第11話 三つの村を飢えさせなかった
吹き荒れていた猛吹雪がようやくピークを過ぎ、重い鉛色の空から薄明かりが差し込み始めた翌朝。
一睡もできずに屋敷の正門で待ち続けていた私の目に、深い雪を掻き分けて進んでくる黒い影が見えた。
「……帰ってきた!」
オルドの叫び声に、門の周囲に集まっていた使用人たちが一斉にどよめいた。
先頭を進む馬車の御者台には、雪まみれになりながらも太い杖を傍らに置き、鋭い目で周囲を警戒し続けるガレスの姿があった。
「止まれ! 到着だ!」
ガレスの号令とともに、数台の荷馬車が中庭に滑り込む。
荷台から次々と降りてきたのは、領内から集められた若者たちだった。
彼らは疲労困憊で顔を真っ赤にしているものの、その手足はしっかりと動き、誰一人として深刻な凍傷を負っている者はいなかった。
「アメリア様! 救援隊、ただいま帰還いたしました!」
若者の一人が、誇らしげに胸を張って報告する。
「雪崩で塞がった街道を避け、ガレス殿の指示した旧道を通ったおかげで、馬車ごと雪に飲まれる事態を防げました。怪我人も、欠員もゼロです!」
突撃の栄誉を知らない足の悪い元騎士は、見事に部隊を一つも欠かすことなく生還させてみせたのだ。
私は安堵のあまり、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。
「みんな、本当によくやってくれたわ。村の様子はどうだったの?」
「はい! もう最高でしたよ!」
若者たちは口々に、村での出来事を語り始めた。
「レオン殿が組んでくれた積載指示のおかげで、馬車が雪にハマることもなく、ミラの記録通りに物資を分配できました。第三村にも、北端の村にも、必要な分の『小麦』がしっかりと村の倉に積まれています!」
「ニコ殿の暖房具もすごかったです! 村の集会所に設置したら、一晩で部屋中がジンワリと暖かくなって。凍えかけて泣いていた子どもたちが、暖房具の周りに集まって小さな手をかざして笑っていました!」
「毛布にくるまって震えていたお年寄りも、吐く息が白くなくなったと喜んで、俺たちの手を握って感謝してくれましたよ!」
小麦の袋。
小さな暖房具。
毛布。
彼らがもたらした具体的な成果が、村の人々の命を繋ぎ、凍える夜に確かな温もりを与えた。
王都が『役立たず』と嘲笑い、不要だと切り捨てた者たちが。
間違いなく今日、この辺境の三つの村を飢えさせず、凍死から救い出したのだ。
胸の奥から込み上げてくる熱い達成感に、私が涙を滲ませて微笑んだ、その時だった。
「ほう。辺境の田舎芝居にしては、なかなか感動的な結果ではないか」
冷や水を浴びせるような、ひどく耳障りな声。
振り返ると、屋敷の入り口の階段に、上等なコートを着込んだロイス卿が立っていた。
彼は中庭に集まった若者たちや、雪にまみれたガレス、そしてニコの作った暖房具の予備を、まるで値踏みするように舐め回すように見下ろした。
「そこの三流職人が作ったという暖房具、なかなかに実用性が高いようだな」
ロイス卿の目に、昨日までとは違う欲の色が浮かんでいた。
昨日の彼は、蔵と工房の中身を「確認する」と言っていた。
だが今、目の前で救援の成果を見たことで、彼は理解してしまったのだ。
この小さな暖房具には価値がある。
この辺境には、まだ奪えるものがある。
「それに、あんな孤立した村にまで配れるほど、領地には小麦や毛布の備蓄があるということか」
「余剰などありません。ギリギリの配分です」
私がきっぱりと答えると、ロイス卿は薄ら笑いを浮かべた。
「嘘をつくな。実際に三つの村へ届け、なお屋敷へ戻るだけの余力があったではないか」
「それは余力ではありません。配分と輸送を組み直した結果です」
「言い訳はよい」
ロイス卿は懐から、仰々しい王都の紋章が入った書類を取り出して広げた。
「昨夜の救援で、貴領には小型暖房具と冬季備蓄を運用する能力があると確認できた。ならば、王都のためにも活用すべきだ」
中庭の空気が、じわりと冷えていく。
彼が次に何を言うのか、私はその時点で察していた。
「王都もこの寒波で、下町の薪や物資が不足し始めているのだ。辺境の田舎者がぬくぬくと暖まっている場合ではない」
ロイス卿は、昨日の「買い上げ」という建前を、今ここであっさりと捨てた。
「王都財務院からの正式な命令として、その『小型暖房具』の残りの在庫と製法、並びに屋敷の蔵にある小麦と薬草の冬季防衛備蓄の七割を、直ちに接収する」
中庭の空気が、一瞬にして凍りついた。
「なっ……ふざけるな!」
若者の一人が激昂し、ロイス卿に掴みかかろうとするのを、オルドが必死に制止する。
「王都の危機を救うための供出だぞ。光栄に思え。王都命令に逆らうというなら、反逆と見なして力尽くで奪うまでだ」
ロイス卿はそこで、レオンへ視線を向けた。
「それに、妙な記録を抱えたその男もな」
ロイス卿は完全に、権力を笠に着た盗賊の顔になっていた。
領民の命を繋ぐための備蓄と暖房具を、自分たちの保身と欲のために根こそぎ奪い去ろうというのだ。
「いい加減になさい……!」
領主代行として、これ以上の横暴は許さない。
私が怒りを露わにし、ロイス卿へ向かって一歩踏み出そうとした、その時。
私の隣を、一つの影が静かに通り抜けた。
「ロイス卿」
感情の一切こもらない、氷のように平坦な声。
レオン・クラウゼンだった。
彼は怒鳴ることも、顔を真っ赤にして激昂することもない。
ただ、手にはきっちりと揃えられた数枚の羊皮紙――『契約書』と『規定の写し』を握りしめ、泥靴の巡察使の正面へと静かに歩み出た。




