


 見事な指摘だった。


 台帳の数字だけでなく、契約や法的な文言の隅々にまで目を光らせる彼にとって、ハーゼンの強引なやり口は穴だらけなのだ。


 痛いところを突かれたハーゼンだったが、彼はロイス卿のように顔を真っ赤にして怒鳴り散らすことはなかった。


 ただ、ひどく事務的に、冷え切った目でレオンを見下ろした。


「……王都を追われた犯罪者風情が、いっぱしの役人気取りか。些末な文言などどうでもいい。王都財務院の決定がすべてであり、王都の権限が法なのだ」


 ハーゼンは机の上の空箱を指差した。


「さあ、王都の命令に従い、その台帳を早くこの箱へ入れなさい。拒否すれば、反逆と見なしますぞ」


 令状の不備を指摘されてもなお、王都の権力で強引に押し切ろうとする副使。


 私は、彼のその傲慢な態度を前に、静かにコートの懐へと手を入れた。


 そこに入っているのは、父から預かった領主代行の『委任状』と、辺境伯家の『印章』。


 王都の理不尽な横暴を、辺境の法と記録で完全に叩き潰すための、反撃の準備は整っていた。

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