第16話 金の流れを読む女
ハーゼン副使たちが客室へ下がった、その日の夕刻。
私は屋敷の一室に掛けたばかりの仮看板を見上げていた。
フォルクハルト辺境領・再任用室。
まだ小さな部屋だ。
けれど、王都で席を失った人に、新しい席を探すための場所だった。
「私が、ヴェラです。王都の娼館で会計係をしておりました」
仮看板の前で、その女性は堂々と名乗った。
彼女は、王都から到着した避難民の第二陣に紛れていた一人だった。
派手な化粧はしていないが、身のこなしにはどこか夜の街で培われた艶やかな空気が漂っている。
「娼館の会計係、ですか」
同席していたオルドが、少しだけ難色を示すように眉をひそめた。
「王都の商会からは、その出自を理由にすべて雇用を拒絶されました。堅気の帳簿に、娼婦の上がりを数えていた女の指は触れさせられないと」
ヴェラは自嘲するでもなく、自分が嫌われることに慣れきった様子で淡々と事実だけを告げた。
王都の価値観では、彼女もまた『役立たず』として捨てられた側の人間なのだ。
「なるほど。王都の商会はずいぶんと余裕があるのね」
私は彼女の差し出した履歴書に、領主代行の印章を押して突き返した。
「出身が王城だろうが娼館だろうが、計算が合うならどちらでも構わないわ。私はあなたを出自ではなく、成果で判断する。……帳簿の癖を読むのが得意だそうね?」
「ええ。男たちがどうやって金を誤魔化し、裏でどう回しているか。数字の嘘を見抜くことには自信がありますわ」
「頼もしいわ。じゃあ、早速一つ仕事を頼むわね」
私は彼女を、会計監査の試用として即座に受け入れた。
案内された真新しい机の前に座ったヴェラに、私が渡したのは一束の書類だった。
「これは本日到着した、王都調査団の旅費、宿泊費、および馬車の手配にかかった費用の請求記録よ。彼らはこの全額を、辺境領の予算から引き落とそうとしてきているの」
「まあ。ずいぶんと厚かましいお役人様たちですこと」
ヴェラはふふっと笑い、書類の束を引き寄せた。
「では、少し見せていただきますね」
彼女がペンを持ち、書類に目を落とした瞬間。
その纏う空気が、艶やかな女性のものから、極めて鋭利な刃物のような『監査役』のそれへと豹変した。
パラリ、パラリと、素早い手つきで紙がめくられていく。
ヴェラは時折ペンで数字の横に小さな印をつけながら、楽しそうに目を細めた。
「……ふふっ、なるほど。お役人様というのは、どこもやり口が似ていますわね。数字を大きく見せるための『癖』が透けて見えますわ」
開始からわずか三十分後。
ヴェラは数枚の書類を抜き出し、私の前に並べた。
「アメリア様。この調査団、馬車の借り上げ代と護衛の傭兵費用を、二重に請求していますわ」
「二重請求?」
「ええ。名目を変えて二つの別々の口座に振り込ませようとしていますが、経由している大元の商会が同じです。……『エルヴェ商会』。王都でもかなり羽振りのいいところですわね」
エルヴェ商会。
その名前に、隣の部屋で作業をしていたレオンが反応し、顔を出した。
「ヴェラ殿。そのエルヴェ商会という名前、間違いありませんか」
「ええ、ここにはっきりと。この調査団の副使であるハーゼンという男の署名付きで、この商会への支払いが要求されています」
レオンは無言で振り返り、「ミラ」と短く声をかけた。
「はいっ!」
部屋の隅で待機していたミラが、抱えていた分厚い記録の束の中から、素早く一枚の紙を抜き出してレオンに手渡した。
「アメリア様。これは先日、ここから逃げ帰った巡察使ロイス卿が、不当に接収しようとした物資の『徴発記録』の写しです」
レオンが私の机に置いたその紙には、見覚えのある名前が記されていた。
「……エルヴェ商会」
私がその名を口にすると、レオンが静かに頷いた。
「ロイス卿と、ハーゼン副使。所属する部署も役職も違うはずの二人が、辺境に関わる金の処理を、なぜか同じ王都の特定商会に集中させている。これは単なる偶然ではありません」
王都からやってきた者たちの背後に、不自然な金の流れがある。
ヴェラの鮮やかな手腕によって、調査団の嘘と、その裏に潜む悪意の尻尾が、はっきりと形を現し始めていた。
「ヴェラ。素晴らしい仕事よ。彼らの二重請求は全額突き返してやるわ」
「ふふっ。お役に立てて光栄ですわ、アメリア様」
ヴェラの加入によって、私たちの陣営に強力な『金流追跡』の武器が加わった。
だが、問題はこれだけではない。
ロイス卿の徴発記録と、調査団の旅費。
それに同じ商会が関わっているということは。
「レオン……もしかして」
「ええ。私が王都から持ち出した台帳の写しに押されていた、あの不自然な『赤い訂正印』。……その支出先にも、この商会が絡んでいる可能性が高い」
レオンの冷たい目が、手元にある古い台帳の束へと向けられた。
辺境だけの問題ではない。
王都の奥深くで、もっと巨大な金が動いている。
私たちは、その闇の核心へと、確実に近づきつつあった。




