第15話 言いかけた謝罪
婚約破棄の夜会は、望んだ形ではなかった。
エレナのその言葉は、静かな応接室に重く響いた。
レオンは俯いたまま、膝の上で固く拳を握りしめていた。
彼の頭脳は、過去の状況を猛烈な勢いで計算し、そして一つの冷酷な事実に辿り着いたのだろう。
自分が沈黙し、彼女を孤独に追いやったという事実。
そして、その沈黙こそが、誰かの悪意によって『婚約者を虐げる冷血漢』という断罪劇の決定的な証拠として利用されたのだということに。
「……エレナ嬢」
長い沈黙の後、レオンがようやく口を開いた。
「私は……あなたに対して、深く詫びねばなりません。あなたを一人にし、傷つけたこと。そして……」
彼は言葉を探すように、何度か瞬きをした。
いつもなら、物資の量や馬車の積載比率を淀みなく語るその口が、今はひどく重そうに動いている。
「私の……至らなさゆえに、あなたを不要な騒動に巻き込んでしまった。悪意はなかったとはいえ、それが免罪符にならないことは理解しています。……すまなかった」
レオンは深く頭を下げた。
それは、彼なりの精一杯の謝罪だったのだろう。
けれど。
「……頭を上げてください、レオン様」
エレナの声は、どこまでも静かで、そしてひどく哀しげだった。
「あなたは本当に、何が悪かったのか、少しも理解されていらっしゃらないのですね」
「え……?」
レオンが顔を上げる。
エレナは薄く微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。
「あなたが謝るべきは、私を騒動に巻き込んだことではありません。私が悲しかったのは……あなたが今もこうして、私の『心』ではなく、起きた『事象』に対してのみ謝罪をしていることですわ」
エレナの指摘は、残酷なほど的確だった。
レオンの謝罪には、「なぜ彼女が傷ついたのか」「彼女の孤独にどう寄り添うべきだったのか」という、一番大切な『感情への理解』がすっぽりと抜け落ちていたのだ。
彼は事象を処理しようとしただけで、彼女の心に触れようとはしていなかった。
「あなたに悪意がなかったことは、分かっています。けれど、悪意がないことと、傷つかなかったことは別ですわ」
エレナは静かに視線を伏せた。
「あなたは私を傷つけようとしたわけではない。そこは、疑っておりません。でも……私は確かに、あなたの沈黙の隣で傷ついていました」
これ以上言葉を紡いでも、平行線を辿るだけ。
エレナの静かな拒絶に、レオンの表情が微かに歪んだ。
彼は自分が間違っていることは理解している。
だが、正解となる『言葉』を、彼はまだ持っていないのだ。
私は口を挟まずに、ただじっと二人を見守っていた。
胸の奥がチクチクと痛む。
彼の不器用さがもどかしく、助け舟を出してしまいたい衝動に駆られる。
でも、駄目だ。
私がここで彼を庇えば、彼は一生、言葉から逃げ続ける男になってしまう。
レオンが再び息を吸い込み、何かを言いかけようとした。
その時だった。
「――感動的な再会のところ申し訳ありませんが、そろそろよろしいですかな」
応接室の重い扉が、無遠慮な音を立てて開かれた。
銀縁の眼鏡を押し上げながら踏み込んできたのは、調査団副使のハーゼンだった。
「ハーゼン副使……」
私が眉をひそめると、ハーゼンは悪びれる様子もなく、事務的な冷たい笑みを浮かべた。
「長旅の疲れもありますので、エレナ様にはお下がりいただきましょう。それに、我々は王都の厳命を帯びた身。旧交を温める暇があるなら、一刻も早く業務を進めねばなりませんのでな」
「……」
レオンは口を噤み、固く結ばれた拳をゆっくりと解いた。
彼の謝罪は、ハーゼンの割り込みによって、最も中途半端な形で強制的に中断されてしまった。
エレナが静かに立ち上がり、一礼して応接室を出て行く。
レオンはその後ろ姿を、ただ無言で見送ることしかできなかった。
「さて、アメリア代行。そして元侯爵令息殿」
ハーゼン副使は、忌々しい泥靴の男――ロイス卿と同じように、王都の権威を纏った尊大な態度で私たちを見下ろした。
「本日はもう遅い。明日の朝一番で、正式な権限をもってフォルクハルト領の台帳の『調査』を行わせていただきます。……我々が納得する結果が得られるよう、せいぜいご準備をしておくことですな」
王都からの理不尽な圧力。
過去の傷を抱えたまま、レオンは再び、あの『台帳の数字』を巡る戦いへと引きずり込まれようとしていた。




