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第17話 冬越し金の空白

その夜、執務室で。


「……なるほど。見事な手口ですわね」


 机の上に広げられた数々の書類を前に、ヴェラが艶やかな唇の端を吊り上げた。


 机を囲んでいるのは、私とレオン、ミラ、そしてヴェラの四人だ。


 ヴェラの手元にあるのは、調査団が持ち込んできた王都側の『現在の備蓄台帳の写し』。


 彼女はその中から、フォルクハルト辺境領へ支給されるはずだった『冬越し補助金』の項目を赤い爪先で叩いた。


「王都の帳簿上では、この莫大な補助金はすでに『支出済み』として処理されています。名目は、辺境の寒波対策としての薪および魔導具素材の購入費。そして、その支払先はすべて……先ほど見つけたのと同じ、王都の『エルヴェ商会』になっていますわ」


「ミラ。領地側の受け取り記録はどうなっている?」


 私が水を向けると、ミラは手元の分厚い記録紙の束をめくり、小さく、しかしはっきりとした声で答えた。


「本年度の冬越し補助金および……該当する物資の、フォルクハルト領への到着記録は、一切、ありません。ゼロ、です」


 王都側ではエルヴェ商会を経由して支出されたことになっている莫大な金が、現場である辺境には一銭も届いていない。


「レオン」


「はい」


 私の声に応え、レオンはコートの裏に隠すようにして持ち歩いている、あの『青印の控え』を取り出した。


 改ざんされる前の、古い台帳の写しだ。


 レオンは王都の現台帳と、自分の青印の控えを並べて置いた。


「私が王都で気づきかけていた違和感が、これです」


 彼が指差した王都の現台帳の補助金欄には、昨日彼が気づいた、不自然な『赤い訂正印』がベタベタと押されていた。


「青印の段階では、補助金は直接フォルクハルト領へ振り込まれる予定でした。しかし、その後の承認の過程で赤い訂正印が押され、『再配分済』『エルヴェ商会へ移管しての一括購入』という名目に書き換えられている」


「つまり、王都財務院とエルヴェ商会が結託して、辺境に送るはずの冬越し金を中抜きして着服したということね」


 私が冷たい声でまとめると、ヴェラが「ええ、おそらくは」と頷き、書類の一点に目を細めた。


「アメリア様。この赤い訂正印のすぐ横に、小さな管理番号が振られていますわ。……『北七号』。この番号、エルヴェ商会が調査団の旅費を二重請求してきた伝票にも記載されていました」


「北七号……?」


 私が首を傾げると、横にいたレオンがハッと息を呑む気配がした。


「……あり得ない」


 レオンは青ざめた顔で、その番号を食い入るように見つめた。


 数字に強い彼が、ここまで動揺するのは珍しい。


「レオン? どうしたの。その番号に何か意味が?」


「……フォルクハルト辺境領の、王都における地域管理番号は『北三号』のはずです。個別の領地に対する補助金ならば、必ずその番号が振られる」


 レオンの声が、微かに震えていた。


「『七』という数字。……まさか。これはフォルクハルト領だけを指す番号ではない。北方辺境に連なる、七つの領地全体をまとめた広域管理番号だ」


 その言葉の意味を理解し、執務室の空気が一気に冷え込んだ。


「待って。それってつまり……」


「はい」


 レオンはギリッと奥歯を噛み締めた。


「エルヴェ商会と財務院は、フォルクハルトの補助金だけを抜いたのではない。この『北七号』という共通の架空枠を使って、北方七領すべての冬越し金と備蓄を、組織的に横領している可能性が高いということです」


 背筋に悪寒が走った。


 これは、一つの領地の担当者が小遣い稼ぎで行ったような、ケチな横領ではない。


 北方の厳しい冬を越すための、何万人という領民の命綱を、王都の奥深くで何食わぬ顔で啜り上げている巨大な寄生虫の存在。


 レオンが婚約破棄というスキャンダルを利用され、社会的に抹殺された理由。


 彼から『言葉を信じてもらう権利』を奪わなければならなかったほど、彼が近づいていた真相は、あまりにも巨大で黒々としたものだったのだ。


「あ、あの……」


 重苦しい沈黙を破ったのは、ミラの小さな声だった。


「この、現台帳の別のページ……薬草の配分と、小麦の輸送記録の欄にも。同じ『北七号』の記載と、赤い訂正印が……いくつも、あります」


 ミラが震える指で示したページには、血の跡のような赤い訂正印が、無数に散らばっていた。


 また、北七号だ。


 一つの村の記録ミスなどではない。

 この番号が現れるたび、私たちが立ち向かうべき陰謀の深さが、底なしの暗闇のように口を開けていく。


「……明日の調査が、楽しみになってきたわね」


 私は『北七号』の番号を強く睨みつけ、明朝に台帳を奪いに来るであろうハーゼン副使の顔を思い浮かべた。


 彼らには、指一本たりとも、この証拠の束には触れさせない。

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