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第12話 契約書は怒鳴らない

雪にまみれた中庭で、ロイス卿は薄ら笑いを浮かべたまま、目の前に立ったレオンを見据えていた。


「なんだ、貴様。私に説教でもするつもりか? 王都を追われた犯罪者の分際で」

「説教などいたしません。私はただ、手続きの不備を指摘しているだけです」


 レオンは感情の一切こもらない平坦な声で答え、手にしていた三枚の羊皮紙のうち、一番上の紙をロイス卿の目の前に突きつけた。


「冬季防衛備蓄の特例管理規定、第七条。寒波に伴う防衛備蓄の差配は辺境伯の専権事項であり、王都財務院による緊急接収には、国王代理の直接の署名が必要です。お持ちですか?」

「なっ……」


 ロイス卿の笑みが引きつった。

 レオンは構わず、二枚目の紙を重ねる。


「次に、こちらが魔導具職人ニコとフォルクハルト辺境伯領とで交わされた、小型暖房具の専属開発契約書です。第五項に『生産された魔導具は領内の緊急救援に最優先で充当される』と明記されています。これを王都が差し押さえるには、莫大な違約金と、領主代行であるアメリア様の同意が不可欠です」

「き、貴様……!」

「最後に、これです」


 レオンが最後に出したのは、ミラが震える手で書き起こしたばかりの『議事録』の写しだった。


「先ほどの卿の発言、『王都の危機を救うための供出だぞ』という言葉が、一言一句正確に記録されています。正式な接収令状もないまま、王都の都合で辺境の命綱を奪おうとした。この記録が中央に提出されれば、越権行為として卿の立場が危うくなるのでは?」


 怒鳴り声は一切ない。

 ただ淡々と、契約書と規定、そして紙に残された記録だけを使って、レオンはロイス卿の逃げ道を完璧に塞いでみせた。


「……ッ、この、負け犬が!!」


 追い詰められたロイス卿が、顔を真っ赤にして激昂した。


「婚約破棄されて夜会で吊るし上げられ、女一人まともに慰められなかった無能の分際で! こんな辺境で小娘のスカートの裾に縋り付いて、一丁前に仕事ができた気になっているのか!」


 その強烈な罵倒に、中庭の空気が再び凍りつく。

 レオンは何も言い返さず、ただ静かに目を伏せた。過去の事実で殴られれば、不器用な彼は反論の言葉を持たない。


 だから、私が前に出た。


「ロイス卿。これ以上、私の臨時補佐官を侮辱することは許しません」


 私は彼の泥で汚れた靴の前に立ち、まっすぐにその目を見据えた。


「卿が『負け犬』と呼んだその男の立てた輸送計画が、今日、三つの村を飢えから救いました。卿が『ゴミ』と笑った彼らの記録と魔導具、そして歩き方が、一人も凍えさせることなく村人たちを温めました。それが事実です」


 私は説教などしない。

 ただ、彼らがもたらした圧倒的な成果だけを突きつけた。


「王都の品位がなんだというのです。今日、吹雪の中で領民の命を繋いだのは、王都が捨てた彼らです。卿に彼らを笑う資格などありません。……お引き取りを」


 冷たい風が、二人の間を吹き抜ける。

 ロイス卿はギリッと奥歯を噛み締めたが、契約書の壁と、周囲を取り囲む若者たちの鋭い視線を前にして、これ以上の強弁は不可能だと悟ったようだった。


「……後悔するぞ、小娘。王都を敵に回して、いつまでも無事でいられると思うな」


 捨て台詞を残し、ロイス卿は忌々しげに馬車へと乗り込んだ。

 泥靴の巡察使は、結局何も奪うことができないまま、逃げるように辺境伯邸を去っていった。



 その日の夜。

 暖炉の火が静かに爆ぜる執務室で、私は一人、温かい紅茶を飲んでいた。


 コンコン、と扉が叩かれ、レオンが入ってくる。

 彼は本日の救援物資の消費の記録を私の机に置くと、少しだけ躊躇うように口を開いた。


「……アメリア様。昼間は、助け舟を出していただき感謝いたします」

「いいのよ。事実を言ったまでだわ」


 私が微笑むと、レオンは静かに目を伏せた。


「私は、王都で何も言い返すことができませんでした。ですから、ロイス卿の言う通り、負け犬で……無能な男です。私のような者が、本当にこのまま、あなたのそばにいてよいのでしょうか」


 初めて見せた、彼の弱音だった。

 私は机の上に置かれた、彼が綺麗に整理してくれた一覧を見つめた。


「レオン。あなたを雪道で見つけた日、私がなんて言ったか覚えている?」


 彼が顔を上げる。


「拾うのではなく、雇えるか確かめる。そう言ったわね」

「……はい」

「答えは出たわ」


 私は立ち上がり、彼のまっすぐな目を見つめ返した。


「私はあなたを拾ったんじゃない。あなたの仕事を見て、あなたの価値を知って、私が選んだのよ。だから、あなたはここにいなさい」


 それは、甘い愛の告白ではない。

 けれど、王都で社会的に抹殺され、すべてを失った彼にとって、これ以上なく確かな『居場所の肯定』だった。


 レオンは少しだけ目を瞬かせ、やがて、深く、深く頭を下げた。

 その不器用な横顔に、私は彼との関係が、単なる雇い主と補佐官以上の、特別な何かに変わり始めているのを感じていた。



 深夜。

 自室に戻ったレオンは、ランプの灯りの下で、再び二つの台帳を広げていた。


 旧トール村の『小麦三十七袋』は、ただの転記ミスだった。

 だが、青い保管印の押された古い控えと、現在の台帳を照らし合わせているうちに、彼はある『異変』に気がついた。


「これは……」


 現在の台帳の、備蓄の支出先を示す欄。

 そこに、ミスなどではない、意図的に書き換えられた不自然な『赤い訂正印』が、いくつも押されているのを発見したのだ。


『再配分済』『王都倉庫へ移管』。

 もっともらしい理由が書かれているが、辺境の末端まで物資の流れを追ったレオンにはわかる。これは、物資が届いていないことを隠すための偽装だ。


 背筋に、冷たいものが走る。


 自分が王都で、ただ婚約破棄されただけでなく、なぜ社交界から徹底的に信用を壊され、無能として抹殺されたのか。

 彼が雪の中で命より先に守っていたこの台帳の数字には、王都の闇が隠されている。


 赤い訂正印の奥に潜む陰謀の気配が、静かな辺境の夜に、不気味に渦巻き始めていた。

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